【完結】機動戦士ガンダムSEED Revelation ~紅蓮のフレイ~ 作:kayako
部屋の中心に佇んでいる、ひときわ大きな桜の樹。
フレイはメットを勢いよく脱ぎながら、はっきりとその樹へ向けて声をかけていた。
花びらの中へふわりと靡く、血のように紅い髪。
すると樹の根元で、何かが動いた──
桜と同化しているようでしていない、薄紅色の銀髪が。
サイがよく目を凝らしてみると、それは双子のようにそっくりな、二人の少女だった。
薄紅色の長い髪を柔らかく靡かせながら、桜の根元に座り静かに祈りを捧げている、白い病院着の少女。その身体からは、この景色には何とも不釣り合いな電極ケーブルが、頭からも腕からも脚からも無数に生えている。
その背に寄り添うように、青い着物を身にまとったもう一人の少女が、彼女の両肩に手を置きながら微笑んでいる。髪の色もまるで同じ、薄紅色の銀髪。
違うのは服と、前髪につけられた大きな髪留めが三日月か、満月か。その程度でしかない。
それでも、サイは確信した。
──間違いない。
三日月の髪留めをした病院着の少女こそが、俺たちが助けるべきラクスさんだ。
そして、満月の髪留めをした女が──
サイが唇を噛みしめると同時に、その女は静かに顔を上げた。
ゆっくり開かれる空色の瞳。しかしその視線は決してサイには向けられず、フレイだけに注がれている。
「うふふ。お久しぶりですわね、フレイ。
また戻ってくるとは思いませんでしたけれど」
祈りを続けるラクスの髪を優しく撫でながら、そっと微笑む女。
何も知らない者が見れば、完全にラクス・クラインの微笑みと信じて疑わないであろう笑顔。
どこまでも澄んだ、青空の瞳。
──これが、この女が、ラクス一世。
ラクスさんやフレイの人生を狂わせ、人倫をどこまでも踏みにじっては、キラやシンといったSEED保有者を集め、そして今、祝福の歌を歌って世界を混乱に陥れている。
自分が世界の全て。世界は自分の全て。それを全く疑っていない笑顔。
そのあどけない笑顔に向けて──
フレイはゆっくりと、自らの左腕を伸ばす。
その手には、桜には全く相応しくない、黒い拳銃が握りしめられていた。
銃口は真っすぐに、ラクス一世の額を狙っている。右肩でサイを支えながら。
しかしその銃口が僅かに震えているのは、サイにも見て取れた。
子供のようにきょとんと首を傾げるラクス一世に、ゆっくりと口を開くフレイ。
「私が望むのは、セレブレイト・ウェイヴの恒久的停止。
そして、ラクス・クラインの解放──
さらに、この忌まわしき歌に魂を捉えられた人々、全ての解放です」
遺伝子によって封じられている、フレイの反抗の意思。それでも彼女は苦痛に耐えながら、母への抵抗を意味する言葉を吐く。
そんな娘の言葉に、ふっと笑顔を消し去るラクス一世。
「おかしいですわね……フレイ。
貴方はアマクサ組を率い、セレブレイト・ウェイヴを使って世界を平穏にするのではなかったのですか?
その為に、貴方はわたくしに反抗した。そう思っておりました」
「数時間前までは、そうでした。
しかし、今は違う。我々は負けたのです──
命を賭してここまでやってきた、サイ・アーガイルに。ティーダに。アマミキョに……
セレブレイトウェイヴを否定する、全ての人々の意思に」
「ううん……
よく、分かりませんわね」
優雅に首を横に振るラクス一世。
そんな彼女に、フレイはさらに言い放つ。身体の中から起こっているであろう苦痛に耐えながら。
「コーディネイターはいずれ、出生率低下により希少種となる運命にある。
もしかすると、ブルーコスモスですらその希少性に気づき、現在とは逆にコーディネイターを保護しようとする動きが出る可能性すらある。
酷く遠い道のりになるだろうが、そんな未来が来るまで、無為な争いを止めておく。禁忌の兵器、その存在を利用してでも。
――それが、アマクサ組本来の目的だった。
しかし、ラクス一世。貴方のやり方は、人を人でなくすだけだ!
セレブレイトウェイヴは、核やジェネシスと同等かそれ以上の影響を人々に及ぼす。だからこそ、慎重に扱わねばならなかったのに──
貴方は人倫を軽々と踏み越え、禁忌の兵器を暴走させてしまったんだ。かつてのアズラエルやパトリック・ザラと同じように!」
フレイの語気に次第に怒りが混じっていく。それは、恐怖と表裏一体となった怒りかも知れなかったが。
しかしそれでも、ラクス一世は落ち着いたものだ。
そしてその唇から、俄かには信じられない言葉が零れた──サイが、自分の聞き違いかと錯覚したほどの。
「人が人であることは、そこまで重要なことでしょうか?」
フレイですらもその言葉に動揺したのか。『母』に向けられた銃口が、揺れ動く。
サイを支えている右腕に、さらに力が入った。その頬に、じっとりと浮かぶ汗。
横顔はいつもの冷静さを何とか保っているように見える。
しかし今ではサイにもはっきり分かる。フレイが、酷く混乱していることに――
身体から湧き上がる物理的な痛みと、母親への服従を強いられているにも関わらず抵抗している自己矛盾で。
最早、フレイがサイを支えているのではなく──
サイもまた、フレイを支えている。そんな状態だ。
そんな彼女に畳みかけるように、ラクス一世は語りかけた。
「人が人であることを捨てられないからこそ、争いは起こる。
人は人であるからこそ、進化を望み。それがコーディネイターを生み。
コーディネイターの驕慢を生み、ナチュラルの嫉妬を生み、争いに満ちた今の世界が生まれた。
ならば、進化しようという欲自体を取り除こうという試みは、自然なことです。たとえ、人が人でなくなろうとも」
「それが、人の意思に反していたとしても……ですか」
「勿論です」
ラクス一世の口調から、いつの間にか柔らかさは消えている。
そのかわりに、かつてのラクスが船団を率いていた時のような凛々しさが、そこにはあった。
「このような兵器を前にして、人が抵抗するのは必然でしょう。
しかし、使わねば世界は破綻する。そんな状況まで、わたくしたちは追い込まれているのです。
ならば強制的にでも、人の意識を変革するしかない。争いを望まず、農耕を営み芸術を好み、いつまでも変わらぬ世界を愛する、平穏な心を持つ人々に──
そんな世界は、誰もが望んでいるのではありませんか?
セレブレイトウェイヴは今でこそ不完全かも知れない、しかしいずれそのように人々の精神を変革出来るものです。
決して、壊させてはなりません。フレイ──貴方なら、分かりますね?」
桜の花びらが舞う中、滔々と語るラクス一世。
フレイの腕が、がくがくと震えている。唇が真っ青になっているのがサイにも分かる。
何かを叫ぼうとしているが、声が出せない。それほどまでに、彼女を拘束して離さない『母』の呪縛は──
サイは自分でも無意識のうちに、右腕を動かしていた。
殆ど指先は動かないながらも、ゆっくりと腕は持ち上がり、フレイの銃に触れる。
今、守らなければ。
今俺が支えなければ、彼女は根底から崩れ落ちてしまう!
震えながら銃を構える左手首をそっと握りしめ、彼女と同じ目線に立ち、サイは正面からラクス一世を見つめる。まるで、ラクス一世に向けた銃を二人で一緒に構えているかのような体勢だ。
俺の右手も、動かすのがやっとなくらい震えている。
だが、フレイが感じている恐怖と混乱と自己矛盾に比べれば、どうということはない。
そしてサイはひとつ息を整え、はっきり通る声で言い放った。
「分かる分からないの問題じゃない。
俺は嫌です。
人が人でなくなるのも。俺が俺でなくなるのも!」
ラクス一世の視線はフレイを見据えたままだ。その瞳がサイに向けられることはない。
彼の声が聞こえているのかどうかすら怪しい。
それでもサイはフレイを支えながら、叫んだ。
「俺だって、何度も思った。
争いなんか忘れて、寿命が尽きるまで平穏に、静かな田舎で呑気に農業でもやって暮らせていけたらと。
平和な日々が突然壊される恐怖もない。嫉妬に狂って傷つけあって壊れることもない。
過去の怨恨に縛られることも、自分の過ちを悔いて苦しむこともない──
そんな世界が来たらどんなにいいかって、何度思ったか分からない!」
「サイ……?」
フレイが大きく目を見開き、サイを凝視する。
銃を握りしめた彼女の左腕から一瞬力が抜けそうになっていたが、サイはもう一度その腕を支えた。
「だけど、過去の傷や痛みが消えたら、俺は俺でなくなる。
争いが嫌だからって前に進むことを諦めたら、俺は俺として生きられなくなる。
そんなのは嫌だった。だから貴方を否定する為に、俺はここまで来ました──
みんなと一緒に!」
いつの間にか、レンズの半分近くがぼろぼろ砕けていた眼鏡。その割れ目ごしにラクス一世を真っすぐ見据えながら、サイは力強く言葉を口にした。
しかし相手はそれでもなお、彼の存在に気づいてもいないかのように、フレイだけを見つめている。
やがてその唇から、ほとほと困ったと言いたげなため息が漏れた。
「フレイ……
わたくしは何度も貴方に言ったはずです。貴方にはキラしかいないと。
貴方はキラ・ヤマトと共に在るべき人間だと」
キラ。その名前をラクス一世が発するたび、フレイの身体が鞭にでも打たれたように微かに痙攣するのが、サイにも伝わってくる。
殆どの機能が壊れていると分かりながらも、サイは義手となった左腕で何とかフレイの身体を支えていた。左脇にほんの少し残されていた感覚から、彼女の体温と鼓動を感じる。
フレイもまた、その想いを感じ取ったのか──
彼女の、腹の底から振り絞るかのような声が、桜吹雪の中へこだました。
「キラには既にラクス・クラインがいる。
純に彼を想い、彼がどのような悲しみの中にあってもひたすらに彼を支え、導き、力となった彼女こそが、キラに相応しい女性だ。
キラがフレイ・アルスターの死に未だ囚われていると知りながら、それでも真摯に彼を支え続けた。それが、ラクス・クラインだ。
そして、私にはサイ・アーガイルがいる!
ラクス一世。貴方には、ちゃんと見てほしい。貴方にこそ、知ってほしい。
どれほど蔑まれても疎まれても汚されても、踏みにじられても蹴られても存在を無視されようとも、決して折れぬ魂があることを!
私はサイと共に生きる。どのような苦難があろうとも!!」
そんなフレイの言葉に、ほうっと大きなため息をつくラクス一世。
聞き分けのない子供を前にした時のように、彼女は頭を優しく横に振った。
「キラと共に在らねば、貴方の未来はない。
キラ・ヤマトなしに、貴方の未来はあり得ない。
わたくしは、何度も貴方にそう言いました──フレイ。
貴方に、わたくしへの服従の遺伝子を組み込んだのは、何もわたくしのわがままだけではありません。
この世界において、貴方を不幸にしない為」
「また、そのような戯言を……貴方は!
私を、人を不幸にしない為と言いながら、どこまでも自己を押し通すのが貴方のやり方だ!!」
持ち上げられたままのフレイの銃口が、ガタガタ震える。しかしその引金にかけられた指は、凍り付いたように動かない。
それを見越したように、ラクス一世は微笑む。
「極限の遺伝子を持つ貴方と分かり合える伴侶は、同じように極限まで進化した遺伝子を持つ者だけ。つまり、キラ・ヤマトしか、貴方と真に分かり合える人間などいないのです。
だからわたくしは貴方に命じた。キラと分かり合う直前まで辿りつけたであろう存在──
フレイ・アルスター。彼女を調査し、身も心も彼女に成り代われと」
そんなラクス一世の言葉に、サイもまたごくりと唾を呑み込む。
かつてのフレイは、最初はキラを憎悪しながらも、キラと分かり合えるかも知れなかった──
俺は殆ど自分の感覚のみでそうだと考えていたが、この女もそう判断していたのか。アークエンジェルやドミニオンでの会話記録、その他無数の調査結果から。
サイの動揺をよそに朗々と響く、ラクス一世の言葉。
彼女の元で祈るラクス・クラインには、全く反応はない。
「なのに何故──
その調査過程で出会っただけの人間に、心を奪われてしまったのですか?
それも、かつてキラを傷つけ、戦いに追い込んだ人間に。
決してキラに勝つことは出来ない。出来るのは、キラを傷つけることだけ。
その無力ゆえにキラを戦わせ、その無知ゆえにキラを傷つけ。
偽りの友情でキラを追い込み、壊した。それだけの人間です。
最早、貴方やキラの前に出る資格すらもない。貴方が『それ』と共にいようとするならば、貴方はキラと同じように傷つけられ、壊されるだけですわ」
サイを全く見もせず、銃口にも怯むことなく、唄うように語り続けるラクス一世。
サイは心中で舌打ちしながら、彼女の言葉に反論出来ずに押し黙るしかない。
──そうだ。俺はキラにとっては多分、そんな人間だ。
『それ』とか形容されるにふさわしい人間だろうよ。とっくに分かってたんじゃねぇか、あんたは。
優しいと周りから散々言われてる俺みたいな人間、その口から無意識に吐き出される偽善の言葉。それは、どれほど悪意に満ちた言葉よりも、人を傷つける。
そうやって俺はどれほど他人を、キラを傷つけてきたか分からない。それでも──
しかし今度は、そんなサイの動揺を抑えるかのように、彼を支えるフレイの右腕に力が入った。
「ラクス一世よ。その狭量な認識だけで、この男を分かったつもりですか。
サイは──この世で最も、貴方の望み通りにしようと努力を惜しまなかった人間でもあるのです。その彼を、一方的に蔑むおつもりか」
「わたくしの望み通り?
つまり、それは……?」
首を傾げるラクス一世に、フレイはやや勝ち誇ったように唇の端を上げた。
無理矢理笑顔を作り、自らを鼓舞するように。
「サイは元々、フレイ・アルスターと懇意にしていた男。そして、キラに無理矢理彼女を奪われた形となり、そのまま彼女と死に別れたはずだった。
そのフレイが自分の元に戻ってくるならば──彼は心の底で、ずっとそう願っていた。
しかし、記憶を失ったフレイとして現れた私と出会った時、彼はそんな私欲を封じ込め、キラとフレイを再び会わせようとした。
キラとの記憶が消え失せているフレイに、わざわざ全てを打ち明けた!
それ以降も彼はフレイを、私を追って幾度も命を張った。どれほど傷つけられてもひたすらに、フレイ・アルスターとキラ・ヤマトを再会させる為に。
この世の誰よりキラとフレイを案じ、二人の行く末に心を砕いた男──
それが、サイ・アーガイルという人間です」
フレイの堂々たる声。彼女の腕が、再びしっかりとサイを支える。
サイの右脇下から回されたその手は左胸、心臓のあたりまで触れている。
多分、俺の心音もフレイは感じているだろう。彼女の熱い鼓動を、俺が今感じているように。
改めて、嬉しかった──
彼女が、ここまで俺を認めてくれていたことが。
離れ離れになっても、敵対してしまっていても、彼女の、俺に対する認識だけは──ずっと変わっていなかったんだ。
「そもそも、彼が自らの弱さを認めてキラと和解を果たし。
あのヤキンを、仲間と共に最後まで戦い抜いた──ただのナチュラルの学生が、です。
私にはその事実だけでも、奇跡だと思える。
この、嫉妬と憎悪と破壊と絶望に満ちた世界に生まれた、数少ない奇跡だと!!」