【完結】機動戦士ガンダムSEED Revelation ~紅蓮のフレイ~ 作:kayako
カラミティからの応答はない。
ナオトにコクピットが見えていたなら、歯をくいしばり、折れよとばかりにレバーを握り締め、俯いたまま激昂を抑えるカイキに気づいたはずだが──
不幸なことに、その姿はナオトには見えなかった。
《……ふざけるな》
あまりに重く陰鬱に響いた声を、ナオトは一瞬聞き取ることが出来なかった。
「え?
か、カイキさん……?」
ナオトの右足爪先あたりで、カラミティの小指第二関節接合部の装甲の一部が、不意に取り外された。
10センチ四方の金属板となった装甲が、遥か下の水面へ音を立てて落ちていく。
整備用のものだろうかと彼が怪訝に思った、その時──
《ふざけるなっ!》
ナオトの脳の全領域に、激しい火花が散った。
いや、脳だけではない。身体全体を凄まじい熱と痺れが貫いていく。
まるで雷にでも撃たれたかのように、ナオトの身体は酷い痙攣を始めた。
水の迷宮に響きわたる、少年の凄まじい絶叫。それを打ち消さんばかりに、カイキも叫んだ。
《ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
俺たちがそのぐらい、何も考えなかったとでも言いたいのか!?》
カイキの、悲鳴にも似た絶叫。
それはスパークに苦しむナオトの耳さえも貫く。
血液が沸騰して逆流し、心臓が焼け、脳がえぐられていく痛みと共に――
カイキの悲痛が、ナオトへ流れ込む。
《考えたさ。俺たちだって死ぬほど考えた!
マユとチグサを両方生かす方法があるのなら、俺は魂ぐらいいくら売っても構わなかった!
フレイだってニコルだってラスティだってミゲルだって、必死でマユを生かそうとした。だから俺も奴らを信用したんだ!
だが、どうやっても駄目なんだ。
2年経てばどうやっても、マユの……あいつの魂は消えちまう。
例えチグサの覚醒が成らずとも、あいつは──
あいつの魂は、マユ・アスカの身体に定着出来ない!
それが、俺たちが散々調べた結果だっ!!》
――火花が、止まった。
痺れからようやく解放されたナオトは、頭と右腕をぐったりとカラミティの親指にもたれさせてしまう。
だが、まだ意識はあった。
整備用ケーブルから直接電圧をかけられた。本当なら一瞬で、全身黒コゲになるところだ。
多分最小限の電圧で、カイキさんは僕を黙らせたんだろう──
随分と焦げ臭いと感じて、ナオトは頭を上げる。
髪や服の一部が焼けていた。襟元や紅のリボンタイの先端は、焦げてボロボロだ。
右足の膝から下の感覚がない。ケーブルを押しつけられた部分だろう。
《何も知らん分際で……今更、分かった風な口きくんじゃねぇ。
今度ふざけたことを抜かせば、通常電圧で貴様を殺す》
朦朧とする意識の中、ナオトは力を振り絞って周囲を見渡す。
坑道を抜けた先――扉の向こうに見えたものは、光の空間。
そこはまるで、巨大なガラスの塔の中心だった。
おそらく直径1キロ以上あろうかという円状の床は、ほぼ全て清浄な水で満たされている。壁は青いガラス張りで、天井が見えない。
天井までの高さがどれほどあるのか、見当もつかない。100キロと言われても、ナオトは疑わなかっただろう。
レンガが積まれたように、細かく区切りの入ったガラスの壁。そのレンガはところどころに光が灯り、その中で何かが移動している──
よく見るとそれは、実験室らしき部屋の中からこちらを観察している、研究員らしき人間たちの姿だった。
そしてひときわ目を引くのは何と言っても、部屋の中央部から天井までを貫く、白く輝く円柱。
それは、壁から水平方向に突出したいくつもの鉄製の支柱で頑丈に支えられ、何ものにも脅かされない風情を保ち、そこにあった。
一見すると、黒く太い枝を何十本も生やした白い大樹のようにも見える。この大樹が、研究所、いや島全体を生み出しているような錯覚さえする。
ナオトは思わず唾を飲んだ。
──間違いない。あそこに、マユがいる。
まだ、生きてる。
「カイキさん、お願いです」
ナオトはもう一度、意を決して声を出した。
声帯も痺れているのか、さっきほどの大声は出ないが、それでも。
「マユを、助けて下さい。
助け出して、どうにかしてマユを生かす方法を、もう一度考えましょう!
僕は、僕はマユと一緒に、生きたい!
僕はマユを守るって……そう決めたんだ!!」
途中からその声は詰まりかける。
両目からはいつしか、大きな涙の粒が幾つも溢れ出していた。煤と血で汚れた頬を、涙が洗い流していく。
「2年しか、生きられないって……
2年だけなんて、そんなのってないよ。酷いよ、そんなの……」
《それだけもたせるだけでも精一杯だった。これまでは定期的な投薬で何とかしていただけだ。
それ以上無理に延命しようとすれば、身体組織の崩壊と共にあいつの精神も瓦解する。
そんな苦しみを味わわせるくらいなら!》
「だからって、マユをここで殺すっていうんですか」
《何故生かしたと恨まれるくらいなら、な》
「違う、そんなの違う!」
ナオトは必死で首を振る。
「マユが感情を覚えていって、僕はすごく嬉しかった。
苦しみや悲しみや痛みを覚えるってことは、誰かの痛みも分かるってことだ。誰かと心を分かち合うってことだ。
マユが初めて苦痛を覚えた時、マユは言ってたんです……
僕と同じ痛みを分け合えて、嬉しいって。
その時の僕はさっぱり意味が分からなかったけど、今ならよく分かる。
誰かと感情を共に出来ることが、マユは初めてで、嬉しかったんだ。
それが例え、痛みであっても!」
カラミティは動かない。
静かな水のほとりで、じっとナオトの涙声を聞いている。
「痛みを感じるから、人に優しく出来る。
苦しみを感じるから、人の優しさが嬉しいと感じる。
僕のせいでマユが苦しみを覚えたのなら、僕は正直、嬉しいです。
マユが、僕と同じ人間になれたから……」
ナオトはそっと、右の手のひらでカラミティの指の装甲に触れた。
「カイキさんだって、本当は嬉しかったはずだ。
マユを好きだったなら、嬉しかったはずですよ!!」
だが――
悲しいかなその言葉は、カイキの感情を一気に狂わせる結果となった。
《……黙って聞いていれば、きれいごとを!》
カイキの叫びと共に、二度目の電流がナオトの身体を駆け抜ける。
「――が……
ぎああぁああああぁあああっ!!!」
眼球が飛び出し、耳が吹き飛ぶかというほどの衝撃がナオトを襲う──
が、それでも彼は気づいた。
電圧が、先ほどと変わらないことに。
《他人とこの先ずっと関われるなら、それも結構だろうがな!
2年だぞ! マユには、2年しか時間がなかった!
例え空虚なうわべだけの喜びや嬉しさでも、マユがそこに幸せを感じて苦しまずに逝ければ、俺はそれで良かった……
普通の人間として生きられないのが分かっていて!
どうして普通の人間と同じに感情を交えて、苦しみや痛みを感じなきゃいけない!?
痛みも成長も、あいつにとっては虚しいだけのことだ。人との関わりなんぞ……
逝く時に、あいつをもっと苦しめるだけだ!》
カラミティの指にかかる力が、一層強くなる。身体の至るところから血と火花が噴き出す。
電撃と共に、ナオトの意識は飛びかかっていた。
《それを、貴様が全て壊した!
マユの幸せを、俺たちの願いを!
貴様はガキの恋心と自己満足で、全てぶち壊しちまったんだ!
何と言われようと、俺は絶対に貴様を許さん! マユの幸せを奪った貴様を!
あいつの代わりに苦しんで苦しんで、死ね!》
幸か不幸か、カイキの絶叫の最後のあたりは既に、ナオトの耳には届いていなかった。
少年の意識が完全に消失したと、ほぼ同時に──
《感傷に溺れ過ぎるな、カイキ!》
彼を掴んでいたカラミティの手首関節部が、上空からの光の矢によって突如、切り落とされた。女の声と共に。
《……フレイ!》
大樹の遥か上から舞い降りてくる紅の機体──ストライク・アフロディーテ。
光の矢はそのビームカービンからの、最小出力で放たれたものだった。
静かな水面に、盛大な飛沫を上げてカラミティの手首が落下していく。ナオトを掴んだまま。
アフロディーテから、カイキを諌めるフレイ・アルスターの声が冷たく響いた。
《言ったはずだぞ。
ティーダの完全覚醒を促すには、ナオト・シライシが必要だと》
《分かっている……
分かっていたんだ、だが!》
感情の昂ぶりを抑えられないカイキの声。そこには狂気が若干混じり始めている。
その言葉を聞きながら、フレイはじっと、泡立ち続ける水面を見つめた。
《結果的には、どうにかなりそうだ。
手段はいささか、乱暴に過ぎたが……》
その灰色の瞳には、少しの憐憫も無い。
《50秒待っても変化が無ければ、救出に向かう。
ここであの子供を失うは、得策ではない》
カイキは何も答えない。
静けさを取り戻しつつある空間に、フレイの声だけが響いた。
《本心を衝かれたか? あのような子供に》
《馬鹿を言え……
いくらアンタでも許さねぇぞ》
必死で冷静さを保とうとするカイキの声が、ひどい低音で水面に流れた。
冷たい水の中を、ナオトの身体はどこまでもどこまでも沈んでいく。カラミティの指と共に。
彼が落とされたのは、偶然か必然か、白く輝く大樹のそばだった。
水面からでは予測できないほど深い水底へ、ナオトは沈んでいく。
力を失ったカラミティの指は水圧に押され、その拘束は自然に解けていった。
──ナオト。
ナオト! 大丈夫?
消えかけたナオトの意識に、呼びかけてくる少女の声。
その声で、うっすらと彼は目を覚ました。
──カイキ兄ちゃんてば、ひどいよ……
ナオトに、こんなひどいこと!
今ナオトの身体はほぼ逆さになり、水底へ落ちつつあった。
息を止めながら、自分の状態をゆっくり確認してみる。
大樹からの光で、意外に水の中は明るい。
感覚のなかった右足は、ズボンの膝下から先がなくなり、スニーカーだけが残っていた。布地はおそらく焼けて吹き飛んだのだろう、白い素足に真っ黒い火傷が出来ている。
ブラウスの右袖も破れて消失し、左の袖もちぎれかけて、ティッシュペーパーのように頼りなく何とかナオトにくっついている。
上着の大半は真っ赤に染まり、元の桜色がほぼ見えなくなっている。
あぁ、ごめんなさい――母さん。
母さんからもらった服を、僕は台無しにしてしまった。
──お兄ちゃん……何でこんな、ひどいことするんだろ?
ナオトの目には、何故かマユ・アスカの姿が映し出されている。
耳にもマユの声が聞こえている。
これは、夢なのか?
いや。夢でも何でも構わない――マユと少しでも話が出来るなら。
僕は、まだマユに話したいことがたくさんある。
彼女の話だって、たくさん聞きたい。もっともっと、たくさん。
ナオトは白く輝くマユの姿へ、その手を伸ばしていく。
マユ。カイキさんはきっと、優しい人だよ。
優しいから、僕をこうせずにはいられなかったんだ。
──どうして? 人を傷つけちゃいけないのに?
マユには、まだ分からないかもな。僕も、ちゃんと説明は出来ないけど。
僕は君のこと、チグサさんのこと、色々教えてもらったよ。
本当にごめん……マユ。
僕は君を、不幸にしちゃったのかな?
僕は、マユの幸せを奪っちゃったのかな?
僕と出会わなければ、君は幸せなまま、死ねたのかな?
──分からない。だけど、ナオトと一緒にいて、私、嬉しかったよ。
──お兄ちゃんたちと一緒にいた時は、楽しいことばかりだったけど……
私、どこか虚しかった。
お兄ちゃんはいつも私を見てくれるけど、大事なのは私じゃなくて、私の向こう側にいる人なの。他のみんなも同じ。
マユ、違うよ。
カイキさんはちゃんと、君のことも見てた。
──ナオトには、分からないかな?
私のこと「も」じゃ、嫌だったの。
私は、私だけを見てほしかったの。
マユの声はさらに続く。最後の感情を振り絞るように。
ナオトの胸元からは、白い布袋に包まれたお守りがいつの間にか飛び出して、マユの前で揺れていた。
──でも、ナオトは違った。ずっと私だけを見てくれた。私にいろんなものをくれた。
──その中には、私が知っちゃいけないものもあったのかも知れないけど……
全部、私が欲しかったもの。
──多分、ナオトは私に、心をくれたんだと思う。
それは、幸せかどうかは関係なく、ヒトがヒトである為に必要なもの。
カイキ兄ちゃんは私に身体をくれたけど、心はくれなかった。
マユ、それもちょっと違うと思う。君に心をあげたのは、僕だけじゃない。
サイさんやカイキさん、アマミキョの人たち、メルーやハーフムーンの人たち、色んな人たちが……
みんなでマユに、心をあげたんだ。
──そうかも知れないね。
でも、ナオトがいなきゃ、私はそれも分からなかった。だから……
ナオトの眼前で、マユは大きく両腕を広げた。
全てを包み込む天使のように。
──私の力を、全部あげる。
ナオトに私を、全部あげるよ。
──私、ナオトと一緒に生きたい。
まだ、生きていたい。苦しくてもいい、痛くてもいい。
『私は――
まだ、生きていたい!』