ブラックドミノシティ。
そこは犯罪都市と言っても過言ではない街であり、下層区に至っては海外のスラム街並みの治安だった。
下から数えて二番目の地区であるF区の『デュエリスト孤児教育院』、通称『デュエル孤児院』の正門前に
緑みがかったショートヘアに小柄な体格。
遊羽には自分自身に関する記憶がない。
捨てられた際の所持品は衣服を除けば二つ。
一つ目は首にかけらけた金属タグ。
『
金属タグには生年月日の表記もあり、それによれば現在の年齢は八歳だ。
二つ目の持ち物として残されていたのが、デュエルモンスターズのカード。
そのカードは《ゴキボール》だった。
攻撃力1200、守備力1400というステータスのカード。
特殊な効果を持たない通常モンスター。昆虫族でありその種族に相応しく、丸いゴキブリのような見た目をしている。
この『デュエルで全てが決まる世界』においても左程価値が高いわけではないカードだ。
というかどちらかと言えば低く、その価値はレアカードには遠く及ばない。
このカードを親がどんな意図で渡したのかは全く不明であった。
デュエル孤児院に子供を置いていくのだから裕福な家ではないのかもしれないが、それにしても娘に残すカードがゴキブリというのは如何なものか。
ただ遊羽自身は割とこのカードを気に入っていた。
遊羽は女子であったが昆虫に対して拒否感示さず、それどころが好感すら抱いていた。
デュエル孤児院の職員に引率されて遊羽は体育館へ連れてこられた。
そこには同じぐらいの年代の子供が多くいた。
職員によれば今回の募集の定員は三十名であり、遊羽は最後の一名にギリギリ入れたという。
一見すれば親に捨てられて養護施設に入るというのは不幸なこと。
しかし記憶はなくともブラックドミノシティという街の知識はあったので、定員ギリギリの状態で何とかデュエル孤児院に滑り込めたのが幸運であるということを遊羽は理解していた。
この世界はデュエルで全てが決まる。
そしてデュエルを行うには40枚のデッキとデュエルディスクが必要不可欠だ。
このブラックドミノシティの中でもかなり治安が悪いF区という場所をデッキとデュエルディスクなしで1日中さ迷えば、人攫いに捕まって
デュエルで全てが決まるこの世界において、人攫いをするにも強姦するにも本来ならデュエルで勝利する必要があるが、デッキを持たない者はデュエルができないため強制的に負け扱いとなる。
最悪の場合デュエルヤクザやデュエルマフィアに捕まって臓器を売られたあと、ブラックドミノ湾に沈められるというコースもあり得た。
デュエル孤児院はブラックドミノシティが運営している施設であり、入る際にはデュエルモンスターズのカード100枚分のパックとデュエルディスクが子供に提供される。
またデュエルアカデミアへ通うことができない貧困層を支援するため、孤児の衣食住を保障するだけでなく、無料でデュエル教育を受けることができる環境が整っている。
悪い噂の多い施設であるが、最低限デュエリストになるためのスタートラインに立つことはできるのだ。
そして市が運営している施設だけあって、同地区の他の場所と比較すれば安全が保障されている。
座っている子供も多い中、壁にもたれかかりながら無言で壇上の方を見ていると、一人の中年男性がそこに現れた。
「さて、デュエル孤児院に入ることになった君たちに自己紹介をしておきましょう。私は院長の園山です」
その男は園山と名乗った。
「これより君たちには100枚分のカードパックとデュエルディスクが配布されますが、その前に大切なお知らせがあります」
園山がプロジェクターで映像を映しながら言う。
映ったのはデュエルモンスターズのカード《水の踊り子》と《恍惚の人魚》だった。
「デュエルモンスターズのカードにはこのような子供の教育に悪い性的な要素を持ったモンスターも存在します。これはフェミニズムやポリティカル・コネクトネスの観点から見ても、大変良くないカードです」
遊羽はフェミニズムだのポリティカル・コネクトネスのことはよく知らないし興味もなかった。
「よって我々デュエル孤児院の職員が子供の手にこれらのカードが渡らないよう確認するためパックを一度開封して中身を検める規則になっています」
一見すればそれは子供たちに配慮した措置。
「ですので君たちに渡されるのは既に開封済みのパックとなりますが、教育上良くないカードを抜いた分は補填しているので全員に100枚のカードが配布されます。安心してデッキを作ってください」
だが遊羽の中でデュエル孤児院の悪評は確信になっていた。
配布されるカードを見るまでもなく断言できる。
その100枚の中にレアカードは1枚も入っていないだろう。
市の予算で購入されたそれらのパックに入っていたレアカードは、噂通り職員たちの手によってレア抜きされてブラックマーケットで転売されているのだ。
その後、開封されたカードパック20パック(1パック5枚入り)とデュエルディスク、それから昼食として焼きそばパン1個が子供たちに配布されていく。
焼きそばパンを咀嚼しながら受け取ったカードを全て確認し終えた遊羽は口元を歪め薄く笑った。
予想が的中、ある意味では予想以上だったからだ。
配布されたカードの中で下級モンスターは全てが攻撃力1200以下であり、上級モンスターは攻撃力1500~1600程度のカードが数枚のみ。最上級モンスターに至っては1枚も入っていない。
効果モンスターは《ラージマウス》や《レインボーフラワー》等の極度にカードパワーが低いものに限られ、魔法、罠カードも《モウヤンのカレー》《火の粉》《ねずみ取り》《粘着テープの家》などの同じくカードパワーが低かった。
全体の攻撃力を200上げる《森》《荒野》等のフィールド魔法や装備したモンスターの攻撃力、守備力を300上げる《伝説の剣》《銀の弓矢》等の装備魔法が配布された中ではまだマシな部類だ。
これらでデッキを作った場合、デッキの大半が効果なし、攻撃力1000以下のモンスターで主力になるのが攻撃力1200の下級モンスターと攻撃力1500前後の上級モンスターになるだろう。
皮肉にも親から貰った唯一のカードである《ゴキボール》はデッキの主力になりそうだった。
「一先ず30分ほど昼休憩時間を設けましょう。その後は、職員の指示に従って各クラスに移動してください」
それだけ言うと園山は壇上から降りて立ち去って行った。
子供たちの中には「レアカードが入ってない!」と不満の声をあげる男子や「あの、私のカード100枚全部《モウヤンのカレー》です」と嘆く豊満なバストの女子もいるが、園山は完全に無視して体育館から退出する。
他の職員たちも子供たちの声は聞こえないかのように振舞っていた。
レアカードが入ってないはおそらく全員共通だが、《モウヤンのカレー》100枚を配布された豊満なバストの女子は相当まずい状況だ。
デュエルモンスターズのデッキに入れられる同名カードは3枚までであり、100枚全部が《モウヤンのカレー》ではデッキを作れない。
おそらくレア抜き作業の際、同じ名前のカードを一か所に固めておいた職員でもいたのだろうが、それをパックに戻してそのまま配布したのだ。
デュエル孤児院の職員にとって重要なのはレアカードであり他はどうでもよかったのだろう。
デュエル孤児院出身者はまともなデュエリストにはなれない。
世間で言われていることは事実だった。
だがここで諦めようとは微塵にも思わなかった。
この先、まともなデュエリストになるためのチャンスを掴む、一先ずはデュエル孤児院で上手くやっていくために行動を開始する。
子供たちの中には未だに文句を言ったり、嘆いている者も多かったが、既に何人かは動き出している。
彼ら、彼女らはお互いのカードを見せ合ってある作業を行っていた。
それはトレード。
この100枚でデッキを作るだけは単に攻撃力の高いモンスターからカードを順番に入れていくだけの紙束にしかならないが、カード交換によって種族を統一できれば、多少はデッキとしての形を成す。
配布された100枚の中には僅かだが装備魔法やフィールド魔法も入っている。
装備魔法で入っていたのは《伝説の剣》《銀の弓矢》等の特定の種族の攻撃力、守備力を300ポイントアップするカードなので種族を統一しなければ使いづらい。
フィールド魔法は《山》《森》等の場にいる特定の種族の攻撃力、守備力を200アップするカードなので、こちらも同じく種族を統一する必要がある。
ここで重要になってくるのは、どの種族のカードを集めるかということ。
ドラゴン族や戦士族のカードは子供間でも人気のため集めづらいことが予想できる。
現に手近な場所で行われているトレードの様子を見てみるとドラゴン族のカードのトレードで揉めているようだった。
「ねえ、私もカードのトレードに混ぜてくれる?」
トレードを行っている三人に声をかける。
二人が男子、一人が女子のグループだ。
「かまわないが、まずは欲しい種族を教えてくれ。ドラゴン族では時間の無駄だ。僕たち二人が希望しているからね」
男子の一人がそう言った。
隣にいるもう一人の男子も首を縦に振る。
「自己紹介は手短に済ませよう。僕は岡本。彼は田中、彼女は木村だ」
どうらや岡本と名乗った男子も、この場で手早くトレードすることの重要性を理解しているようだ。
この体育館に集められた子供たちは現時点では全員が100枚のみカードを持っているという同条件であり(《モウヤンのカレー》100枚のような例外もいるが)、基本的に対等の条件でトレードを行うことができる。
元からデュエル孤児院にいる子供が相手の場合、対等なトレードが成立するとは限らない。
「私は癲狂院遊羽。希望するのは――昆虫族」
迷いなく遊羽はそう言った。
女の子の木村は怪訝そうな顔をするが、岡本は何かに気づいたように頷いた。
「なるほど、あえて不人気の種族を狙うことで少しでもカードパワーが高いモンスターを手に入れようってわけだ」
全くそういう意図がなかったわけではない。
昆虫族は特に女子には不人気なので、競合が少なくカードを集めやすいと予測できた。
「でも僕は御免だね。デッキのカードはデュエリストにとって相棒だ。昆虫なんて気持ち悪い種族は論外だよ」
「私も虫とかキモイから絶対無理。でも良かったし。そんなキモイのならいくらでもトレードしてあげる」
木村も岡本に同調する。
これに対して遊羽はあえて何も言わない。
昆虫好きであることを表明するよりも、不人気種族を集めていると思われた方がトレードに有利だからだ。
「私の希望は戦士族ね。イケメンの騎士モンスターが欲しいわけ。それじゃあカード見せてよ」
こうしてトレードが始まった。
モンスターカード同士の交換は比較的スムーズに進んでいく。
希望する種族同士で攻撃力が同じカードがあればそれをトレードする。
木村は余程虫が嫌いなようで、遊羽の出したカードの方が多少攻撃力が低くても交換が成立した。
流れが止まったのは遊羽が《レッサードラゴン》のカードをトレードに出した時だった。
「攻撃力1200のドラゴン、これはぜひ欲しいね。僕の《キラー・ビー》とでどうだい」
岡本が出したのは攻撃力1200の昆虫族カード《キラー・ビー》だった。
ここでこれまであまりに何も言わなかった田中が口を挟む。
「……俺も《キラー・ビー》なら持っている。俺とトレードするならこの《インセクション》をつけてもいい」
田中は《キラー・ビー》と《インセクション》二枚のカードを出した。
《インセクション》は攻撃力950、守備力700の昆虫族モンスターである。
「何だと、《レッサードラゴン》は僕が狙ったカードだぞ」
「条件が良い方と彼女もトレードするだろ」
「……ふん、なら僕は《カマキラー》をつける」
岡本が出したのは攻撃力1150、守備力1400の昆虫族のカードだった。
この場において攻撃力1000を超えるモンスターは貴重なので、かなり破格の条件でのトレードだ。
「くっ、この野郎!」
「僕は《レッサードラゴン》が気に入ったんだ。なら多少無理してでも手に入れるさ」
そのまま岡本とトレードが成立してカードが交換される。
そして、このグループは微妙な空気のまま解散となった。
遊羽は改めて周囲を見回す。
既に大半の子供たちがグループを作ってカードのトレードを行っていたが、中には輪に入れないのかモジモジしている者も何人かいる。
「私たちとカードをトレードしましょう」
次のグループにトレードを持ち掛けようとしたところで後ろから声をかけられた。
声の主はさらりとした長い黒髪とスタイルの良い体つき、整った顔立ちの少女だ。
その隣には黒髪ショートヘアの女の子がいる。
「話は聞こえていたけど、あなた昆虫族を集めているのね。私たちが持っている分をまとめておいたわ。こちらが希望するのは植物族と天使族よ」
長い黒髪の少女はまとめられたカードの束を手際よく取り出す。
「私は
どうやらこの二人は姉妹らしい。
「癲狂院遊羽。こちらこそよろしく」
言いながら自分の手持ちのカードから植物族と天使族をピックしていく。
色音が昆虫族を事前にまとめていたこともあってトレードはスピーディーに進んでいった。
「後ろから見えたのだけど、あなた《銀の弓矢》のカードを持っているわよね」
《銀の弓矢》は天使族のモンスターの攻撃力、守備力を300アップする装備魔法である。
どうやら遊羽が天使族を強化できる装備魔法を持っていると知った上で声をかけてきたようだ。
「私は昆虫族を強化する《レーザー 砲機甲鎧》を持っているわ。トレードしてもらっていいかしら」
《レーザー 砲機甲鎧》は昆虫族の攻撃力、守備力を300強化する装備魔法。
こちらとしても欲しいカードであり揉めることなくトレードが成立する。
受け取った銀の弓矢のカードを色音は妹に渡した。
どうやら妹の方が天使族デッキを作っているようだ。
「わ、私のために姉さんのカードをトレードに出すなんて」
銀の弓矢を渡された妹、沙良が申し訳なさそうに目を伏せる。
「あなたの身の安全より大事なものはないわ」
このデュエルで全てが決まる世界において少しでも強力なデッキを持つことは身を守ることに繋がる。
「それじゃあ遊羽、また会いましょう」
トレードを終えると色音は妹、沙良を連れて去っていった。
「君が昆虫族を集めている女子か」
背後から声をかけてきたのは細身の少年だった。
「俺は谷口。君の持ってるカード次第で、この昆虫族とトレードしてやってもいいぞ」
細身の少年、谷口が取り出したのは《吸血ノミ》のカードだった。
攻撃力1500の昆虫族モンスター。
どうやらレア抜きされたパックであっても、人によっては攻撃力1500の通常モンスターが残っていたらしい。
遊羽としては当然欲しいところだ。
「俺は攻撃力1500のドラゴン族カードを探していてね。それとなら交換してやるよ。何なら僕の持っている他の昆虫族のカードを何枚かつけてやってもいい」
こちらに有利なトレード条件であったが、肝心の攻撃力1500以上のドラゴン族がなければ条件は満たされない。
そもそもドラゴン族に限らず、配布されたパックには攻撃力1500のモンスターはいなかった。
「私は攻撃力1500以上のドラゴン族は持ってない」
「なら仕方ないね。昆虫族なんて早く手放したいが攻撃力1500は貴重だ」
実際、最初にカードをトレードした三人組と杠葉姉妹は遊羽と同じく攻撃力1500のモンスターを持っていなかった。
おそらくデュエル孤児院の職員が見落としたほんの数枚が開封済みのパックに紛れ込んでいるだけなのかもしれない。
「君が攻撃力1500のドラゴン族を手に入れたなら、その時は《吸血ノミ》とのトレードを受けよう。もちろん他でトレードが成立していなければの話だけどね」
それだけ言い残すと谷口は別の子供の方へ急ぎ足で向かっていった。
残された休憩時間は十分ほど。
遊羽もデッキ構築に必要なカードを一枚でも多く集めるため、別のグループに合流して時間ギリギリまでトレードを行った。