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この家で暮らし始めて何年になるだろう。漠然とそう思った。
森人族、またの名をエルフ族、それに属するアリー少年の家に住み着いてから今や年を数えるのが億劫になるほどの月日が経過した。もはや図書館と呼ぶ方が適切であろう図書室から興味惹かれる本を適当に取って、ソファーの上で寝転がりながら本を読んでいるとアリーから真剣な声色で声をかけられた。
「ねえ閃理……きみ、ボクを信頼してるでしょ」
「そりゃあ、まあ。ここまでよくされて良く思わない人間は居ないよ」
寝転びながらアリーに答える。そもそもこの家の家主からしたってアリーだ。もう何年も一緒に暮らしているのだ。もしもアリーが騙そうと思って俺に近づいたなら、俺は既にこの世を去っているだろう。
「君はさ〜、ボクだって人外なんだぜ?君とは感覚が違うんだよ、感覚が。……はぁ」
「どうした?溜め息吐くと幸せが逃げるぞ」
「誰のせいだと思ってるんだよ!」
漫才じみたやりとりをしながらも、しかしアリーは話を終わらせようとはしない。その眼に真剣なものが混ざり始めたのを横目で確認した。
「人間以外、まあ要するに人外を信頼しちゃダメだよ。あいつらは基本的に自分のことしか考えてないから、自分から近づいてきたら十中八九こっちを騙そうとしてると考えて良いんだよ」
「お前の格好もその一環だったりする?」
「これはただのボクの趣味だよ!」
常に女物の服を着ているアリー──本人曰く男の娘とかいうやつ──を茶化しながら、一応は真面目に考える。
「なあアリー。信頼しても良いって人外のやつ、誰か居ないの?」
「だーかーらー、居ないって。もしも居るとしたらソイツはよっぽど馬鹿げたお人好しだよ」
ははは、なるほどなあ。
「それはお前を見ればよくわかる」
俺とアリーのなんでもない日の一節。
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……朝から扉の前ではずっとあの調子。扉の外からの叫び声で目が覚めた。
「閃理!」「おい、閃!」「……閃理さーん」
俺、閃理は不機嫌である。誰があんな悪夢を見て、こんな悪ガキどもの叫び声で起きなければならないのか。寝ている人を叩き起こすなと声を大にして言いたい。もう晩秋の時期すら終わりつつあるこんなときに、その元気は羨ましい。ちょっとは分けてほしい。
確かに今日、この悪ガキどもが来ることを把握していた。しかし、それはこんな朝日が出て一刻もしないうちだったか?本来なら昼食時のはずではなかったか?
「閃理!スゴいものがあるんだ!」
どのみち一緒か。この後、森に行こう行こうと駄々をこねるはず。冬の森は危ないってこの前散々怒られたばかりだろ。俺も一緒に怒られてやったんだ、もう2度と行かない!とでも言うか。最終的には折れてやってもいいが、それじゃコイツら更につけ上がる──
「閃理!今日は森行こうと思ってたけど、それよりスゴいのがあるんだよ!」
「は?」
は?
なんだ、それ。俺そんなの知らないぞ。
「ほら、行くぞ!閃理」
ちらり、ひょこ、ひょこ、ひょこ
先んじて様子を窺う俺に倣い、ガキどもも顔を出す。ガキども──コイツらは新一郎、金太郎、小次郎。新一郎は近所の家の長男坊で、頭の良い悪ガキ。金太郎も近所の家の長男坊で、よく笑う悪ガキ。小次郎は金太郎の弟で、臆病だけど思い切りは良い、やっぱり悪ガキ。10歳2人と8歳1人、全員クソガキといっていい。
コイツらが自分たちだけで騒ぎを起こすのならまだ良いが、時々……いや頻繁に俺を誘って騒ぎに巻き込んでくる。当人たちは「死んだ眼をしてる兄ちゃんを外に連れ出してあげてるんだ!」と鼻高々だが、大人しくしておいてほしい。いつも尻を拭うのは14歳の俺なのだ。
そんなやつらも流石に自分たちの親は怖いのか、さっきまでの騒ぎ具合が嘘のように静穏を保っている。スタスタと歩を進めながら思う、むしろ静かすぎて不安になってくるな、と。もしかして、
「なあ、お前らひょっとして親からやっちゃダメって言われてること俺にやらせてないか……?たとえば、そうだな『村の入り口』に近づくな、とか」
「え!いや、そんなことないよ!!」
「そうそう!」
ブンブンと頭を振る。察するにあまりある反応をする10歳2人に、ビクッとわかりやすい反応をする8歳1人。
「お前らな〜〜!嘘だろ!これ、バレたときお前らだけ逃げるつもりだったのか!」
「ちょっ、しー」
気が動転した。思わず叫んでしまった。
「いや、えぇ。えぇ……」
こればっかりは驚いても仕方ないだろう。なんせまだまだガキのコイツらにここまで綺麗に騙されていたことに今の今まで気付かなかったのだから。
「なぁ、やっぱり駄目かー?」
「駄目?」
驚き呆れて何も言わない俺に、3人が不思議な眼で見つめてくる。その眼の色は不安が半分、期待が半分。そんな風に見えた。俺がやっぱり行かないと言えば、コイツらも名残惜しいながらも諦めてくれるだろう。
だが正直、俺も気にならないと言えば嘘なのだ。
「なあ、わかったよ。こうなった以上は最後まで付き合ってやる。だから、さ。せめてお前らが知ってること、全部教えてくれないか?」
俺は努めて渋々という声色を作りながらそう言った。俺の態度をいったいどう解釈したのか、3人は眼を輝かせてあらん限りのことを教えてくれた。
今朝誰かが村にやってきた。西の入り口から来た。怪物がやってきた。女だと聞いたぞ。銀色の髪のお化け!とにかく家に居なさいってお母さんが。緑なんじゃなかった?変な格好なのは絶対合ってる。村の大体の人が今集まってるんだって。居場所を探してるらしいよ。寝場所じゃなかった?
「なるほどな、ありがとう。大体わかった」
話を聞いた俺は3人にそう伝える。今の今まで言葉の濁流を食らっていたが、整理すればなんともない話だ。纏めると、3人の話は3つの可能性に集約される。
一つ目は旅の者の可能性。まずこれはあり得ない。
旅の者がこの時期に来るはずがない。ここの近辺にいる旅の者といえば油女がいるが、あいつが来るのは春の頃。こんな晩秋の、迷惑になりそうなときに来るやつじゃない。油女以外でも同様。彼らはちゃんと計画性をもっての行動するはず。よって違う。
二つ目は人外の可能性。つまりは妖怪だったり、魔獣だったりが紛れ込んだという説だ。これもあり得ない。
まず敵対的なやつだった場合、もっと血の匂いや叫び声が聞こえるはず。
次に中立的なやつだった場合。それでも基本的に自由奔放、欲しいものがあるなら力尽くで奪い取ることが日常茶飯事。中立であっても断じて友好的ではなく、この程度の騒ぎで収まるはずがない。そして友好的なやつだった場合。そんなやつはいない。人外にそんな相当なお人好しなんていない。よって、人外の可能性もなくなる。
そして、三つ目の他所の村の口減らしの可能性。恐らくはこれだろう。収穫の時期に追い出されたのなら今の時期にここに辿り着けるのも、まあ計算と合う。大人たちはその『誰か』を、そのまま見捨て野垂れ死なせるつもりだろう。子供たちに近づかないように言ったのは、子供に情を抱かせないため。花奈子とかはすぐに騙されそう。
なんともありきたりでつまらない話。口が勝手に動く。大人たちの優しい嘘のベールを剥がさないように出任せを言う。
「それはなあ、3人とも……」
「いや全部言ってたよ」
「誤魔化さないで!」
「『1番あり得そうなのは、他の村から口減らしに出された奴、って線かな』とか、ずっとブツブツ呟いてたよ」
なるほど。……なるほど。
「じゃあ、行くか!」
俺は諦めた。
もう一度、今度はしっかりと目的をもって村の入り口に向かう。途中で水月の家族が管理する井戸、米旨のおっちゃんが管理する田んぼと畑──稲株と稲藁だらけの土地と芋の収穫を控えた土地──、有栖さんと照須さんの謎施設、隠されるように建つ追流の家を横目に見る。喧騒の地が近づく。代表者としておっちゃんが話してる声が聞こえる。
「確かに、それができるなら我々もありがたい……」
この声は……拒絶の感じではない。おそらくは歓迎する方で話が纏まるのではないか。「失礼」と周りの人々に告げて、三人が逸れないように注意し人々の環の中心に行く。その『誰か』を見る。
「本当ですか!なら是非とも!」
少女の甲高い声が響いた。俺にそれに気付かず、それの姿を見てただひたすらに混乱していた。信じられない、という感情。
魔女。という言葉が脳裏を過ぎる。
10代後半くらいだろうか、水月や彩里より少し大人びている顔立ちに、長い緑白色の髪を結ばずそのまま流している、だがそれよりも目を引くのは服装だ。古びた茶色のローブを纏っている風貌。その姿形は前に教えてもらった魔法使いや魔女らしさというものをこれでもかと主張する。
魔女だ。アレは魔女だ。──警戒すべき人外だ。前にアリーから教わった言葉が頭にずっと浮かんでいる。でも、
「改めまして、自己紹介させていただきます!私は魔女、久遠の魔女と呼ばれています。旅をしていたらこの村に迷い込みました。便利な術とか使えるのじゃんじゃん頼ってください!
よろしくね!」
悪いやつでは無さそうなのも確かである。
彼女の笑顔は花が咲くようで、暖かいものを感じるのだ。
本当に旅の者か。本当に魔女なのか。その笑顔は本当に信用していいのか、何もわからない。昔聞いたアリーの言葉もある。おっちゃんも俺が今から反対すれば無碍にはしないと思う。
だけど、この魔女を……この少女を受け入れることに抵抗感のない自分がいた。この少女は、俺が感じている今の行き詰まった現状を変えてくれるのではないかと期待した。
自己紹介の後、揉みくちゃにされる少女を見ながら吐いた息は、誰にも邪魔されず冬の空気に溶けて消えていった。
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