~西暦1600年関ヶ原の戦い~ 石田方
「…父上、こちらの兵は?」
「秀永(ひでなが)か…2万と言ったところだなぁ」
そこには良く似た親子が立っていた
此処は小高い丘、戦場が良く見えるように陣を取っていたのだ
目前の草原は、緑の草では無く黄色の葵の旗が波の様に揺れ、着々と進軍してきていた…
「どれだけ少なく見ても5万はいるな、これは」
「徳川は数の暴力で攻めてくる、とは聞いて居ましたがこれ程とは…」
「仕方ない、我が藩は兵が少ないのだ、無い物をねだっても仕方ないだろう?」
「そ、それは…」
「それに、三成様は必ず勝つと我ら月上(つきじょう)家の前で誓ったのだ、ならばそれを信じるのが我らの任だろう?」
「ですが…」
「もしや秀永…お主戦いたいのか?」
「…やはり、父上には敵いませぬ…ええ、そうですよ戦いたくて仕方ありませぬ」
「ハッハッハッ!やはりか!この戦闘狂めが!」
親子は楽しそうに会話する
「では…よろしいのですか?戦場に出ても…」
「駄目だ!…と言いたい所だが、お主は言っても聞くまい」
「いやはや…さすが父上、もう少し待たされていたら単騎で出ていましたよ」
「まぁ、初めてお主が戦場に行き、無傷で帰ってきた時は驚いたがな!それに、大将首も取ってくるはなぁ…懐かしいな、もう5年も前になるのか…」
「ええ、15の時でしたな、あの時程自分の力と異常さを自覚した時はありませんでしたよ」
「何しろ『父上、私は刀が大嫌いです』と言い盾だけを持ち出陣したのだからな!」
「仕方無いでしょう、嫌いな物は嫌いなのですから」
そう、この月上秀永、刀が大嫌いなのである!
見るだけで気分が悪くなるくらいに、それ故に体術は達人であり新たな流派『月上盾術』を作り上げたのだ!
「5歳の時には体術を習い始めたのだったな」
「はい、3年後には免許皆伝、その頃に『神童』と呼ばれ、5年後に盾を主流にした流派を作り上げました、『我が息子として鼻が高い!』と父上は申された」
「そうだ、そうだ!確かにそうだった!」
「そのせいで周りから畏怖の目で見られましたがね」
「「ハッハッハッ!」」
二人一緒に笑う
「そうだな…大将らしく…ゴホン、では、行ってこい!不刀鬼(ふとうき)月上秀永!」
「はい!では、行って参ります!父上!」
そしてこの親子が再び会う事はなかった…
「退け退けぇ!!不刀鬼が通るぞ!殺されたくなければ退けぇ!!」
「おお、若様が来られた!」 「これで勝てまする!」
「皆の物!徳川を蹴散らせぇぇぇ!!この不刀鬼に続けぇ!!」
「オオオオオオオオォォォォォ!!!!」
こうして不刀鬼、月上秀永は戦場に出ていった…だが2万と5万の圧倒的差は埋まらず、月上秀永は還らぬ人となった…そして月上の名は、一時的に歴史の表舞台から消え、流派月上盾術に載るだけとなった
遠い未来、月上秀永の記憶を知り、その魂を受け継がれるまでは月上秀永は深い眠りに付き、月上家は歴史の表舞台に立つ事はなかった…
いかがでしたか?初めて投稿したので心配です
誤字脱字等がありましたら、お手数ですが教えてもらえますでしょうか?
では次の話までさようなら!