【完結】機動戦士ガンダムSEED Revelation ~紅蓮のフレイ~ 作:kayako
part1
「ほら、あーんして、あーん。
大丈夫よ。もう怖くないでしょう?」
清浄な空気が保たれた病室の中で、ルナマリア・ホークはそっとベッドの上の少年に手を貸し、いつも通り食事を丁寧に口に運んでやっていた。
少年が恐る恐る、ルナマリアが冷ましたスプーンから粥を口にすると、そのたびに彼女は笑顔で頬を撫でる。
無邪気そのもの。
だが僅かな恐怖をまだ隠し切れず、こちらを一心に見つめてくる大きな瞳。
頬のガーゼはまだ取れないが、可愛くてたまらない。一日中見ていても飽きない。
まるで、シンに代わる弟分が。メイリンに代わる妹が出来たみたいだ――
少年を見つめながら、ルナマリアはふとそう思う。
口は一切きけない上、何かを書かせようとしても言葉がなかなか出てこないらしい。
また、やっとのことで書きとめた単語も、全く意味をなしていないことすらあった。
何とか分かったのは──
彼の名が、ナオト・シライシであること。
ガンダム・ティーダのパイロットだったこと。
オーブでレポーターをやっていたこと。
そして、自分たちが追い続けていたアマミキョに乗っていたこと──
せいぜい、この程度だ。
それでも──
否、だからこそ、ナオトは今のルナマリアにとって、貴重な心の支えだった。
メサイア戦役で自分たちは敗北し、ミネルバは墜とされた。
上官であったタリア・グラディス、そして仲間のレイ・ザ・バレルを失い、妹のメイリン・ホークとも離れ離れになり。
失意のうちにプラントに戻ったルナマリアを待っていたのは──
何も出来ない仔犬同然の、この子供だった。
ヤヌアリウスとディセンベル、合計6基のコロニーの崩壊。
それによる大混乱から、全く立ち直る兆しのないプラント。
そんな中、ザフト施設内の病院に収容され、ほぼ監禁に近い状態で治療を受けていたナオトに、ルナマリアはどうしようもない庇護欲を感じたのである。
メイリンが自分の元を離れ、オーブへ行ってしまい。
弟のように思っていたシンが、いつの間にか自分より遥かに実力をつけ──
二人とも、自分が守るべき存在からかけ離れてしまったせいかも知れない。
ナオトの頭を撫でながら、ルナマリアは自己分析をする。
素性もよく分からない。頼る者は誰もいない。
しかも伝達手段をほとんど持たず、大怪我をしてプラントに放り出された子供──
ルナマリアは、そんなナオトを放っておくことが出来なかった。
赤服の特権を行使して、彼女はシンをお供に、毎日のようにナオトの見舞いに来ていた。勿論名目としては、ガンダム・ティーダの情報を探るということにしていたが。
最初こそ、ナオトはルナマリアの接触を極度に嫌がっていた──
無理もない。私たちザフトはずっと、この子の船を攻撃していた。
私なんて、この子の船を──
――絶対に撃ってはいけなかった船を。
それでもルナマリアが手をさすり、動かない脚を診てやり、頭を撫で、全身で抱きしめたりするうちに、ナオトの表情からは次第に嫌悪が消えていった。
尤もそれは彼女に対してだけで、シンに対してはまだ殆ど心を開こうとしてはいなかった。
そしてシンの方も、ナオトを可愛がろうなどという気持ちは微塵もないようだった。
仕方がない──
シン自身、心の余裕が全くない状態なのだから。
PHASE-35 動き出した時間
「ずっと、あんな調子なのか」
病室内のルナマリアとナオトの様子を、シン・アスカとアーサー・トラインは、ただじっと見ていることしか出来なかった。
ロックのかかった重い扉。
目の高さあたりに申し訳程度につけられた小さなガラス窓ごしに、アーサーはルナマリアを見やる。
そういえば、結構長い間、副長と話をしていなかった──
そう思いながらも、シンは視線をルナマリアから逸らさないまま続けた。
「はい。
会話は全く出来ないし、筆談も未だにうまくいかないことも多くて……」
「彼だけじゃない。
ルナマリアも、かい?」
「はい?」
思わぬアーサーの問いに、シンは生返事になりつつも顔を上げる。
ルナマリアは相変わらず、ナオト・シライシの頭を撫でながら、朗らかに笑っていた。
それを見るたびに、今まで経験したこともないざわついた気持ちが生まれていく。シンの胸に。
いつの頃からか、自分にはなかなか向けられなくなった、ルナマリアの屈託のない笑顔──
いつからだろう。ルナが俺に笑わなくなったのは?
アスランがメイリンを連れて、ザフトを裏切った時から?
レイがいなくなった時から?
ミネルバが墜ちた時から?
アスランに月面で助けられた時から?
俺が、キラ・ヤマトと会った時から? それとも──
俺がアスランとメイリンを振り切って、プラントに戻った時から?
俺には、女心なんか分からない。
だけどルナは、そのへんの女の子とは違う。一緒にいれば心強い娘だと思っていたのに。
「いずれにせよ、君たちはザフトに戻ってきた。
ミネルバは沈み、グラディス艦長を始め、多くの仲間を失った──
君たちの気持ちは、よく分かっているつもりだ。しかし……」
アーサーはその先を言いづらそうに、言葉を濁す。
だが、シンがその真意をただそうとするよりも早く――
アーサーの背後から不意に、黒い髭面の大男がぬっと現れた。彼らの逡巡を見透かすように。
「しっかりしたまえ、トライン艦長。
我々ザフトがこのプラントでやるべきことは、山ほどあるのだからな」
予想だにしなかったその声に。
シンは驚きのあまり、思わず素っ頓狂な大声をあげてしまう。
「貴方は!?
ご、ご無事だったんですか?」
ちょうどその時ルナマリアも病室から出てきて、彼らと鉢合わせする形となった。
「え?
まさか! ヨ……ヨダカ、隊長!?」
「やれやれ。どう生き延びたか説明しろと言わんばかりだな」
彼らの前に久々に現れたヨダカ・ヤナセ。黒さの目立つ肌も唇も、濃い髭もそのままだ。
白い歯を見せ、豪快に笑うのも変わらない。
「残念だが、その時間はあまりない。
君たちミネルバJr組には、新たな任務があるのでね」
そう言いつつヨダカは、背後に控える女性が差し出したメモ帳を取り上げ、当然のようにナオトの病室に入ろうとする。
ルナマリアは慌てて、その前に立ち塞がった。
「よ……様子をご覧になりたいということであれば、徒労と思われます!」
「彼の状態にろくな変化が見られないのは知っているさ。
ただ、ずっと追い続けた者としては気になってね……」
軽口を装いながらも、ヨダカはルナマリアの肩ごしに、小窓を通してナオトの姿を目ざとく確認していた。
何も知らないまま、小窓の向こうの少年はヨダカをぽかんと見つめている。
一目見て、ヨダカの顔から笑みが消えた。
「酷いもんだ……」
背後の女が、その背をそっとつつく。
それに気づき、ヨダカはアーサーらに向き直った。
「トライン艦長。私より君が直接伝えるべきことだろう。
ミネルバJrは問題ない、何をためらう?」
「は……はぁ」
アーサーは咳払いと共に、ようやく吹っ切ったという顔でシンとルナマリアに向き直った。
「君たちには、ミネルバJrで再び地上に降りてもらう。
彼──ナオト・シライシと共に」
何処からか、声が聞こえる。
自分を激しく呼ぶ声が。同時に、自分を拒絶する声が。
──しっかりしなさいよ!
あの船のみんなを放っといて、私を放っといて、私のところに来ようなんて……
そんなの、許さない!
──ナオトだってマユだって、みんな貴方を待ってる!
早く起きなさい。貴方は強い人なんだから!
──そうよ。貴方はキラより、ずっと弱い癖に……
キラより誰より、ずっと強いんだから!
声はどんどん、頭の中で大きくなる。
耳を塞ごうとしても、両腕は動かない。身体中に少女の声が響きわたる。
フレイ、駄目だ。
行かないでくれよ……俺のそばに、ずっといてくれよ。
どうして君は、どこにもいないんだ?
どうして君は、また、俺から離れた?
やっとまた会えて、やっと話せたと思ったのに。
フレイはフレイじゃなくて。
しかも俺からまた、離れて……
君が俺から、みんなから離れたせいで、俺はまた全てを失ってしまった。
ネネも、風間さんも、オサキも、ハマーさんも、メルーも、ナオトも、マユも、カズイも、船のみんなも──
そこへ、別の声が割り込む。
少女と同じ声だが、少女とは違う声。
──何を言っている?
貴様はまだ、全てを失ったわけではない。
全てを失うなどと、軽々しく口にするな。それ以上の苦しみを味わったこともない分際で!
……それ以上の、苦しみ?
今のは、君か?
君なのか? フレイ?
だったら……!
思わず手を伸ばそうとする。
動かないはずの右手が、凄まじい重さを伴って、ようやく動きだし──
サイ・アーガイルは戻ってきた。
現実へ。
目覚めた瞬間に視界に映っていたものは、少女の大きな瞳。
紅の長い髪。
「フレ、イ……?」
何日ぶりに発されるかも判然としない言葉を、思わず呟いていた。
目の前で、自分を見つめる少女に向かって。
視界は非常にぼやけている。
目の前のこの少女は誰なのか。紅に見えた髪の色は、思ったよりもだいぶ色素が薄い。
淡い空色の瞳──
フレイでは、ないのか?
「あらあら?
大変。びっくりさせてしまったようですわね」
少女が少し慌てたように、額に手を当ててくる。
ひんやりとした感触。身体は相変わらず殆ど動かない。
全身を鋼鉄の鎖でがんじがらめにされ、縛りつけられているかのようだ。
「どうしましょう……
少し、落ち着いてくださいな」
少女の指の柔らかさを感じながら、サイはようやく気づいた。
自分が全身、包帯とギプスとチューブまみれでベッドに寝かされていることと──
目の前の少女が、フレイ・アルスターではないことに。
あぁ。俺は脳みそまでどうかしたらしい。
よりにもよってこの人と、フレイを間違えるとは──
「あ……
貴方、ひょっとして!?」
やっと気づいたのですねと言いたげに、少女の笑顔が揺れる。
淡い桜色のふわりとした髪、トレードマークとも言える三日月の髪飾りと共に。
「ラクス……さん?」
少しばかり明瞭になってきた視界の中で、ぱちん、と軽い音をたてて少女は手を叩いた。
「えぇ。お久しぶりです、サイ・アーガイルさん。
私は、ラクス・クラインですわ」