翠ケ原の魔法少女による震禍退治は、難航していた。
「近づけないぃ……!」
市街地にて、赤青緑の順に並ぶ三人の魔法少女。それぞれレッドエッジ、ブルーアビス、グリーンゲールである。
彼女らの視線はまっすぐ前方、一キロ程度離れた個所にそびえる黒い巨体──震禍に据えられている。
それは巨大なナマズだった。ビル程度なら丸のみできそうな幅広の口と、感情のない瞳、粘液に覆われた平たい体。おそらくキロ単位の全長を持つ体を横たえているが、接触している路面や建物に傷はなく、一部はすり抜けている。
災禍は物理的な干渉を受けず、またできない。損傷を与えられるのは魔力攻撃、すなわち魔法少女の力だけである。
「もう一回行くよ! せーの!」
レッドエッジが号令をかけ、一列縦隊で突進する。魔法少女の膂力によるそれは自動車の速度を超えている。
瞬間、震禍の口元で何かが閃く。
レッドエッジはその動きを見切り、身の丈ほどもある大剣を盾のように掲げる。
「ぐぬっ」
ガイン、と大剣が鈍い音を立てた。衝撃を逃がし、突進を継続する。鞭のように閃くひも状の何かが、連続して飛来し、レッドエッジの突進を阻もうとする。
その正体は、震禍の口元に生える二対四本のヒゲだ。災禍を倒しうる魔法少女の接近を、本能的に拒んでいる。
超高速のヒゲによる打撃を二度、三度と大剣で受け止め、円形の赤いバリアも駆使して少しずつ近づいていく。しかし二十もの回数に達したとき、レッドエッジの体力が限界を迎えた。
「くうっ!?」
バリアが砕け、ひげが大剣に直撃。腕がしびれ、衝撃を逃がすのに失敗し、後ろへ大きく跳ね飛ばされる。後続の二人も後ろへ跳ねて後退し、レッドエッジを受け止めた。
「大丈夫ですか、カガネさん!?」
「だいじょぶ。だけど埒が明かないね」
「近づかないことには何もできないわよ!」
三度目のアプローチも失敗に終わり、三人はもどかしげに遠い震禍を睨む。
震禍のヒゲの射程が異様に広い。レッドエッジたちにも遠距離攻撃の手はあるが、ヒゲの射程には遠く及ばない。
何度も接近を試みているが、ことごとく跳ね返されている。二度目のアプローチではレッドエッジの体力限界まで耐えてから物陰に隠れてみたが、ヒゲは物質を透過するのだ。災禍は物理的干渉を受けず、天敵である魔法少女にのみ攻撃が通る。
グリーンゲールは考える。おそらく姿を隠しての接近も無駄だろう。ヒゲは物陰に隠れても正確に狙ってきた。本能的に居場所が分かるのかもしれない。
「手分けして三方向から……ううん」
口に出し、即座に否定。ヒゲの一撃を受け止められるのはレッドエッジだけだ。ヒゲの手数は分散されるが、視認さえ難しいヒゲは回避困難。近づく前に被弾するのが目に見えている。
ならどうすればいい、考えている時間はない。こうしている間にも、周期的な揺れは強くなってきている。このままではあの巨体相応の大災害が──
「よーしこれでいこう!」
レッドエッジが閃いたようだ。
「名付けてふわふわどっかんキャノン作戦!」
が、作戦の内容を聞くにつれ、表情が険しくなっていく。
「そ、それはちょっと……」
「場当たり的というか、なんというか……ううん。やるしかない! やってやろうじゃない!」
そろって難色を示したものの、ブルーアビスはぶんぶん首を振った。
「悩んでる時間も惜しいわ。やるわよっ」
突拍子もない奇策。しかし現状、他に手が浮かばない。グリーンゲールも覚悟を決める。
ヒゲの射程間際まで距離を詰め、レッドエッジの首にブルーアビスがしがみつく。
同時に水球を生成。最大火力であるアクアキャノンを二十発分、発射準備を整えておく。この大技の準備中、ブルーアビスは動けない。
レッドエッジは自慢の大剣を構え、震禍に背中を向け、グリーンゲールと向き合う。
レッドエッジの正面で、グリーンゲールが弓を目いっぱい引き絞る。
通常の矢はつがえない。周辺の大気を制御下に置き、極太の風の矢に収束させる。
視線を交わし合い、それぞれの準備完了を確認。
レッドエッジが号令をかけた。
「せーの!」
絞られた弦が解放され、莫大な空気圧が突風となってレッドエッジに迫る。
グリーンゲールの風の魔法。それを大剣の腹で受け止め、踏ん張ることなく、斜め上に吹っ飛んだ。
先ほどまでの突進とはわけが違う、呼吸すら難しい高速移動。仰角をつけたことで建造物を飛び越え、緩やかな放物線の軌道で間合いを詰めていく。
とっくにヒゲの間合いだが、攻撃は来ない。ヒゲが速度についてくるか否かは博打だったが、どうやらこの点はクリアしたようだ。
暴風にぶっ飛ばされた速度が落ちる直前、レッドエッジの大剣が爆ぜる。
「どかーん!」
レッドエッジの火の魔法。爆発的な火炎が落ちかけた速度を底上げする。震禍との距離がみるみる詰まる。
突風と爆発による二段階加速により、最大火力を有するブルーアビスを必殺の間合いまで運ぶ。これがふわふわどっかんキャノン作戦の全容である。
震禍の巨体が目の前に迫っている。
ブルーアビスは、レッドエッジの首に回していた腕を離した。斜め下に位置する震禍へ、慣性で近づいていく。
二対のヒゲが慌てたように動き出す。
しかしそのときにはもう、ブルーアビスの射程内だ。
「アクアキャノン!」
裂帛の気合と共に、二十条もの超高水圧流が発射される。狙い違わず震禍の巨体を穿ち、着弾点が水蒸気に包まれた。
木村との修行によって威力も同時発射数も増したそれは、並みの災禍なら一条で屠る威力を有する。いかに巨大な体とはいえ、この距離で最大チャージを当てたのだ。ブルーアビスだけでなく、レッドエッジもグリーンゲールも勝利を確信した。
だが、災禍の力は計り知れない。
「……っ!?」
水蒸気の柱が切り裂かれ、ブルーアビスは反射的にトライデントを手元に呼び出し、体を庇う。
直後、木の幹ほどもあるヒゲがしなり、ブルーアビスを打ち据える。あっけなくトライデントがへし折れ、ピンボールのように跳ねた彼女の体が、バカげた勢いで吹き飛んでいく。
「アオイちゃんっ!」
一足先に着地していたレッドエッジが、落下地点へと走る。
落下する間際に滑り込み、どうにか受け止めた。
ブルーアビスはぐったりとして動かない。息はあるが、腕が妙な方向へ曲がり、頭から出血している。意識がなくなったことで変身も解除されている。戦える状態ではない。
「く、もうっ!?」
手当する暇もなく、四本のヒゲが四方から迫る。二人がいるのは震禍のすぐ近く、ヒゲの射程内である。
必死で大剣を盾にするが、四本のヒゲをすべて防ぐことはできず、背中や足を殴打されていく。魔力のバリアも防御に回すものの、焼け石に水だ。
物陰に隠れても意味はない。レッドエッジに残された道はブルーアビスを庇いながら射程外へ撤退するか、目前の震禍を倒すかである。
震禍も無傷ではない。ブルーアビスの魔法は、その巨体の中央に大穴を穿っている。確実にダメージは与えている。
とはいえ、四方から襲い来るヒゲの猛攻を無視して攻めるなど、到底不可能だ。撤退も同様に難しい。作戦はブルーアビスによる一撃必殺を前提としており、元より撤退については考えていなかった。
万事休す。レッドエッジに打てる手はない。
「それでも……それでもぉっ!」
にもかかわらず、彼女の目から光は消えない。
震禍を倒さなければ被害が出る。たくさんの人が死ぬ。そのたくさんの中には、家族も、学校の友達も、仲間もいるし──戦いの果てに擦り切れた、白い少女もいる。
自分が頑張ることで、大切なものを全部助けられる。
素敵で甘くて夢見がちな志を、レッドエッジは諦めない。ヒゲに打ち据えられながら、逆転の目を探し続ける。
絶望を認めない、みっともない悪あがき。
その粘りによって稼いだ時間こそ、起死回生の一手だった。
「ワハハ、ザコめ」
唐突に攻撃が止む。すぐそばで、聞きなれた少女の声がする。
大剣の陰で丸めていた体を起こす。
そこには、ひどく、虚しいほどに白い装束の魔法少女──ダストアッシュの姿があった。
「その程度の力で誰を助けるってんだ、おん? なーんて、もう言えないな」
ダストアッシュは目を細め、レッドエッジの大剣とバリアに守られた、ブルーアビスの姿を見やる。
「一年足らずで、震禍とここまでやりあえるようになった。すごいよ君ら」
「木村さん、なんだよね……? その目と足は……」
「変身したら治るんだよ。変身機ないから、脱法変身なんだけど」
ダストアッシュは二本足で立ち、眼帯を取り去っていた。力強い立ち姿と木村が結びつかず、レッドエッジは困惑する。
不意に、視界の端で何かが動いた。ヒゲ攻撃だ。
「あぶな──」
「おっとと」
ダストアッシュの姿がぶれる。
次の瞬間、巨木の幹を思わせる何かが地に落ち、塵と化した。
ダストアッシュはいつものエンチャ傘を振りぬいた姿勢を取っている。ヒゲ攻撃を完全に見切り、切り落としたようだ。
「ウソぉ!?」
続けてもう一本のヒゲが襲い来る。当然のようにエンチャ傘で切り落とし、攻撃が止んだ。四本すべて無力化したようだ。
「切ると再生するから急がなきゃ」
と言って駆け出そうとして、「ああ、そうそう」と振り返るダストアッシュ。
「遠くから見てたよ。ヒゲ切る以外にあんな手あるんだってびっくりした。よく頑張ったね。それから、日記帳の最後のページ読んでね」
「えっ、どういう」
レッドエッジに背を向け、ダストアッシュは今度こそ振り返らない。
そして一言、言い残す。
「ばいばい」
姿が掻き消えた。エンチャ傘の輝く奇跡だけが、白い帯として見える。
光の帯は震禍の巨体を駆け上がり、ブルーアビスの空けた穴の上に至る。ひと際輝きを強くすると、その光のすべてを凝縮したような、眩い三日月形の光波が放たれた。
光波は穴の表面で拮抗したが、程なく震禍の体を食い破り、真っ二つにする。震禍の巨体は塵と消え、徐々に強くなってきていた揺れは収まった。
後には嘘のように静かで、平穏な翠ケ原の街並みが戻ってきた。
絶望的な状況が、驚くほどあっけなく覆った。レッドエッジの体から力が抜け、変身が解除される。
「カガネちゃん、アオイちゃん!」
グリーンゲールが飛んできた。へたりこむカガネとアオイに駆け寄り、変身を解除する。
「二人ともケガを……!」
「あ、私は平気、ちょっとあざできたくらい。アオイちゃんは」
「ううん……いたっ、いたたた!? 腕、腕どうなってる!?」
アオイが意識を取り戻すなり、折れた腕を痛がり出した。
「大丈夫ですよー」
スイが服を裂き、折れた骨の位置を整え、首に下げるまでにひと悶着あった。
「はあ、痛かった……で、よく覚えてないけど、私の魔法で倒したってことでいいのよね?」
アオイの記憶は、必殺の魔法を使った直後で途切れていた。
弾んだ声音に対し、スイが首を傾げる。
「いえ、なんだかすごく白い魔法でしたよ。まるで木村さんのような」
「木村が今の状態で戦えるわけないでしょ。第一変身機がないんだし。ああ、そうだ、木村……」
アオイとスイの顔が曇る。戦いの前に聞かされた、木村の余命のことを思い出したのだ。木村の命はじきに尽きる──
そこで、やっとカガネが我に返った。
「木村さん──ダストアッシュ!」
極限状態からの解放感、白昼夢のような現実感の薄さから復帰し、激しく思考が回る。
弾かれたように立ち上がり、震禍のいた方向へ走る。アオイとスイの呼び止める声は耳に入らない。
変身すれば速いことも忘れ、無我夢中で走る。住民のほとんどは避難しており、遮るものは何もない。
そしてたどり着いた場所は小さな公園。その中央に、白い少女が倒れていた。
「木村さん、木村さんっ!」
呼びかけに返事はない。小さな口から血が流れている。愛用のビニール傘は折れ曲がっていた。
遅れて追いついてきたアオイとスイは、倒れた木村を前に愕然とする。
「そんな、どうして……」
「なんでよ。だって木村は変身できないんじゃ……」
木村は変身機の指輪を持っていない。
かといって戦えないわけではないが、今の木村はわずかな魔力で命を長らえている状態だ。戦いに回す魔力などあるはずがない。だからこの場で倒れている道理がない。あってはならないのだ。
だってそんなことをすれば──
「救急車っ……ううん、直接!」
カガネは再び変身し、木村を抱き上げる。かくん、と力なく首が揺れ、腕がぶらぶらと揺れる。
今にも泣きだしたいのをこらえて、可能な限り素早く優しく、病院へ運んだのだった。
ーーー
点灯する『手術中』のランプ。リノリウムの床に設置された横長のベンチに、憔悴した様子のカガネ、アオイ、スイの三人が腰掛けている。
震禍との戦いを終えてすぐに木村を病院へ運び、緊急手術が始まって一時間。時刻は午後五時半を回り、外はもう薄暗い。三人は身を寄せ合い、一言も発しない。
張り詰めた空気を裂くように、手術室の扉が開く。手術衣をまとった沈痛な面持ちの男性が出てきた。
跳ねるように立ち上がり、詰め寄る三人。
「木村さんはっ!?」
「……手は尽くした。明日の朝までに、お別れを済ませておきなさい」
「な……っ」
言葉を失う三人から、医者は目を逸らさない。
「かろうじて体を保たせていた魔力を戦闘に回したんだ。彼女も覚悟の上だろう。人の命にかかわる者として、私は彼女に敬意を表する」
必要な連絡は以上なのだろう。何か思い出したように医者は踵を返し、手術室へ戻っていく。するとまた戻ってきて、消沈するカガネたちに一冊の本を手渡した。
「彼女が持っていたものだ。君たちに渡しておく」
それは古びた日記帳だった。肌身離さず持っていた大切なもの。形見という言葉がカガネの頭をよぎり、涙がこみ上げてくる。
力が抜けてベンチに座り込む三人。医者はかける言葉もなく、自分の仕事に戻っていく。
静かな通路に、三人の、いや、アオイとスイのすすり泣きの声が響いた。
カガネは一人眉根を寄せ、日記帳を見つめている。その顔は絶望よりも、熟慮の色が濃い。
「二人とも、見て」
涙に濡れた顔を上げるアオイとスイ。カガネは感情を押し殺して続ける。
「木村さん、助けに来てくれたとき言ってた。日記帳の最後のページを読めって」
どんな意図かは分からない。ただ、木村が今の状況を見越し、何か重要なことを書き残したのかもしれない。
一縷の希望を期待して、カガネは最後のページを開く。
ーーー
私はいつ死んでも良かった。
だけど生きたいと思えた。君たちと会えたから。
だから嘘をついた。これ以上、生きたくなったら辛いから。
なのに君たちは会いに来た。会いに来てくれた。
おかげで死ぬのがとても怖い。
けれど、やっと答えを見つけた。先輩が命をかけた理由。
私も、答えに殉じる。
ありがとう。
ーーー
走り書きで、共有する文脈がなければ伝わらないほど、簡潔な言葉。そこに込められた意味は、三人が求めた希望ではない。
感謝と別れ。これは木村の遺書だ。
「何よ、これ……」
アオイがわなわなと震えている。
「生きたいなら生きればいい……死ぬのが怖いなら逃げればいいじゃない。なのに……なんで勝手に死んでんのよ。訳わかんない。答えって何? 何考えてんのあいつ? 意味不明なんだけど……」
「アオイさん、しっかり……!」
「ふ、うぅぅうっ……!」
アオイがスイの胸に顔をうずめる。二人は固く、痛みを分かち合うように抱き合った。どれだけ強く抱きしめても、心の穴は埋まらないけれど、他に方法を知らないから。
「ふぅん」
一方、カガネは冷静だ。いっそ冷徹と言っていいほど、表情の抜け落ちた顔で日記を見つめている。
日記を閉じ、しばし瞑目。
開いたときにはもう、カガネらしい根拠なき自信にあふれた顔に戻っていた。
両手で頬を張り、ベンチを立つ。
「考えが甘かったね、木村さん。こういうの、因果応報って言うんだ。地元で一番物知りな私は知ってる」
「カガネさん……?」
「カガネ?」
訝しげに見上げる二人に、手を差し伸べる。
「アオイちゃん、スイちゃん。力を貸して」
二人はきょとんとして、まだ話を呑み込めていないようだ。
構わず畳みかける。
「木村さんはね、人にあれだけ優しくして、命がけで助けるくせに、自分は誰にも助けられないのが当たり前だと思ってる。どこの常識か知らないけど、この町じゃそんな道理は通じない。それを分からせてあげないといけない」
だけど、と一拍の間を置いて、
「地元で一番強くて優しい私でも、さすがに一人だと厳しい。だから力を貸して。私たちがどれだけ木村さんを好きなのか、一緒に分からせに行こうよ」
それだけ言って、口を噤んだ。二人の返答を待つように。
具体性に乏しく、全体的にふわふわしている。なのに言葉の端々に根拠不明の自信が漲っていて、丸い瞳の中には本気としか思えない気迫の炎が燃えている。
赤根カガネはいつもこうだ。相手が誰だろうと先陣を切り、状況がどれだけ厳しかろうと諦めない。傲岸不遜な自信を胸に突き進むうち、なぜか無理が通ってしまう。
そんなカガネに助けられてきたアオイとスイだからこそ、希望の光を取り戻す。
涙を拭い、二人はカガネの手を取る。
三人の延長戦が始まった。