魔女と隻腕 作:神食みはかみはみと読む
深い、深い森の中。
むせ返るような濃霧、あるいはその瘴気の中を縫うように歩く、一人の女がいた。黒いドレスに白のエプロン。三角帽子がトレードマークで、如何にも自身は魔法使いだと周囲に誇示するかのようだった。
しかして、その魔女はまだ半端者だった。寝食を必要とし、寿命もやがて尽きる。言わば彼女は魔法が使えるだけの徒人てしかなかったのだ。
「……ンぁ〜…ねえなぁ…」
そんな者が森の中、光も届かないかと思わんばかりの深奥でする事といわば、ひとつだろう。
「“茸”…見つかんねえなぁ…」
キノコ狩りである。
その名を霧雨魔理沙と言うのだが、魔法が使えるだけで魔女ではない。だからこそ彼女は自身をこう呼ぶ。“普通の魔法使い”と。
結局目当てのものが見つかることもなく、また探せば見つかるだろう森林に未練たらしく視線を向けながら、同じく森の中に構える住居へと帰ろうとした、その時だった。
「……? んん…」
魔理沙が
そして、それをこそ魔理沙は酷く訝しむ。彼女の住まう森は、人々には魔法の森と呼ばれ恐れられ、人を喰う森だの醜い魔女が住むだのと、あることないこと評された新聞を読んだこともある。
やかましい。
そんな新聞を破り捨てたのも記憶に新しい。誰が醜い魔女だ、誰が。生憎と話題性には事欠かない性分であったが為に、しばしばそうしたネタにされることもあった。
そんな事より、今は離れた場所にぼうっと突っ立っている
ゆらりゆらりと立ち上がるそれは、一見すると人だ。だが、この森に人が立ち入ることは至極珍しいことと言える。
件の新聞で人里の人間たちは怖がって近づかないというのもあるが、なによりあの新聞に書かれていることが本当の事だからというのもある。
醜い方ではなく、人を喰うという方だ。
森は、濃霧のようにも見紛うほどに濃い魔力を放ち続けている。だから徒人が立ち入ることなどあるはずのない場所なのだ。だというに、その人は平然と───いや、平然ではないか。
兎角として、森の中に人が歩いているのはおかしい。魔理沙の頭の中はそう結論付け、その人影を監視することにした。
ふらり、ふらりと足取りも覚束無い様子でその人影は歩いていた。馴染みのない人物が森の中を彷徨いていることに初めこそ好奇心の旺盛な視線を向けていたものの、次第に人影が立ち止まるようになって、さらには振り向いているような気配がするのが、魔理沙には不気味に思えてきていた。
(……なんだ、アイツ…)
普通じゃない───そう、思った途端だった。
どさり、その人影は倒れる。いや、地面に消えたのかもしれない。しばらく動向を窺っていたものの起き上がる様子もなく、それが却って不穏に感じてしまい、見に行くべきかやや葛藤ののち、草むらから身を乗り出してその人影の正体を確かめに行くことを決意した。
獣道から少しばかり逸れた草葉の陰に倒れていたそれは、やはり人だった。だが、違和感を覚え体を少しばかり俯瞰する。それでようやく気付いた。
左腕が無い。
しゃがみ込み、傷口を確かめる。関節から先が喪われており、鮮血は今なお滴っている。これ以上に血を失えば死んでしまうのでは、と思わせるほどにその顔色は悪い。
──男の顔だ。
壮年の、眉間の皺が酷く深い男。何より目立つのは、頬より上、目元から髪に至るまで白く染まった肌と髪。並々ならない雰囲気をその行き倒れの男から感じ取った魔理沙は、少なくとも自身が持つ応急手当の心得を駆使し、男を連れて帰ったのだった。
庭で死なれちゃあ、気分良く寝られない。
素直でない事を、誰にともなく心の内で言い訳しながら。
───狼よ、我が血と共に生きてくれ……
……ここは。
僅かばかりの湿気を感じる。
それに、何やら香ばしい。食い物の匂いだろう。これ程に涎が零れそうな程の香りを嗅いだことは、無い。
目を開くと、柔らかい布に包まれているのがわかる。ふわふわしており、温かい。布団だろう。だが、それにしては硬さを感じない。きっと、上等な材質なのだろう。
だが、誰が介抱してくれたのか。
任を果たせなんだ、ただの
「──おっ、目ぇ覚めたか」
「ふん、ふん…♪ 今日のご飯はシチューだぞ〜っと……」
上機嫌で鍋を火にかけて中のキノコシチューをかき混ぜる。あの後、偶然にも通りがかった道で食用茸を見つけたのは僥倖だった。
最低限傷の手当や止血を済ませ、男に精のつく料理を馳走してやろうと魔理沙は久々に鍋に手をかけたのだ。
普段ならフライパンに油を引き、適当に焼いて済ませるところを、わざわざ戸棚に眠っていた材料をかき集めたり、流石に使えそうにないほど腐ったものなど里まで降りて買い足してきていた彼女は、普段とは違う気の入りようだった。
そうして鼻歌を唄いながら鍋の火を消し、味を見る。
「……んーむ、美味いっ! 流石は私だ」
真面目に一人暮らしをしていた時に培った自炊の心得は、未だ落ちぶれてはいない。なかなか美味に出来上がったシチューを二つの皿によそってテーブルに置く。男が魘されていればそのまま寝かしてやって自分が二人分食い、起きていれば飯を食わせてやる腹積もりだった。
ベッドで寝ていた男は、上体だけを起こして辺りを見渡している様子だった。どうやら起きたばかりだったらしい。
「──おっ、目ぇ覚めたか」
「………」
鋭い目付きを隠そうとせず、隻腕の男はじっとこちらを見つめてくる。邪魔になった上衣や首布は全てハンガーにかけているため、男の私服は露になっている。ごく目立たない黒めの灰色。脱がせた足袋には泥だけでなく血も付着していた為、最低限露出しない部分以外は全て脱がせて、傷の止血に充てたのだ。
そのため、体は所々包帯でぐるぐると巻かれており、そこかしこから血が滲んでいる。
痛々しい姿だった。
「飯、出来てるぜ。 食うかい?」
男は鼻の穴を僅かに広げて匂いを嗅ぎとる。犬かよ、と思いもしたが、そこを敢えて口に出すほど無遠慮な人間でもない。口を噤みつつ、男が答えるのをじっと待った。
誇張抜きに数十秒以上の沈黙を経て、男は僅かに頷いた。
「……ああ」
それはしちゅう、という。
それを掬うための道具は、すぷうんとも。
その具材は茸だった。とても、うまい。
茸だが、忍びの任の折、齧ったことがある。笠から虫が這い出てきたのを覚えている。あまりうまいとは思えなんだものだが、やはり食わずして隠れ忍ぶ戦いなどできず、無心に咀嚼した事も忘れない。
……女の名は、
ならば、女はそれなりに高貴な出だろうか。
「どうだ〜美味いか? 美味いよなぁ〜、だって私の手作りだぜ? もっと味わいな。おかわりもあるぞ」
…口ぶりからそう考えるには、少し難しい。それに、もう頭が回りそうにもない。
無心でしちゅうをすぷうんで……正確には味に感動しては、だが、初めて食う味に手が止まらぬ。うまかった。
「そんながっつくなって、傷口が開くぞ」
言われた事は尤もだ。慣れぬ手つきだが、しっかりとひと口を噛み締めるため、残る右手ですぷうんを握った。
二日ほど立った。
魔理沙はあの傷の正体について考えていた。あの男は酷く無口で、装いもどことなくくたびれ切ったように見える。おまけのダメ押しとばかりに、刀を帯刀しているときた。
男はきっと、忍者なのだろう。口数は忍びに必要なく、くたびれた格好はごく目立たない。刀は、人を殺すため。そう結論付けると、今まで行き倒れでしかないとばかり思っていた男が急に、任に敗れた忍びに思えてきた。
そこで立ち返って考えてみれば、身体中に付けられた傷は刀傷の可能性が高いのだ。今は幾分か治りかけだろうが、左腕も獣に齧られて持っていかれたような歪な断面ではなく、スッパリと切り落とされたように綺麗だった。つまりは、刀などによって斬られたから。
「…お前はなんなんだ? おっさん」
「……言えぬ」
「だろうなぁ、忍びだものな…」
「……明かせぬ」
忍びなのは確定と見ていいだろう。なぜならこの男は誤魔化すのが下手すぎる。せめて別の何かだと濁せば良いものを、わざわざ知らぬ存ぜぬだけで通そうとしてしまえば、自分はそうだと言っているようなものだった。
「隠さなくてもいいぜ。お前を狙うやつはいないんだ」
「………」
「良かったら教えてくれよ。誰にやられたのかさ」
外からの刺激が長らく無かった魔理沙にとって、この出会いが後に幻想郷と呼ばれる、彼女達の楽園を揺るがすことになるとは、思いもよらなかっただろう。
「……言えぬ」
「またそれかよっ!」
…少なくとも今は。
しちゅう
どろりとしていて円やかの、口に解ける料理
専用の食器を用いていただくもの
看病をしてくれた女、霧雨魔理沙の手になる
中に入れられた茸は、覚えているものとは違い
味が染み込み、虫が這い出てこない
食べた事がないものだが、とてもうまい