【完結】機動戦士ガンダムSEED Revelation ~紅蓮のフレイ~   作:kayako

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part4 英雄の片鱗

 

 45秒ほども経過した時──

 

 作業用アストレイの右マニピュレータが、そっと濁流の中から、灰色の大きな泥だまりを救いだした。

 雨がその泥を洗い落とす。泥に包まれていた青年の赤いメガネフレームと蜂蜜色の短髪、女性の白い両腕が見えた、その一瞬

 ――人々の中から、嘆息とも歓声ともとれるざわめきが上がった。

 トニー隊長の絶叫が、雨中に響く。

 

《サイ君、無事か! 

 息があるなら返事をしたまえっ!》

 

 アストレイの頭部ライトが、川面で揺れる。

 オサキは唾を飲み込みながら、じっと見つめていることしか出来ない。

 

 ──トニーの声が届いたのか。

 アストレイの掌で、泥だまりがゆっくりと動いた。

 わずかに見える眼鏡とネクタイの色で、オサキには何とかそれがサイだと分かった。

 叩きつけるように降りそそぐ雨がその泥をシャワーのように洗い流していき、やっと泥人形の正体がいつもの彼の横顔だと確認出来るまで

 ――オサキは全く落ち着くことが出来なかった。

 ごうごうと水飛沫を上げる川とほぼ同じ速さで、黒雲も空を走っていく。

 雷がまだ遠いのが幸いだった。

 

 

 

 アストレイの掌部で──

 身体中を流れ続ける雨もそのままに、サイは上半身を起こし、助けたばかりの母親の頬を軽く叩いてみる。

 幸い水も飲んでおらず、意識はしっかりしており、彼の呼びかけにも女はすぐに応じた。

 二人を乗せたアストレイの掌が、ゆっくりとコクピットハッチに吸い寄せられる。

 同時にトニー隊長が飛び出してきて、母親を掌から、もう1機のアストレイへと移していった。

 

 間もなくそのアストレイから母親はミストラルに移され、数分後には親子は再会を喜ぶことが出来るだろう──

 その間、サイは激しく息をつきながらも、荒れ狂う川面をじっと見つめていた。

 泥に覆われていた身体は豪雨で洗われ、流れる水は彼の足元、アストレイの指の間から川へと落ちていく。

 アストレイの作業用ライトの光を頼りに、サイは水面と岸辺をひたすら睨みつけていた。

 彼の上を流れる雨と、肌に張りついた服は次第に、その身体の線を光の中へくっきりと浮かび上がらせていく。

 

 

 

 その輪郭から、オサキは目を離すことが出来なかった。

 目を離せば、一生後悔する──そう思った。

 まだ少年ぽさの残る首筋、引き締まった頬、出発時より少し伸びた前髪。

 締まってはいるがそれほど盛り上がっていない筋肉、すっと伸びた背中、眼鏡ごしに見える大きな青い瞳。

 それらが全て、アストレイのライトと雨の中、幻のようなシルエットとなって浮かび上がる。

 

「――!」 

 

 その一瞬の光景を、オサキは不意に、綺麗だと感じた。

 激しく吐かれる息すらも、絵の一部のように感じたのだ。

 どれほど雨にうたれても、ひたすらに獲物を追い続ける獣──そう思えたからかも知れない。

 水墨画のように白と黒で埋め尽くされた世界の中、紅に光る巨神アストレイとその光輪の中心にいるサイは、唯一色を持つ存在として生きている。そんな気がしたからかも知れない。

 彼が獣と違うのは、目で追う対象が獲物ではなく、助けるべき人間であるという点だけだ。

 

《サイ君、君も下がりたまえ。

 一人だけで、全てを助けられるものではない。それを分かれ!》

 

 トニーの声が水面にこだまする。

 その声に、サイはようやく川岸から視線を引き剥がし、立ち上がる。だが──

 

「待って下さい、隊長。気になることがあるんです……

 オサキさん、ミストラルは戻っていいよ。怪我人が心配だ」

 

 自分に呼びかけるその声。

 オサキははっと我に返ると、途端に怒鳴り返していた。

 

「バッカ野郎! 

 お前置いて、帰れるかってんだっ」

 

 しかしサイは、オサキにもトニーにも答えない。

 ただ、曇天の空の向こうへと視線を投げただけだ。

 オサキがもう一度怒鳴ろうとした、その時──

 

 

 一段と強烈な突風が一行の正面、つまり川下から吹きすさび、山全体が風に揺れた。

 空に轟音が満ち、黒雲は風に圧されたように一瞬、途切れた。

 不意に、紅の光が雲間から射し込んでくる。

 子供がはしゃぐ声が、ミストラルの中から聞こえた。

 

「夕焼けだ! お母さん、夕焼けだよっ」

「ホントだ、キレーイ!」

「そうだねぇ……明日はやっと晴れるのかねぇ」

 

 天空を覆っていた黒雲の間から、茜、紫、薄紅色の暖かな光が、川面とアストレイと森を照らし出す。

 一瞬だけ雲の晴れた、西の空。

 いつもより巨大に見える紅の太陽が、今まさに最後の光を放ち、山の向こうへ沈もうとする直前だった。

 雨は未だにおさまっていなかったが、少しだけ勢いを弱めたようにも見える。

 帰れとは言われたが、オサキはどうしてもその時のサイから、視線を引き剥がすことが出来なかった。

 

 勿論、サイ一人を置いて帰れないというのもあるが──

 心臓をうたれるほど、眼前の光景が美しかったのだ。

 

 突風で翻ったサイの濡れた服が、沈みかける夕陽の欠片の激しい光を浴びて、煌く。

 そのさまが、オサキにはまるで淡く紅に輝く、透明な翼のように見えたのだ。

 風に飛ばされそうになりながらも、サイはアストレイの指につかまってしっかりと前方を

 ──太陽の方向を、見据えている。

 今にも飛び立とうとする鷹のように。

 

 その襟元で、アマミキョの象徴とも言えるバッジが、夕陽とは違う青の輝きを小さく、宝石のように静かに放散していた。

 夕陽を受け、アストレイの紅の装甲も金色に輝き、飛沫の中に堂々と立っている。

 小さな人間の命と身体を、支えるように。

 

 

 まるで、黄金の巨神を導く精霊──

 

 

 数秒か数十秒かは分からないが、オサキは自分の役目も忘れ、光景を凝視していた。

 胸の高鳴りが、どうしても抑えられなかった。

 そんなオサキの気も知らぬまま、サイは静かに振り返ると、よく通る声でトニーに告げた。

 

「隊長。今すぐ、この周辺一帯から南と西の住民へ、避難指示をお願いします。

 出来るだけ早く!」

《な……何を言っているんだ、サイ君? 

 まだ南チュウザン軍はここには至らない、焦ることはないだろう》

 

 戸惑うトニーの声を遮断するように、サイは言い放つ。

 

「いや……ザフトが来ます。

 予想以上に早く」

 

 言われて初めて、オサキも気づいた。

 どうも雨に紛れて、西の空から何か煙たいものを感じると思っていた──

 それが何なのかさっぱり見当もつかず、変な鼻風邪をひいたとばかり思っていたのだ。

 まさかそれが、ザフト接近の警告だったと? 

 

「オサキさんも急いで! 

 一刻も早く、皆をアマミキョへ運ぶんだ!」

 

 同じ感覚は、多分サイも感じていたのだろう。彼の方が2年前の実戦経験の分、鋭敏さも上だ。

 オサキは軍属経験はあるものの、実戦はない。だからサイはザフトの速さに気づいたということか。

 胸の鼓動が鎮まらないまま、オサキは指示どおりにミストラルを発進させていた。

 サイのあの姿を、もっと見ていたい──そんな願いを振り払いながら。

 

 

 

 

 

 

「毎回毎回、何してくれてんだテメェは! 

 こんなに泥まみれになりやがって、幼稚園児かっ」

「うわ熱い、熱いですってハマーさん! いきなり熱湯はやめて下さ……

 う、うわぁああ!」

 

 アマミキョ・カタパルトに戻ってくるなりサイはハマーにとっつかまり、洗浄所で頭から熱湯のシャワーを浴びせられていた。

 服のまま洗剤を頭から顔から背中から乱暴にぶちまけられ、泡だらけになったところをハマーの手で強引にひっかき回される。

 

「せ、せめて服くらい脱がさせて下さいよ!」

「バカタレ、こうした方が洗濯も一緒に出来て効率的だろうが! 

 それに、てめぇのストリップなんざ誰も見たかねぇんだよ! 周りの迷惑も考えやがれ」

 

 整備士たちは泥まみれのアストレイとミストラルに次々と取り付きつつ、にやにや笑いながらサイとハマーを眺めていた。

 それをさらに遠巻きにしつつ、オサキとヒスイ、そして偶然医療ブロックからやってきたスズミが、三人揃って腕組みしながら見ている。

 

「本当にもう……

 サイ君ってば、またなの?」

 

 呆れたようにため息をつくスズミ。

 

「破傷風にでもなったら大変だって、あれほど言ったのに」

「すまなかった……止められなくて」眉間を押さえつつ、オサキは呟いた。

 

 さっきまで伝説の勇士の如く、雨の中アストレイを導いていた青年と。

 今ハマーの熱湯から逃れようとガキみたいに喚き続けている、目の前の情けない男が──

 同一人物などと、とても思えない。思いたくない。

 

 ヒスイが必死でフォローする。

 

「い、いいじゃないですか。サイさんのおかげで、ザフトの急接近が分かったんです。

 今、隊長たちも全力で動いてくれているし、こちらも早めに手をうてそうですよ」

「それじゃ、医療班も急いで準備をしないとね。

 薬と機材は今でも足りないのよ、これがリスト。

 サイ君にも伝えておいて」

 

 スズミはヒスイに紙束を渡し、さっさとその場を離れていく。

 渡されたヒスイはそのぶ厚さに仰天し、慌ててスズミを追いかけていった。

 

「ちょ、ちょっと待ってください先生、無茶ですよ今の供給体制では……先生~」

「やれやれ。アタシはブリッジで状況確認でもすっか……」

 

 オサキもサイには一瞥もくれず、そのままカタパルトをぶらぶらと出て行く。

 後には、殆ど涙目でハマーに頭を洗われているサイが取り残された。

 

 

 

 

 

 

 ハマーは女三人組が出て行ったのを確認し、さらにアストレイに整備士全員がかかりきりになっているのを見て、一旦シャワーの勢いを弱めた。

 

「胸、出せ」

 

 非常にぶっきらぼうな一言に、サイは頭から流れる湯もそのままに、「はい?」などと生返事をしてしまう。

 それに苛立ったのか、ハマーはいきなり襟ぐりを掴むと、有無を言わさず胸元を広げた。

 ほどけかけていたネクタイが、湯の中へ落ちる。

 

「……まだ残ってんだな、その傷」

 

 サイの胸を見ながら、ハマーはぽつりと呟いた。

 下に着ていたシャツの奥、右肩から心臓のあたりにかけて、黒く醜く刻まれた跡が隠されている。

 

 ──あの雨の日、ハマーが憎しみのあまり刻み込んだ傷。

 

 あぁ、と笑いながらサイは答える。

 

「傷は残ってはいますが、痛みは殆ど消えてます。

 下手に広げなければ、特に心配はないそうですし」

「だが、やっちまったのは事実だ」

 

 その傷口に、ハマーはゆっくりと暖かな湯を注いでいく。

 背中に当てられた彼の手が、妙に大きいようにサイは感じた。

 下手すると湯の音に消されそうな、ハマーの言葉。

 

「どうかしてたとか何とか、妙な弁解なんぞしねぇよ。

 だが、俺がやっちまった……

 左腕、見せてみろ」

 

 言われるがままに、サイは濡れた袖を捲り上げて左腕を出した。

 黒く変色した痣は肩から二の腕までくっきりと残り、さらにその上に火傷の跡まである。

 何も知らない人間がいきなりこれを見れば、反射的に目を背けてしまうだろう傷跡だ。

 透けたシャツを通しても、その醜い傷ははっきりと確認出来た。

 

「まだ、十分に動かねぇんだろ」

 

 その言葉に、サイは一瞬答えに詰まった。

 左腕の動き方が今でも鈍いのは確かだ。ハマーだけの責任というわけではなく、あの後もサイが散々無茶をやって腕を痛めた結果なのであるが。

 

「マッサージ、ちゃんとやってもらってんのか」

 

 その問いにも、サイは首を横に振る。

 ネネを失って以降、彼の足は医療ブロックから少し遠のいてしまっている。

 副隊長として多忙になったからというのもあるが、何より、ネネのいない医療ブロックを見るのは辛かった。

 それにスズミも常に忙しい中、容易にマッサージなど頼めるものではない。

 

「ドアホが……

 無茶ばかりやる癖に、その後のケアを何も考えちゃいねぇ。

 やっぱりてめぇも、アークエンジェルの連中と同じだな」

 

 言いながら、ハマーはサイの左手首を揉みほぐし始める。

 その行為に、サイは一瞬戸惑った。

 かつてあれほど狂暴だった整備士が、不器用なりにではあるが、サイの左腕をいたわっている──

 ネネのマッサージとはほど遠い、痛みばかりを感じる乱暴なマッサージではあったが、サイはそのマメだらけの手を通じて、心臓に暖かいものが流れ込むのを感じた。

 

「ナチュラルの怪我なんて、俺にはどう治したもんか分からねぇし……このぐらいしか、やれるこたねぇ。

 俺は今でも、ナチュラルもてめぇも嫌いだがよ。

 やっちまったことの償いぐらいはしねぇと、俺の気がすまねぇ。

 借りは必ず、一生かけてでも返す」

「そんな……俺は、貴方に何かを返してもらおうなんて思ったことはありませんよ。

 ハマーさんは今のまま、しっかり整備班を支えてくれていれば、それで十分です。

 それに……」

 

 左腕を洗われながら、サイは言葉を継いだ。

 

「ハマーさん、最近全くお酒、口にしていませんよね。中毒になると、自力でお酒を止めるのが非常に難しいと聞きました。

 スズミ先生からも聞いたんですが、治療プログラムを受けているそうですね」

 

 ハマーは湯を流したまま、サイのマッサージを続ける。ぶ厚い唇が、見たこともないほどとんがっていた。

 

「だ、だから何だってんだ。

 それがてめぇと何の関係がある」

「大ありですよ。

 そのおかげで、整備班の動きが非常にスムーズになりました。ブリッジともいい連携が取れているし、とても助かってます。

 本当に、ありがとうございます」

 

 真正面からにっこり微笑むサイに、ハマーは思わず耳まで真っ赤になった。

 

「別に、てめぇなんぞの為に酒止めたわけじゃねぇ! 馬鹿にすんな!」

「それは承知してます。アマミキョの為ですよね」

「あぁ、当たり前だ! 誰がてめぇみたいなドアホのド無茶野郎なんぞの為に! 

 全く……!」

 

 言い終わらないうちに、ハマーは再びシャワーの勢いを最大にして、思い切りサイの笑顔目がけてぶちまけた。

 

「うわ、ホントに熱いですってやめて下さいハマーさ……

 え、ちょ、ちょっと! 何するんですかっ、下は自分で洗えますから!」

「うるさい、こうなったら穴という穴全部洗ってやるから覚悟しろ! 

 おいお前ら! ちょっと来い、副隊長様が丁寧に鼻の穴まで洗って欲しいってよー!」

「へ!? あの、ちょっと待っ……」

 

 そんなハマーの声に、一斉に集まってくる整備士たち。

 

「ホントですか!?」「おー! 俺、副隊長の右腕、一回触ってみたかったんだよなー」

「そーそー、この前壊れかけの配管素手でわしづかみで引きちぎってたの、みんなビックリだったし」

「しかもあんな涼しい顔でなぁ。細っこい身体のどこからあんな力出るんだか」

「ちょ、ちょっと待って下さい皆さ……うわぁあああああ!」

 

 その後、整備士たちも交え、サイが上から下まで盛大に洗浄されたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 だが、アマミキョクルーが全員揃って心から笑うことが出来たのは――

 その日が最後となった。

 

 

 

 

 

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