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油女という或る女の、昔の話。
「特に面白みのない話さね」
そう言いながらも彼女は俺の問いに答えてくれた。
「私には妹がいてさ。物心ついたときから二人とも奴隷だったんだ」
自分のルーツを。
「私は自分を買った男を殺して、それで自由を得た。でもそのとき妹は別のところに売られていて、私にはどうしようもなかった……。だから世界を回る行商人の道を選んだのさ。いづれ私と妹で、二人暮らせる日を夢見て」
自分の目的を。
「もしそれが叶わなくても、もう既に妹が死んでいたとしても、せめてあいつを買った男は調べて殺すさね。それがあたいにできる唯一の罪滅ぼしだからね。私はね、この命を妹のために使うともう決めたのさ」
そして自分の決意を教えてくれた。
話が終わったあと、彼女は暫く虚空を見つめていた。その顔は俺なんかこの話を漏らしたことを自嘲しているようにも、諦観しているようにも見える不思議な表情だった。あの表情の真意はあれから何年経った今でも分からない。
ただ一つ、彼女の瞳のその奥に仄暗い炎があっただけは覚えている。
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行商人。特にどこかに店を構えずを旅をしながら街から街へ、客から客へモノを売る商人のこと。この村においては毎年初夏に、『油女』という女が来る……らしい。
田植えをしただいたい一ヶ月後に来るということだから、そろそろ来るだろう。私も去年までは彷徨っていた身、せっかくなら旅の話で盛り上がりたい。
そんなことを思っていたある日の昼下がり。田んぼに素手で草むしりに励んでいると、どこからか閃理くんが来て、突然話しかけられた。
「よう!油女のこと楽しみにしてたよな。来週あたり来るから会いたいなら準備しとけよー」
それだけ言って閃理くんはまた走っていく。後ろからは子供たちがついて行っている。去っていく閃理くんたちを見ながらポツリ呟く。
「毎度のことながらあの四人仲良いなあ……」
草をむしり、土を払い、一箇所に集める。ここ数日のパターン化された行動だから手とは別に頭も動かせる。
どういうことを油女さんと話そうか。……駄目だなあ。集中できない。ついつい気もそぞろになっちゃうな。
「ふう……」
田んぼから上がって一息ついて、今日はもう帰ろうかと思う。まだ少し残っているが、大丈夫だろう。明日できることは明日やればいい。
ふと青々しく茂る緑の絨毯を見る。綺麗だ。
それから暫くしたある日。
夜が明ける前、ふと目が覚めて、眠いから二度寝する。これが最高なんだあ。まだ未明、だから二度寝してもいいでしょ。瞼を瞑り、心地よい快楽に身を委ねてそのまま……。そのまま……。落ちていく…………。
パチっと目が覚める。どうやら陽射しによって私は起こされたらしい。気持ちが良すぎるくらいの快眠、そして起床。眠気を覚ますために冷水を頭に吹っ掛ける。
きもちいー。
最近、やっと魔法を使わない生活にも慣れてきた。意外と人間、魔法とかなくても生きていけるもんなんだなあ、って我ながら驚いている。
服を着替えながら、外の音に耳を澄ませる。ずっと気になっていたがなんか騒がしい。外出る準備もついでに済ませる。
「いってきます」
誰も居ない家にそう言って、誰かが居る外へと飛び出した。
お!幸先がいい。
「やっほー!閃理も今出たとこ?」
思ったより高い声が出ちゃったな。まあちょうどいいや。着いていけばなんか起こりそう!と、小走りで閃理の許に向かう。
「ああ、おはよう」
こっちを振り向く閃理。その陰から赤い髪の一人の女が姿を現すのが見えた。
「お、おはようさん。あたいの商品何か見ていくかい?」
……誰?
「なんだい、呆けた顔して。……ああ、あたいの名前は油女。ちょっと行商人やって、ここらで暮らしているさね」
「……なる、ほど。久遠の魔女と呼ばれてます。久遠とでも魔女とでも、自由に呼んでください」
この人が油女さん、らしい。言ってはなんだが思っていた人と違う。こうもっと年の功がある柔和な人──こうもっとお婆ちゃんみたいな感じ──をイメージしてたら、意外と若い人でビックリした。
「それでどうするんだい?……まあ別に買わなくてもいいから商品だけでも見ていきな。欲しくなったら私に言うんだよ」
言うだけ言って、また閃理との話に戻った油女さん。私が用事があるのは閃理の方なんだけどな、と思いながらも一応商品の方を見る。
掘り出しものがあれば嬉しいし、なくても暇潰しにはなるだろう。
塩、魚の干物、海苔といった海産物。
黒曜石、青銅器、鉄器といった鉱物やそれを利用した道具。
生糸の服、絹の服、簪といった服飾類。
そういったものを眺めながら、特にもの珍しくもないなと思う。というか雑多すぎやしないだろうか。これは儲けを出すためというよりも、まるで旅をして集めたものを蒐集しているだけのように思える。
……うん?この木彫りの人形、魔力が篭ってる……。というかこれ、どこかで見覚えあるような。
「欲しいのなら金を払いなよ」
じっと見ていると急に後ろから声をかけられびっくりした。
「いやあ……別にそういうわけではなくて」
「ふうん、そうかい。ならいいや」
そう言ってまた帰ろうとする油女さん。
「ちょっと待って!」
「あいよー」
とりあえず呼び止めるが、何と言ってもいいかわからない。ええいままよ!直球勝負だ。
「この人形、見覚えがあるのだけど誰の作品か気になるの」
「人形?そんなものうちには……ああ」
油女さんの視線が私を飛び越え、その奥へと合わされる。
「それはある世話好きで物好きな友人からの貰い物でね。非売品だよ。いやひょっとしたらアンタなら知ってるかもしれないな」
「いえいえ、なるほど大体わかりました。友達が、ありがとうございました」
この作品の作者、世話好きで物好きで私なら知ってそう。そう評されるに値する人を私を一人知っている。
そっか、アリー、また生きてるんだ。
感慨深けに耽っていると、その間に油女さんは木に括り付けていた馬の紐を馬車に繋ぎ直した。
「さて、そろそろ行くよ。あたいたちは今日のうちに米旨と水月のところに行く必要があるんだ」
それじゃあねーと油女さんは手を振りながら馬車は行く。
……っと、あれ?閃理はどこ行った?……えっ
拝啓、閃理くん、水月ちゃん、私は今森に居ます。
「うわっ、何か変なの踏んじゃった!」「臭―い」「クサーい」
とても賑やかな三人の子供たち、新一郎くん、金太郎くん、小次郎くんと一緒に探検に出かけて、その引率をしています。
「ほら金太郎くん、靴出して。“水よ”」
何度か閃理くんに連れられて五人で探検に出かけたりしましたが、そのときと比べてなんかさらに大変になってる気がします。これを今まで一人で捌いていた閃理くん……改めてスゴすぎです。私が三人に連れられて森に出かけた理由を知るには数時間前に遡ります。
「魔女の姉ちゃん何やってるのー?」「地面に文字なんか書いて楽しいのー?」
蹲っていじけていると、そんな心ない声が聞こえた。新一郎くん、金太郎くんだ。この二人が居るということは声こそ聞こえないが小次郎くんも居るんだろう。
「なあ、閃理は居るかー?」
「うう、閃理が……閃理が変な女に連れていかれちゃったよう……」
そう私が言うと、『えっ』という顔を三人は溢れんばかりにした。多分、今日遊ぶ約束をしていたのか、そうでなくと閃理を頼りにここに来たことは確かなのだろうな。フリーズした三人は、数秒後その意識を取り戻した。
……そして三人でヒソヒソと会議をして、私に対してこんな提案をしたのだ。
『ねぇ、お姉ちゃん!一緒に来てよ!』と。
はい、そういうことで軽く傷心中の私が軽く了承してしまったのが運の尽き。いやあ、小太郎くんの上目遣いはズルいってー。
「ところでこれ、目的地はあるの?」
現実逃避をやめて、流石に現実に向き直る。目的地を知らないまま闇雲に子供についていったとて先に体力が尽きるのはこっちの方だ。……なんか閃理が同じようなことを昔私にアドバイスしてたなぁ。
「あれ?言ってなかったけ?」
「森の家の噂だよ」
「なんかいんきょ?してる人が居るんだって!」
なにそれ私も気になる。
そこから先は私も本気で捜索に協力した。とはいっても、本気であって全力ではない。あくまで遊びの範疇で、魔法とかは禁止だ。式神や魔力波でソナーを使う……などということはせず、魔力で木々にマーキングしたり、マーキングした場所と一度通った場所から空白地点を探して居そうな場所を手当たり次第に探し回ったりした。
そうして噂は噂だと諦めかけたそのとき、私たちはとある家に辿り着いた。否、迷い込んだ。
「ここなのかな……?」
「うん」「うーん」「つかれた……」
目の前にはギリギリ家が入る程度の空間が広がっていて、実際小さな一軒家がここにはある。家の外壁をよく見ると一見古めかしく整備が行き届いていないようにみえるが、その実しっかりと掃除の跡がありちゃんと人の手が加わっていることを私たちに知らせる。
「入ってみる?」
一応提案してみる。ここまで来たからにはたとえ子供たちが帰っても私一人でこの家の中に入るつもりでいる。
「いったんノックじゃない?」
「でも居るかわかんないよ」
「だからするんじゃないの?」
上から新一郎、金太郎、小次郎。三人でしっかりと考えを深めて結論を出そうとしている。そしてどうするの?と三人が目線を私に寄越す。何か話しかけられるよりも前に私はドアを叩いた。
コンコンコン、ガチャ
「え、入るの?」
金太郎くんにお前マジかという眼で見られるが関係ない。それにさっき魔力で軽く探ったときにおおよその事情は掴んでいる。開けて入って、そのままこの家の主のもとまで一直線に向かう。部屋の扉を開けると、まず目に飛び込んできたのは長く燻んだ赤い髪だった。
「初めまして。あたしの仕掛けを強引に突破してきたのは君で二人目だよ」
その女……いや少女は椅子に座りながら私たちに微笑んだ。私は子供たちを守るために全力の警戒態勢に入った。
森で会った女、自らを追流と名乗る少女と出会ったその日の夜、私は自室で一人思索を巡らせていた。あの少女が脚が不自由なのは魔力を使ったソナーの反応からわかる。そして脚が悪いのなら外に出て情報を集めるということもできないはずだ。しかし彼女はこう言った。
「貴方のことはよく知っている」「魔女、空を飛ぶ奇跡をこともなげに扱う偉大なお人」「最近は魔法を教えてるとか」などとだ。
全力の私の魔力を見て眉一つ動かさない人間がいるとは思えない。況してやその状況で普段通りに話せるなんてあり得ない。まず間違いなくあの女は魔力を使えない、正真正銘の一般人のはずだ。
恐らくはあの女と誰かと関わりを持ってる。あの女の正体、あの女が森に住む理由、それら全てを知ってる者がこの村にいる。
でもなぜそんなことになっているのか、それがわからない。わからないから……閃理を連れて今度また行ってみよう。きっと私と子供たちだけだからわからなかったのだ。閃理さえ連れていけば、何かしらわかるだろう。
先日はある少女に失態を晒してしまったが、それはそれとして今日は仕事だ。だが今日はいつもやってる畑仕事や田んぼ仕事の手伝いではなく、週に一度の魔法講座。私は魔法の講師をやっている。
そう、私はとうとう正式な仕事を得た。やっと定職を得たのだ!
ついでに趣味の歌もやっと浸透してきはじめた。なんならこっちが本命で魔術・魔法に関してはついでと言ってもいい。学ぶ人の熱量は魔法講座の方が高い。村人の需要と、私のやる気はなかなか一致しなかった。
「はい!今日もこんにちは!」
挨拶をして一礼をして見渡して、人が多いことが気のせいではないと理解する。なんか今日は人多くない?
「えーと、なんか今日はいつもにも増して人が多くないですか?」
私が率直な疑問を零す。
「せんせー、それ昨日のアレが原因だと思いまーす」
それに元気な声で返事をしてくれたのは新一郎くんだ。昨日のアレ、そう言われて思い出すのは田んぼに稲妻を落としたことだ。雷は豊作を齎す。そういう言い伝えがこの村にはあるし、なんなら科学的に見てもそれは正しい。雷によって空気中の窒素と酸素が結びつき栄養になるとかなんとか。
「雷、稲妻ですか……」
「はい!先生、できますか!」
正直に答えると難しいと思う……。これは結構な応用だし……。
息をスッと吸い込み、声を響かせる。
「“覚悟”はありますか」
威勢の良い声を出す魔法講座の生徒たち。私はそれに嬉しくなって、ついついその日はやり過ぎちゃいました。えへ。
いづれは、いづれは……私に並ぶ人が出ると良いな。今やもう、私と対等に魔法を語れる人は世に少ないから。
あ、そうだ。魔術と魔法の違いとかまだ教えてない気がする。どうせ人が増えたのなら基礎論から軽くおさらいするのもありかもしれないな。
こうして職について、誰かと関わる仕事をすると切に思う。誰かと関わることはこんなにも楽しいのだと言うことを。
閃理と話し、子供たちと遊び、水月の家で寛ぎ、彩里の発明に目を輝かせる。そうして夏までを過ごして──やっと私に決心がついた。
夏の盛り、草原など開けたところでは日差しがカンカンに照りつける今日この日。私と閃理と、ついでについてくることになった油女の三人は日差しのほとんどが遮られる森をまた訪れた。
「本当に、本当にこの森の中に赤い髪の、あたしと瓜二つの女が居るんだろうね!間違いだったらただじゃおかないよ!」
森の中、彷徨いつつ文句を垂れているのは油女。彼女は私と閃理の話を最初は所在なさげに聞いていたのだが、その話の中に『赤い髪の女が森に居る』、その情報が出ると同時に同行を申し込んできた。
彼女とその女の関係は知らない。元々はその追流という女に情報を流している第一候補だったのだが、あのときの焦りようから考えて信頼してもいいのではないか。そんな考えが浮かぶ。
不気味なのはむしろ閃理の方じゃないかな。私が誘ったときに「ちょうど良い。わかった」ただそれだけ。何がちょうど良いのか、いったい何が閃理には見えているのか、それが私には分からない。
「本当にこっちの道なのかい!?なんかどんどん入り組んでるよ!?」
怒号が響く。私も周りの植生を見ながら「なるほど」と呟く。あの空間はもともとあった、開けていた場所なんかではなく、元はここの森の中でもいっとう深いところを強引に切り拓いたのだと理解する。
「ここはこっちだ」
今度は閃理が先導する。──疑念が確信に変わる。だがそれを態度に出さないようにしながら、後ろを着いていく。バレないように、バレないように。
「ここね」
閃理と油女に私たちが見つけたという、森の中の家を紹介する。
「これが……あの子の家……」
感慨深そうに、そしてたっぷり時間をかけて隅から隅まで見る油女。先を急ごうとする私を、閃理は軽く抱き寄せて止めた。
「ッッ!」
バッと振り向くが閃理は小さく顔を横に振った。どうやら本当にこれは、あの二人の運命の再会の瞬間らしい。それを以ってもはや隠す気すらない閃理に、ずっと思っていた質問を投げ掛ける。
「どうして?どうして貴方は───」
「行って……いいのかい……?」
その質問はしかし、油女の声に消える。その声には万感の、大願成就の響きが伴っており、邪魔をしてはならないと私に自然と思わせるほどだった。
「ああ、行こう」
前に一度行った部屋へ、今回も最短距離で向かう。
「ご機嫌よう。あら?初めて見る顔ね」
そこには前見たときと同じく、椅子に座りながら私たちの方を振り向く燻んだ赤い髪の少女が居た。
「あなたに聞きたいことが───」
「なあ……!なあ……!お姉ちゃんだよ。あたいは、アンタのお姉ちゃんだよ……!」
私の聞きたいことは無数にある。だが先ほども感じた邪魔をしてはいけないという雰囲気。それを感じ取り口を噤む。でもどうにかして私は知らなくてらなくないのだ。あのとき、魔力を完全解放していた私相手にまったく臆さなかった理由を。だから、二人には悪いが今は引き離そうとして──
「積もる話もあるだろう。油女と追流は思う存分話してくれ。──いくぞ、聞きたいことには俺がすべて答えてやる」
すべてを知っているであろう閃理が代理になると申し出てくれた。
「ちょっと待ちな、なんでこの子がここに居るのか。その根本の部分をあたいは聞いてないよ」
「行っていいわよ閃理、私が止めておくわ。そのために今日、子供と夫には席を外してもらってるのだし」
そこの姉妹は、姉の方は「夫ぉ!?子供ぉ!?」と驚き私たちを止めるどころではなくなり、妹の方は自ら作り出し、私と閃理が別の場所にいくように誘導した。
「ありがとうね」
礼を言い、閃理の後ろをまた着いていく。……今度は私が本当に知らない場所へ。
案内された場所は森の奥の、さらにその奥地。自然溢れる広場のなかで、唯一その景観に相応しくないもの──なぜか妙に惹かれる、苔に覆われている金属性の椅子──が存在する、そんな場所。そこに辿り着き、暫く待ってから閃理は口火を開く。
「さあ。俺に聞きたいこと、言いたいことがあるならなんでも言ってくれ。──俺もお前に聞きたいことがある」
「それは良かった。私もね、今回の件以外に君に聞きたいことがいっぱいあるの」
互いの眼を見ればわかる。なぜ油女を追流に会わせようとしたのか、油女と追流の関係性はなんなのか、なぜあの場ではなくこの場を選んだのか。
油女が行商人になった目的は生き別れの妹の捜索、追流を匿っているのは誰か個人ではなくこの村の大人全体、油女と追流が姉妹であること。ここまでは線と線を繋げればすぐにわかる。
──だから問題は、あの二人についてではない。ここで聞くこと、話すことは、あの場では話せなくこの場なら話せる何か。おそらく閃理は追流も騙してこの場を用意している。それほど重要な何か。
「じゃあ、まずは私からいくよ。───閃理、君はどこで魔術を学んだの?」
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