【完結】機動戦士ガンダムSEED Revelation ~紅蓮のフレイ~   作:kayako

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part30 脱出

 

 

 ラクスの空色の瞳に、常日頃湛えられていた優しい光はない。SEED発動の証明か、その瞳は奇妙なまでに光を失い、憤怒に満ちていた。

 そんなラクスを、キラはただ呆然と見上げている。ここまで激烈に怒りを露わにした彼女は、彼すらも目にしたことがなかったのか。

 彼女の気迫の前に、立ち上がれないでいるキラ。

 そんな彼の腕を、思いきりアスランが引っ張り上げた。

 

「行くぞ、キラ。

 後のことは後で考えればいい。今は、ラクスを連れてここを離れることだけ考えろ」

 

 散々に泣き腫らした紫の瞳が、じっとアスランを見つめる──

 そんなキラの頭上へと、不意に舞い降りたものは。

 

《トリィ。トリィ!!》

 

 その場に似つかわしくなく、高らかな鳴き声を響かせながら羽ばたいてきた、鳥型ロボット。

 かつてアスランからキラへ贈られ、その後もたびたび二人の間を繋ぎ、二人がいない間はサイの元にいた──トリィ。

 そのライムグリーンの翼はキラの周囲をくるくると回り、やがて出口へと誘うように、飛沫の向こうへと飛んでいく。加速度的に水位が上がっていく空間、その向こうへと。

 そんなトリィの姿を確認して──

 

 キラはようやく、立ち上がった。

 涙を振り払い、ラクスの手を取りながら。

 

「……行こう、ラクス。

 僕は議長にも誓ったんだ。覚悟はある、僕は戦うって……

 もしかしたら今までのことは、その覚悟を試すものだったのかも知れない」

 

 そんなキラの呟きを、頭の上で聞きながら──

 サイもフレイと共に立ち上がろうと努める。だが既にサイの体力は限界に達し、両脚にも腕にも、殆ど力が入らない。

 セイレーンからの遠隔接続もここが限度ということなのか。まるで一気に100年ほども老化してしまったかのような感覚が、サイを襲っていた。

 

 そして、彼をずっと支えていたフレイも、また──

 魂が抜けたかのように、動かない。動けない。

 紅の液体に沈みゆく『母』の手を取ったまま、彼女はその亡骸を凝視しながら、動けずにいた。

 

「フレイ……!」

 

 サイは力の限りに彼女を呼んだつもりだった。だが最早腹にすら力が入らず、どうやっても掠れ声にしかならない。

 自らも腰まで沈みながらじっと『母』に寄り添い、彼女はぽつりと呟いた。

 

「サイ……すまない。

 やはり私は、この期に及んでも、母を……捨てられぬ」

「!」

 

 思わぬ言葉に、サイの歯がぎりっと噛みしめられる。

 フレイの中に厳然と存在する服従遺伝子。『母』が失われようと、その遺伝子までもが消失するわけではない。むしろ『母』の死亡により、服従遺伝子は一層彼女に悪影響を及ぼしているという見方も出来た。

 今まで彼女の芯として、彼女の生の全てを思うままに動かしてきた『母』。

 それが消失したとなれば──

 

 彼女が命のない人形のようになっても何ら不思議ではない。この事態は、彼女自身も想定していただろうが

 ──その影響力は、本人の想像以上に凄まじかったのか。

 

 畜生。死してもなお、『母』の呪いは彼女を蝕むか。

 死ぬのであれば、娘を道連れにしようってのか。

 どこまでも、彼女と俺を一緒にさせまいってのか。この親は!! 

 

 微笑んだまま血の池に沈んでいくかのような、ラクス一世の白い顔。

 色を失ったその唇を睨みながら、サイはどうにかフレイの腕を掴もうとする。しかし、右腕さえもよろよろと宙に上げるくらいが精一杯で、とても彼女を掴むまでに至らない。

 左腕が使えないかわりに、右腕の力は誰よりも強くなったと思っていたのに。

『母』を見据えたまま、凍り付いたように動けないフレイの横顔。

 

「このまま……母を、一人には出来ない。

 ここに一人で沈めてしまうなど……あまりにも惨い」

 

 それは、ごくごく普通の日常を送ってきた親子であれば、当たり前の感情だったかも知れない。

 だがラクス一世は違う。彼女は神経兵器を思うがままに操り、大量の人間を実験道具として弄び、それ以上に多くの人間を傷つけ、死に至らしめた存在だ。

 彼女の企みの為に、どれほど多くの人間が、人の死に方ではない死に方をしたか。それはフレイだって分かっているはずなのに――

 

 そう叫びたかったが、サイの喉もフレイも動かない。

 代わりに、フレイの口から漏れた言葉は。

 

「それに、サイ。

 私は、自分の子供を……また……

 しかも、お前との子供を……!!」

 

 その先は言葉にならない。

 既に彼女の下腹部までが、紅の池の中へ沈みかけている。

 

 ――諦めるな。まだ分からない。

 フレイの知っているデータがどうあれ、俺たちの子供なら、無事生まれてくるかも知れないじゃないか──

 

 サイの喉からそんな言葉の数々が出かけたが、すぐにそれを否定する一言が、彼女の唇から落ちた。

 

「……もう、感じないんだ。

 少し前まで、確かにあった。胎動が。

 だが、それがもう……!」

 

 灰色の瞳から落ちた涙が、紅の水面へと跳ねる。

 あまりにも絶望的な言葉に、サイ自身、どうしていいか分からなかった。

 すぐそばで様子を見つめていたキラも、シンも、アスランも──

 ルージュを操るマユでさえ何かを勘づいたのか、一瞬その動きを止めてしまう。

 ──しかし。

 

 

「だから貴方は、母と共にここで死のうというのですか?」

 

 

 酷く強引ながら、フレイの右腕を引っ張り上げる細い腕。そして、凛とした声。

 大分掠れてはいるものの、それは紛れもなく、ラクス一世の声と同じ──

 ラクス・クラインの声だった。

 

 その声に頬を叩かれたように、フレイの瞳に僅かに光が戻る。

 ラクスに引っ張り上げられながら、彼女は初めて間近で、ラクスの顔を見ることになった。

 

 ラクス一世の娘として、生を受けた者。

 ラクス一世の娘としての生を、強制的に負わされた者。

 これはその二人が、初めてまともに言葉を交わす時だったかも知れない。

 フレイを引きずり上げたまま、ラクスは静かに語りかける。

 

「貴方に施された服従の遺伝子は、そこまで強力なものではないはず。

 私も、同じですから」

 

 そんなラクスの言葉を、フレイはしばし茫然と聞いていたが――

 やがて全てを諦めたように、目を伏せる。

 

「同じ……

 やはり、そうか。ラクス──貴方も。

 貴方は強いな。同じ服従の遺伝子を持ちながら、私は結局、母を殺せず……

 このとおり、呪縛から脱することも出来なかった」

「いいえ」

 

 即座にフレイの言葉を否定するラクス。

 

「私がSEEDの力をもって、呪縛を断ち切ったと貴方が思っているのなら──

 それは大きな間違いです。

 確かに私のこの力は、服従遺伝子の影響を抑えている一因かもしれません。

 しかしチグサ・マナベとマユ・アスカ、ナオト・シライシ──

 そしてアマミキョの力がなければ、この奇跡は成しえなかった。

 何より貴方が、母への強い抵抗の意思を見せなければ。

 最初から、何も始まってなどいなかった!」

 

 既にラクスの柔らかな髪の先さえも、血の波に洗われつつある。その足元には数体、人間の裸体が流れ着いていた。

 それでも、ここにいるほぼ全員が真っ赤な血の色に染まりながら、固唾をのんでラクスの言葉を聞いていた。

 今ではもうすっかり池の底に沈んだ母の遺体を見下ろしながら、ラクスは呟く。

 

「母をこのような姿で死なせたくなかった。その想いは、私とて同じです。

 しかし母は、それだけのことをした。

 それは、何があっても変えられない事実」

 

 静かにそう語りかけながら、ラクスはフレイの手を取った。

 

「だからこそ、生きねばなりません。貴方も、私も。

 何故って……それが、人なのですから」

 

 ラクスのその言葉に──

 フレイはようやく、自らの足で立ち上がった。

 零れ落ちた涙を乱暴に腕で拭きながら、顔を上げる。血に染まった頬。

 その横顔に、もう迷いはない。

 

「さようなら……母上」

 

 言葉と共に、その手が静かに、『母』から離れていく。

 唯一沈んでいなかった、ラクス一世の白い右手。

 フレイがその手を離したことによって、細い手は音もなく、血の中へと沈んでいった。

 

 

 ──やっと。

 ──やっとこれで、フレイは、解放された。

 自らの手によるものではない。他人に依存しての親殺しではあったが。

 それでも、目の前で母親を看取り、母親に別れを告げ、自ら立ち上がった。

 それで充分だ。

 

 

 そう感じた瞬間、サイの中で溜まりに溜まった疲労が、どっと洪水のように押し寄せてくる。

 最早自分が立っているのか、それとも池の中に沈んでいるのか。それさえも分からなくなっていた。

 駄目だ。ここで終わっちゃ駄目だ、俺はまだ──

 

「サイ!」

 

 そんな彼の腕を掴んだのは、キラ。

 薄れゆく視界の向こうに見えたものは、肩に止まったトリィと共に、酷く心配そうに自分を覗き込んでいる紫の瞳。

 そして、予想外にしっかりした彼の声が、すぐそばで響いた。

 

「ラクス。僕がサイをおぶって逃げるから、君は彼女を頼む! 

 フリーダムとセイレーンのところまで、彼女を連れて、走って!」

 

 彼女というのは、フレイのことだろう。

 キラ。やっぱり最後までお前は、彼女をフレイと呼ばないつもりか──

 ぼんやりとそんな想いに囚われているうちに、サイは頬にキラの背中を感じた。

 意外にがっしりした、背中の筋肉を。

 

「──サイ。

 右腕でだけでも、掴まれる? 僕の肩に」

 

 そんなキラの問いにも、最早声が出せない。首を横に振るぐらいが精一杯だ。

 もう、誰がそばにいるのかも分からない。視界が赤く染まっていく。

 

「キラさん、これ使って!」「俺のも手持ちがある。これを」

 

 微かに聞こえたシンやアスランの声と共に、身体をロープか何かでキラの背中にくくりつけられる。しかしその感覚さえも、最早自分のものか分からない。

 頬に触れた背中ごしに響いてきたものは、キラの言葉。

 

「みんな、ありがとう。

 行くよ、サイ。すぐにセイレーンに繋げるから、もうちょっとだけ、頑張って」

 

 そんな一言とほぼ同時に、キラは猛然と走り出した。

 凝固しかけた血のように足に纏わりつく水を跳ねのけながら、サイの体重をものともせず、ただ一心に、死の満ちた空間を駆け抜ける

 ――止まっていた時間をやっと取り戻した、究極のコーディネイター。

 手も、指も、眼も、耳も、足も――全ての感覚がサイから消失しかけていたが。

 背中から感じるキラの心音だけは、いつまでも消えなかった。

 

 

 ──キラ。良かった。

 お前が、戻ってきてくれて。

 

 

 サイの、殆ど声にならない呟き。

 走り続けるキラの耳に、それが届いたかどうかは分からない。

 しかしその呟きと共に、サイの心は大きな安堵に包まれ──

 やがて、意識は暗闇の中へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

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