いつものように駅ですりを働いた男は盗んだ財布の中から御守りと一枚の紙切れを発見する。紙切れには病室の番号が書かれていた。
なんともやるせない気分になった男はなにも取らずに財布を返したのだが……。

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スリと豪族

 

 

 

 朝の東京駅ってのは皆が皆忙しそうに歩いてやがる。あっしにとっちゃ、人が多いほうが仕事がやり易いんですがね、どうもピリピリしていけねえ。

 ……あっしはどうもあの雰囲気が好きになれなくてね。どいつもこいつも前を向いて歩いてるようで、その実、何も見ちゃいねえ。周りを歩いてる他人はもちろん、当の本人自身のことも含めて、無関心に凝り固まってやがる。問題なんて起こらない、起こってもそれは私たちの責任じゃないって言わんばかりだ。当事者意識っていうんですかね、そういうものが欠け落ちてるような感じがするんです。

 嫌な空気ですよ、今の日本をこれでもかと象徴するような光景だ。こればっかりは何年たっても慣れないもんです。ま、そう感じるのはあっしが真っ当な人間じゃないからってだけかもしれやせんがね。

 

 そんな中ですよ、吊り広告の下にどうも覇気のねえ女を見つけたのは。

 新社会人ですかね、ピシッと真っ黒のスーツを着てやしたが、あっちをふらふら、こっちをふらふら、うろつき回って目立つことこのうえねえ。遠くからでも膨らんだ財布が鞄からはみ出してるのが見えたんで、こりゃあやり易そうだって近付いたんですわ。

 

 普段通り、すれ違い様に軽く身体をぶつけましてね。おっと、すいやせん。じゃあまたって具合にいこうとしやした。ところがあちらさんがあんまりにも無反応だったんもんで、思わず顔を見ちまったんです。

 ……まるで幽霊みたいな顔をしてました。幽霊に会ったような顔じゃなくて幽霊そのものでしたよ。

 朝っぱらからあんな不景気な顔を拝むことはありませんから妙に気になっちまいまして。

 

 それが良くなかったんでしょう、便所で戦利品を確認してたらハラリと紙切れが落ちてね。よしゃあ良いのに拾って見ちまったんですわ。そしたら、なんでしょうね、走り書きされた住所と部屋の番号ですかね、とにかくそんなもんが書かれてました。で、財布の中からポロリと御守りも出てきましてね、なんだか難しい念仏がいっぱい書き殴ってあるやつですよ。

 

 そこで思い出しちまったわけです。そういやあの女、小物入れまで真っ黒だったなって。今の季節ああいう色合いはたまにしか見ませんからね。

 おそらく今朝早くに連絡が来て、とるものも取らずにこっちに来たんでしょう。ビジネススーツだったのは、若い人だったからたまたま持ち合わせがなかったのかもしれません。

 まあ、春と秋は多いって聞きますからね、なんでも過酷な季節を乗り越えて過ごしやすくなってくると気が抜けてポックリ逝くんだとか。

 

 とにかく、あっしはそれに気付いてからすっかり気分が落ち込んじまってね、結局なにも取らずに駅員に渡したんですわ。ゴミ箱に入れるのはもちろん、そこいらに放り出しておくのも、なんだか気持ちが悪くてね。

 のどに小骨が刺さったようなって言葉がありますが、あの時は数日間、のどに真綿でも詰められたような気分でしたよ。

 

 で、それからしばらく後のことですよ。憂鬱な気分もすっかり抜けて、そんなことあったっけなって、ほとんど忘れちまった頃です。とつぜん、知らない番号から連絡が入りましてね。職業柄出たわけです。そしたら財布を拾って貰った者です、お礼をさせてくださいと来たんですわ。

 

 ……おかしな話じゃありませんか、だってあっしは駅員にも名前を教えてないんですよ。気味が悪くてたまらねえ。

 ただ、そのまま知らんぷりしておくってのも無理でした。あんな商売してたわけですから、どこから連絡先を知ったのか確認しておかなきゃいけねえ。自分で気付かねえ内にポカをやらかしちまったかもしれねえんですから。

 それでおっかなびっくり、そいつと会う約束をしたわけです。

 

 まあ、マッポが待ってたらその時は潔く諦めるしかねえなと、半分は覚悟して行ったんですがね。そしたらあの女がひとりで座ってやがった。

 なんたらってお洒落な喫茶店でね、テラス席に高そうな毛皮のコートを着込んで、前に見た暗い顔が嘘のようにキラキラしてやした。

 こりゃあとりあえずは大丈夫そうだなと、そんでひとまず話を聞くことにしたわけです。

 

 

×××

 

 

 ああ、すっからかんだ。おっと、すいませんね、せかしたみたいになっちまいました。

 へへ、どうもけちな商売してるもんですから、小遣いもろくに貰えねえもんで。

 おっとっと、ありがとうございます。まあまあ、そちらもどうぞ。

 ここのは安い割にしっかりしてますから。なんでも店主が飲兵衛でね、毎月酒蔵を回ってるだなんだって。結構な話じゃあないですか、こんな良心的な場所はほかにありませんよ。

 あっしも毎回、べろんべろんになるまで酔わせて貰ってね。まあ、大概、あっしの頼んだ酒じゃないんですがね。へへ。

 

 

×××

 

 

 で、どこまで話しましたっけ。ああ、そうだそうだ。その女がね、といっても女というべきか少女というべきか微妙な年頃だったんですがね。とにかくそいつがあっしの顔を見て気が付いたようでした。

 

 まあ、大体覚悟はしてましたがね、やっぱりかと思いましたよ。なにせあっちはあっしの顔なんざ知ってるはずがないわけですから。

 でも、そうは言ってもわざわざ藪をつつくような真似なんざしたくないじゃないですか。全部あっしの勘違いで、たまたま財布を拾ってくれた人のことを知った善良な市民が恩返しに来たってのが一番なんです。

 

 だからあっしは大変でしたねって、とにかく話を聞いてからだと思いましてね。で、そいつの話を聞いてみると、あっしの推測は大方当たってたようでした。親父さんが死んだらしくて、その訃報に急いでたってのがあの日ってことらしいです。

 

 あっしはまた大変でしたねって言ったんです。まあ、もっとふさわしい言葉があったのかもしれませんが、あっしにとってはそれで精一杯でした。

 

 ところが女は笑って言ったんです、いいえって。あっしは耳を疑いましたよ。

 あっしにとって、こんなろくな教育を受けてねえあっしでもですよ、親ってもんは敬うべきだって思ってます。たまにどうしようもねえのがいるってのは知ってるが、すくなくとも死を望むもんじゃねえ。

 

 そんな内心が顔に出てたからでしょうかね。女はさも楽しそうに、身の上話を始めました。

 気持ちのいい話でもないんで詳しくは割愛させてくだせえ。話をまとめるとそいつはあまり親とうまくいっていなかったようで。

 いえ、すこし違いますね、はっきり絶縁したと言っていました。なんでもそこそこ大きな家だったらしくて、小さい頃は可愛がられたそうなんですが、弟が生まれてからはずいぶんと冷たくされたようで。

 正直、あっしにはピンとこない話だったんですがね。そいつの爛々と光る眼差しと鬱憤を晴らすような獰猛な語り口調から、これは相当溜まっていたものがあるんだなと。

 

 それでもう一回、大変でしたねと言ったわけです。いやあ、実際そういう場面になると言葉が出て来ないもんですね。通り一辺倒で申し訳ねえとは思ったんですが。

 ただ、女もあっしの表情から本心の言葉だとわかったみたいでした。呆気にとられたような顔で、ありがとうございますとだけ返されました。

 ……さっきまで毒を吐いてた口から出てきたとは思えないほど朴訥とした言葉でしたよ。

 

 どうもこんな商売ばかりしてると誤解されがちなんですが、あっしらは別に人の不幸を飯の種にしてるわけじゃありません。むしろ他人のそういう話を切り離して考えれないヤツのほうが多いんですよ。小市民的というか小悪党というか、そこらへんのことを割り切れるヤツらはもっとでかい商売に手を出すもんです。

 ま、イキって破滅した知り合いも何人かいますがね、そこらへんは例外ってことにしておいてくだせえ。

 

 

×××

 

 

 おっと、すいやせんね。おっとっと、どうもどうも。そちらは? あら、燗ですか、たしかにそれも良いかもしれませんね。ちょうど先週から冷えて来ましたから、たまらんでしょう。

 

 おすすめですか? ほら、あの端のところに薄茶色の瓶があるでしょう。あ、駄目ですよ、おやっさん、隠しちゃあ。ええ、それです、それ。どうもね、店主のつまみにもなってるようで減ってくると隠すんですよ。まあ、それだけ旨いってことですね。

 

 ああ、来ました。どうです、綺麗な色でしょう。製法が特殊だかで色付きの瓶でしか出荷できねえらしいです。なんでも管理局のお偉いさんも御用達だとか。

 

 お、良い飲みっぷりですな。ええ、ええ、わかりますよ。ファンは多いですからね、それだけ愛されてるってことです。あっしもそのひとりで……おっと、申し訳ねえ。どうも、気を遣わせてしまったようで。いや、しかし、今夜はまた一段と沁みますな。

 ……え? ああ、そうでした。続きね。続き。

 

 

×××

 

 

 で、ひととおり話したところで是非ともお礼をさせてくれと、こう言われたわけですよ。正直ね、あっしはもうどこから情報が漏れたかなんてどうでも良くなってました。

 そんなことよりも目の前の女が怖くて怖くてたまらなくてね。いつの間にか自分の半分も生きてるか怪しい小娘に完全にビビっちまってました。

 まさに蛇ににらまれたカエルの気分でしたよ。なんたってあっしとは別の世界の住人ですし、なによりあの目がどうしようもなかったわけで。

 

 ……ええ、そうです。あっしらとはまったく違う目ですよ。熱量っつうんですかね、目ん玉の中で轟轟と渦巻いてるのが見て取れるわけです。それがじぃっとこっちを睨みつけてやがる。あっしの一挙一動を探って、逃げられないぞって、そう言ってるみたいでした。

 おかげさまで頼んだなんたらって洋菓子も喉を通らねえ。あっしはとにかくこんなところはとっととオサラバしたかったわけで、女の言うお礼とやらを受け取っていなくなるつもりでした。

 

 さて、なにが出てきたと思いますか?

 ……借用書? へへ、いい線いってますね。まあ契約書って部分はその通りですけど、あっしにとってはそっちのほうがまだマシだったかもしれません。

 

 女が差し出したのは一枚の紙切れでした。不思議なことにそこには女とあっしと、あっしの知らないあっしの個人情報まで書かれてました。で、ハンコを一緒に渡されて、ここにお願いしますって。

 ……ええ、そのとおり、婚姻届ですよ。

 

 なんだこれはって、あっしも思わず言っちまいました。

 そしたら女は、「あなたのしたことは知っている、その気になればブタ箱に突っ込むよりもっと惨めな最期を用意してあげる」って。あのマグマみてえな目ですよ。

 あっしはぶるっちまって、針をぜんぶ抜かれたハリネズミみてえに黙り込んじまいました。

 

 で、静かになったあっしに女が続けて説明してくれやした。なんでも、女の親父さんが死んだせいで家の財産やら商売圏だかがぐるっとまとめて女に来ちまったようで。

 ……ああ、弟ですか。あれはもうどうしようもねえ碌でなしに育って、挙句に御上に逆らってすぱっとやられたらしいんですわ。綺麗に手入れした花が咲くってもんでもないのが世知辛いところで。

 

 で、由緒正しい方々は血統とやらを大事にするらしくてね、絶縁したはずの娘にお鉢が回って来たと。

 ところが当然、親戚連中はどうにか女に首輪を着けときたいもんですから、自分とこの息子やら兄弟やら、果ては結婚してるはずの旦那まで引っ張り出して女に結婚しろと、こう言うわけです。

 女も馬鹿じゃねえ、言う通りにすれば飼い殺しにされることは分かりきってる。ただ、どうにも商売の世界で女手ひとつが外聞が悪いってのはその通りなようで。ええ、古い業界って、そんなもんらしいんですわ。

 

 で、親戚連中は論外として、自分が主導権を握れる都合の良い男を探してたところ、駅で女子供を狙うようなちんけなスリに白羽の矢が立ったわけです。

 ……つまり、あっしですな。

 

 ああ、いえ、はっきり言われましたよ。死んでも良心の痛まないクズが一番良かったって。むしろ死んでくれたほうが都合が良いとも言ってましたね。

 とにかく、あっしには断る選択肢なんざありませんでした。こんな屑でも命は惜しかったですからね。それで結局、女と暮らし始めたわけです。

 

 

×××

 

 

 ああ、すいません。いえいえ、今日はここまでで。

 どうもね、一度朝帰りしたときにひどく哀しそうな顔をされましてね。女は役者ってのは本当ですね、あれ。好きでも何でもないって分かっててもどうしようもなくなっちまいますから。

 

 暮らしぶりですか? まあ、良くも悪くもお隣さんって感じですよ。直接的な関係はありませんね。弁当作って送り出すくらいです。

 ああ、いえ、何もしなくて良いとは言われたんですがね、それはそれで落ち着かないじゃありませんか。何もしてないと本当にペットみたいですしね。今じゃ、なるたけあっしが作るようにしてるんですよ。やり始めたらコレが意外と面白くてね。

 ……似合わないって? へへ、あいつにも同じこと言われましたよ。まあ、こんな顔してますからね。あっしもそう思います。

 

 うーん、どうでしょうかね。どっちが良かったって聞かれると答えづらいんですが、もう今の生活に慣れちまいましたからね。

 ただ、ひとつだけ不満をあげるとすれば、あの目さえなければ良いんですがね。……そうですよ。たまにね、あのマグマみたいな目でじぃっとあっしの目を覗き込んでくるんです。睨み返しても怯みもしねえ。最近は特に増えましたね。ひどいときは飯の間ずっとですよ。

 

 あの目で見られると、どうにも落ち着かなくってね。まあ、あっしはペットみたいなもんなんでしょう。粗相をするなよ、身分をわきまえろよってことでしょう。出てくときと帰ったときもしばらく見られますからね。信用されてねえだけかもしれません。とにかく、ずぅっと首根っこ捕まれてるような気がして座りが悪くてね。

 

 だから、一口にどっちが良かったっては言いにくいんですが、でも今さら昔の生活に戻るってのも考えづらいですね。最悪、あいつに見限られて野垂れ死にしちまっても、それはそれでしようがねえかなんて考えたりもするんですよ。

 

 ……ええ、そうですよ。出掛ける前にこうじぃっとですよ。なんだか最近は目ん玉ん中を覗き込むんじゃねえかってくらい近付いてくるんですわ。あんまり物騒だから、あっしも目ぇそらさないようにしてましてね。

 ……そういや、にらみ合ってるうちに気付いたら首がとれてた、なんて怪談話もありましたっけ。

 

 今朝もね、いつものように睨み合いになったわけですが、やっこさん、突然ふっと目ぇ閉じやがったんですよ。

 あっしはしいたけ刻んで入れたのがバレたかと思いましてね。

 ええ、しいたけとピーマンが駄目らしいんですよ。この間も肉詰め作ったら外側だけ残して来ました。

 飼われっぱなしってのもプライドがあれですからね、ラインを見ようと思って。……そうそう、どこまで許してくれるかのですよ。

 おもしろいモンですよ、大の大人がオムライスをほじくり返してしいたけをどけるんですから。……あ、いや、ツラを考えると全然面白くないですが。

 

 それで、今度は目ぇ開いた瞬間になにされるんだろうって怖くなっちまいまして。やっこさん、怒りからでしょうね、顔も真っ赤で、肩もぶるぶる震えて。

 あっしはもう怖くて怖くて、見送りのつもりが横ぉ通り抜けて逃げ出しちまいましたよ。

 ええ、それで今日はちょっと帰りづらくてね。まあ大方、なにもなかったように振る舞うんでしょうけど。

 

 ……おっと、話をすればだ。ちょっとすいませんね、いつもはメールなんですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(男はそのまま席を立ち、戻らなかった。残された盃がすっかり乾いた頃、妙齢の女性がひとり、男の飲み代を支払いに訪れた。彼女は店主と私に丁寧に礼を言った後、男はしばらく顔を見せないだろうと告げた。店を出る彼女の鞄の中から、チラリと黒く光るものが見えた気がした)

 

 

 


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