塵埃の魔法少女【完結】   作:難民180301

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7. 風前

1月21日

 入院生活一日目。

 

 なんとなく私の家の電話にかけたら、ちょうど三人そこにそろってたみたいで笑った。すっかりたまり場になっている。

 

 ちょっと転んでケガして入院してる、と伝えた。入院場所は教えない。狭い病室にあいつらが来るとやかましくてたまらないから。

 

 落ち着いて考えると、これはちょうどいい機会かもしれない。

 

 三人はすっかりこの町、翠ケ原の魔法少女として有名になった。世間的には悪人である元魔法少女、ダストアッシュと懇意にしているというのは、今をときめく彼女達にとって醜聞になりうる。

 

 よって、このまま大人しく死んでフェードアウトするのが大人としての役割だ。

 

 きっとそう。

 

 間違いない。

 

 

 

1月22日

 三人、来た。

 

 話をした。

 

 カガネの自信がウザい、アオイはおせっかい、スイはゆるふわキャラがよく崩壊して忙しない。

 

 うるさくて落ち着かない一日だった。

2月10日

 やつら、毎日来る。

 

 暇なんか。

 

 

 

2月14日

 チョコおいしい。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 三が日が終わり、冬休みも終わった一月半ば。

 

 カガネ、アオイ、スイの三人は、寒風吹きすさぶ翠川の土手で身を寄せ合っていた。

 

「あんのちんちくりん……! 最近素直でかわいいなとか思ったらこれよ!」

 

 アオイが憤怒の表情で呟いた。

 

 放課後、いつもの修行場所で木村を待っても一向に現れない。満を持して買った固定電話にかけても応答はなく、寝ているのかもしれない。

 

 前回木村がサボった理由は雨と曇り空だったが、今回はからっとした晴天だ。

 

 どんな言い訳を並べるつもりかしらとつぶやくと、カガネが強く身を寄せて言った。

 

「たぶん寒いからサボったとか言うんじゃないかな……雨にも負けず風にも負けない私も今日は超寒いと思う!」

「鼻水出てますよ~、はいティッシュ」

「ありがと」

 

 鼻垂れカガネがスイからティッシュを受け取る。彼女の言う通り今日はとても寒い。吐く息は白く風が吹けば耳が痛くなる。雪の降らない翠ケ原の住人には耐えがたい寒さだ。

 

「この寒さ、もはや災禍だよ……!」

「この程度で災禍になったら北国は地獄よ」

「実際寒いところの魔法少女は大変みたいですよ~」

 

 おしゃべりしてもあったかくはならない。待ち合わせ時間はすでに十分過ぎており、大抵の場合三人より先に来ている木村が来ないということは、サボりで確定だ。

 

 このまま凍えていても仕方ない。苦情を言うため、それからいい加減携帯を買わせるために三人は木村の家へ向かう。

 

 いちいちインターホンに応対するのは面倒だからと、三人それぞれに与えられた合鍵でオートロックを開錠。部屋に上がった。

 

 通い慣れた木村の部屋は暖房が利いていて、冷えた少女たちの体を温める。彼女たちが通ううちに家具家電が増え、つい先日リビングにはこたつが設置された。

 

 寒い季節の天国めがけ、三人は小走りでリビングへ飛び込む。

 

「木村さぁん! 寒いのは分かるけど連絡してぇ!」

「今日こそ携帯買いましょ~!」

「木村ァ! 一人だけぬくぬくと……あら?」

 

 こたつでだらける木村を想定し、めいめい文句を垂れながら部屋へ入った。

 

 しかし木村の姿はない。

 

 暖房はついている。こたつの電源も入っている。しかし木村がいない。寝室や空き部屋、トイレももぬけの殻だ。

 

 カガネが思い至って玄関を見ると、靴がない。車いすとビニール傘も部屋のどこにもなかった。

 

「コンビニにでも行ったのかな?」

「帰ってきたらただじゃおかないんだから……寒い寒い」

「みんなでおかえりを言いましょ~」

 

 三人はひとまずこたつで暖を取った。隻眼で両足のハンデのある木村だが、両腕の筋肉にエンチャし、単独で入浴や車いすへの乗降ができる程度にはたくましい。すぐに帰ってくるだろう。

 

 しかし一時間たち、二時間たっても木村は帰らない。冬の日は短くすでに外は真っ暗だ。

 

「ど、どうするの? どこかで事故にでもあったんじゃ……!」

 

 一時間経過の時点でそわそわしていたアオイはパニックになっている。

 

 カガネは木村への信頼と心配な気持ちの間で揺れながら、現状の最善を考える。

 

「手分けしよう。アオイちゃんはここに残って木村さんを待つ。私とスイちゃんで探しに行く。いいかな?」

「わ、分かったわ」

「賛成だけどその前に、家族へ連絡しておきましょ~」

 

 外は暗く、中学一年の少女である彼女達が動くには遅い時間だ。家族に話を通しておく必要がある。

 

 言い出しっぺのスイが率先して連絡を取った。

 

「もしもしお母様? 小さめの災禍が出たみたいだから、ちょっと遅くなるよ~。大丈夫、二人も一緒だから」

 

 この内容なら少し遅くなっても怪しまれることはない。カガネとアオイも同様の連絡をした。

 

 準備が整ったところでカガネとスイは変身し、ベランダから夜の町に飛び込んだ。魔法少女の膂力をもって屋根と屋上を飛び跳ね、上空から木村を探す。一方、アオイはマンションの入り口で落ち着きなく体を揺らしながら、木村の帰りを待った。

 

 市街地を探し、郊外の工場や畑の周囲も探す。見つからない。待機するアオイからも連絡はない。

 

 時がたつにつれ三人の焦燥が増していく。ひたすらに強い木村への信頼とは裏腹に、折れそうに細い手足と華奢な体の印象が浮かぶ。

 

 捜索は午後十時にまで及び、何の成果もなかった。

 

「……」

 

 徒労感と焦燥感に囚われた彼女達は、言葉少なに携帯を取り出し、それぞれ家族に連絡。災禍退治が遅くなったので木村の家に泊まると伝える。

 

 そうして胸騒ぎでろくに寝付けない夜を、身を寄せ合ってやり過ごした。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 夜を明かした三人は、幸いにも土曜日だったので、朝から捜索を再開した。待機が一人、捜索組を二人で二時間ごとにローテーションし、木村宅を中心に円を描くように調べていく。

 

 結果的に、この調べ方は最悪手だった。ひどい焦りもあったのだろう。魔法少女の膂力で上から広い範囲を探すより、もっと簡単な探し方があったのだ。

 

 夕方、くしくもいつも修行をする時間帯。

 

 待機していたアオイが有力な情報が入ったとして二人を呼び戻し、部屋に集まった。そこで知らされた情報にカガネとスイは息を呑む。

 

「救急車で運ばれた!?」

「うん……マンション出てすぐのところで倒れたんだって。通りかかった人が教えてくれたわ……」

「聞き込みが正解でしたかぁ~……」

 

 スイが痛恨の面持ちで天を仰ぐ。最初から近所の人に聞けばよかった。

 

 そんなことより、とカガネは鼻息荒くアオイに詰め寄る。

 

「ってことは今病院だよね! どこ!?」

「たぶん──」

 

 と、そのとき電話が鳴った。弾かれたように振り返る三人。

 

 セールスしかかかってこないからと購入をめんどくさがり、ようやく買った後も気が向いたときにしか出ない不遇の固定電話。

 

 もしこのタイミングでセールスだったら速攻切る。ひったくるように受話器を取るカガネ。

 

「もしもし今取り込み中の私です!」

『そこは木村って言えよ。そしてなんでいるんだよ』

「木村さぁん!」

『うるさっ』

 

 昨日の夜からずっと探していた人物からの電話だ。うるさくなるのも無理はない。沈んでいたアオイの表情がぱあっと明るくなり、スイも真剣な面持ちのまま明るくなる。

 

「スピーカーモードってどうやるのぉ!?」

『知るか。説明書読め』

 

 幸い説明書を読まずとも、スイがぱぱっとボタンを操作してスピーカーモードにしてくれた。

 

 途端、受話器に食いつく勢いでアオイが身を乗り出す。

 

「倒れたって聞いたけど大丈夫なの!? もっと早く連絡よこしなさいよどれだけ心配したと思ってんの! 痛いところがあったらナースコール連打しなさい痛くなくても寂しいときに押しなさい多分来てくれるから! 病院食は味気ないけどちゃんと栄養考えられてるんだから残しちゃダメ──」

「アオイちゃんステイ!」

「むぐ」

 

 自分より興奮している誰かを見ると冷静になるものだ。延々とキャンキャン吠えてそうなアオイの口をカガネが塞ぐ。じたばた暴れてもみ合いになった。

 

 二人がもみくちゃになっている隙に、ゆるふわを封印したスイが口を開く。

 

「お身体は大丈夫なのですか?」

『へーき。ちょっとした立ち眩みだよ。今は絶好調だ』

「ということは、すぐに帰ってこられますか?」

『ううん、一応検査入院だって』

「でしたら色々と入用でしょう。我々がお届けします。どちらの病院に?」

『……えっとねぇー……西カテキン総合病院の、999号室』

「承知しました。ただちに向かいます」

『うん、お願いね』

 

 電話が切れた。

 

 三人が元気に立ち上がる。目配せで意思を交わし合い、入院生活に必要なものを準備していく。

 

 最終的に大きめの紙袋一つに収まったそれを手に、三人はマンションを出た。時刻は午後四時半。面会時間の終わりには余裕があるが、一刻も早く木村の顔を見たい。

 

 三人は大急ぎで西カテキン総合病院へ出発──

 

「待って。どこそれ?」

 

 しようとして、行き詰まった。

 

 カガネがスマホに病院名を入れて検索をかけるが、まるで見つからないのだ。

 

「なくない? そんなお茶の成分みたいな病院なくない?」

 

 スイの頬に冷や汗が一筋流れる。

 

「つーか、部屋番999って言ってたわね? 九階建ての大病院なんてこの町にも隣町にもないわよ」

「り、リダイヤルですっ!」

 

 冷や汗だらだらのスイは慌てて部屋に戻り、リダイヤルボタンを押すがつながらない。

 

 ツー、と無機質な電子音を鳴らす受話器を手に、しばし硬直するスイ。

 

 そしてその場に突っ伏した。

 

「ごめんなさいぃ~! 冷静なふりしてたんですぅ! 病院さえ分かれば大丈夫だってぇ、思ったんですぅ!」

「焦ったんだね、分かるよ」

「あちゃぁ……」

 

 三人は途方にくれた。

 

 木村が倒れ、病院に運ばれた。しかし木村は入院先の病院を、日本中探せばぎりぎりありそうでない名前に詐称した。嘘をついたのだ。

 

 木村はからかい半分で嘘をつくことはある。ただ今回のような、いたずらに人を困らせるだけの嘘は言わない。

 

 不可解な木村の言動と、行くべき場所を失った虚しさ。これからどこへ向かえばいいのか。

 

 一番に立ち直ったのは、カガネだ。

 

「とりあえず動こう。会いに行かなきゃ」

 

 顔を上げた二人に続ける。

 

「会って話せば色々分かるし、安心できると思うんだ。翠ケ原の病院は三つだけだし、総当たりで会えるよきっと」

 

 アオイとスイはしばし顔を見合わせて、首肯する。

 

「そうね。変なウソついた落とし前つけてもらわないと!」

「はい! スイをだました罰として、イヤってくらいナデナデしてもらいます!」

 

 再び三人は立ち上がり、奇妙なウソをついた木村をとっちめるため、病院総当たり大作戦を開始した。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 総当たりの一件目と二件目は外れ、翌日に訪ねた三件目の病院が当たりだった。

 

「木村さんっぽい魔力を感じる!」

 

 当たりはずれの判別は簡単、病院の近くまで行って三人で意識を集中し、木村の魔力を感じ取る。修行中のバリアとエンチャ傘光波を通して散々触れてきた力だ。意識を研ぎ澄ませれば近くにいるかいないか程度は分かる。

 

 木村を感じた三人はその病院の受付に木村の病室を尋ねる。訝しげな受付は「ああ、魔法少女のお弟子さんですか」と勝手に得心して、病室を教えてくれた。小さな町では情報が早い。

 

 伝えられた部屋番に向かい、扉をノック。返事がない。もう一度ノックするが返事がないので、じれったくなったカガネは扉を開けた。

 

「木村さん?」

 

 果たしてそこに、木村はいた。清潔な白いベッドの上に上体を起こし、鉛筆を手に小さな手帳と向き合っている。ページは真っ白だ。

 

 火葬場の遺骨。宙を舞う灰。風に散る塵埃。三人それぞれ、初対面で木村に抱いた印象を再び抱く。すべてが終わり、燃え尽きた白い少女。

 

 眠たそうに手帳を見つめていた木村は、胡乱げな視線を上げ、大きく目を見開く。

 

「やあやあ。北カフェイン診療所は見つかった?」

「西カテキン総合病院! 自分でついた嘘を間違えるなっ!」

 

 からかうような言い方に、アオイが速攻で噛みついていく。それですっかりいつもの四人の空気が戻った。

 

「木村さんひどいよー! なんであんなしょうもないウソついたの?」

「弱ってるところ見せたくなかったの。師匠の威厳にかかわる」

「なぁにが威厳よ。戦ってるとき以外は威厳ゼロのポンコツのくせに」

「年上に対する敬意が足りねえぞ青の字ィ」

 

 ぺしぺし叩き合うような、軽くて中身のないやりとり。四人が何度となく繰り返してきた日常。

 

 その空気に未だ戻れないのはスイだ。一人、深刻な顔で木村を見据えている。

 

「木村さん……お身体の具合は、本当に大丈夫なのですか?」

 

 スイの硬い声音にあてられ、カガネとアオイの表情も強張る。

 

 一方、問われた木村はなんてことなさそうに、にへっと笑った。

 

「大丈夫。ちょっと立ち眩みしてひっくり返っただけ。そう、カガネと会ったときみたいに」

「結構大事じゃない……?」

 

 どんがらがっしゃん、と派手に車椅子から投げ出される木村をそれぞれ想像する。もし目立つ怪我があれば大騒ぎ必至だが、見る限り木村に外傷はない。

 

「近くの人もそう思ったのかな、救急車呼んでくれた。したら一応頭打ったから様子見で入院。そんだけだよ」

「そう、ですか……」

 

 筋は通っているように思える。少なくとも、スイには嘘をついているようには見えない。カガネもアオイも同じく、木村の言葉を信用していた。謎のウソの動機についても、見栄っ張りな木村ならあり得る。

 

 三人は同時にほっと胸をなでおろした。

 

 今回の件はちょっとした事故に過ぎない。すぐに退院してあの居心地のいい部屋に戻ってくる。まただらだらしたり、修行をしたり、めぐる季節を共にしたりするようになる。

 

 この時はまだ、そんな風に考えていた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 木村のお見舞いに行った翌日も、その翌日も、木村は帰ってこなかった。

 

 少し風邪気味だから、目と足の具合もついでに見てもらうから。そんな名目で、一日だけだったはずの検査入院が長引いていく。

 

 たちまち翠ケ原を木村入院の報が駆け巡った。翠ケ原を守る魔法少女の師匠、ビニ傘の木村が入院している。小さな町に情報が拡散し、木村の個室は誰のものともしれない果物セットや花であふれた。

 

「これ全部食べたら入院費の元取れるんじゃね?」

「やめなさい、お腹壊すわよ」

 

 果物をドカ食いしようとしてアオイに止められる木村は、いたって健康に見えた。だからこそ、長引く入院への疑念が生じる。

 

 そういうものなのかも、と最初は三人とも思った。両腕へのエンチャでハンデのほとんどを解決し、当たり前のように一人暮らしをしている木村だが、本来はもっと設備の整った物件で介助を必要とする体だ。入院の予定が伸びたからといって、不自然ではない。

 

 とはいえ、限度がある。

 

 日ごとに違う理由で入院が長引いて一か月近く経った頃、三人は攻めの姿勢に転じた。

 

「ごちそうさま。おいしかった。形は重かったけど」

 

 二月十四日、バレンタインデー。木村はアオイの手作りハートチョコをぺろりと平らげ、満足そうに頬を緩めた。なお、スイは店売りの高級チョコ、カガネはコンビニのチョコ味アイスだったが、重要なのはそこではない。

 

「おやおや、おかしいですね」

 

 犯人を追い詰める探偵の気分でカガネが先陣を切る。

 

「木村さぁん、あなた昨日、入院延長の理由を聞かれてどう答えました?」

「うん? 確か虫歯が見つかったから……あっ」

 

 明らかに口を滑らせたとばかり、顔を逸らす木村。

 

 その隙を見逃すカガネではない。

 

「その通り! なのに手作りチョコを丸ごとぺろりってぇ、これはおかしいでしょう? ちなみにその前はお腹痛いから、その前は古傷が痛むから。特にお腹痛いは五回くらい繰り返してますよぉ?」

「四回よ、カガネ」

「四回らしいですよぉ?」

 

 木村は体ごとそっぽを向いて動かない。

 

 その口調やめろウザい。そんなツッコミとビンタを待ち構えるも、木村は何もしてこない。寂しさと虚しさがカガネの心を満たし、それは焦りに変じた。

 

「ねえ、木村さんてば──」

 

 窓の外へ向く木村の正面に回り込み、絶句する。

 

 木村は道に迷い、途方に暮れて泣く寸前の子供のような顔をしていた。そこにいるのは恐ろしく強く、不敵で面倒くさがりな木村とはかけ離れた、見た目通りにか弱い少女だ。

 

「今日は疲れた。もう帰って」

「あ、はい……」

 

 本当に疲れ切った声で告げられ、カガネは身を引くしかなかった。今の木村は亀裂の入った遺骨のようで、触れればもっと傷つく気がしたから。スイとアオイも口を噤んで病室を出て行き、その日は言葉少なに解散した。

 

 翌日。三人はいつもの放課後、木村の病室を訪ねた。

 

「まーた来たのか。もっと他にやることあるだろ」

 

 常らしい口調で苦笑する木村は、昨日の弱った姿が嘘だったように元気いっぱいで。穏やかな日常のやりとりを繰り返し、三人は芽生えた不安の種から目を逸らした。

 

 木村はきっと大丈夫。案外病院での生活が気に入ったとか、病院食が好みだったとか、しょうもない動機で入院を長引かせているだけ。そう信じて三人はお見舞いを続けた。

 

 そして迎えた三月。

 

 平穏な日常が終わりを告げた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 木村の病室に入ると、花と果実の甘い香りがする。悪くはないけれど、木村本人の落ち着く匂いが感じられないのを三人は残念に思う。

 

 毎日放課後の時間帯にやってくる彼女達は、珍しくお昼過ぎの時間帯にやってきた。期末テスト週間が始まり、終業が早まったのだ。

 

「木村さーん、師匠を慕うかわいい弟子の私たちが──おっと」

 

 普段と違う時間帯にやってきたからか、それともお昼ごはんを食べてすぐだからか、木村はベッドで眠っていた。慌てて口を閉じるカガネ。

 

「……」

「アオイさん、無断で寝顔を撮るのは良くないですよ~」

「ち、違うわよ! 後でからかってやろうと思っただけで……」

「なおさらダメですね~」

 

 スイがアオイのスマホを没収しつつ、三人そろって忍び足で近づいていく。勝手知ったるという風に、パイプ椅子を静かに設置していく。

 

「あれ?」

 

 すると、カガネが声を上げる。

 

 仰向けで眠る木村の胸に、古びた手帳があった。緩んだ手のひらには鉛筆がある。書き込んでいる最中に寝てしまったのだろう。

 

 その手帳は、木村宅でも時折一人で何か書き込んでいたのを見たことがある。聞くと、木村は『日記』と答えた。

 

『私は要領が悪いから、せめてメモとか日記をつけて毎日教訓を得ろ、って言われてね。まあ結構サボるけど。あっ、もちろん中見たら殺すね』

 

 カガネはごくりと唾をのむ。

 

 日記ということは、木村が抱え込んでいる何かが綴られているかもしれないわけで。そうでなくとも、ナチュラルに殺す宣言をするくらい重要な情報があるかもしれないわけで。

 

 花に誘われる虫のように、カガネの手が日記へ伸びる。

 

「ぐぬ……」

 

 迷い、アオイとスイを振り返った。二人は何か言いたげに口を開こうとして閉じるのを繰り返している。カガネと同じく迷っているのだろう。

 

 カガネはたっぷり十秒間、パントマイムのごとく日記の上で両手をうごめかせて、

 

「い、一ページだけだからっ!」

 

 苦しい言い訳で罪悪感に蓋をして、ついに日記を手に取る。

 

 そして最初に目に入った一文に、頭が真っ白になった。

 

『私、もうすぐ死ぬらしい』

 

 

 

ーーー

 

 

 

 絶句し、ページを閉じて、三人そろって呆然自失となって間もなく、木村が目を覚ました。

 

 通夜のような重苦しい空気と俯いた三人の表情、カガネの手にある日記を目にして、木村は一言。

 

「あのね君たちぃ、人の日記を覗くやつは一族郎党死刑って法律があるんだよぉ?」

「……ごめんなさい」

「あら」

 

 拍子抜けした風に木村が首を傾げる。罪が重い、とツッコミを入れる気力は誰にもなかった。

 

 長びく入院、ふとしたときに木村が見せる弱り切った雰囲気。すべてにつじつまが合う。

 

 一つ深呼吸して、カガネが顔を上げた。

 

「勝手に見たのはごめん。でもホントなの? もう長くないって……」

「……よりにもよってそこかぁ……」

 

 思いっきり顔をしかめる木村。

 

 ため息をつき、起こしていた上体をベッドに投げ出した。天井を見上げながら、軽い口調で言う。

 

「本当だよ。たぶん三月中には終わるね」

 

 カガネたちが息を呑む。続く声は震えていた。

 

「な、なんでっ……」

「なんでって、それに書いて……なかったな、そういえば」

 

 カガネの手にある日記を一瞥し、思い出したようにつぶやいて、また天井に視線を戻す。木村の態度と口調はどこまでも軽く、まるで他人事のようだ。

 

「確か四年前、いや五年前だっけ。でっかい災禍と戦ったときの影響だよ」

「……四年前、疫禍との戦いですか」

「それそれ。よく知ってるねスイ」

 

 四年前に発生した破滅級災禍、疫禍。短期間で過ぎ去る他の災禍とは違い、致命的な伝染病という災害を長期間にわたって蔓延させる最悪の災禍の一つ。歴史上では一体の疫禍によって数千万もの人命が失われたとして、中学の世界史でも教えられている。

 

 それほど重大な災禍が四年前に発生し、一人の魔法少女がこれを退治したのはカガネたちも知っている。ただ、その魔法少女が木村であることはスイしか知らない。

 

「えっ、木村さんってダストアッシュだったの!?」

「道理で強いわけだわ……」

 

 当時最強と謳われ、称えられ、メディアにも散々英雄として持ち上げられた魔法少女ダストアッシュを知らない者はいない。その末路も。

 

「まあまあ、それはいいとして。ほら、病気をまき散らすやべー災禍だったからさ。戦ってるときに感染して、色んな内臓が壊死したわけ」

 

 淡々と、何の感情もなく続ける木村。

 

「それを魔力で補ってた。言ったでしょ? 魔力はその気になればなんでもできる超絶万能便利エネルギー。死んだ内臓を無理やり動かすことだってできた。だけど……」

 

 一息の間を置く。

 

「年を取れば魔力は減る。こんな見た目だけど私はもう二十一歳だ。生きるのに必要な魔力が日に日に減ってく。今だってかつかつで、三月中には足りなくなる」

 

 木村は三年前の戦いで、医学的には死体と同等の体になった。精密な魔力操作を常時続けることで生き永らえてきたが、加齢による魔力減退が著しく、生命維持に必要な魔力がじきに賄えなくなる。一か月前に倒れたのも、生きるための魔力が一時的に不足したことによるもの。

 

 木村はすでに死んでいた。魔力というずるでだましだまし生きてきたが、ずっとは続かない。魔力とは依り代としての適性が高い少女に宿る超常のエネルギーであり、大人になるにつれ減じ、いずれはなくなる。

 

 そのときが来ただけ。むしろよく今まで保ったものだ、と木村は結んだ。

 

「と、まあそういうわけ。うわっ」

 

 アオイに抱き着かれ、目を丸くする。

 

「そんなのあんまりじゃない……!」

 

 絞り出されたアオイの声は、ひどく震えている。

 

「戦って、戦って……死んでも戦い続けた末にあんな仕打ちを受けて……それで大人になったら死ぬって……おかしいわよ、こんなの!」

 

 アオイが思い返すのは、一年前のダストアッシュを巡る騒動。世間の大多数は、犠牲者を出したダストアッシュの不手際を攻め、つるし上げることで彼女を消費した。その頑張りの内実に目を向けず、公の場で感情を露わにした点のみを強調した。

 

 その風潮が気にくわなかった。ダストアッシュは頑張ったのに、と言いたかった。けれど力のない女の子の話を世間は聞いちゃくれない。

 

 だから魔法少女になろうと思った。彼女と同じくらい強く勇敢な魔法少女になれば、話を聞いてもらえる。ダストアッシュは頑張ったんだと、どんなに傷ついても頑張ってくれたんだと言いたかった。どこかで生きている彼女に、その言葉が届けばいいと思った。

 

 実際は、彼女はすぐそばにいて、もう生きられない体になっていた。理解すると同時、アオイの体は勝手に木村を抱きしめ、とめどない涙があふれた。

 

 パジャマを濡らすアオイの頭を、木村はゆっくり撫でた。

 

「ほらね。君たちは優しい。勝手に同情して勝手に傷つく」

「だから……隠してたんですか?」

 

 スイが問う。彼女の目元にも雫が光っている。

 

 木村は意地の悪い笑みを浮かべ、首を横に振った。

 

「君たちを傷つけないようにって? 私はそんないいやつじゃない。すごぉーく勝手な理由だよ」

「それって……」

「内緒」

 

 それきり、言葉は絶えた。アオイの号泣とスイの嗚咽だけが病室に響く。

 

 一方、カガネは何も言わない。俯きがちで突っ立っているのみだ。日記を持つ手がだらりと体の横に垂れている。

 

 木村との付き合いはほんの一年弱。だが少女たちの心に、木村は大きな居場所を築いていて──あまりに早く訪れる別れに、感情の抑えがきかない。

 

 子供のように、むしろとても子供らしく、少女たちは思うさま悲嘆にくれる。その様子は、検査のためやってきた看護師を外に留まらせるには十分な効果があった。

 

 しかしどんな思いも感情も斟酌せず、予兆も前振りも何もなく、それらは唐突にやってくる。

 

「ん?」

 

 携帯のアラームが鳴る。三人のものだが、彼女らは気にする余裕がない。

 

 アラームが鳴りやまないうちに、病室が揺れた。比喩ではなくぐらりと波のような揺れが襲い、天井の蛍光灯がカタカタ音を立てる。

 

 木村は反射的に窓の外へ目を向けた。

 

 冬の晴れた空。雲一つない晴天に照らされた翠ケ原の街並み。

 

 その中央に、ぬめりけのある黒い影がうごめいている。

 

 すぐそこに居るように見えて、実はずっと遠い。距離感が狂うほどの巨体。平らな楕円形の体と広い口、二対四本の長いひげを持っているそれは、

 

「うわっ、震禍だ」

 

 木村が心底うんざりした顔で言った。

 

 地を震わせる災害をもたらす震禍は、災禍の中でもかなり脅威度が高い。規模の大きさもさることながら、とにかく発生が唐突なのだ。陸上であればどこでも、いつでも発生し、甚大な被害をもたらす。

 

「ぐすっ、こんなときに、災禍なんて……!」

「すぐに倒してやります……!」

 

 泣きじゃくっていたアオイとスイが顔を上げ、窓の外を睨みつける。変身機の指輪に手を添え、戦闘衣装姿に変身した。

 

 カガネも無言で変身し、三人は病室の窓に足をかける。

 

「待っ……」

 

 慌てて呼び止めようとした木村の息が詰まる。喉の奥から鉄臭いものがこみ上げてきて、同時に胸が針で突かれたように痛い。倒れたときと同じ症状だ。

 

「木村っ!」

「木村さん!」

 

 アオイとスイは木村に寄り添う。が、先ほどよりも強い揺れが病室を襲うと、逡巡の末、遠方の震禍に向き直った。

 

「ぶっ倒す!」

「うん。カガネさんも、早くっ!」

 

 二人は先んじて病室の窓から飛び出していく。

 

 胸を抑え、苦しむ木村に最後まで寄り添っていたカガネは、迷いを振り切るように窓へと走った。

 

「この戦いが終わったら、話したいことがある! ちょっと待ってて!」

 

 そうして一人、木村は残された。古びた日記帳がベッドに捨て置かれている。カガネが置いていったようだ。

 

「くっ……そぉ……!」

 

 いくら息を吸っても息苦しさが収まらない。壊死した肺を動かしていた魔力が不足し、呼吸困難に陥っているのだ。心臓にも足りていない。

 

 目減りしていく魔力を意識的に心肺へ回すことで、少しずつ症状を緩和させていく。

 

 どうにか息ができる程度に落ち着いたところで、木村はベッドを殴りつけた。

 

「もうっ! なんでこんなときに!」

 

 災禍は一定時間内に倒せば災害の発生をキャンセルできる。だからとにかく急いで退治に向かった三人の対応は適切だ。

 

 が、災禍のサイズと強さは比例する。あれほど大きな震禍ともなれば、災害発生前に倒すどころか、返り討ちに遭う公算が高い。

 

 だから呼び止めようとしたのに、体がそれを許さなかった。最悪のタイミングに木村は歯噛みする。

 

 三人が殺される前に戦いを止めさせなければいけない。

 

 ルーチン化された動作で、日記帳をパジャマのポケットに入れる。

 

 一呼吸おいてから、ベッドの下へ身を投げた。

 

「いたっ……」

 

 落下して体を打ち付ける。痛みをこらえ、折りたたまれた車いすへ向かった。背もたれにはビニール傘、手間が省ける。最低限の魔力で両腕を強化し、力づくで体を車いすへ乗せる。

 

 病室を飛び出す。幸いエレベーターはまだ止まっていない。階下へ降り、遠く見える震禍目指して車輪を回した。

 

「死んだら許さないからなぁ……!」

 

 このままでは三人が死ぬ。その焦りが、死に体の木村を駆り立てる。戦いを止めさせて、三人を逃がさなければ──

 

 そこまで考えて、木村の頭が冷えた。

 

 仮に三人の蛮勇を止めたとして。戦わなければ途轍もなく大きな揺れが発生し、多くの被害が出る。当然、彼女達はそれを分かっているはずだ。

 

 分かっていて、戦うのを止めるだろうか。

 

 あれほど優しく、この町を愛している少女たちが、自分の命を省みるだろうか。

 

 考えるまでもない。

 

「ふぅーっ」

 

 木村は車輪を止めた。

 

 市街地の路上、着の身着のままで避難していく人並の中、空を見上げる。日記帳を開き、さらさらと走り書きを綴り、仕舞う。

 

 眼帯を外す。濁り、焦点の合わない瞳に光が灯る。細く、折れそうな素足に魔力を流した。動かない足を動かすのは、内臓を動かすよりは簡単だ。消耗する魔力量は、ずっと多いけれど。二本足で地面を踏みしめ、立ち上がる。

 

 残りの命そのものである魔力を使い、意識を集中する。必要なのは戦う意思。それを形にして(よろ)う想像力と、機械じかけに匹敵する精密な制御。

 

 白い魔力が輝いて、木村の全身を包み、弾ける。

 

 変身は成った。遺骨のように熱く、灰のように虚しく、塵埃のように価値のない、灰色の戦闘衣装。

 

 魔法の武器さえ持たない彼女は、車いすの背もたれにかけた、ビニール傘を手に取る。

 

 二度三度と振って感覚を確かめると──魔法少女ダストアッシュが、災禍へ向けて跳んだ。

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