【完結】機動戦士ガンダムSEED Revelation ~紅蓮のフレイ~ 作:kayako
ナオトの絶叫も虚しく──
頭上から、冷たい泥水が降ってきた。
女の髪の毛、血の塊、腐った魚、リンゴの皮、カビまみれの雑巾と一緒に。
「あ……うああああああぁあああっ!」
悲鳴と共に、泥水は一気にナオトの服と身体に染み込んでいく。
洗ったばかりのミントグリーンのワイシャツが、赤茶けた泥で汚されていく。
炎の音や砲撃と一緒に聞こえる、男たちの笑い声。両袖から流れ出るトマトカレーのような水を、ナオトはどうすることも出来ない。
もう一人がナオトの襟ぐりを後ろから引っ張り、首すじからビール瓶の中身を注ぎこんだ。
黒く濁り、濡れたタバコが詰まったタール状の水が、背中と腹を汚していく。
一方的に身体に降りそそいでいく、ゴミ混じりの毒水。
冷たさと屈辱にうち震え、ナオトは喉の奥から小さな悲鳴を上げ続ける──
だが意地でも、絶叫は抑えきっていた。
──僕は悪くない。
僕は何も悪くない。こんなナチュラルたちに、絶対負けない!
その意地を嘲笑うように、もう一個のカボチャの中の泥が頭からざんぶと浴びせられる。
虹色に光る、ぎらぎらしたガソリン混じりのぬめり水。さっきまで生暖かだった風は、急に冷たくなって濡れた身体を撫ぜていく。
さらに、そのカボチャは無理矢理ナオトの頭から被せられた。
視界が真っ暗になり、嘲笑と爆発音だけがわんわんと響く。カボチャの中は吐しゃ物と血の臭いで充満していた。
――これを被っていただろう子供は、一体何処に行ったんだ。
泥にまみれた身体をどうすることも出来ないまま、ぼんやり考える。
そして脳裏に浮かんできたイメージは、半分がた砕けて道路に転がされるカボチャ。
口に当たる部分から流れ出している吐しゃ物。そして首にあたる部分から見えるものは
──血が噴出している、脳髄と首の骨の断面。
それも、幼い子供のもの。
最も恐ろしい考えに突き当たり、ナオトはカボチャを振り落とそうと激しく暴れる。
だがカボチャは重く肩にのしかかり、さらに羽交い絞めにされた身体は河原を引きずられ始めていた。
何も見えない闇の中、川の音が次第に大きくなる。
間違いなく、奴らはナオトをどぶ川に突っ込もうとしていた。それも方向からして恐らく、泥とゴミと油まみれの水がせきとめられている、くぼ地の溜池に。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ……
やめろ、やめろよ畜生っ!」
必死で足を踏ん張るが、土の上に虚しくスニーカーの引きずる跡をつけるだけで、成人男性の力にはとても抗えない。
まず腰が、ぬめりだらけの泥の中に引きずりこまれた。
腹から冷たい泥水が侵食してくる──ひどい悪臭に、息が詰まりそうになる。
踏ん張っていた足が滑り、少年の下半身は一気に泥の沼へ落ちた。
引っこ抜くようにしてカボチャを脱がされる――
見ると自分の身体は、黒緑にぬめる池に肋骨の下あたりまで浸かっていた。
羽交い絞めにされた状態のまま、さらに深い場所まで引きずられていく。
笑いながら同じくドブ池に入り、周りを囲んでいる男たち。
両腕だけでなく両脚までがっちり押さえつけられ、ナオトはもはや殆ど自由に動けなかった。
胸が沈むか沈まないかというところまで来た時点で──
いきなり、少年のまだ幼い胸板に足が乗せられた。
「う……
あ、ああぁああああぁ、ぐ……っ!?」
思い切り男の体重が乗り、そのまま一気に暖かい泥の中へ頭まで沈められる。
幸い水深は20センチ程度のものだったが、池の中で肺から空気を強制的に吐き出させられたナオトは、つい水を飲んでしまう。ひどいガソリンと生ゴミの臭いが口に充満した。
次の瞬間ネクタイを掴まれ、頭だけ水面へ引きずり上げられる。
肺と心臓が猛然と稼動し、空気を求めて喘いだ。
咳き込んで水を吐き出すナオトを、面白そうに男たちは眺め──
そして汚れた手が、嬉々としてその身体を弄び始めた。
抵抗を封じられた、少年の身体を。
「嫌だ……
い、イヤだあああぁああっ、こん畜生っ……
ああぁあああ、うぁああああああ!」
泥とゴミとカビを掴んではナオトの皮膚へ、顔へ、笑いと罵りを浴びせながらべっとりと塗りつけていく男たちの手。
まるで子供が泥人形をつくっているかのように、男たちは楽しげだった。
どんなに叫んでも暴れても、そのたびに顔を殴られ、首を絞められ、胸を靴で水底へ押しつけられた。
四肢は全く動かず、ナオトには激しく喘ぐ自分の胸を見ていることしか出来ない。
ワイシャツの裾から、袖口からも手は入り込み、身体に泥を塗りつけていく。
──あの時も、同じようにして僕は喰われた。
父さんの前で。
阿鼻叫喚の街の片隅で、燃える空に向かって絶望と恥辱に喘ぎ続ける少年の心を、誰も振り返ろうとはしなかった。
すぐ後ろで爆発音が轟き、1秒ほど遅れて激しい爆風がやってきた。
サイはフレイをかばいながら、咄嗟に地面に伏せる。
「時澤軍曹っ!」
サイの叫びは虚しく爆発にかき消されたが、思ったほど炎の威力は激しくない。
数秒もすると聴覚は戻り、風はやんだ。
ふと背後を振り返ると、崩れかけて炎を上げるビルの向こう側に――
まだ動き続けるウィンダムの、白い鋼鉄が見えた。
「良かった……」
レイダーの黒い姿はどこにもない。どうやら今の爆発は、ウィンダムの前から逃走する為の目くらましだったようだ。
瓦礫の上で横になっているフレイ。その上半身をゆっくり起こしてみると、酷い出血が手を染め抜いた。
腰につけていたバッグから素早くガーゼと包帯を取り出し、剥き出しの左肩の手当てを始めるサイ。
白い素肌は、黒く乾いた血でべっとりと汚されていた。
まだ煙の臭いの充満する中、二の腕の柔らかな感触を確かめながら、サイは静かに彼女に問う。
「フレイ。トールの言っていたことは本当か?
あれは、トールなのか」
暫くの沈黙の後、短い答えが返ってくる。
「……そうだ」
「君は、自分はフレイじゃないと言った。
君はフレイの記録を元に、彼女を模して作られた人形だと、自分で言ったね。
トールは、違うのかい?」
「違う」
彼女の答えはあくまで淡々としていた。「似ているが、違う。
彼はトール・ケーニヒだ、間違いなく。
そうでなければ、彼は何も持たなくなってしまう。自らを定義するものを」
「それは、どういう……」
サイがさらに聞き出そうとした、その瞬間──
「――っ!?」
何かが唐突に、サイに入り込んだ。
酷く異質なものが、脳に、感覚に、神経に侵入してくる。それも酷く無遠慮に、ずかずかと。
全身を、何かで汚されていく。とてつもなく不快な感情が、下水のように湧きあがる。
突然自分に起こった異変に、サイは思わず両腕を抱きかかえてしまった。
「な……
何だ、これ?」
意味の分からない現象に、思わずフレイを凝視してしまったが――
ほぼ同時に、彼女も目を大きく見開いていた。
明らかにサイと同じ気持ち悪さを味わっているようで、必死で身を守るように、包帯をされたばかりの左腕を右手で握り締めている。
歯がわずかにカチカチ鳴っていた。
「これは……今までよりも強烈だ。
まさか」
自分を汚そうとする粗暴な意志が、サイとフレイの皮膚を駆け抜ける。
どこかで、似たような感覚を味わったことがある──
サイはすぐに思い出した。
ヤエセの、あの忌まわしい工場の中。
「ナオト……
ナオトか!?」
分かってる。こいつらは、僕を本気で殺そうとしていない──
それだけは、ナオトにもぼんやりと分かった。
聞き取れた彼らの言葉から判断して、彼らの目的は、ナオトを無惨な姿にして晒し上げること。
ティーダに乗るオーブのレポーターで多少は顔を知られ、ナチュラルとコーディネイターの融和の象徴として少なからず偶像化されていた彼を徹底的に痛めつけることは、オーブとアマミキョ、文具団の無力ぶりを晒すことになる。
コーディネイターに富と仕事とプライドを奪われ続けてきたナチュラルにとって、ナオトは恰好の獲物といえた。
尤もそれは口実に過ぎず、単に戦闘で高揚しきった感情の捌け口を、幼く無力な少年に一方的に叩きつけているだけかも知れない。
しかし本当のところは、今のナオトには分からない。分かったところでどうしようもなかった。
いつの間にかナオトは、後ろの岩に背中を押しつけられていた。ちょうど耳元のあたりの岩の間からちょろちょろと赤い水が噴きだし、頬と肩あたりの泥を一瞬だけ洗い流していく。
──僕は悪くない。
僕を裏切った父さんが悪い、僕を捨てた母さんが悪い、僕を見てくれなかったフレイさんも、何も出来なかったサイさんも、何も分かってないマユだって……
なおもナオトを汚し続ける指。それはワイシャツの裾から下腹部まで入り込んだ。
細く小柄な少年の身体を容赦なく泥で撫で回し、弄び、べっとり油で汚していく指。
「ちくしょう!
離せよ、離せよっうぁあおああああぁ、あああああがああああっ!!」
あまりの気持ち悪さから必死で逃れようと、ナオトは絶えず叫んで暴れ続けていた。
それを制するように、ネクタイがぐいと引きずり上げられる。その勢いで、男の指で強く掴まれていた右袖が、肩口からびぃと裂けた。
露になる白い肩。
──駄目だ。
しっかりしろ。あれだけは絶対に、守らなきゃ!
首も四肢も自由にならないまま、ナオトは泥の中で必死に髪を振り乱してもがいた。
胸元だけは、守らなきゃいけない。あのお守りだけは!
「僕は、僕は何にも悪くない!
悪くない、悪くないんだ!!」
無茶苦茶に叫びながら、胸を庇うようにして力いっぱい身をねじる。
今度は左の襟が大きく引き剥がされボタンが飛び、鎖骨と左肩と二の腕が剥き出しになった。
同時に下腹部に指が入り、ベルトに手がかかる
──引きむしられる!
男の嘲笑が、獣と化した少女の犬歯の記憶と重なった。
ナオトの身体も精神も、恐怖に一瞬硬直する。
だが、その瞬間を見透かしたかのように、川のすぐ下流で大きな水柱が立った。激震と共に。
同時刻──
マユは、炎を上げるビルの脇の横道に倒れていた。
「い……嫌、イヤ!
助けて、助けて……お兄ちゃ……」
別にマユを誰かが襲っているわけではない。彼女はたった一人で、ゴミ捨て場の横で倒れ、身をよじらせていたのだ。
ただそれは彼女にとって、襲われているもほぼ同然の状態だった。
何しろ酷い頭痛と共に、50本以上の指で全身を弄り回される感覚が、彼女を貫いているのだから。
「ナオト……っ!」
殆ど身動きが取れず、何故か呼吸まで苦しい。
汚い水の中に押し込まれ、小さな胸を揉まれ、ブラウスを裂かれ。
首を絞められ、全身を汚され、下着やスカートの中まで撫で回される感覚。
「ナオト、なの?」
サイやフレイを襲った感覚の数倍ほども強く、マユは痛みと羞恥を感じていた。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん?!
大丈夫かいっ、早く逃げなきゃ!」
「い、いやああぁあっ!?」
その悲鳴に、見知らぬ中年女性が慌ててかけつけてきたが、マユは悲鳴と共にその手を振り払う。
女性が何度彼女に手を伸ばしても、マユは暴れて拒絶するだけだ。
尋常ならざる少女の様子を前に、女性はほとほと困ったという顔で逡巡していたが――
上空で砲撃音が炸裂すると、彼女は致し方ないといった風情で首を振り、マユを置いてその場から逃げていった。
「あ、あああぁ、あ……
ナオト……ナオトぉ!」
割れるような痛みが、一人残された少女の脳を襲う。
それでもマユは分かった──
これは、ナオトの痛みだ。ナオトの悲鳴だ。
ナオトの心が踏まれてる。あの工場の時と同じに。だったら──
「た……
たすけ、なきゃ……」
マユの唇から自然に漏れたものは、そんな呟き。
その思いが芽生えた瞬間、マユの混乱は少しだけ鎮まり――
埃だらけになりながらも、再び両腕を自らの意志で制御することに成功した。
そして彼女は砂を振り払いながら、二本の脚で何とか身体を起こす。
「助けなきゃ。
助けなきゃ……ナオトを」
頭痛と不快感は消えていなかったが、それでもマユはふらふらと歩き出した。