塵埃の魔法少女【完結】   作:難民180301

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エピローグ:塵埃の行く末

 これは夢ではなく走馬灯だ。身体の感覚はなく、意識だけがふわふわと揺蕩うのを感じながら、木村はそう確信した。

 

 思った通り、意識のスクリーンに自分の半生が投影され、めまぐるしく巡っていく。

 

 始まりは、見渡す限り広がる瓦礫の山。舞い散る塵埃が体に降り積もり、そのまま埋もれてしまいたかった。忘れられない原風景。

 

 夢のように場面が飛び、次の思い出はかわいそうなものを見る目でこちらを見下ろす魔法少女の先輩だ。

 

『いぃーやぁー……まーじで名前の通りゴミカスみてえな素質だな。魔法は使えない、武器もない、魔力量もない。きっっっつ』

 

 親が死に、魔法少女になって最初に言われた言葉。

 

 先輩は容赦なく、辛辣に木村をこき下ろし、そして鍛えた。

 

『エンチャとバリアだけは誰でもできるから、とりあえず極めろ。ミクロン単位で制御できるようになれ。魔力量も増やせよ、じゃなきゃ死ぬぞ』

 

 才能のない木村に戦う術を教えた。

 

『お前は飲み込みが悪い。メモとか日記とかで毎日復習しろ。ちょっとでも強くなれ』

 

 要領の悪い木村に、強くなるコツを教えた。

 

『しんどいときはおいしいもんをたくさん食え。そんでたくさん寝ろ。次の日には元気いっぱいだ。えっ、味がしない? えっ、あっ……ごめん……』

 

 落ち込む木村に持論を語るも、地雷を踏み抜いて気まずい思いをした。

 

『直接体にエンチャは効率が悪い。この武器を使え。かっこ悪い? ばっかお前、どの地域でも税込み七百円で手に入るんだぞ? コスパと汎用性最強だろ』

 

 武器のない木村にどこにでもある武器を教えた。使い捨て前提で渡されたそれとは、随分長い付き合いになる。

 

 先輩は物知りで、木村の素朴な疑問になんでも答えてくれた。たとえば、人々を守る魔法少女の失敗に、どうして世間は厳しいのか。

 

『そりゃお前、災禍が理不尽すぎっからだよ』

 

 先輩は皮肉っぽく唇を歪めた。

 

『いきなり出てきてたくさん殺す。理不尽すぎて恨めねえ、仕返しもできねえ。だからみんな魔法少女をはけ口にすんだ。なにせ人の形をしてるし、悪口一つで傷つく。それに、人の失敗を責めるときは誰だって正義の味方になれるからな。……ははっ、クソがよ。いっそ滅んじまえバーカ!』

 

 当時は意味が分からなかったが、木村は後に身をもって理解するはめになった。

 

 口が悪くて暴力的で、すぐに人のことを煽る。人々を助ける魔法少女のくせに、事あるごとに世の中への不平不満を垂れ流す、ろくでもない先輩。けれど数えきれない宝物をくれた、木村にとって大切な人だった。

 

 そんな先輩が死んだ。

 

 魔法少女になって二年目、ざあざあ降りの雨の日だった。どこかの国に出た戦禍と戦い、木村は足の自由と片目を失って、先輩は命と引き換えに勝利した。

 

 血と冷たい雨の混じり合った匂いが頭に焼き付いて、雨の日にはまざまざとあの光景を思い出す。散らばる少女たちの死体、横たわる先輩の死顔(しにがお)

 

 満足そうに、先輩は笑っていた。

 

 クソと蔑む世界を救うため、どうでもいい他人のために死ぬまで戦い、心から笑って死んでいった。

 

『××共和国の戦禍を魔法少女連合が討伐しましたが、死傷者は百人を超えており、対応の遅さを指摘する声も──』

 

 先輩の言った通り、世の中はろくでもなくて。先輩の死を悼むどころか、非難する風潮が広がった。

 

 だからこそ余計、分からなくなった。どうしてこんな救いようのない世界のために、命を捨てたのか。どうして笑って死ねたのか。

 

 その答えを求め戦って、戦う意味が分からなくなっても戦って、内臓が腐れ落ちても戦い続け──流れ着いた先で、木村はやっと答えを得た。

 

『木村さんっ!』

『木村ぁ!』

『木村さぁん』

 

 自分に笑顔を向けてくれる誰か。名前を呼び合い、共に時間を過ごす人。自分のために泣いてくれる大切な相手。

 

 どんなにろくでもなくて、くだらない世の中でも、そんな誰かが一人でもいればいい。その人が生きているだけで、世界は百点満点だ。

 

 木村にとってその誰かは、三人の少女だった。翠ケ原という町も、まあ嫌いではない。命を捨てて守るには十分すぎるほど、恵まれた世界だった。

 

 だから木村は答えに殉じた。

 

 怖かった、痛かった。変身した途端、取り返しのつかない何かが零れ落ちていくのを感じた。

 

 だが今となっては怖くない。むしろすがすがしい気分。ろくでもないのに満点な世界を守れたから。

 

 走馬灯が終わったら、生まれ変わったりするのだろうか。それともすぐに地獄行きか。何かの間違いで天国に行けたら、死んだ後も言うことなしだ。

 

 意識がぼんやりして、希薄になっていく。

 

 大丈夫だ、痛みもない、怖くもない。

 

 ふわふわした意識が、潰えた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「……んぅ?」

 

 重たい瞼を開く。ぼんやりと白いものが見える。徐々に焦点が定まり、病院の白い天井が像を結ぶ。

 

 寝ぼけ眼のまま、最後の記憶をたどる。どうにもならないと悟って、死ぬ覚悟で変身機なしの変身をして、震禍を叩きのめした。その後のことは覚えていない。

 

 ただ、どうあがいても死ぬしかない状況だったのは確かだ。なぜ今も生きているのか。

 

 と、そこでふと気づく。両手が暖かい何かに包まれている。ベッドのシーツよりも柔らかく、ふにふにしている。

 

 首を傾け、手を確認する。

 

「おはよ、木村さん」

 

 赤毛の少女と目が合った。子犬のように丸い瞳を眠たげにとろんとさせて、柔和な笑みを浮かべている。

 

 カガネだ。忘れようもない大切な子。見ると、カガネが右手を、左手はアオイとスイが握っているが、二人ともベッドに突っ伏して寝ている。

 

「お、んんっ」

 

 咳を挟み、掠れた喉を整える。

 

「……おはよう」

「気分はどう?」

「割と普通。ちょっと一つ、聞いていい?」

「何で生きてるかって?」

 

 話が早い。首肯すると、カガネは眠そうな目をこすり、背筋を伸ばす。

 

「簡単に言うと、魔力の輸血をしたの」

 

 真剣に、でもちょっと眠たげにカガネが語ったのは、こういうことだ。

 

 木村は生命維持に莫大な魔力と精密な操作が必要な体だった。しかし加齢により魔力が減衰し、生きるのに必要な魔力は遠からず賄えなくなると思われた。

 

 だったら外から魔力を注ぎ足せばいい、と考えた。

 

「震禍をさっさと倒して、その話をしようと思ったのに、木村さんは命削って助けに来ちゃうんだもんね。もー、めっちゃ焦ったよー」

「いや、うん、はい……」

 

 気まずげに目を逸らすが、木村は間違ったことはしていない。カガネも助力がなければおそらく無事では済まなかったと理解しており、責めることはない。

 

「で、でもそんなことできるの? 輸血だって血液型とかあるでしょうに」

「大変だったよ、すっごく」

 

 カガネが苦笑交じりに語った。

 

 木村の懸念する通り、足りない魔力を外からつぎ込むといっても、そのまま体に入れただけではどうにもならない。木村の体に合うように調整し、生体機能を補うための精密な操作が必要になる。

 

「地元で一番優秀で最強な魔法少女の私でも、一人で全部は無理だった。だから手分けしたんだよ」

 

 アオイが魔力を流し込み、スイが木村の魔力と混ざるよう調整し、もっとも難しい生体機能の補助に関わる精密操作を、カガネが担当した。

 

 医者が最後の別れをするために設けた場で、三人は夜通し木村の体に張り付き、疲労と魔力切れで精魂尽きるまで、それぞれの役割を果たした。その結果は、木村が生きていることから明白だろう。

 

「……なんでもありかよ」

「木村さんが言ったんだよ。魔力はその気になればなんにでも使える、超絶万能便利パワー。本当になんでもできちゃったねー」

 

 くすくす笑いながらも、カガネは木村の手を離さない。暖かな魔力が木村の胸の中に宿り、心臓を拍動させている。魔力操作による生命維持を木村が目覚めるまで続け、話している最中も継続しているのだ。戦いの疲れもあるだろうに、一睡もせず。

 

 敵わないな、と木村は心底思った。魔力が足りないなら外から調達する。そんな簡単な発想すらできず、死を受け入れていた。誰かに頼ることが頭から抜け落ちていた。

 

 本当に情けない──

 

「情けなくないよ」

 

 考えに先回りして、カガネは木村を抱きしめた。

 

「木村さんはただ、一人で頑張ることに慣れて、ううん、慣れ過ぎてたんだよ。何にも悪くない」

 

 体を包む柔らかな温かみに、耳元で囁かれる優しい声に。

 

 張り詰めていた心が緩み、抑えていた感情が涙となってあふれ出す。

 

「これからは、私たちを頼ってよ。地元で一番強くて優しい魔法少女の私……私たちに。ね?」

「……うん」

 

 目の前のカガネと、左手を包む二つのぬくもりを感じながら、木村は子供のように泣きじゃくった。

 

 何にも期待できない、ろくでもない世界の中に見つけた生きる意味を、今度こそ離さないように。

 

 

 

ーーー

 

エピローグ:塵埃の行く末

 

ーーー

 

 

 

 翠ケ原の震禍発生から一か月後。

 

 翠ケ原公民館の一階大ホールにて、少女たちがステージの上に真剣な眼差しを送っている。

 

 主に町内や隣町、隣県からやってきた彼女たちの視線を一身に受けるのは。車いすの少女、木村である。背もたれに歪んだ傘を引っ掛け、なぜか眼帯に花の落書きをされている彼女は、スクリーンに投影されたスライドを元に講習を進めていく。

 

「はい、では今言ったことをまとめましょう。災禍とは災害の卵。発生から一定時間で災害になります。魔法少女の役割は、災禍を速やかに退治し、災害の発生を阻止、あるいは被害を低減すること。次に災禍の種類ですが──」

 

 ステージ脇に立つスイがリモコンを操作し、次のスライドを表示。少女たちは時折メモを取りながら、手元の資料をめくった。資料のタイトルは『魔法少女基礎講習』。翠ケ原の自治体が実施する公共事業である。

 

 講師は十年もの実戦経験を持ち、戦禍、疫禍、星禍などの破滅級災禍の退治実績もあるベテラン魔法少女、ダストアッシュ、もとい木村。講習内容は災禍と魔法少女の関係といった基礎から、活動中の実体験を元にした危険性の説明、魔力の練成法など多岐にわたる。

 

 一回目の講習は好評であり、今回は二回目だ。土曜のお昼という眠たい時間帯に始まったにもかかわらず、少女たちは居眠りもせず話に聞き入っている。

 

「はいというわけで……疫禍はまーじでヤバイです。間違っても一人では挑まないようにしましょう。死にます、本当に」

 

 疫禍との戦いの話を結ぶと、少女たちはごくりと唾をのんだ。木村の姿は体験談の説得力を生むのに一役買っている。実際は、足と片目は戦禍でもっていかれたのだが。

 

 講習は順調に進み、終了時刻の午後三時五分前となる。

 

「大体そんなところかな。えー……」

 

 ある程度慣れた木村は、ホールの掛け時計に目をやりつつアドリブでそれっぽい締めの言葉を考える。

 

 それに待ったをかけるように声が上がった。

 

「質問いいですか?」

 

 真面目を絵に書いたような黒髪メガネの少女が、ピンとまっすぐ手を挙げている。

 

 時間つぶしにはちょうどいい。どうぞと促せば、少女は起立して口火を切る。

 

「協会のことをどう思われますか」

 

 空気が張り詰める。スイを含め受講者の多くが表情を険しくするが、少女は怯まずに続ける。

 

「協会は魔法少女の輝かしい側面ばかりを喧伝し、まともな教育や啓発を行いません。変身機の製造技術を独占して私腹を肥やすばかりです。挙げ句には英雄である貴女に汚名と責任を押し付けた。この腐敗した組織に、何をお思いですか?」

 

 その声音には静かな怒気が滲んでいて、ステージ脇ではスイが大きく頷いている。どうやら今の協会の在り方に不満があり、共感や理解、もしくは当事者としての深い意見を求めているらしい。

 

 木村は期待に応え、深く鋭い洞察に満ちた持論を──

 

「たいへんだなーって思います」

「……えっ?」

 

 披露しようとして、諦めた。特に何も感想がない。

 

 しかし唖然とする少女が気の毒で、もう少し付け足しておく。

 

「いや別に、魔法少女を殴る蹴るとかしてるわけでもなし、特に何も。大人はたいへんだなーって思いました」

 

 木村にとって魔法少女協会は変身機をくれた大人たちでしかない。なにしろ腐敗してようがなんだろうが災禍は出るのだ。構っている暇はなく、たまに災禍の情報を持ってくる以外の役割は期待していない。十年かけて染み付いた無関心のせいで、水たまりよりもはるかに浅い回答になってしまった。

 

 なんともいえない空気の中、少女はぎこちなく一礼して着席する。

 

 時間はあと一分余っていた。先程考えておいた締めのセリフをそのまま使う。

 

「えー、ここにいるみなさんは、魔法少女の素質があるとか、興味をもたれた人たちでしょう。なるのは簡単ですし、自由です。でも一人で戦うのはやめましょうね。二人か、三人かでやるのをお勧めします。一人だと全部抱え込んで、爆発しちゃいますからね。どっかの誰かみたいに」

 

 笑えばいいのかなんなのか、聴衆が困惑する。彼女らの頭には記者会見場で熱い単独ライブをかます白い魔法少女の姿が浮かんでいる。

 

「はい、講習は以上になりますお疲れ様でしたー」

「魔力を分けていただける方、こちらまでお越しくださーい!」

 

 最前列に座っていたカガネが両手を上げ、元気に呼びかける。ある意味ではここからが、講習の本題だ。

 

 聴衆のうち何人かは迷いなくカガネの元に集う。それを見た少女たちも、戸惑いがちに列を成した。

 

「ありがとうございまーす! 一人ずつ、握手したりハグしたりしてあげてくださーい!」

「握手でいいよ握手で……」

「よ、よろしくお願いします!」

 

 一番乗りは、先程質問したメガネの少女だ。固い動きで両手を差し出す。木村も両手で握り返し、ほんの微量の魔力を受け取って離した。

 

「もっともっとどうぞ! 干からびるほどに!」

「き、気持ちだけ受け取っときます。ありがとうございました」

「こちらこそありがとうございました!」

 

 少女の勢いにちょっと引きつつお礼を返す。次の少女の手を握るまでの間に、受け取った魔力と自分の魔力を合一させ、生命維持に充てた。次の少女からもわずかな魔力をもらい、同じように処理する。

 

 翠ケ原市主催、魔法少女基礎講習。参加費用は講師への魔力譲渡(任意)である。

 

 企画したのはスイ、主導したのはスイの母親だった。

 

 ありがたく魔力をいただきながら、木村はスイの突飛な申し出を思い返す。

 

『魔力募金?』

『我々の魔力を差し上げるのは無論、構いません。ですがいずれは木村さんと同じく、魔力が尽きます。木村さんが長生きできるよう、不特定多数の有志から恒常的に魔力を提供できる体制を整えておきたいのです。そのための企画がこちら、ドン!』

 

 というわけで企画されたのが、翠ケ原公民館での講習会。魔法少女の活動や災禍について木村が解説し、参加費として魔力を募るというもの。

 

 くしくもスイの母親が以前、似たような仕事を木村に提案していたのが幸いし、魔法少女協会内部の有志を運営として集め、とんとん拍子で進行。市議会議員を務めている父親までもが根回しに協力したことで、正式な公共事業として成立した。魔力だけでなく、一回ごとに報酬も出る。

 

 スイの提案だったので了承したが、正直どこに需要があるんだよ、と木村は呆れた。

 

 ダストアッシュは嫌われ者だ。魔法少女の人口も少ない。参加者ゼロ人の寂しいホールで一人しゃべり倒すのを覚悟した。

 

 が、ふたを開けてみれば一回目から満員御礼である。本日の二回目も、告知してから一時間足らずで予約がいっぱいになったらしい。

 

 木村にはまったく不可解だが、妥当な人気だった。ブチギレ会見で世間の心象を悪くしたものの、十年間魔法少女として活動した実績は伊達ではない。犠牲者が出たといっても、それ以上に守られた者も多いのだ。

 

 また、魔法少女に興味のある層の需要にも合致した。素質があるし、活動にも興味はあるが、実際にどんなことをするのかよく分からない。戦うというのはどの程度危険なのか。協会による表面的な宣伝よりも深い情報を求める少女たちは多く、親子連れの参加者もちらほら見られた。

 

 そして何より大きいのが、ダストアッシュの体の事情を公表した点だろう。

 

『ダストアッシュは四年前の疫禍との戦いで傷を負い、魔力がないと生活できなくなりました。ですが最近は魔力が衰え、誰かに分けてもらう必要があります。もしよければ講習の後、貴女の魔力をほんの少しだけ分けてあげてください』

 

 という声明を、木村を診察した医者のお墨付きを添えて、翠ケ原のホームページに公開したのだ。

 

 疫禍との戦いでそこまでの傷を負ったと世間は知らなかった。瞬く間に同情的な世論が形成され、今や「講習しなくてもいいから魔力分けさせてくれ」勢が生まれるほどだ。協会はこの事実を隠していた疑いで非難の的にされ、ネットでは連日大きな火が燃えている。

 

 とはいえ、世情に疎く、テレビもあまり見なくなった木村はそういった情勢を知らない。わざわざ話を聞きに来て、しかも魔力までくれる親切な人たちに、丁寧に対応していくだけだ。

 

 魔力譲渡待ちの行列はつつがなく捌かれ、程なく最後の一人と対面する。

 

 見知った顔の登場に、木村はくすりと笑みを零した。

 

「なぁんだ、さっきの人が最後だったか」

「木村さんっ!」

「冗談、冗談。ありがたくいただくよ、スイ」

 

 最後の一人はスイだった。講習中はサポートに徹し、終わるや否や列の最後尾に並んでいたのだ。

 

 冗談の仕返しのつもりか、木村を熱く抱擁する。大胆な行動に周囲の少女たちから黄色い声が上がるが、木村はそれどころではない。

 

 接触した部位、木村の顔とスイの豊かな胸を通して、深い緑の魔力が流れ込んでくる。その量と密度たるや、先ほどまでの微量なそれとは比較にならない。

 

 今にも溢れそうな勢いに、木村は悲鳴を上げた。

 

「むー!」

 

 顔面がやわらかいものに包まれていて声が出ない。

 

 じたばたともがいた末、スイの背中をタップすると、ようやく解放される。

 

「なんでハグなんだよ! 握手でいいじゃん!」

「すみません、つい」

 

 悪びれず、舌を出すスイ。彼女は木村への態度が軟化した代わりに、熱烈な思いを色々な形で表すようになった。今の抱擁もその一環だ。

 

 木村が突き刺すような威嚇の視線をスイの、主に胸に送っていると、市の職員がスイを呼びに来た。公民館を使う手続きや段取りはスイが担っており、終わった後もやることが多い。

 

「では、スイは片付けがありますので失礼します。また後で」

「はいはい。魔力ありがと」

「後でねー、スイちゃん」

 

 スイと別れると、カガネがふんすと気合を入れる。

 

「木村さんは私が送るっ!」

「頼んだ」

 

 解散後もホールや公民館にとどまって交流を深めている参加者たちの間を通り、木村はカガネに押されて公民館を出た。熱心な参加者たちに見送られつつ、今後は講習の最後に質疑応答の時間を入れてもいいかも、と考える。

 

 市街地を通ってしばらくすると、土手が見えてくる。坂を上がって翠川沿いを下っていく。

 

 うららかな日差しの下を歩きながら、カガネがふと口にする。

 

「しばらくは大丈夫そう?」

 

 体のことだ。今回分けてもらった魔力と、前回の分でどのくらい命がつなげるのか。

 

 体内に貯留している魔力を吟味し、木村はざっくり概算する。

 

「節約すれば二か月はいける」

「よかった、それなら──」

「変身したら一発で空っぽだけど」

「きーむーらーさーん?」

 

 おどけた物言いに、カガネは一段低い声で眉をひそめる。

 

 木村は口を閉じるが、謝罪はしない。

 

 災禍の発生には前兆も規則性もない。先に発生した大規模な震禍と同等か、それよりも大きな災禍は今この瞬間に起きることさえあり得るのだ。大切な何かが失われるのを前に、木村は冷静でいられるとは思えない。

 

 一度目の魔力切れで生命維持が中断され、死の淵をさまよった。悪化した体で二度目を迎えれば即死は避けられない。たとえ分かってはいても、その時がくれば変身を躊躇しないだろう。

 

 カガネも理解している。震禍はカガネたちに倒され、人的被害はゼロに抑えられたと表向きには言われているが、木村の助力がなければ勝ちの目はほぼなかった。災禍は根性だけでは倒せない。

 

 三人の力を合わせても、まだ木村には及ばない。誰も敵わないような災禍が来れば、木村はまた命を捨ててしまうことも分かっている。

 

 だから今は、ジト目で睨む以上の反駁はしない。できない。

 

 その代わりに決意を示す。

 

「木村さん、あそこ見て」

「うん?」

 

 カガネが指さしたのは土手の下だ。川沿いに進むうち、いつも修行に使う場所に差しかかっていた。

 

「うぎゃぁ!? 無理無理無理無理、人間はこんな無茶できるようにできてねーですよ!」

「無理って言うな! できるまでやる! それが翠ケ原中学魔法少女部の鉄則よ!」

「頭昭和かよ! 令和っすよ今!?」

 

 土手下の広場で悲鳴が上がる。

 

 そこでは見慣れた青いトライデントを携えた少女と、黄色い衣装と双剣を身に着けた少女が言い合いをしていた。

 

 カガネと木村が下におりていくと、二人はこちらを認め、青い方が笑顔で、黄色い方が悲痛な声を出した。

 

「講習お疲れ様!」

「助けてください! 時代遅れのパワハラですっ!」

 

 青い少女は青芽アオイ。気心知れた友人。

 

 黄色い方は、カガネたちが学校で立ちあげた魔法少女部とかいう部活に入部した、中学新一年生である。後輩ができて嬉しいアオイに、毎日しごきを受けているようだ。

 

「パワハラはよくないぞー。誰かを鍛えるときは、その人の気持ちを考えて。真心と優しさを忘れてはいけないよ」

「どの口が言ってんのよこの鬼!」

「さすが木村さん……! どっかのブルーパワハラとはえらい違いです!」

「ブルーアビスよぶっ飛ばすわよぶっ飛ばすわマジで!」

「ちょっ、や、あーっ!」

 

 悪乗りした後輩を、魔法少女ブルーなんとかがトライデントを振り回して追っかける。

 

 木村はその光景を見つめ、満足そうにうなずいた。

 

「魔法少女の修行とはかくあれかし……」

「あ、木村さん的にはこれでいいんだ……」

 

 苦笑してから気を取り直してカガネは続ける。

 

「私たち、これからもっと強くなるよ。修行をたくさんして、仲間もたくさん増える。木村さんにも負けないくらいすっごい魔法少女になるんだ」

「そっか。じゃあ安心だ」

「うん、安心して」

 

 目を細め、元気に後輩いじめに励むアオイを見つめる木村。その顔には以前のような達観ではなく、本当の安らぎがあるようだった。

 

 見せたいものは見せられた。木村も満足そうなので、車いすを反転させて家路に戻る。

 

 それを見てとったアオイは、別れ際に言った。

 

「おやつにマカロン焼いといたからー!」

「最高かよぉー! ありがとー!」

 

 ぶんぶん両手を振り合って別れる。

 

 土手の市街地側に下り、木村宅に向かう道中。

 

 暖かな風が頬を撫で、どこからか桜の花弁が舞う。ぽかぽかした春の夕方だ。

 

 木村はなんとはなしに言った。

 

「ねー、カガネ」

「なに?」

「ありがとう」

 

 カガネは「んー」と考える。

 

「国語で百点を取ったことのある私には分かるよ。車いすを押す係でしょ! 気にしなくていいよ」

「それもあるけど、こう──なんか色々」

 

 さらに「んー」と考え込むカガネ。

 

「現代文で九十点を取ったことのある私には分かるよ。私という尊い存在そのものに、でしょ! へへ、さすがにちょっと恥ずいかこれは……」

「あー、それかも。それだ、間違いない」

「へ?」

 

 素っ頓狂な声を出して固まった。その隙に木村は車いすを反転させて、正面から向き合う。

 

 この気持ちを伝えたい。溢れんばかりのこの気持ちを。

 

「私は今、すごく幸せだ。独りじゃない。痛みも苦しみもない。とてもとても満たされている。この幸せは、君から始まった」

 

 すべてがどうでもよくて、いつ死んでもいいくらい生きることに関心がなかったあの春の日。

 

 赤根カガネと出会ったことで、木村の人生は変わったのだ。

 

「君に出会えて、本当に良かった」

「な、なんだよ急にぃ。まあ、強く優しく地元で一番の美少女である私──」

「違う」

 

 カガネの手を両手で包み込む。丸い瞳をじっと見上げ、断言した。

 

「君は強く優しく、世界で一番最っ高の女の子だ。私が保証する」

「……ふぇ……あぅ……」

 

 顔を真っ赤にして硬直するカガネ。常に自分を肯定するからこそ、唐突かつ直球な他人からの誉め言葉に、完全に不意を突かれた。

 

 調子に乗るなでか尻が、と尻を叩いてくるお転婆な女の子はどこにいったのか。白皙の少女はどこまでも澄み切った目をきらきらさせて、カガネを見つめている。長いまつ毛に縁取られた灰色の瞳は水晶のようで、さらりとした白髪が春の日差しにきらめいている。朱に染まった頬と桜色の唇が、やけに目を引く。

 

 数秒間、そのままの姿勢で固まる両者。

 

 先に動いたのは木村だ。ふっと表情を緩め、車いすを反転させる。

 

「ふぅ、言いたいことを言えて満足した。帰ってアオイのマカロンを食べよう」

「あ、えぅ……」

「おーい、どうした。尻ビンタしてほしいの?」

「し、しなくていいから! もうっ!」

 

 少し遅れ、やっとカガネも立ち直る。

 

 だが、車いすを押す間も心臓はうるさいままだ。白髪の間から覗く華奢なうなじを見ていられなくて、目を逸らす。

 

(な、なにこれなにこれ!? 冷静沈着・明鏡止水系女子として有名な私が、めちゃくちゃ変な気持ちなんだけど!?)

 

「ちょっ、カガネ、速い! 怖い!」

「ごめん!」

 

 思わず早足になっていた。

 

 速度を緩めると、木村はむくれた顔で振り返る。そしてカガネと目が合うなりにへーっと笑って、正面に向き直った。

 

 浮ついた気持ちが加速して、鼓動はますます激しくなる。

 

 芽生えた思いの名を知るのは、まだまだ先になりそうだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 吹き散らされた塵埃は、なんの因果か生きることを望まれて。

 

 災禍の蔓延る歪な世界の片隅に、ひっそりと吹き溜まる。

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