【完結】機動戦士ガンダムSEED Revelation ~紅蓮のフレイ~ 作:kayako
楽しげに、ぽんと一つ両手を叩くラクス一世。
そしてキラの傍らに立ちながら、彼女は朗々と告げる。絶望的な言葉を。
「たとえ、貴方がたの誰がわたくしを撃とうとも。
その瞬間に、セレブレイト・ウェイヴの第四射は放たれる。
わたくしの心臓が停止した瞬間に、自動的にウーチバラのシステムが動く手筈になっています。
オギヤカもウーチバラも戦闘で損傷していますが、それでもまだ、第四射を放つ準備は十分整っています」
「な……っ!?」
ラクス一世の言葉に、今度はアスランが茫然とする番だった。
必死で顔を上げながら、反駁するフレイ。
「貴方という人は……どこまで身勝手な!」
そんな彼女の言葉を受け止めながら、ラクス一世は無邪気に微笑んだ。
「勿論、わたくしを殺さずに捕らえようとしても、結果は同じです。
貴方がたが、どうあっても自分の意思のままに生きたいと仰るなら。
わたくしも自分の思うままに、そうするだけですわ。
だってわたくしも、そういう風にしか生きられないのですもの──ね? フレイ」
「……!!」
一度は置いたはずの拳銃を、フレイはもう一度取り上げ、構える。
柔らかな『母』の微笑みに、彼女は歯を食いしばりながら再び銃口を向けた。
しかし、その指はどうあっても動かない。石のように凝固して動かせない。
それは、ラクス一世を殺せば祝福の歌が流れる、ただそれだけの理由ではないだろう──
その程度はもう、サイにはすぐに判断出来た。
フレイは未だに、母の呪縛に囚われ、動けない。
『母』の意思に抵抗し、俺を守りながらここまで来ることは出来ても──
引金を引くことは、彼女にはどうしても出来ない。
ウーチバラ、そしてユテルス内部の構造を熟知しているフレイならば、今告げられたラクス一世の企みすらも覆すことは可能だろう。一旦引き上げ、外部にまだ待機している者たちを使って、システム停止に動くことも恐らく出来る。
だが、今のフレイにはそう動こうとする素振りすら見られない。
『母』の優しい眼差しに完全に囚われてしまったのか──
アマミキョとアマクサ組を堂々率いていた頃の彼女の威厳は消え失せ、ただ、母親にがんじがらめにされて成長を止められてしまった子供の、痛ましい眼差しだけがそこにあった。
激しい抵抗の意思が芽生えても、母から離れることは決して出来ない。
子がどれだけ母から離れようとしても、母は執拗にそれを追いかけ、優しい手で絡めとる。
どれだけ母を嫌悪しても、その苦痛は母が死ぬまで続く。
子が自ら母を殺し、その呪縛を断ち切ることさえ許されない。今フレイを苛んでいるのは、そんな苦痛だ。
――しかし。
ならば、俺が動けばいい。何の為に俺がここまで来たと思ってる。
そう心に強く念じ、サイは顔を上げる。
フレイを左肩で支えながら、同時に右手はジャケットの内ポケットを探っていた。まだ、通信機は生きているはず。
が、そんなサイの行動にキラが気づかぬはずもない。下がりかけていた銃口を、即座にサイへと向けるキラ。
「サイ、お願いだ。
もう、動かないで……何もしないでくれ」
「……キラ!!」
サイが歯噛みすると同時に、アスランとシンももう一歩を踏み出す。
だがラクス一世はそれにも構わず、フレイに語り続けていた。
「フレイ。わたくしは貴方に、何度も教えたはずです。
コーディネイターは、セレブレイト・ウェイヴ──祝福の唄を生み出す為、この世界に生を受けた。
この唄は、コーディネイターの知恵から生まれ、ナチュラルとの激しい戦いの中で培われた。
いわば、人の技術の結晶です」
そんな『母』の言葉に、ただの一言も答えられない『娘』。
『母』に銃口を向けながら、トリガーを引けない『子供』。
全身から這い上ってくる苦痛に耐えながら、それでもフレイは銃を下ろさない。
抵抗を強制的に封じ込める痛みを振り払ってでも、彼女は全身全霊で『母』を否定しようとしていた。
だが、そんな彼女をもう一度取り込もうとするかのように──
ラクス一世は、フレイに向けてその手をそっと伸ばす。
汗だくの手で銃を握りしめている『娘』。その銃口に一切怯えることなく、銃を構えた手ごと、『母』が包み込んでいく。
体重を一切感じさせず、ふわりとフレイに近寄ったラクス一世。
『母』からサイを庇おうと、反射的に身構えるフレイ。
フレイを守ろうと、壊れた左の義手までもを使って彼女を支えるサイ。
今や、意地だけでサイに銃口を向けるキラ。
キラだけは止めようと、二人同時に銃を構えるアスランとシン。
桜吹雪の中へ流れる、『母』の言葉。
「そして貴方がた、SEEDを持つ者は、変革した全ての人々を導く為に選ばれた人間。
人々を、争いのない、真の安寧なる世界へ導く為の、と
――」
しかし、どこまでも穏やかな『母』の言葉は、不意に中断された。
フレイの銃に触れようとしたその瞬間、止まってしまうラクス一世の白い手。
何が起こったのか分からないと言いたげに、不自然に凍り付くラクス一世の微笑み。
舞い落ちる桜の花びら。
一瞬、完全に時間が止まってしまったかのような空間に、流れた声は。
「お母さま。
もう、あの歌が響くことは、ありません。
マユ・アスカ──そして、チグサ・マナベが、私を助けてくれましたから」
それは、ラクス一世と同じ声。そして、この場の誰もがよく知っている声。
だがその声は酷くくぐもり、荒れ果てた肺の底から必死で押し出しているようにも聞こえた。
ラクス一世がそっと振り返ると──
すぐ背後に、彼女に抱きつく子供のように寄り添っていたのは
彼女とほぼ同じ姿をした少女。
この場に最初からいたが、この場の誰もが、その動きを予想もしなかった人物。
その姿を見た瞬間、最初に声を上げたのは、サイに銃口を向けたままのキラだった。
動揺と歓喜がぐちゃぐちゃになったかのような叫びが、こだまする。
「ラクス──!!?」
セレブレイトウェイヴの核となり、じっと祈りを捧げていたはずのラクス・クライン。
しかし彼女は今、病院着のままその足で立ち上がり、ラクス一世の背中にぴったり寄り添っていた──
その右手は酷く強く、母親の背筋に押しつけられている。
閉じられたままだったその眼は今、はっきりと見開かれ、ただ母親だけを睨んでいた──
澄んだ空色の瞳からは、光が消えている。明らかに、彼女の「SEED」が発動している証明だった。
薬によって焼かれたはずの、ラクスの喉。そこから、随分掠れた彼女の声が響く。
彼女が老いたらこんな声になるのかとサイが感じたほどの、掠れ声で。
「ずっとお会いしたいと願っていた──サイさんのお話を聞いた、あの時から。
お母さま。このようなことになり、無念でなりません。
世界はあなたのもの、そしてまた、あなたは世界のもの。そう教えてくださったのは、お母さまです。
しかし──世界は、決してあなただけのものではない!」
そんな小さな叫びと同時に、母の背中から右手を引き抜くラクス。
その指先はどういうわけか、血に濡れていた。
紅に染まったラクスの右手。その親指には、花の装飾が入った美しい指輪が嵌められている。
それを見て、キラが息をのんだ。
「ラクス。それ──!
どうして……大事な指輪だったんじゃ……!?」
ラクスの親指に嵌っていた指輪は、母の形見とかつての彼女が語ったもの。
銀の装飾は今、その母の血に塗れている。石座のあたりには僅かに、薔薇の棘にも似た黒い鋭角の出っ張りが見えた。
明らかに後から指輪につけられたであろう不自然な棘から、血が滴り落ちていた。
キラの声をよそに、ラクスは呟く。
「お母さま。今の貴方の身体は、貴方のものではない──
延命の為、カーボンヒューマンの技術を利用し、自らの身体を私のそれへと作り替えたものですね」
ラクスに刺されたであろう傷から、痛みが生じているのか。
ラクス一世の笑みがふいと消え、眉間にほんのわずかに苦悶の皺が刻まれ始める。
「ラクス……貴方は、知っていたのですね」
「バルトフェルドから聞きました。
その技術により、お母さまは若返りを繰り返していると。
しかし、時を経るごとに積み重ねられる年齢までカバーすることは出来なかった。
体内のDNA改ざんにも限界があり、もう一度私の情報を入れたレトロウイルスを投入すれば、簡単に細胞崩壊が始まる身体だとも」
ラクスの静かな言葉が響く中、その母の身体は、あまりにも呆気なく──
大地に抱かれるように、ふわりと草むらへ、音もなく倒れ伏した。
何が起こったか一瞬理解出来なかったのか。フレイはただ茫然と、銃を構えたまま動けずにいた。
誰にともなく呟かれる、ラクス一世の言葉。
「なぁるほど……
その指輪に仕込まれていたのは、毒薬というわけですね。
さすが……砂漠の虎といったところでしょうか。母の形見の品をもって、親殺しをさせるなど……
本当に、お優しい、こと……」
「母上!」
叫びと共に、フレイの手から落ちる拳銃。
同時に、彼女の身体は動いていた。倒れた母親へと。
サイに支えられながらも、その手は我を忘れて空を泳ぎ、やがて母の手に触れる。
ずっと憎み、殺したかったはずの母親。
ずっと娘の身も心も縛りつけ、鳥籠から解放しようとしなかった母親。
ずっと娘の愛する者を認めず、傷つけ、世界から消去しようとした母親。
娘から名前も容姿も意思すらも、本来の母親さえも奪った『母』。
それでも娘は、いつしかそんな『母』の手を握りしめていた。
「母上……」
石膏のように真っ白に変化していく、ラクス一世の唇。その間から、一筋の紅い血が流れ落ちた。
徐々に光が失われていく、空色の瞳。しかしその眼は未だにフレイを捉えたまま、離れない。
「フレイ……
わたくしは、本当に、貴方の幸せを……願っていたのですよ」
「分かっています。
しかし母上。貴方の愛は──
私にも、どんな人間にも、重すぎた」
片方の腕でサイを抱きながらも、もう片方の手でラクス一世の身を静かに横たえるフレイ。
そんな彼女に、唇から漏れる血もそのままに、母は微笑む。
「何故わたくしが、タロミを手にかけたか。
貴方には、理解出来ますか?」
「……やはり父の死は、貴方の所業でしたか。
薄々気づいてはいましたが──
何故です。何故、父を?」
静かに問いかけるフレイ。
それをただ、じっと見つめているラクス。血まみれの手もそのままに。
そんな二人の娘を交互に眺めながら、ラクス一世は呟いた。
「……あの人は……
フレイ。もう一度、貴方を、抱こうとしていたのです」
その声は急速に掠れ、嗄れていったが、それでもまだしっかりとしたものだった。
思わずその答えに反論するフレイ。
「──!? そんなはずはない。
既に私はフレイ・アルスターと成り代わった存在。イチノ・チャチャの痕跡のない身体だ。
それでもあの方はまだ、私に……!?」
そんな彼女にゆっくりと頷きながら、ラクス一世は微笑んだ。
「……自分でも、驚きました。
ほんの少し、悔しかったのです。フレイ・アルスターと成った後でも、構わず貴方を抱こうとしたあの方を見て──
貴方が身ごもっているとわたくしが伝えても、あの方はその欲望を止めようとしなかった。
妊娠中なら、それはそれで……よいものだ……と。
そして、それが原因で流産するなら……もうけもの……とも。
どこの馬の骨とも知れぬ……SEEDも持たぬ者の子など……ゴミ同然なのだから……と。
きっと、自分の子でないのが……とってもご不満だったのでしょう……ね」
ラクス一世の口から改めて語られた、タロミの所業。
あまりのことにサイは一瞬、彼女の嘘だと思いたかった。父親が、妊娠中の娘を無理矢理抱くようなものだ──しかも恐らく、自らの欲求のみで。
その上、SEEDを持たぬ者の子はゴミ? 自分の子でなければ不満?
――サイの中で、一気に腸が煮えくり返る。
そもそもこの「フレイ」はタロミの娘だ。なのにタロミは彼女にまで堂々と手を出し、レイラを生ませた。しかも彼女がまだ幼い、ようやく初潮を迎えたばかりであろう頃に。
その事実はサイも既に、レイラから知らされていた。ニコルのデータを渡された時に。
あの時の動揺を思い出すたび、今もなお脳の血管までが沸騰するような激昂を覚える――
その事実自体が大幅に人倫から外れており、おぞましい鬼畜生の一言しかない。
なのに、タロミの野郎は――
俺と彼女が真っ当に愛しあったら、ゴミ同然と罵っていたのか?
しかしすぐ横にいるフレイの横顔は、どこか諦めきったように見えた。
その奇妙な平静さが、今のラクス一世の話がほぼ真実であることを物語っている。
仮に真実ではなかったとしても、タロミは当然のようにそんな行為や言動を繰り返す男だったのだろう。
そんな地獄そのものの幼少期を、当たり前に過ごしてきたのだ――彼女は。
――その時、サイは気づいた。
ラクス一世の視線が、初めて自分に注がれていることに。
光が消えかかっている空色の瞳が、確かにサイ自身に向けられていることに。
但しそれは、決して彼女がサイを認めたわけではない。
その眼は確かに、彼を見下し、嘲笑っていたのである。
――お前の愛する女は、既に父親に抱かれている身だ。
それでもお前は、愛せるのか?
父親に何度も汚された娘と分かっていても?
そんなラクス一世の意図を察し、サイの喉から思わず酷いため息が漏れた。
――この期に及んで何を考えてやがる、この女は。
恐らく俺が知らないと思って、タロミの件を持ちだしたんだろう。
バカか。それで俺の意思が今更揺らぐとでも思ったのか。
サイはそっとフレイの横顔を盗み見る。
――ほら。彼女本人すらも、殆ど動揺していない。父親との話を俺の前でするのは、ほぼ初めてなのに。
ここまで自分を追ってきた俺が逃げるはずがないと、確信しているからだろう。
ラクス一世を睨み返しながら、サイは決してフレイから手を離さない。
最早限界に達している腕力で、それでも一層力いっぱい、彼女を支えようとする。
そんな彼に圧されたのか。殆ど掠れた声で、フレイは尋ねた。
「それで──
貴方は、父を?」
「久しぶり……でした。
後先を考えず、完全に、自らの衝動だけで、行動してしまったのは」
すうっとひとつ息を吸いながら、目を閉じるラクス一世。
フレイの、激昂に満ちた呟きが流れた。
「今更、そのような……!
真相がどうあれ、最早、貴方への憎悪が消えることはない。
貴方の罪も!!」
「ふふ。そうでしょう、ね……
結局はわたくしもタロミも、自分の欲を、押し通してしまった。その結果が……これということですね。
ずっと、分かりませんでした……人が何故、前へ進もうとするのか。
自分も他人も……どれほど傷つくことになっても……我を押し通そうとするのか」
微笑みを絶やさぬまま、途切れがちな息の中、フレイに語りかけるラクス一世。
恐らく最期の力なのだろう。よろよろと差し出されたその手はやがて、フレイとラクス、二人の娘に伸ばされる。
声にならない声を上げながら、思わずその手を取るフレイ。しかしラクスはじっとその姿を見据えたまま、母の手を取りはしなかった。
「でも……こうなった今なら、分かりますね。
わたくしは、もっと……いろいろ、試したかった……楽しんで、みたかった……
結局……わたくしも、人の、業からは……」
──それがラクス一世の、最期の言葉となった。
それきり言葉を発さず、彼女の呼吸は眠るように静かになっていく。
かつてのパトリック・ザラや、デュランダルと同じ。あまりにも呆気ない、圧政者の幕切れ。
そして──フレイにとっては、『母』の消失であり。
ラクスにとっては、唯一残された肉親であり、ようやく再会できたはずの母親の死亡であった。
しかしラクスは殆ど感情を示さないまま、母親の瞼をそっと閉じる。
体温が消失していく額を撫ぜるように、ゆっくりとその手を触れながら──彼女は呟いた。
「……安心いたしました。
お母さまに、まだ、人の心が残っていた。まだ優しかった頃のお母さまが、ほんの少し。
それが分かっただけでも、十分です」