呪術世界の結界術師 作:ペンギンくん
・『病菌操術』:病に関連する生物などのパラメーター調整・強化を行うことが出来る。
・【藩出密苦】外殻がない領域であるが、それは神業と言われる閉じない領域ではなく伏黒の未熟な領域と同じ仕様。要するに代理となる物理的な外殻が無ければ垂れ流しのように呪力・術式が放出されてしまう。ただし伏黒と違い災王臥馬は調製した疫病細菌を強化するためだけに使うため、別に垂れ流しで構わない。
「たっくよ。偶然俺が通ったから良かったが、学校に財布を忘れるとかデート日にどうなんよ」
「デートと言うか……いえ、すみません。ありがとうございます」
「うちの学校は部活とか無いから、さっさと門を閉めるしな」
バイクを走らせながら呆れるような声音で話す玻座真に、乙骨は申し訳なさそうに返答する。
ふとした拍子にそう言えば、と思いポケットを漁ったのだが、心配した通りそこには財布が無かった。
マズいと思ったところにちょうど玻座真がバイクに乗った状態で通り掛かり、彼に乗せてもらいながら学校へ行き、そして再び里香の元へ向かう途中なのだ。
玻座真が言った通り、もう少しで学校の門が閉められるところだった。貴重品の類であるため用務員に話せば入れてもらえるだろうが、手続きが長引き里香をさらに待たせてしまうかもしれない。
そう言ったこともあり非常に玻座真の登場は助かった。
信号の待ち時間などで軽く雑談をしていると、唐突に乙骨の言葉が止まった。
「そう言えば……」
「ん?」
「先輩に言われたことを、あの時……理解出来てませんでした」
「いつのことだよ」
「えーっと……いつでしたっけ。確か初めて会って、鍛錬した後のことだったような」
「鍛錬? マジでいつのことだよ。……いや、鍛錬……うーん?」
乙骨もいつ話したことなのかまともに覚えておらず、玻座真の方も覚えているような覚えていないような、と言う感じの曖昧な反応をする。
先程玻座真が述べた通り、彼らが通う学校には部活というものはない。そのため一緒に鍛錬をする、みたいな機会はないはずだが。
だが少し考えると、彼と何らかの鍛錬をしていて、その時に何かを言ったような記憶が湧いてくる。
「いや……思い出してきた。確かそれっぽい気取ったことを言った気がする」
「気取ったと思ってたんですか」
「まだ入学したばかりで、呪術のことがよくわからず必死になっているやつに向けて言う内容ではなかった気がするな。……まぁ、俺もそこまで時間が無い人間だから、言えるうちに言った方が良いかもなぐらいのタイミングで言った気がする」
いつの間にか高速道路を走っている。
彼らのバイク以外の車は走っておらず、さらには乙骨も玻座真もそのことに疑問を抱かず話し続ける。
「――呪いを解くってことは本当の意味で離ればなれになるってことだが、大丈夫か。そう……先輩に言われたんですよね」
◆◆◆
「要するに、だ。お前には短時間で簡易領域を覚えてもらう」
災王臥馬の呪病エリアに入る前、玻座真はリカに対しこの後の方針を話していた。
「どうせお前さんは乙骨以外の言葉は聞きたくないだろうけど、乙骨の助けとなることは聞いてくれると信じる」
『……うん』
「まず、お前に俺の左腕を預ける」
その言葉にリカは何をしようとしているのか察し、指摘する。
『でも、ハザマの術式は模倣出来ない……』
「そうだ。俺の生得術式は『結界』であり、戦闘で使っている結界術は全て拡張した派生技だ」
まだ祈本里香が乙骨にとり憑いていた全盛期の時でも、乙骨は玻座真の術式を模倣出来なかった。より正確に言えば『結界』は模倣出来て乙骨の結界術の基礎は向上したが、目的であった玻座真の結界術――間流結界術の再現技は模倣出来なかった。
そのことから乙骨が模倣出来るのは生得術式の基底段階の部分だけ、と言う結論が出た。
もしかしたら乙骨がさらに強くなる、もしくは模倣した術式を鍛錬すれば拡張術式すら使えるようになるのかもしれないが、少なくとも今のところはその兆候はない。特に里香が成仏して弱体化してからは模倣術式が回数制限になったのもあり、拡張術式を習得するための鍛錬が出来なくなった。
そのため乙骨の模倣は狗巻の言霊術のような派生に頼らず単体で強い術式とは相性が良い……いや、それ以外とは相性が悪いのだ。
「だが今回の目的は俺の戦闘用結界術の方じゃなく、簡易領域をお前に修得してもらおうと思っている」
『…………』
「乙骨なしでも反転術式が使えるほどの呪力操作が出来る以上、単体で術式を使えなくても結界術までなら使えるようになるはずだ」
『つまり、ハザマの腕を食らい結界術が向上したところで……簡易結界を覚えろ、と?』
呪霊の時は特性のこともあり、まともな会話が出来たのは憑依対象であった乙骨だけであった。その抜け殻とも言える式神のリカも会話能力が危うい部分が見えるが、それでもある程度は冷静に考えて動いてくれる。
「俺がいなくなった後、お前は乙骨の下に行くんだろ? そうなると簡易領域を使えないお前も心棄弄の領域によって夢に取り込まれる。だから対策として俺の左腕を預ける。模倣した術式のストックを行う性質を持っているお前だからこそ、俺の結界術を抱えている間は必中効果を無効化出来るはずだ。――ただし、これに関しても時間制限がある」
『…………』
「さすがの俺も領域を使わず災王臥馬を祓えるとは思っていない。つまりどこかで反転術式で腕を再生させる必要がある」
乙骨の模倣はリカが対象の肉体を取り込むことによって条件を初めてクリアする。対象が反転術式などで奪われた部位を再生した場合、呪術的価値が失われて模倣した術式は使えなくなる。なので玻座真が腕を再生させてしまえば、恩恵が失われてリカは心棄弄の領域に呑みこまれる。
「五分だ。こっちも出来るだけ耐えるつもりだが、五分以内に覚えられなければ俺が救出しに行くまで……夢の世界だ」
相当無茶なことを言っているのは玻座真もわかっている。
はっきし言えば夢遊病状態の乙骨が災王臥馬のエリアに来なければ済む話だ。
ゆえに、これは保険。
最善を期待しての行いであり、駄目なら駄目で仕方がないで終わる話だ。
そう――玻座真が災王臥馬を祓えず逆に殺された時用に、次の戦力である乙骨の保護を出来るか、と言う最善を求める話だ。
質は不明だが災王臥馬も領域を使えると想定した方が良い。そして乙骨が【真贋相愛】で祓えたとしても、災王臥馬がいなくなったエリアを心棄弄の領域が埋め尽くすだろう。
そう考えると、やはり領域使用後の領域対策は持っている方が良いに決まっている。
ただし……それを習得するための時間は、今は無いに等しい。
これは賭けだ。
だが秤が好むようなものではなく……追い詰められた故の、その選択を採るしかないと言うもの。
「一番良いのが、簡易領域を覚えた状態で乙骨と合流。次点が簡易領域を覚えられなくても必中効果を無効化出来ている間に乙骨を見つけて心棄弄のエリアから避難する。行けるか?」
『やってみる』
お互いそこまで期待はしていない。
それでも全くなにもしない、と言う選択肢だけは採るつもりはなかった。
玻座真の反転術式の性能は高い方と言える。
呪力操作の技術値が低いため本来であれば同じツリーにある反転術式による回復も、同等かそれ以下の治療能力となるはずだ。
だが玻座真は他の者とは別の
治すと言うよりも、自分の体を直すと言う考え。
自分は絶対に他人を反転術式で治す技術は得られないなと諦めるほど、普通の人間からも……そして術師からも掛け離れた思考回路。
五条や天元、宿儺や羂索と言った術師のトップクラスの位置におり、人間離れしている者たちでさえも……理解や共感が絶対にされないだろう生き方。
反転術式を使い始めたことにより災王臥馬の駒たちもさらに攻撃的な動きに移った。だが攻撃ではなく回避に集中した玻座真を、捉えることは出来なかった。
タイミングをズラして攻撃しても、囲うように動いても、玻座真に回避される。
さもありなん、ここにいるのは史上最高の空間支配能力者。
回避に集中しているのであれば、隙間を埋めた程度の攻撃は余裕で避けられる。
玻座真に絶界を広げさせて消耗させる。それすらもクリア出来ず、彼の腕は再生し終わる。
そう、終わる。
恐山結界内で発生している大量殺戮の空間は、より強い空間によって塗り潰されて終わりを迎える。
「――――」
走り出し、
鳥人間たちが必死に追いかけてくるがどうでも良い。
複数の
ならば……出来るだけ巻き込める位置に行く。
全部は倒せない。それでも一番被害が出る場所に向かう。
絶界により空気抵抗を出来るだけ削減させ、際限なく加速していく。
そのやり方は仙台結界で学んだ。長時間対峙したわけではないが……やはり
前線に出てきて正解だった。仙台結界での戦いでの一番の収穫は……烏鷺の術式を観察出来たことだった。
「ふっ……!」
結界を再び広げる。
距離を短めに設定し、代わりに強度を上げたものだ。それでも先程の探知結界と同じように少ししたら食われて構成が解ける。
だが、その短時間で構わなかった。
結界により完全に把握した空間を歪ませ……自身の位置をずらす。
傍目から見れば短距離の瞬間移動をしたように見えるだろう。それは高専の者が見れば、五条の瞬間移動を連想させるはずだ。
だが違う。
あれは無下限呪術『蒼』による収束の力を利用した、空間圧縮。
対して玻座真のものは空間歪曲。
似て非なる原理を以て、玻座真は速く走るよりも……早く移動する。
そして彼の動きを見て、鳥人間や潜んでいるゾンビたち。果ては思考無き呪病たちも危機感を抱く。
生物であれば死んでしまう場所を当然のように歩き、見えないはずの位置からの攻撃を的確に避け、肉体欠損を治せるほどの反転術式を見せ、さらには異様な加速を行う。
恐山結界では最強最悪を誇る呪霊である災王臥馬であるが、玻座真の強さを見て自身を
高みの位置からふんぞり返っていた疫病の馬が、ようやく焦りを見せる。
だが、何もかもが遅い。
目的の位置に辿り着いた玻座真は掌印を構える。
その掌印は今までと同じ、不動明王の印。
だが組み込む術式は今までとは違う。
それは封殺の【封身淵祇】ではなく、
「領域展開――――【独理隠望】」
◆◆◆
形式は先程と同じように、外殻の存在しない領域である。
本当だったら閉じる領域を使う予定だった山岳大人と違い、今回は
『逃げ』を許可することにより範囲を広げられる縛り。
この技の使い手である両面宿儺は上も下も対象範囲に入れた上で半径200mと言う範囲を攻撃していたが、玻座真は今回横だけに限定した。
山岳大人の時は上も下も含めた状態で半径400mの範囲を誇る領域を展開したが、今回は白紙の状態で術式を付与する【封身淵祇】ではなく、絶界を付与した【独理隠望】。
絶界が拒絶の感情のみを糧に構成される術式である以上、【独理隠望】も同様の呪力限界が存在する。そのためいくら高位の結界術師である玻座真であっても好き勝手領域を広げられない。
縦3m、横半径600m。
直径で1.2㎞の領域が恐山結界内に出現する。
呪病の黒色よりも漆黒である結界が一瞬で広がり、領域に巻き込まれた生物たちは死滅していく。
逃亡を許す縛りを課した領域は、逃げる暇も与えずに滅殺していく。
ゾンビも、突っ込んできた鳥人間も、囮たちも、見境なく消滅していく。
【独理隠望】。
その領域には必中効果が付いていない。
必中効果を消す代わりに消滅の効力を上げている。
必中効果を取っ払っている理由は単純明快。
『絶界』は術者以外の他者を許さぬ結界だからだ。
【独理隠望】とは言うなれば巨大な『絶界』。
『絶界』に触れた者は見境なく消滅の力を食らう。
つまり領域の内側に入った段階で……必滅する。
拒
攻撃性の高い術式が付与された領域では稀に見られるケースであり、火山頭の呪霊である漏瑚が見せた領域も内部の環境だけで相手にダメージを与えられるものであった。
玻座真の【独理隠望】はつまるところ、その極地。
『――――』
当然、災王臥馬はその領域から逃げる。
運良く領域展開の範囲外に疫病の馬はいた。
1.2㎞の領域と言えどさすがに呪病エリア全てを潰せない。ゆえに出来るだけ巻き込める場所で領域展開をしたが、災王臥馬は外れの位置にギリギリいたため巻き込まれることなく消滅を逃れられた……が。
『――――』
災王臥馬からしたら本当に逃れられたかわからず、走り続けるしかない。
領域を使える災王臥馬だからこそ、この領域が異常であることが理解出来る。
どれだけ範囲を広げられるのか術者以外はわからない以上、出来るだけ逃げるしかない。
玻座真が推測した通り災王臥馬は術式性能が優れている代わりに、本体性能が高くない呪霊だ。だがその形が馬であるため、四本足を駆使して人間以上の速度を出す。
早く――早く――早く――!!
『――――っ』
ふと、感じる呪力が途絶えた。
足を止め振り向くと、玻座真が展開していた漆黒の領域が消えていた。
逃げ切った。
その思いが災王臥馬の中に湧き出る。
玻座真の領域のせいで今まで作り上げてきた呪病や手駒が六割以上、消滅してしまった。だからと言ってこのまま玻座真を放置してしまえば次の攻撃で自分は祓われてしまうだろう。
先程までは時間は災王臥馬の味方であった。だが今は玻座真に時間を渡してはいけない場面に移った。
焼き切れた術式が回復する前に殺す。
そのためにも災王臥馬は呪病や残っている駒に命令を下し――
「絶槍・載」
――その額を、黒い槍が貫いた。
『……?』
何が起こったのか蒼褪めた馬は理解出来なかった。
そして何も理解出来ずに……消滅した。
「……ふぅ」
『絶槍』の感触から、そして消えていく一部の呪病の存在から災王臥馬を祓えたことを玻座真は感じ取ったところで、術式の焼き切れにより『絶槍』が消える。
想定した通り呪術の一部となっていた細菌は消えてくれたが、調整された中には普通の微生物を改造・強化したものも存在していた。そのため全ての病菌が消えたわけではない。だがそれでも、
『5点が追加されました』
「便利だな……これ」
災王臥馬が消滅したことを、死滅回游のシステムが保証してくれる。
「…………」
領域の結界の転用。
渋谷にて両面宿儺に対し【封身淵祇】の領域結界を球状の封印術に利用したことがある。
原理としてはあれと同じであり、巨大な絶界である【独理隠望】を槍に形状変化させたのだ。
囮があったため災王臥馬がどこにいるのか不明であったが、領域から逃げるため動いたのを感じ取り『絶槍』でとどめを刺した。
1.2㎞を誇る領域を槍と化したものは、形状の関係で当然1.2㎞以上の長さとなった。そして領域効果として威力が上がっている。それが丸々と一つの攻撃に込められて額に突き刺された以上、特級呪霊だろうが消滅は免れない。
「…………」
早急に祓うべき災王臥馬を消滅させられた。外国兵の問題はあるが、やるべきことは終えたと言えるだろう。
乙骨とリカを探さなくては……そう思っても、体が動かなかった。
「呪力を使い過ぎた……」
思わずその場に座り込んでしまう。
仙台結界で激戦を繰り広げ、さらには数日もしないうちに不安定な超広範囲領域と消耗が激しい【独理隠望】を使った。
溜まりに溜まった疲労が一気に襲い掛かってきたのだ。
「眠いけど、さすがに眠るわけにはいかねぇ……」
未だに危険度の高い細菌が漂っている可能性がある以上、長居するのはマズいのもあり……本当に少しだけ休むことにした。
◆◆◆
高速道路をバイクで走りながら乙骨と玻座真は話し続ける。
風の吹く音で普通であればお互いの声がはっきりとは聞こえるはずがないのに、何故か今は普通に会話が出来ている。
「呪いを解くってことは本当の意味で離ればなれになるってこと、ね。確かに言ったな」
かつて乙骨に言った自身の言葉を、噛み締めるように呟く。
「ただ、さっきも言った通り……入ってきたばかりで何も知らないやつに掛ける言葉ではなかったと反省してた」
「でも、やっぱりちゃんと未来のことを考えなかったのは……良くなかったんです。里香ちゃんの成仏と言う目的と結末は変わらなかったでしょうが……それでも」
「…………」
「それでも……里香ちゃんがいなくなった後の自分のことを、全く考えなかったのは……悪いことなんです」
いつの間にか、周囲の景色は高速道路から一般道に移り変わっている。
「里香ちゃんと離れたら自分は呪術師じゃなくなるんだろうな。真希さんや狗巻君、パンダ君や……みんなとも別れることになるんだろうな。
まるで迷い人が聖職者に罪の告白をするかのように、乙骨は言葉を絞り出す。
事実……彼は迷ったのだ。
「里香ちゃんが消えても、僕は呪術師のままでした。これならみんなとまだ一緒にいられる。そう……最初は喜んでいました」
「…………」
「だけど……少しずつ、現状を理解していき……怖くなった」
「…………」
「朝起きて、夜に眠り。その時に……そう、その時に」
――なんで里香ちゃんがいないんだろう、と思ってしまうんです。
「……ま、そうなるとは思ってたよ」
「やっぱり、先輩はわかってたんですね」
「想定の範疇ではあったな。粘度の高さは予想以上だったが」
「粘度って……」
玻座真の表現に乙骨は無理に苦笑するが、玻座真は笑わない。
むしろそれすらもあの時に想定すべきだった、と考える。
「…………」
あの百鬼夜行の主犯である夏油傑。
史上最悪の術師と複数の特級呪霊が主体となって起こされた渋谷事変と同等の呪術テロを、数十年しか生きていない人の身で起こした呪詛師。
夏油の主張に反して、百鬼夜行での一般人及び社会に対しての呪術的被害は少ない。
被害が全くないわけではないが、積極的に一般人を巻き込んだ同規模の渋谷事変と比べるとその被害は本当に少ない。
何故なら百鬼夜行の時の夏油は乙骨の里香を狙うことが目的だったからだ。つまり、非術師の皆殺しと言うのは最終目標であり……その過程で一般社会を必要以上に攻撃してないのだ。そのため死滅回游が開始されるまでは、まだ呪術と言うものが表社会には伝わらなかった。
一般社会を夏油が攻撃しなかったのは彼が優しかったから……ではないだろう。きっとそれは良くも悪くも夏油傑と言う人間が
結果的に被害は少なかった。
それでも……夏油傑と言う人物は、呪術の歴史に名を残すほどのテロを起こした呪詛師なのだ。
そんな存在を――今でも五条先生は親友だと称している。
呪詛師としてテロを行った夏油を赦しているわけではないだろう。実際、呪術師として呪詛師の彼を抹殺している。
だがそれでも……彼は親友と呼んでいる。
親友だった、ではなく今でも親友と思っている。
人によってはその関係性の持続に引いてしまう者もいるだろう。
実際、玻座真はその
そして遠戚らしい乙骨と五条であるが、そう言う部分を見ると確かに『血』を感じる。
血筋に保証された呪術の才能とは……そう言う人間性の部分なのかもしれないと、玻座真は『濃さ』を感じてしまう。
最愛の人を化け物にしてでも留めようとする執着性にも似たその重い想いを、乙骨自身は軽く見ていた。
ゆえに――
「祈本里香を成仏させて、後悔したのか?」
「……後悔はしていません。ですが、里香ちゃんがいない日々は……最愛の人がいない日々は、本当に最悪な気分でした」
どれだけ空が明るくても。
どれだけみんなが笑っていても。
どれだけ達成感に満ちていても。
……乙骨憂太の心は、暗かった。
一日目はまだ平気だった。
二日目には不調に気づいた。
三日目にはもう不調の原因がわかっていて、苦しんだ。
近くに里香はおらず、そしてもう今までのように言葉を交わすことが出来ない。そのことに深い悲しみと……そんな自分に嫌悪していた。
もう会えない。そのことに今更苦しんでいる。
自身のどうしようもない二重の救えなさを、乙骨は感じていた。
五日目には無意識のうちに里香の姿を追っていた。
六日目には何かを里香だと勘違いし、錯覚するほどに至っていた。
まるで親とはぐれた子供のように、彷徨っていた。
いや……本当にその時の乙骨は迷子だったのだ。
里香と言う存在を本当の意味で失い、彼女の姿を探し続ける……迷子。
「そんな僕のことをきっと里香ちゃんは……僕以上に理解していたのでしょう。だからリカちゃんを僕に遺してくれた」
「いなかったら後を追っていた、と?」
「……長生きして、と言われてたので」
そう言うが、それすらもまともに実行されていた願い事か怪しい。
幸せに長生きするのと……廃人のような人生を送りながら長生きするのとは全く別なのだから。
「思うところは色々とあるが……別に良いんじゃねーのか? 愛だとか恋だとかに疎い俺でも、好きって気持ちってそういうもんってことぐらいは知っているさ」
「……あっさりとしてますね」
「昔から……
玻座真の不思議な言い方に少し疑念を覚えるが、それを口にするよりも先にバイクは停まる。
「ほら、着いたぞ」
「あ……ありがとうございます」
いつの間にか自分たちの姿が私服から制服になっている。
そのことをスルーしながら、乙骨はバイクから降りる。
「それじゃあな」
「……はい」
別れの挨拶をして玻座真は去っていく。
その姿を見送ってから、乙骨は歩き始める。
事前に決めていた集合場所に向かう。
「……里香」
「あ、憂太。ようやく来た!!」
乙骨を待つ憂いを帯びた姿に周囲の人々はちらちらと里香を見ていた男たちが、彼氏の登場に嫉妬の感情を見せながら散っていく。
そのことに気づき憤懣を滲ませた表情を浮かべながらも、彼女は乙骨の腕を取る。
「ほら、行こ。デートの続き」
そう言って彼女はどんどん進む。
どんどん、どんどん……進んでいく。
「ねぇ、里香ちゃん」
「うん? なに?」
前を歩く彼女の顔は見えない。
それでも乙骨は……自分の心を言葉にする。
「僕は……本当は……里香ちゃんとまだ一緒にいたかったんだ」
その乙骨の言葉に、里香は立ち止まる。
手を引かれていた乙骨も一緒に立ち止まりながら、そのまま言葉を続ける。
「そう、まだ……一緒にいたかったんだ。悪いことだとわかっていても、ずっと」
「…………」
「いつまでも、これからも。ずっと一緒にいるもんだと思っていた。……君を縛ったのも、姿が変わってしまった君の被害に愚痴を零していたのも。全部が僕の弱さの証だったって言うのに……何もかもが良くなかった」
「…………」
「だけど、解放出来た。みんなのおかげで……僕は強くなれたかはわからないけれど。それでも解放出来た。……それをわかった上で、本音を言う」
「…………」
「いつまでも、これからも……ずっと一緒にいたかった。ずっとずっと、僕と一緒にいて欲しかった」
「…………」
「でも。それでも」
「…………」
「解放出来たことだけは、ちゃんと誇りに思うんだ。良かったと感じている。そのどっちの気持ちも……嘘じゃないんだ」
告白するような内容ではないかもしれない。
それでも口にしたかった。
自分勝手だとわかっていながらも、この想いだけは打ち明けたかった。
その言葉を聞き、里香は笑い声を出す。
「ふふ」
「里香ちゃん……」
「私、知ってるよ。全部知ってる」
いつの間にか、彼女の姿が幼い頃のものに変貌している。
偽りの姿から、ありし日の……本来の姿に。
「
振り返り、里香は乙骨を見る。
慈しみの感情を乗せた笑みを浮かべながら、彼を見つめる。
「確かに憂太は強くないかもしれないけど……ちゃんと前を見て生きるんだよね?」
「……ああ」
「だったら大丈夫だよ。私はあの時、消えるまでの間に……その姿を見たんだから」
そう言いながら里香は彼の頬に両手を添えながら……明るく笑う。
「だから憂太、頑張ってね。大好きだよ」
そんな彼女の言葉と笑顔に、乙骨の涙は流れる。
理解している。
玻座真との会話も、そして彼女との会話も全て幻だ。
心棄弄の術式によって見ている、自分にとって都合の良い世界だ。
それでも……里香の言葉は乙骨の心に響いた。
「ありがとう……里香ちゃん。……好きだ。本当に好きだ。愛してる。本当に……」
――さようなら、里香ちゃん。
「…………」
目を開くと、山岳大人を祓った位置からかなり移動していたことを理解する。
霧に包まれて見えづらいが自分はどうやら山にいるようだ。
そして……誰かが左手を握っていることに気づく。
『憂太……』
涙を流しながら乙骨の手を握るリカの存在がいた。
その手は温かくなかったが、どこか温もりを感じる。
彼女に笑みを浮かべながら、礼を言う。
「ありがとう、リカちゃん。守ってくれて……導いてくれて」
足下を見ると、リカを中心に簡易領域が展開されていた。
これによって乙骨は夢の世界から抜け出すことが出来たのだ。
そして――
「心棄弄……」
――貝の特級呪霊の元に辿り着いていた。
四メートルほどの巨大な貝が、その山頂にいた。
貝殻や身の部分は普通の貝と同じように見えるが……管の部分がひっくり返った蛇のようなものとなっている。
蛇は必死に乙骨を睨んでいたが……乙骨はもう脅威に感じていなかった。
「ああ……」
苦しい気持ちも、寂しい気持ちも本当だ。……乙骨が里香を束縛した罪も、本当だ。
それらは全て消えない。
だがそれらを全て飲み込み超えて、乙骨は今をしっかりと生きるつもりだ。
夢で里香と再会し……自身の心の輪郭をなぞるように気持ちを確認出来た。
そのことに笑みを浮かべる。
「久しぶりに顔を見れたことだけは、感謝するよ」
そう言いつつも心棄弄の存在を残すことは許されない。
ゆえに、乙骨は祓う。
刀を抜き、刺し、そして反転術式の正エネルギーを注ぎ……心棄弄は消滅した。
「…………」
霧が晴れ、青空が見えるようになる。
少しだけ眺めてから……リカに顔を向ける。
「戻ろうか、リカちゃん」
『うん』
……こうして、乙骨憂太は歩き続ける。
幼馴染であり最愛の人を呪いで縛った罪を贖うため。
本当に彼女を愛しているからこそ、彼は自分のことを赦せないのだ。
だから彼は歩き続け……いつか死んだ時、自分が歩んできた人生を彼女に語るのだ。
あの後、自分がどんな人生を歩んだのか……自分を愛してくれた少女に……。
――あの世で再会するために、これからも贖罪の旅を続ける。
『空間歪曲』
【結界師】において最強を誇る主人公の母親が扱った移動方法。さすがの玻座真もこれに関しては「言いたいことはわかるけど、やり方がわからん」と言う技だった。だが仙台結界においてちょうど良い術式を見たので、それを参考に模倣した。
烏鷺のように空間を掴むことは出来ないが、多少は歪めさせられるようになった。
これにて恐山編は終了。ただしこの章はまだ続きます。次からは今回の乙骨君とは真反対のあの人の話。
次回、『転獄』。