【完結】機動戦士ガンダムSEED Revelation ~紅蓮のフレイ~ 作:kayako
頬に、風を感じなくなった。
脳のあちこちで、様々な人々の声が微かにこだまする。トニー、ヴィーノ、ヒスイ、スズミといったアマミキョの仲間たち──
そして、キラの叫びまでも。
どこか暖かい場所に寝かされている自分に気づき、サイは重い瞼をゆっくり開いた。
──ここはどこだ。
俺は一体、何をした?
キラの手からみんなを守ろうとして、無我夢中でティーダに祈っていた。
まさか、それが──?
視界は判然としない。ただ、目の覚めるような紅がすぐそばにある。
あの騒動の中でも、眼鏡だけは奇跡的に落ちずにすんでいた。しかしかけ直そうとしてもレンズの半分以上が砕けており、今や外界からの光は直接瞳を刺激している。
そして、聞こえたものは──
とても懐かしく、愛おしい。
しかし、どこか張りつめた少女の声だった。
「やっと、起きたな」
自分を真っすぐ見降ろしていたのは、やや青みがかったグレーの瞳。
細い身体を包んだ、真紅のパイロットスーツ。
メットの中に押し込まれた、紅の髪。上げられたバイザーから見える頬は、何故かかつてよりも白く、痩せて見えた。
間違いない──フレイだ。
俺がずっと会いたかった、ずっと話したかったフレイが、今やっと、目の前に!!
偽りと分かっていても、サイは敢えてその名を呼ぶ。
──そう。フレイの名を偽ったこと自体が、『彼女』の真実なのだから。
「──フレイ。
どうして。何故ここに……」
そんなサイの額にそっと触れたものは、グローブに包まれた指先。
彼の声を聞いて、ほんの少し安堵したのか。ため息と共に呟くフレイ。
「何を言う。
私を呼んだのは、お前じゃないか」
「俺は──
よく分からないまま、キラからみんなを守ろうとして……
気がついたら、ティーダが動いていた。
そうだ。確か、その時……
君がコロニーの中に入ってきたような、気がして……」
肺はまだぜいぜいと音をたてている。簡易なものではあるが、人工呼吸器が口元に取り付けられていた。
サイの額に浮かんだ汗を、ガーゼでそっと拭うフレイ。
瞬く間にそのガーゼも血に染まる。
「無理して喋らずとも大丈夫だ。
ここはセイレーンコクピット。お前の乗ってきたティーダも、共にいる」
「俺は……アマミキョから離れたら、ダメになっちまう身体だ。
なのに……どうして?」
「今、お前の身体をセイレーンに繋いでいる。
しばらくはこれでもつはずだ」
唇に微笑みさえ浮かべ、フレイはサイの額に右手を触れる。
そしてサイは思い出した。ひどく昔のように思える、ミントンでのチグサとの会話を。
──出来るだけ早くアマミキョか、それに類するハーモニクスシステムに繋げば、回復可能だから。
確かにこのフレイの機体は、オギヤカから分離したリングと──
つまり、アマミキョと同様のハーモニクスシステムと繋がっている。だから今の俺でも、何とか命を長らえているんだ。
背中にはアマミキョの副隊長席と同様、ケーブルで繋げられた感触があった。身体のあちこちに、冷たい電極が触れているのも分かる。
フレイはサブモニターを確認しながら呟いた。
「大したものだな……
アマミキョを自沈させたのみならず、大破したはずのティーダまで動かしてここまで来るとは。アマミキョのハーモニクスシステムは、想定外の進化を遂げていたということか。
たった12秒間の稼働とはいえ、よく……
脳が焼き切れなかったものだ」
皮肉めいた口調を装ってはいたが、明らかに声が震えていた。
頭に感じている暖かさと柔らかさ。それがフレイの両膝だったことに、サイはようやく気が付いた。要は、コクピットで膝枕されているも同然の状況になっている。
ほんの少し頭を回すと、眼前に彼女の下腹部があった。彼女の太ももを通して、微かに脈動も聞こえる。
それは彼女自身のものなのか。それともお腹の中の──
サイは大きく一つ息を吐きながら、改めて質問した。
「……フレイ。
どうして、嘘をついた?」
額をそっと撫ぜていたフレイの指が、止まる。
酷い擦過音を立てる肺を無意識に右手で押さえながら、サイはそれでも尋ねた。
「俺は、君と離れ離れになったとしても……
君が子供を育てられない状況になるなら、俺が引き取って育てようとも思ってた。
それが当たり前だろ。親なんだから」
「レイラから聞いたか。
お喋りな娘だ」
「……質問に答えてくれ。何故、嘘をついた?
オギヤカで話した時も、何故、あんな虚勢を張った?
あの時知っていれば……俺だって……!」
声をつまらせるサイ。
それでもフレイは表情を全く変えずに呟いた。
「知ったとして、どうなる?
お前がそれまで以上に無茶をして、殺される危険性を上げるだけだ。
お腹の子の素性が知れれば、ラクス一世がどう出るかは明白だった」
しかしサイは、殆ど無意識のうちに頭を横に振る。
「君は言ったじゃないか。俺との証が欲しいって。
あれは紛れもなく、君の本心だった。そうして出来た子の命を──
君は、捨てるつもりだったのか?」
「違う!」
サイの言葉に、彼女の表情が苦痛に大きく歪んだ。
同時に吐き出された言葉には、激しい感情が入り混じる。
「分かっていた。私がオギヤカに戻りこの子を産めば、どうなるかぐらい!
オギヤカに、この子の居場所などどこにもない。そんなことは分かっていた!
それでも、お前との証が欲しかった。欲しくて欲しくてたまらなかった、それは分かっているはずだろう、お前も!
諦めようと幾度も考えた。だが、それだけはどうしても出来なかったんだ!!」
激情に満ちた言葉。それは、数秒前の冷静な彼女からは考えられぬほどの勢いで、サイに降りかかる。
「私は一度、腹の子供を自ら殺した人間だ。
親に逆らえぬまま、腹の子に薬を打ち、腹から無理矢理引きずり出して殺したんだ。
あの時の痛みを、もう一度この子になど……耐えられなかった!」
フレイがタロミとの子を一度堕胎した事実は、サイもレイラの話で既に知っていた。
だが、事実だけを聞かされるのと、本人の話を実際に聞くのでは、まるで現実味が違う。
いつか彼女の中に幻視した、血まみれの少女の姿。あの血はもしや、チュウザンの人民だけでなく、彼女の子供のそれも混じっていたのかも知れない。
サイをじっと見つめる灰色の瞳。それが潤んでいるように見えるのは、気のせいか。
自分でも気づかないうちに、サイは右手をそっと上げていた。
その指先が、フレイの頬を微かに撫ぜる。
「だからずっと、こらえていたんだな。
だからずっと、俺たちを敵に回してまで、頑張ってたんだな。
俺が拒絶すると分かってても。一度はアマミキョを盾に俺を脅してでも、一緒になろうとしたくらいに」
「……私の目の届く場所にお前がいれば、何とかなるかも知れないと考えた。
あの時は……自分でも、愚かな行為をしたと思っている。
私のそばにお前がいたところで、あの母から守り切れるわけがないのに。
……結局あの時は単純に、私はお前にそばにいてほしかったんだよ。どれほど恨まれたとしても」
「そうだったのか……
それを思うと、ものすごく不器用だったね。あの時の君は」
「…………」
「あの時の君の目論見は、俺がオギヤカから逃げたことでダメになっちまったけど……
それでも君は、自分が南チュウザンの中で力をつけて、アマクサ組がラクス一世を越えるほどの勢力になれば、子供を無事に産むことができる。
……そう、信じてたのかい?」
大きく見開かれる、灰色の瞳。
その眦で、どこまでも透明な雫が盛り上がる。彼女の感情の波を現すように。
それは熱い涙となって頬を流れ落ち、サイの指先を濡らした。
「お前が平穏に生きてさえくれれば、私はそれで良かった。
たとえ共にいられずとも、お前が幸せに寿命を全う出来るなら。
だからお前には、嘘をついた。知ればきっとお前は、その命を捨ててでも私を追いかけてきてしまう!!」
コクピットの中で、いつしか声を荒げて感情を吐露するフレイ。
「この戦乱の世が続く限り、世界に未来などない。お前はいつか殺されてしまう。
南チュウザンの手によらずとも、連合とザフトのくだらぬ争いに巻き込まれ、いずれお前は──」
その先を絶対に口にしたくないのか。フレイは唇を噛んで無理矢理言葉を呑み込んだ。
その手はいつの間にか、サイの指を折れよとばかりに握りしめている。
凛としていたはずの声が、次第に掠れてきた。
「そうなるぐらいなら、どれほど人倫から外れても。
たとえ人が人でなくなる兵器を使ってでも、私はお前を守る。そう決めた。
……なのにお前は、何故こんなにまでなって、私を追ってきた!?」
あぁ。やっぱり、思ったとおりだった。
彼女はずっと、俺を守る為に戦っていたんだ。
俺を守る為に、全てを犠牲にして。
やっと、その本心を、その口から直接聞けた。
そんな彼女に、サイはそっと尋ねた。囁くように。
彼女の頭を撫でたい。唐突にそう思ったが、そこまではとても腕が届かない。
「……そんなに、信じられないか?」
「え?」
「そんなに、俺たちのこと、信じられないか?
ナオトがここまで、ティーダに魂を捧げても。
みんながここまで、命がけでセレブレイトウェイヴを否定しても。
それでも君は、人には未来なんかないって。俺みたいな凡人はいずれ死んじまうって
……そう、思ってるか?」
サイはそっと頭を反対側に回し、操縦席を確認する。メインモニターには、コロニーの薄暗い夜空が映し出されていたが──
セイレーンの脇にもう一機、ボロボロの下半身を晒し、関節部の殆どから黒煙を噴き上げているモビルスーツが佇んでいた。
それは紛れもなく、ティーダ・Zの変わり果てた姿。剝き出しになったそのコクピットでは、ナオト・シライシの身体が横たわっていた。
ぼんやりと薄く瞼を開いたまま、ぴくりとも動かない少年。それを横目で見ながら、サイは呟く。
「自分の子供も守ろうと出来ないのに、人の未来なんて守れるわけがないよ。
俺は、そう……思ってる」
その呟きは静かではあったが、酷く重い響きをもってコクピットに流れた。
それに答えるように、フレイの頬からサイの手に落ちる涙。
「……分かっている。
だから、今からケリをつけに行く。私の生を、ここまで歪めた元凶をただしに」
ゆっくりとサイの手を置き、静かにメットのバイザーを下ろすフレイ。
やがて、セイレーンは緩やかに起動し始めた。
メインモニターの中心に映し出されたものは、コロニー・ウーチバラの中心部──
元・リュウタン広場。
かつては緑溢れる公園だったはずの場所には、コロニーの空まで貫くほどの巨大なガラスの塔がそびえたっている。内部が血液で満たされたかのように赤い塔が。
「あれは……?」
「あれこそが、セレブレイト・ウェイヴの発振源。
そして恐らく今、ラクス・クラインとチグサが囚われている場所──ユテルスだ。
少し揺れるが、我慢しろ」
そう言いながらフレイは慎重にセイレーンを動かし、ビルの谷間に隠れていた地下への進入口を開いた。そして再びティーダZの残骸を抱え、殆ど音もなく、セイレーンを進入口に滑り込ませる。
その時、小さな警告音が、サイのすぐそばで微かに鳴った。
「これは──キラ!?
それに……」
「ジャスティスとデスティニーが、フリーダムを迎撃している。
コロニーの中だ。さすがに奴らもそこまで無茶はしないだろうが……
急ぐぞ」
サイの答えも聞かぬまま、セイレーンはコロニー内の地下道を進み始めた。
脚部に装着されたスラスターが機体全体を地表から持ち上げ、スムーズに滑空させている。それはまるで、モビルスーツが優雅に地下道を滑っているように思えた。
「ちょっと待ってくれ。
君一人で突撃するつもりか!? たった一人で、ラクスさんたちを助けに……?
それに、あそこには君の──」
「一人ではない。今の私には、お前がついている。
恥ずかしい話だが……私一人では、あの方の前で意思を保てるか。その自信がない。
だから、ついてきてもらう。お前に」
ほんの少し顔を赤らめ、サイから視線を外すフレイ。
そんな彼女を見て──
サイの唇から、自然と笑みがこぼれた。
一体、どれくらいぶりだろう。彼女と、心から本音で話しあえるのは。
いや、本当の意味できっちり話し合えたのは、今が初めてかも知れない。
そうだ。彼女は常に誇り高く振る舞い、誰よりも自我が強く見えていたけれど──
芯がとても弱い部分があって、そこから崩れ落ちてしまいかねない女の子だった。
その原因がずっと掴めていなかったけど、今なら全て理解出来る。
遺伝子に縛られ、「親」という概念に縛られ、国に縛られ、名前も容姿も奪われ、完全に自我を破壊されていた子供
――それが、彼女だった。
「……ここまで君を追ってきて、本当に良かった。
やっと、本当の君と、話が出来た。そんな気がする」
「少し黙れ。戦闘が終わったわけではない」
「分かってる。でも……
嬉しくて、さ」
呼吸が苦しい。機体に衝撃が走るたび、身体のあちこちに激痛が走る。
しかし時間経過によってか、セイレーンに繋げられた為か。サイの右腕と両脚の感覚は、次第に戻りつつあった。
「これ言うの、すごく恥ずかしいけど……
俺、ちょっと、安心してるんだ。
実を言うと、キラと改めて一緒に過ごしてて、君の心が変わってしまったんじゃないかって。
ほんの少しだけ、心配だった」
「……」
サイの視界からはフレイの表情はバイザーで隠れ、殆ど見えない。
それでも僅かに、その唇がキッ、と引き締められるのが分かった。
「いつかのフレイは……自分が心変わりしたって自覚してても、それを絶対に認めようとはしない、強情な子だったからね。
君も同じように、心変わりしたとしても、我を張ってるんじゃないかって……」
「口を閉じろ。
お前がそんな身体でなければ殴っていたぞ」
「いいよ、殴ってくれても。所詮俺は、それぐらい小さな男なんだって。
だけど、そりゃ心配にもなるだろ。
君が本来、キラだけを好きになるように意思を操作されたなんて……レイラから聞かされたら」
メットの奥から、微かなため息が聞こえたのは、気のせいだったろうか。サイのすぐ上で、スーツに包まれた大きな胸が揺れる。
そして零れてきたものは、ややくぐもってはいたが──
心からの、彼女の、言葉。
「サイ。……一度しか言わない。よく聞くがいい。
私は、お前が好きなんだ」
「……」
「お前のそんな狭量ぶりも。自分ではどうしようもない弱さも。
相手を慰めようとして、逆に傷つけてしまう不器用さも。
それなのに、他人の為に自分を犠牲にしてしまおうとする利他主義も。
全てひっくるめて──お前が好きだ」
心臓に直接沁み込んでいくかのような、それは、暖かな言葉だった。
この言葉を聞く為だけに、俺はここまで来たのかも知れない。そう思えるほどの。
目に熱いものが滲み、やがて視界がぼやけ始める。
「それを──その言葉を。
俺は、もっと早く、君の口から聞きたかった。
もっと早く聞けていれば、ナオトは、こんなことには……!!」
セイレーンに抱かれたまま僅かに揺れている、ティーダZの残骸。
そのコクピットで突風に晒されるがままの、ナオトの身体。
そんな彼にちらりと視線を走らせつつ、フレイは操縦桿をぐっと前方へ傾けた。
「分かっている。
だから、一刻も早く終わらせよう。この始末を──
ナオトや、マユたちの為にも」
その言葉で、サイは確信した。
フレイがセレブレイトウェイヴをどうする気なのか、正確なところは分からない。しかし──
もう決して、彼女は俺たちと敵対するつもりはないと。
それは、アマミキョ墜落直前に彼女の叫びを聞いた時から、何となく分かっていた。
意識を保てと必死で命じた、彼女の声。あのおかげで、クルーも俺も、コロニー自体も何とか命を長らえたのかも知れない。
この戦いの何処かで、彼女は決心したのだろう。これ以上俺たちを敵に回しても、意味がないと。
だが、ここに至るまで、互いを知るまで、俺たちはあまりにも時間をかけすぎた──
その結果が、ナオトの犠牲だ。
しかしサイが嘆息する暇もなく、地下道の遥か上から、再びモビルスーツ同士の戦闘音が聞こえてくる。
コロニー全体が、僅かに揺れた気がした。
「あれは……キラか」
「恐らくな。
今のキラは、アスランやシンでも止められるかどうかだ」