呪術世界の結界術師 作:ペンギンくん
黒い波が陸の上で揺れている。
どう言うわけか風や衝撃に関係なくその波は動いている。
その波の動きはどんどん激しいものとなっていき、大雨で氾濫してしまった濁流のごとく勢いよく陸を侵蝕していた。
地面を走る小動物を、潜んでいた虫を、死滅回游の結界内に溜まった呪力に
そしてその黒い波が通り過ぎると……そこにはとある物以外は残っていなかった。
それは骨だ。
石や金属製のゴミなどを除くと、道端には動物たちの骨が残されていた。
「相変わらずきっしょいな」
その光景を空中に結界を展開し、上から見つめていた玻座真が思わずと言うように呟く。
黒い波とはゴキブリの大群であり、食欲に任せて獲物を探している。
ゴキブリの食性なんて玻座真は知らぬが飲み込んでも大丈夫そうなものを全て食べているように見える。
(ドルゥヴが広域殲滅能力の高い術式ってのもあるが、それ以上に“空間”なんて口に出来ないもので攻撃してくるから、そりゃ相性悪いわな)
ドルゥヴが死ぬのと同時に復帰してきた辺り、玻座真が結界に入る前に考えた通り相性不利を考えて潜ったのだろう。
その食欲旺盛な性質ゆえか、本能だけで生きているように見えるが妙なところで理知的と言うか野性的と言うか。呪霊にしては相性の有利不利で潜ると言う選択肢を取れることに僅かながら感心を覚える。
とは言え頭を出してきた以上、それを叩くだけだ。
「『方囲』――『定礎』」
巨大な方陣をゴキブリたちの下に出現させ、
「『結』――『滅』」
青色の箱で閉じ込め、圧殺する。
呪力で強化されたゴキブリたちであるが、強度はゴキブリのそれである。
一気にゴキブリたちが死に、塵と化す。
瞬間、
【アアアアアアアアアアア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”!!!!!!!!!!】
仙台結界に叫び声が響く。
空気が罅割れるような金切り声に誰もが咄嗟に耳を塞ぐ。
非術師の中には意識を失ってしまう者もいるし、高位の術師たちも思わずと言うように耳元を押さえる。
【何故ダ】
呪霊特有の異質な声が玻座真に向けられる。
黒沐死――渋谷で羂索が呪霊操術で従えていた蜚蠊の特級呪霊が空から飛んでくる。
【何故我々ヲ殺ス。何故我々ガ食ラウノヲ邪魔スル。私ハ鉄ノ味ガ好キナノダ!!】
「血が好きなら牛乳でも飲んでろよ」
適当なことを言ってから、でも牛乳は別に鉄の味はしないかと意味のない反省をする。
【『
掌印を掲げながら呪詞を唱えると、袋を抱えた奇妙な虫が複数出現する。
ゴキブリともまた違う見た目の異形に玻座真は奇妙そうな表情を浮かべていると、彼のすぐ横に羽を使って高速移動してきた黒沐死が接近する。
その手には肉切り包丁に似た刃物を持っており、黒沐死の反対側から迫っている式神と共に挟み込みこんで攻撃するつもりだ。
黒沐死の武器、爛生刀は刃にゴキブリの卵が仕込まれており、受け止められたとしても敵の体に向けて射出出来る仕様となっている。
絶対的な殺意を持つ刃物を玻座真に向けて振るう。
「絶界使う必要すらないな」
それを見て玻座真は片手印を振るう。
目を向けないまま自身に迫る式神を、そして黒沐死の爛生刀を持つ腕を結界で囲い、滅する。
式神と腕は消滅したが、爛生刀はダメージが入るだけでその場に落ちる。
「…………」
玻座真は攻撃用に結界を使う場合、対人用と式神含む対呪霊用。そして呪具を含む対無機物用に縛りを調整した三種の結界を駆使して戦闘を行う。
対人用の結界を呪霊に使ってもダメージを与えられないどころか、移動を塞ぐことすら出来なくなる。そのため真人のような人間を武器として扱う呪霊相手には限定を課す縛りを付けない結界を使うしかなかったため、性能が若干落ちていた。
それはともかく。
対呪霊特攻の結界でも武器の方にダメージが入ったのを見て、黒沐死を呪力強化した足で蹴り飛ばしながら玻座真は爛生刀に掌印を向ける。
「――『滅』」
【ミジギャアアアアアアア!!!!】
込める呪力を増やして三重結界で刃物を囲い破壊する。
思った通り壊れたが、それと同時に断末魔が一瞬聞こえた。
術式で作成した呪具ではなく肉体の一部を使った武器であることは想定していたが、中から複数の断末魔が聞こえたことからどう言う仕組みか思い浮かび、生理的嫌悪から口の端が引き攣る。
「……まぁいいや」
再びどこかからかゴキブリの大群を集めているが、玻座真はその光景を半眼で見つめる。
渋谷では状況的に追い詰められてしまったが、正面から集中的に戦えば圧勝出来る。
わかっていたことだが、特級呪霊と言えど相性が悪過ぎると手も足も出ないのだ。
虎杖や真希のような点で動くタイプだったら惨敗していただろう。リカを完全顕現させていない乙骨でも反転術式のアウトプットがあるとは言え、展開によっては手古摺るだろう。
物量型は点で動く相手には脅威になる。だが玻座真やドルゥヴのように面で叩ける存在であれば、そこまで脅威じゃなくなる。
爛生刀が失われもう手札がゴキブリの使役と式神の召喚以外ないのであれば、もはや黒沐死は敵ではない。
さっさと祓ってポイントにするか、と片手印を構える。
『リンゴンリンゴンリンゴン!!!』
そして……戦いの流れを断ち切るように、各地からコガネの煩い声が響く。
玻座真も思わず動きを止め、そちらを見ながら言葉を待つ。
『泳者による死滅回游へのルール追加が行われました!! 総則10、泳者は他泳者に任意の得点を譲渡することが出来る』
コガネの発言に玻座真の意識が追加された総則に寄る。
伏黒たちと決めた追加予定の総則。今更他の泳者がこのような内容の総則を追加することはないだろうから彼らが関係しているはずだ。だが秤への交渉に行ったのであれば死滅回游への参加は玻座真たちよりも遅かったはず。
(……100点持った泳者と交渉したのか?)
100点まで集めたのではなく、使わせてもらった。
その辺りが妥当だろうが先程も考えた通り、今まで平和的解決を目指すような総則を追加しなかった者が今更聞き入れるだろうか。
疑問を持ちつつも今は戦闘中と言うこともあり意識を戻す。
……だが、コガネによるルールの説明を聞こうとする姿勢は明らかに隙であった。
――グラニテブラスト
“大砲”が玻座真と黒沐死を飲み込む。
地面を抉り、建物を壊し、そして飛んでいたゴキブリたちも巻き込まれて消滅した。
◆◆◆
「へぇ……なるほどな」
そこそこ高い建物の上にその術師は立っていた。
見晴らしは良いが狙われ辛い場所。下からだと見上げても姿は角度の問題で見えず、上からだと他の建物の陰になって見えない立地。
狙撃と言うには派手過ぎるが、ドルゥヴを倒した術師を石流は虎視眈々と狙っていた。
仙台結界に入ってすぐの挙動から高い感知能力を持つことは理解出来た。そのため黒沐死が使役する大量のゴキブリへの対処のために感知が集中し狭まるタイミングを狙っていた。
ただ石流は高い防御力を持つ玻座真を一撃で仕留められるチャンスを狙っていた、と言う賢い考えをしていたわけではない。
単純にポイント稼ぎのため、まとめて攻撃出来るタイミングを窺っていただけのこと。
コガネの登場に気を取られたのを見て石流は呪力の砲撃を放った。
だが、予想はしていたが玻座真はダメージを負っているものの耐えていた。
((――わかっていたことだが、思った以上にやるな))
石流と玻座真。二人は同じことを思った。
石流は黒沐死の姿が見えないことから祓われたのはわかった。だが……石流にポイントが入っていない。そのことから、あの一瞬で玻座真が黒沐死を祓ったのを理解する。
玻座真も石流の呪力を感知し、咄嗟に絶界を使って自身を守りつつ黒沐死を祓ったのだが、絶界の上からダメージを食らった。
己の一撃を防がれたことに石流は笑みを浮かべ、玻座真は警戒度を上げる。
ドルゥヴの広域術式のせいでわかりづらいが、仙台結界の高ポイント組の中でも石流は次点で確認出来る残穢の量が多い。ドルゥヴのような広げられた呪力とは違い、直線的なものであったことから長い射程と障害物を物ともしない威力を持つことはわかっていた。
(乙骨もやることあるが、術式を使わずに純粋に呪力だけでの攻撃でここまでの威力を誇るのか。……いや、術式もその手のタイプか? 俺と同じで基礎技術を強化する生得術式……呪力操作の総合部分を上昇させる感じか?)
向き不向きや練度などの違いは出てくるが、ある程度呪力を扱えるようになれば肉体強化に使えるようになる。そこからさらに出力や効率の話に繋がるのだが、基本的に呪力は射出攻撃として使われることはない。
肉体強化のように自身に纏わせるならともかく、体から離すとエネルギーの性質として霧散してしまう。攻撃として呼べるほどの威力を保ったまま集束率を維持する必要がある。
呪力を水、術式を氷で例えるとする。
離れた位置にいる相手に向けて水の塊を投げたとする。当然ながら不定形であるため届くまでに散りもするし、当たったとしても液体であるため崩れてダメージとしては微妙なものになるだろう。そもそも水を投げて当てるためにも角度や速度の調整が必要となる。
対して氷であれば投げて当てるまでの必要調整のコストは減るし、固体であるため当たった時のダメージも水よりは高くなる。
決まった動きもある程度してくれるため、術式を持っているのであればそちらで攻撃した方が早い。何だったら術式よりも肉体強化の方が呪力の消費量も抑えられてダメージも出せる、と言う術師も少なくない。
呪力による射撃を戦闘技能として呼べるレベルとなると、下手をすれば反転術式と同じくらい習得者は少ないだろう。
何より
(乙骨も呪力そのものを放出することがあるが、呪力量のゴリ押しだしな……。技術って言うよりも風船に穴を開けて噴出した空気って感じだが、向こうはしっかりとした兵器だ。出力は一定以上のはずだ)
裏梅に対して使ったカウンター戦法は通じないだろう。
射出口を結界で塞いで自爆させるというものだが、石流の出力であれば即席の砲撃ですら防げないだろう。
要するに、苦手な相手だ。
「『結』」
結界を疎らに展開し、そこを足場にして蹴りながら石流に向かう。
当然ながら石流は玻座真を撃ち落とそうとするが、砲口の向きを感知して事前に回避する。
直線とは言え範囲は広い。溜め攻撃は大人三人が並べるほどの幅の破壊力を誇り、低い威力のものでも大穴を開けられるような威力である。
呪力による肉体強化が低い玻座真では石流基準で威力の弱い砲撃ですら当たればアウトの可能性が高い。
事前に察知して動いているが、少しでも甘い回避をすれば掠るだけで大ダメージに繋がるだろう。
(……乙骨のやつはこっちに来れなさそうだな)
仙台にいた最後の高ポイント組の泳者に絡まれているのを探知結界で把握する。
スタジアムにリカを配置して護衛をさせて、乙骨自身は空間歪曲の術式を持つ浮遊女と離れた位置で戦っている。
(石流が来たのは俺が目立ってたからだろうが、あっちは俺の戦いを見て乙骨の方に行ったな)
乙骨の呪力量が多いことは見ればわかることだが、同時に呪力操作が雑なのも少し接すればわかりやすい。戦う相手として玻座真ではなく乙骨の方が選ばれても特におかしくない。
「おっと」
今までジャブ感覚で単発の砲撃を撃ってきていたが、一気に大量の砲撃が玻座真に向かってきたのを感知する。
角度を付けたものや、途中で曲がるもの。それらが玻座真の逃げ道を塞ぐような形で飛んでくる。
ちんたら走ってたら捕捉されるな、と考え足下に結界を展開し、勢いを利用して飛び上がる。
(……うん?)
今の光景に石流は首を傾げる。
砲撃の一発が当たったように見えたのだが、玻座真にはダメージが入っていない。
遠目だから見間違えて、実際にはちゃんと回避していたのだろうか。そう考えたが違和感はある。
「悪いが、モヤモヤした感情は解消しないと気が済まないんでな!!」
先程よりも多く砲撃を空中にいる玻座真に向けて放つ。
360度囲うように砲撃を当てに行ったが、今度は周囲に展開した結界を足場にしてちゃんと回避した。
上手く回避された、と言うよりも空中を自由自在に動く者と戦う機会が少ないため角度調整が甘かった形だ。
そのことに歯噛みしているうちにも玻座真はもう目の前に来ている。
石流が立っている屋上に跳び下りようとしている。
「――グラニテブラスト」
……が、近づいたからこそチャンスにも繋がる。
複数の攻撃ではなく、しっかりと溜めた大砲を放つ。
幅広く強力な一撃。
回避も難しいタイミングでの呪力砲が玻座真を飲み込むが……直撃したはずなのに、玻座真は傷一つ負った様子もなく屋上に着地した。
(回避か幻術の術式か? いや、あいつは結界術が
結界術を使って光の屈折などを起こして幻影を生み出したのだろうか。
考察に入ろうとする脳の働きを意識的に止め、目の前のことに集中する。
黒い呪力で両腕を覆った玻座真が石流に接近する。石流も肉体を呪力強化して応じる。
強化した腕と腕がぶつかり、お互い顔色を変える。
(
(体術は微妙。呪力操作も出力も低め。だが術式性能で俺の呪力出力としのぎを削ってきやがる……!)
玻座真は面倒臭そうに、石流は笑みを深めながら相手のことを考える。
圧縮した絶界を腕に纏って攻撃をしているはずなのに、相手の呪力防御を
石流も一目見て玻座真の近接戦闘能力が低いのを理解したが、同時にそれでも近づいてきたことから何らかの強力な手札を持っていることはわかり、いつも以上に呪力の出力を上げて迎え打った。
ガリガリとお互いの呪力を削りながら押し合いをするが、その間に二人は一つの結論に至る。
玻座真の方がこの押し合いは優勢である。
優勢と言っても6対4ぐらいの割合であり、この押し合い以外の何かが発生すれば均衡は崩れる。だが二人の戦いに混ざれそうなほどの好戦的な戦力であったドルゥヴと黒沐死は死亡済みであり、残った烏鷺も乙骨と現在別の場所で戦っている。
石流の呪力出力は死滅回游参加者の中でもトップクラスであるとは言え、絶界を完全には防ぎ切れない。
むしろ絶界に対し特別な術式を使わず呪力だけで対抗出来ている石流がおかしいのだ。
(このまま押し合いするのも個人的には悪く
膝と腰を下げ、引く動きをする。
予想通り力強く押し合いしていた玻座真は石流の動きに釣られ、思わずたたらを踏む。
マズいと思ったが石流の速度に対応が遅れる。石流は姿勢を低くしたまま体を回転させて肩で玻座真の体に強くぶつかる。
「ぐっ……!」
圧縮の縛りによって両手以外の部位に結界を伸ばしていなかったため、もろに攻撃を受ける。
屋上から吹き飛ばされるが空中に結界を展開し無理やり動きを止める。そのせいでダメージを逃がせず全身に食らうことになる。それでも離されることを嫌い停止するが、
「――グラニテブラスト」
大砲が迫る。
再び人を飲み込めるほどの大きさの砲撃。玻座真の結界の防御力と先程の回避術式を警戒し、石流は出来るだけ威力と範囲を高出力で維持している。
空中にいることのアドバンテージを失いたくないため自身の体を止めることに使った結界を蹴ってさらに上空へと逃げるが、到達する前に砲撃が曲がる。
「…………『絶界』」
それを見て玻座真は顔をしかめながら対処する。
自身の体を覆う黒い結界を展開し大砲を防ぐ。
(今度は普通に防御したが……黒い結界? 最初のグラニテブラストを防いだ時も使ってたな)
汎用型の結界は青色。攻防一体の結界は黒色。
特に後者は硬さで防御ではなく、攻撃力で相手の攻撃を削ると言う術式内容になっているらしい。その分だけ縛りは多そうだが……。
(よくわからん回避術じゃなくて防御を選んだってことは、黒いやつよりも縛りが厳しいものと見た。少なくとも乱用は出来ないらしい)
グラニテブラストが消えて玻座真の姿が現れる。
防御越しでもダメージが入っている様子だが、その傷が治っていっている。
反転術式も使えるのかと感心していて……気づく。
二本指を立てた手を石流に向けている。
「マズッ……うお!?」
防御用に呪力で自身を守るが、狙われたのは石流ではなくその足下だ。
足下に四角形の
いや、打ち出した。
結界の出現によって石流は宙に投げ出される。それも角度を付けられており、何もしなければ玻座真がいる場所まで飛ばされるだろう。
基本的に翼を持たぬ生物は地面に足を付けて生きていく以上、空中で自由に動くことは出来ない。それはどれだけ強い術師であっても変わらぬ理だ。
「――――」
黒い呪力……圧縮した絶界を手に纏い玻座真は石流に迫る。
無論、石流も呪力強化した肉体で迎撃しようとするが、結界を足場にして自由自在の動きをする玻座真に後れを取る。
石流の格闘センスと反射神経、そして呪力ガードにより致命傷を負わないでいるが、時間の問題だろう。呪力を削って攻撃を食らっている。
地面に落ちるまでの時間を長く感じる。
いや、例え着地しようとしても玻座真が再び宙に飛ばすだろう。
相性が悪いなら、地の利で戦況を変える。
賢いやり方だ。だが……
「
石流の特徴とも言えるリーゼントに呪力が集束する。
それを見て玻座真は妨害しようとするが、
「……っ」
「イッ!!」
玻座真の拳を片腕に集めた呪力で防ぐ。
今までは体全体に呪力を纏っていたが、石流は腕に集中させてより硬度を上げた。
全体防御からピンポイントの防御で
「『尖結』――『結』」
呪力が集中していない腕と足に細い結界を突き刺し、さらに顎を突き上げる形で結界を展開して石流の顔を無理やり上に向けさせる。
砲口を明後日の方向にズラし、追撃をしようとする。
……が、石流の呪力の流れが変わったのを感じた。
「――グラニテバースト」
直前で、玻座真は攻撃から守りのための結界に切り替えた。