ギーシュとの決闘騒ぎから約一週間。 アンリとルイズ、そしてキュルケが馬でトリスタニアに向かった日の夜。 そう。 彼が護身用の武器としてデルフリンガーなるインテリジェンス・ソードを買い与えられた日の夜であった。 使い魔に剣を与えたルイズと、豪華な大剣をアンリにプレゼントしたいと申し出た二人はその因縁故か、何故かどちらの剣を使うのか雌雄を付けるために決闘を起こした。
決闘と言っても魔法による戦いではなく、どちらが先にロープを切ることが出来るのかの勝負である。 そしてその先には、両者からの反感を買ってしまったアンリが吊るされていた。 「両方というのではいけませんか?」という返答が駄目であったらしい。 張り倒された彼は意識を取り戻すと既に『レビテーション』で浮かされ、木に吊るされていたのである。
「なんだ、坊主も随分と苦労するね」
「そう思うなら解いてくれないか」
「無理だよ。 俺っち剣だから腕なんてついてないさね」
「そうかい。 なら使い手が何かすら分からず逝く可能性も出てきたな」
裏通りのチクトンネ街、その武器屋にてインテリジェンス・ソードの彼――つまりデルフと出会った訳なのだが、彼を手にしたとき、デルフは「使い手か。 オメ―」などとよく分からない単語を発していたのである。 使い手。 剣をこれから扱うと言う意味でならあっているが、そんな単純な意味ではないのだろう。 問い質すためにもその剣を買ってもらったはいいものの、肝心の魔剣とやらは歳故に忘れたというのだ。 しかも肝心の事態に役には立たない。
理不尽な所業に愚痴を溢しながら、アンリは必死にロープを解こうと腕を動かした。 しかし予想よりもがっちりと固められていて素手では解けそうもない。 ならば刃物をと思ったモノの、すぐそばに立てかけられたデルフリンガーは
「ダーリン! そろそろ行くわよ!」
キュルケはこちらを向いてそう叫んだ。 彼女がそう呼ぶのは、あの決闘の姿に見惚れたからという理由らしかった。 二人の因縁について知ったのも、数日前彼女の部屋に呼ばれた時である。 先祖代々殺し合いが続く仇敵の間では、家名を侮辱することも許されるらしかった。
「いくわよ!」
先行を譲られたルイズが声を出して気合を入れると、火球の魔法を唱えた。 一瞬周囲が熱くなったかと思うと、杖先から生じた爆発がアンリをすぐ側を襲った。 ロープではなく、後ろの壁の遥か上空に当たると、壁面の土壁がぽろぽろとアンリの元に降り注ぐ。
「魔法もダメなら狙いもダメね! ルイズ!」
「う、うるさいわね! アンリも! あんたが動くから気が散ったじゃない!」
赤面させながらルイズは怒鳴った。 それは何とも理不尽な叱咤であったが、苦しい態勢では文句をいう事もままならない。 次は腹を抱えて笑うキュルケの番であった。
//
『土くれ』と二つ名を付けられた、トリステインの貴族たちを恐怖で震撼させるメイジの盗賊が存在する。 通称"土くれのフーケ"である。 その素性は割れていないが、弁明上彼とされたその者はトリステイン中の貴族の邸宅に忍び込むと、彼らの宝、財産を奪って逃げるのだ。 それも忍び込んでおきながら、最後はその二つ名に恥じぬ巨大なゴーレムで屋敷や門を潰していく。
しかしあまりに手際が良いものだから、捕えようと兵士たちが集う頃には巨大ゴーレムの亡骸ともいえる巨大な
そんな彼。 いや、"彼女"は現在、学院の宝物庫が存在する塔にいた。 どのようにして忍び込んだのか、フーケは壁をつま先で数回叩くと、すぐさま壁に掛けられた固定化の程度を確かめる。 が、結果は芳しくない。
「どんだけのメイジがやったっていうんだい? これじゃ、城レベルじゃないか」
彼女が今まで襲ってきた屋敷とは比べ物にならぬほどの練度である。 それこそ王族が住まう城に掛けられたものに匹敵するほど、トリステイン魔法学院の塔に掛けられた固定化は強力なのである。
「あのスケベ爺が本物ってのも、嘘じゃなさそうだね。 これじゃ、あたしのゴーレムでも突破できるかどうか…」
フーケは腕を組み、そして思考した。 彼女にしては長い、数か月という時間をかけてこの学院に潜り込んだはいいものの、突破口が見当たらないのだ。 彼女の"立場上"宝物庫内部に侵入することは出来ても、目当ての宝を奪えば真っ先に疑われる。 それでは態々潜り込んだ意味がないので、外部の人間の仕業だと装う必要があったのだ。
「あの盾…本物の様だけど」
フーケが今回狙う宝は、『竜紋章の盾』と呼ばれる古い中盾なのであった。 古く、故も知らぬ盾なのだが、その盾は少なからず魔力を帯びており、そして表面には美しい竜の紋章が彫られている。
フーケは今まで奪ってきた宝物の多くを裏、それも好事家達に横流しして金に換えてきた。 普通、貴族は平民の武器、例えば槍や斧などを嫌う。 剣や刺剣と言った昔の魔法騎士と呼ばれる貴族が扱った武具は歴史的価値があるので高く売れるが、それらは所詮美しいだけの道具でしかない。 しかし、その盾はフーケが実際に確かめた事でも分かったが、間違いなく何らかの魔法が込められている。 つまり故も知らぬメイジが、何らかの魔法を施したという事なのだ。 そしてその見た目だが、確かに美しい。 蒼く、そして竜が刻まれた武具。 盾と言えどその価値はかなり高いものになる。
今まで奪ってきた何よりも高く売れる。 フーケはそう確信していた。 故に、確実にものにするため長い時間を掛けたのだが、その手前で躓いてしまったのである。 当然、得物を目の前で歯がゆく見つめる事しか出来ないのだから、フーケの機嫌は徐々に悪くなっていく。
「ったく! あの禿げ、何が『固定化しかかかってません』だ」
フーケは時折昼食を誘ってくる禿げ頭の教師の言葉を思い出していた。 コルベールである。 研究熱心の彼ならば宝物庫についても詳しく知っているだろうと思い、それにも付き合ってきたのだが、このざまである。 期待させておいてその固定化が並ではないのだ。
「さて。 悪態をついても仕方がない。 どうしたものか…ん?」
何者かの話し声が聞こえたフーケは素早く塔の陰に隠れた。 未だ浮遊したままであるので目撃されれば怪しまれる。 今日は止めておこうかと考えていたその時である。
ズドンッ! と腹の底に響くような爆発と衝撃が、塔に触れていたフーケを襲った。 その音は日中学院内に響くあの爆発音。 そう、ゼロのルイズによるものだと、フーケは経験より理解していた。
「たく、あの小娘もこんな夜中に何をしてるってんだい…」
そんな悪態をつきながら、魔法を解いて離れようとした時。 煙が晴れて、元の壁が見えた時であった。 壁に、亀裂が生じている。 先程解析して、結局力任せの方法ではぶち破れないと判断したあの壁がである。 その事実に驚愕して一瞬動きを止めたフーケだったが、プロである彼女は直ぐにそれを確認した。
二つの月が壁を照らしている。 目の錯覚ではなく、確かにそこには亀裂、深い罅が生じている。 先程まで新品同様、劣化した素振りを見せなかった壁は、戦場跡の廃屋に刻まれたと思われるほどに大きな亀裂を有しているのだ。
――これはこれは。 あたしにもツキが回ってきたってわけかい。
仕事の態度に切り替えたフーケは心の裡にそう呟いて、もう一度深くフードを被ると地上へと降り立った。 そして、土くれの所以たる魔法を唱えようとしていた。
//
学園のすぐそばに超巨大な、三十メイルもあろうゴーレムが生まれ出た。 アンリがそれの事に気付いたのは、自らを吊るしたロープを焼き、そして服を焦がした張本人であるキュルケが歓喜の表情を焦りへと変えた時であった。 受け身を取れず叩きつけられ、鼻を赤くしたアンリはそれと同時に、地面が轟いていることを認知したのだ。
「な、なにあれ…」
「ね、ねぇちょっとキュルケ、あれっていったい…」
それが足をこちらに向けて歩き出したとき、キュルケは甲高い悲鳴を上げて逃げ出した。 遅れてルイズも、叫んでその背を追いかけていく。 アンリは未だ、ロープを解かれぬままであった。
「なあ坊主。 これってかなり、まずい状況かね」
「冗談やっている場合かよ!?」
何とか足だけで体を起こすと、迫るゴーレムを再び視界に捉えた。 月の逆光でよく見えぬが、肩に乗った人影のような物が、腕を振り下ろしているように見えた。 その瞬間に、巨人の足は持ち上がる。 その人物は邪魔な人間を潰してしまうように命令したらしかった。
しかし。 腕と体を巻き付けるそれは解けない。 袋に入った、いくつかのナイフを手にすることは当然として、買い与えられた大剣――クレイモア程のデルフリンガーは当然としてこんな様じゃ抜くことすらできない。 しかも全力で走ったとしてもその足からは逃げられそうもない。
アンリはあの決闘の日。 そして今日店にて剣を握った時の事を思い出し、後ろ手で立てかけられたデルフリンガーを手にすると、風のように駆けだした。 未だ理由はしれないが、このルーンは剣を手にすると運動能力を大きく高めてくれるらしかった。
そんなアンリを見て我に返ったのか、二人は杖を抜くと各々攻撃魔法を唱え始めた。 火球と爆発が巨人を襲うが、あれだけ大きくそして強固であるのか、それは足止めにすらならない。 狙うならば恐らく術者である肩に乗った人影なのだが、高さとこの暗さで動く人間を狙い撃つのは、相当に熟達したメイジでも難しいであろう。 アンリはそう思って、すぐさま逃げるように叫んだ。
「速く走れ!」
「あんたが縛られてるから戻ってきたんでしょうが!」
「それをしたのはあなた方でしょうに!」
ルイズがようやくナイフで枷を切ると、アンリはルイズを抱えて横っ飛びした。 刹那、降り注いだ足裏が側の木を粉々に打ち砕き、深い足跡を平地に刻む。 土が陥没した様を見れば、人間など原型も残らぬだろう。 この不可思議な力がなければあの木と同じ末路を辿っているに違いなかった。
先程まで姦しかったルイズは蒼白になり、普段であれば見せる強がりすら言ってのける余裕もなかった。
『フライ』で飛ぼうとしたキュルケにルイズを預けると、アンリは鞘よりデルフリンガーを抜く。 錆びた刀身は随分頼りなかったが、短いナイフを振り回すより幾分かマシであった。 そして握られた剣は、その杞憂を読み取った様であった。
「ようやく抜いたかと思ったら、今度は失望かい? ひでぇなぁ」
「あんな相手じゃどんな剣でも変わらないだろ!」
再び振り下ろされた足を掻い潜るとアンリは駆けた。 こんな剣一本では文字通り太刀打ちも出来ないだろうが、せめて二人が逃げて助けを呼ぶくらいの事件は稼がねばならない。 両の手で振るった剣は少し足の表面を削るばかりで、崩れる様子は一切なかった。
「固定化かけられてんだから意味ないぞ! メイジをやんなきゃこいつは止まらねぇ!」
「無茶言ってくれる!」
理屈は理解している。 が、魔法を使えぬ自分がどうやって三十メイルも上にいる奴を倒せるのだろうか。 メイジで杖を持っていたとしても、ゆっくりとしか飛べない魔法では叩き落とされるのがオチなのだ。
アンリの顔に焦りが生まれた。 幸いにして小回りが利かない巨体であるが故に未だ潰されずにいるが、それもいつまで続くかは分からなかった。 そしてある時、とうとうしびれを切らしたのか、ゴーレムは身を屈ませると腕を振りぬいた。
「あぶねぇ!」
「ッ!」
剣が叫ぶと、アンリも回避行動に移ろうとした。 しかし、足踏みにより身を浮かされ、宙に浮いたに近い状況では身動きなど取れない。 アンリは咄嗟に、デルフリンガーを盾のように構え、その内側を手の甲より抑えた。
正しく鉄塊。 感じたこともない程の衝撃と膂力を受け、アンリは文字通り吹き飛ばされた。 宙を舞い、すぐそばの木々へと叩きつけられる。 木々が緩衝材となり、直接地面に打ち付けられなかったことは不幸中の幸いと言えよう。 手足が強く痺れていることを感じながら、アンリはデルフリンガーを地面へと突き立てゆっくりと立ち上がった。 口うるさい剣もまた、折れてはいない様である。
「いてぇなぁ坊主。 剣を盾にするなんざ酷いことしやがる」
「お互い体が頑丈で助かったよ」
数回手の平を開閉させて、握力が残っていることを確かめるとアンリはその茂みより抜けた。 しかし。 先程まで殺さんと猛っていた巨人は既にその姿を消している。 吹き飛ばされてからたった一分ほどで、あのゴーレムは姿を消してしまったのだ。
使い魔が吹き飛ばされ森へと姿を消したとき、空を飛んだ二人は巨人が奥の塔へと進むのを見た。 そして側で足を止めると、ゴーレムの巨大な腕が塔へと叩きつけられ、ぽっかりとその壁に穴を空ける。 すると肩に乗った人影はその中へと入っていき、何かを抱えて出てきたかと思うとすぐさま元の肩に乗り移った。
そう。 たしかあの場所は宝物庫があった場所である。 一年生の頃授業で学院を見学したルイズは、そんな事を思い出していた。 しかし今はそれより、殴られた使い魔の方が重要であった。
「ア、アンリは!? ちょっとキュルケ! 今すぐ私を下して!」
「馬鹿言わないで! 探しになんて行ったらあんた潰されるのがオチよ!」
キュルケに抱えられたルイズは吠えるが、背丈で負けた少女ではキュルケに勝てない。 そうしていがみ合っている間にも、あのゴーレムと影は次第に遠ざかっていき、そして体が崩れ去った。 ようやく下りた二人がそれを追ってみれば盛り上がった土くれが残るばかりである。
この日。 トリステイン魔法学院は土くれのフーケの標的として敗れたのであった。
//
蜂の巣をつついたようとは、このような状況を指しているのだろう。 普段忙しなく走るのは平民のメイドと使用人だけであったが、この日の朝だけは違っていた。 前日の夜土くれのフーケより襲われ、そして無様にも宝物庫を破られてしまった貴族たちはその責任の追及をするべく、朝早くから宝物庫へと集っていた。
喧騒が絶えない室内は、それはもう緊迫した状況であった。 何せ、古くより保管されてきた『竜紋章の盾』と『竜狩りの大剣』が盗まれたのである。 それも貴族、即ち大勢のメイジがいる学院を、壁を正面から破って見せたのだから、その衝撃は大きい。 皆中に入っては大きく空いた穴とフーケにより残された犯行声明を見て呆気に取られては、その責任を押し付け合っている。 貴族とは思えぬ醜態であった。
「土くれのフーケなどと! 巷で騒ぎを起こしている盗賊だと言うではないか! そんなコソ泥に盗まれたとなっては魔法学院の名も泣きますな!」
「口を慎まれた方がよろしいかと。 それ以上は他に被害を受けた貴族たちの名誉を侮辱することにもなります」
「衛兵は何をしていたのか!」
「平民ではたとえ気付けたとしても頼りにはならん!」
「当直の貴族は! いったい何をしていたのかね!」
宝物庫の中で唖然として立ち呆けていたミセス・シュヴルーズは、はっとして顔を蒼白にした。 昨晩の当直は彼女だったのである。 この学院は王都から離れているし、メイジが大勢いるのだからそんな輩が襲ってくるなど思ってもおらず、彼女は自室で安眠を貪っていたのだ。 本来であれば詰所で仕事をしなければならない。
「ミセス・シュヴルーズ! 帳簿にはあなたの名前が記されてますぞ」
「この責任をどうとるおつもりか!」
遂に誰かが、当直の日程表を持ち出してミセス・シュヴルーズを追及し始めた。 どうにもならぬと悟って、誰か一人を生贄にすることを選んだのである。
そんな状況で絶望の淵へと立たされた彼女は、ついに化粧を崩しながらぽろぽろと涙を流し始めた。
「お、お許しを…」
「泣いたとて事態は解決しないのです! それとも剣と盾を弁償できるのですか!」
「家を建てたばかりで…」
風の『スクウェア』であるギトーが、そのまま彼女を捲し立てようとしたとき。 ようやくオスマンは中へとやってきた。 そして、騒がしい彼らを諫めて見せた。
「貴族たる者、冷静になり給えよ。 一人の女性を寄ってたかって責め立てるのは何とも情けない話であるとは思わんかね? ギトー君」
「ですが、オールド・オスマン! 彼女は勤めを果たさず悠々と部屋で寝ていたから、今回このような失態を犯すことになったのですぞ!」
「しかしだね。 今までまともに当直を果たしてきた人間はこの中に何人いるかね。 ん?」
そう指摘された多くの教師たちは顔を見合わせて己を恥じた。 ミスタ・ギトーだけが「私は手を抜いたことはありません」と主張した。 彼は生真面目であったのだ。
「君が真面目で、教師としての務めを果たしてきたことは疑わん。 しかし、まさかこの学院が襲われると思っていたものは一人もおらんだろう。 儂も、君もだ。 その点で儂らは反省せねばならん」
咳払いをして、「責があるとすれば儂にある」と続けた。 表立って擁護されたミセス・シュヴルーズは感激して、おいおいと再び泣き始める。
「して、目撃していた生徒は何処かね?」
「この二人です」
入口より控えていたコルベールは、ルイズとキュルケを手招きした。 側にはアンリもいたが、彼は生徒ではない。 故に勘定には入っていなかった。
「ふむ。 君らかね。 説明したまえ」
「はい。 私たちが野暮用で外にいた時、急に巨大なゴーレムが現れまして…使い魔のアンリを追いかけまわした後、ここの壁に大穴を開けていきました。 肩に乗っていたフーケと思わしき人物が中に降り立って、何か宝を…その、盾と剣だと思うのですが。 それを取っていったかと思うと、ゴーレムは土になってそのフーケも行方知れずに…」
前に出て説明したルイズであったが、オスマンの表情は険しいままである。 息を飲んで、その後を伝えた。
「追跡も考えたのですが、逃げ先も分からずに」
「手掛かりは無しであると」
「はい…」
しかし。 オスマンは最初から期待などしていなかったように、「しようがあるまい」と漏らした。 そしてコルベールに尋ねた。
「ミス・ロングビルは何処に?」
「彼女はその…今朝から姿を消しておりまして」
「彼女が? 一体何処へ?」
「何処なんでしょうか」
有能な秘書が姿を現さないのでオスマンは焦れたが、少しすると彼女も姿を現した。 コルベールは焦りより捲し立てるように彼女の行動を訪ねたが、彼女は落ち着いた様子であった。
「申し訳ありません。 朝よりフーケが現れたとのことで、調査をしておりました」
「首尾は?」
「周辺の村より調査したところ、フーケらしき人物が付近の森の廃屋に入っていったのを目撃したと。 黒いローブを纏っていたそうです」
「それはフーケに違いありません!」
ルイズは叫んだ。 アンリもまた同意見ではあったが、黒いローブなど何処にでも存在するため、確実性があるとは言えない。 しかし。 知り得た情報はそれしか無いのだから、信じる他ないのだ。
「場所は?」
「学院から徒歩で半日。 馬で四時間程度と言った所です」
鋭い視線のままオスマンは問い、そしてミス・ロングビルは答えた。
「ならばすぐ王室に伝令を! 衛士隊の応援を要請するべきです!」
コルベールはそう提言したが、オスマンは一蹴する。 そして細くした目を開き一喝した。
「バカ者! そんな事をしている間に逃げられてしまうわ! それに、己に降りかかる火の粉を払えくして何が貴族じゃ! 君たちのその杖は飾りかね? 普段の威勢は、何処に行ったというのだ! 盗賊を捕え名を上げたい者がいるのなら、杖を掲げよ!」
普段魔法と家柄を誇るだけの貴族たちは黙り込んだ。 ただ顔を見合わせるばかりで、袖から杖を取り出す勇敢な者など何処にもいない。 しかし。 普通はそうなのであろう。 ここにいるのは名誉に殉ずることを選んだ騎士でも、軍人でもないのだ。 命を賭けることも厭わない彼らと教師を比べるのは、あまりに無意味というもの。
オスマンは深くため息をついた。 そして、再び彼らを焚きつけようとした時だった。
「ミス・ヴァリエール!」
「私、行きます」
発見者の一人である女子生徒は、肩を震わせながらも一人、杖を掲げていた。 唇を強く結んで、強い意志を持った瞳で。
「あなたは生徒でしょう!」
「誰も掲げないではないですか! それに、私も"貴族"です!」
誰か分からぬ教師の指摘を受けてもなお、ルイズは言い放った。 杖を出す素振りすら見せない彼らは、反論する術を持っていないために閉口する。 続いて、キュルケが杖を掲げる。
「ヴァリエールだけにいい所は見せられませんもの」
「しかし…」
「よかろう。 では、学院長オスマンより勅命を与える」
「オールド・オスマン!?」
コルベールはその言動に驚愕し諫めようとしたが、オスマンは「彼女らの名誉を踏みにじるでない。 それとも君が行くかね? 炎蛇よ」というものだから、コルベールは押し黙ってしまった。
「君たちは敵を見ておる。 そして優秀なメイジであることは疑いようもない。 従って命を与える。 学院より盗まれた秘宝を取り戻し給え」
オスマンからの指令は酷く単純な物であった。 それ故に困難であることは誰にでも分かる事である。 『トライアングル』以上と評されるフーケより宝物を取り戻すことがどれだけ大変な事か。
「君も、頼まれてくれるかね。 アンリ君」
彼女たちが跪いて命を受けた時、オスマンの視線がようやくアンリへと向けられた。 平民らしく奥で拝聴するばかりであったアンリはその言葉を受けて、一歩前へと踊りでる。 そして、主人たちと同様に跪き首を垂れた。
「主人であるミス・ヴァリエールが杖を掲げたというのに、どうして使い魔のわたくしめが指をくわえて待つことが出来ましょう。 卑しき従僕の身ではありますが、命を賭して尽力いたします」
このような命を受けることなど初めてのはずだった。 しかし、出てきた言葉は朗々と紡がれ、そして失われた記憶とは別に頭はそれを理解し、そして慣れている様に感じられた。
『さあ君。 もう行き給えよ』
誰かの声が聞こえた。 それは聞きなれている様でもあり、しかしその人の顔を決して知ることはない。 擦れた記憶の中で、何度も同じことを繰り返したのだろうか。 詳細を伝えられ、部屋より退出するときになっても、アンリよりその疑問が晴れる事はなかった。
//
馬車に乗った人物は五人いた。 案内役として同乗した、フーケの居場所を特定したミス・ロングビルと、杖を掲げたルイズとキュルケ。 そのいきさつを知って「心配」と言ってついてきたタバサと、使い魔のアンリである。
タバサは土くれのフーケが現れる前の晩にガリアより帰ってきて一日中泥のように眠っていた。 そして目を覚ましてみれば大変な騒ぎになっていて、それに加えて友人と知り合いが一人、宝物の奪還に向かうと言うのだからついてきたのだ。 キュルケは読書の邪魔をすることもあるけれど、そこまで悪い人間ではない。 一人のタバサを色々と気遣っての行動だとも分かっていた。 加えて、シルフィードが"同じ匂い"と発言した例の使い魔の少年の事も気になって、付いてきた訳なのである。
いつも通り言い合うキュルケとルイズ。 そして読書に勤しむタバサとは別に、アンリはコルベールより返された私物を確認していた。 オスマンより命を受け、そして出発する直前に彼の研究室に呼ばれ、渡されたのである。
『返すのが遅れてしまい申し訳ないね。 物騒な物が多く、学院の中で渡すのも憚られたんだ』
コルベールはそう言って直剣と身に着けていた鎧、そして幾つかの革袋を指さした。 所持品を確認すれば何か思い出すこともあるかと考えていたが、手に取ってみても変わるのは左手のルーン位のものである。 ただ体が軽くなり、武器について詳しくなるだけで過去の事は何も。
ただそれよりも、コルベールの態度が気になった。 彼は全ての所持品を見せたようにも見えたが、一番重要な物を隠している。 何故だが分からないが、そう感じられたのだ。 証拠がある訳でも、確信がある訳でもない。 こんな怪しげな格好の平民が持っていたものなのだ。 危険な物で、渡すべきでないと判断したのかもしれない。
『生徒と平民の君に任せるべきではないのだが…』
彼は心配気にそう呟いた。
きっと心からそう思っているのだろう。 疑いようもない事であるが、何処か含みのある。 いや、障りのある言葉であった。 そう思うのなら、あなた方教師が最初に杖を掲げるべきであった。 あの場所で最も高貴で、見本となるべき大人がそうするのではなく、生徒が先にやってしまったのだから、オスマンの言う通り恥ずべき事なのだと。
しかし。 その言葉を飲み込んで、アンリは謝辞を述べると剣と革袋だけ受け取り待機していた馬車へと向かった。 恐らく、平民がそんな発言をするべきではないのだ。 彼らも馬鹿ではない。 誰よりもそれを理解している筈なのだ。
「はぁ…」
馬車で革袋を漁りながら、アンリは深いため息をついた。 何処か引っ掛かりを覚える彼らの態度と行いを怪訝に思うのと、自分の所持品の奇妙さについ口から漏れていたのだ。
「なぁに? さっきから喜ばしくない顔をしてるけど」
「自分の持ち物なのに、何一つ思い出せないので」
ナイフ、ダガー。 幾らかの金貨が入った革袋に、何かを拭くための紙だろうか。 整理されている様子はなく、ただ単にまとめて突っ込んだだけの袋である。 これで日記や身分を証明するものが一つでも入っていたらと思うけれど、それがなかったから今こうして使い魔などをやっているのだ。 ため息がこぼれるのも無理はない。 加えて馬車の上より聞こえる風切り音が妙に耳の残るのだ。 街中を歩く人々の靴が地を叩く音でさえ、神経質すぎる彼には耳障りであった。
「ちょっとあんた。 これからフーケを倒すって言うのにそんなんで戦えるの?」
ルイズは使い魔のそんな様子を見て不満気に尋ねたが、そもそもの話に食い違いが起きていた。 今回の指令はあくまで"宝を取り戻す"ことであり、フーケを倒すことではない。 しかし彼女の言い方は、まるでフーケを倒すこと自体が目的のようにも感じられる。 宝を盗んでおいてどこかに放って置くはずもないのだからそうと言えばそうなのだが、やはりアンリからすれば違和感を覚える発言であった。
「戦うこと自体が目的ではないでしょう?」
「自分の獲物を易々と返してくれる盗賊なら、トリステインで暴れてないわよ。 覚悟は必要よ」
「はっきり言って勲章持ちとは言え、学生に倒される程度ならとっくに縛り首にでもなってるでしょう」
「なによ。 私たちだけじゃ力不足だっていうの?」
ルイズは唇を尖らせた。 使い魔の分際で彼女たちの実力を貶すなど過ぎた言動であるが、それでも現実は現実だ。 タバサは実力によって得られる勲章――『シュバリエ』を有したメイジであり、キュルケもまた『トライアングルの』炎メイジだと理解はしていても、魔法が使えるからと言って勝てるというものではない。 今まで襲われてきた貴族たちだってそれなりの実力のはずである。 不意を突いてまともに応戦させなかったというのもまたフーケの実力、策略なのであろう。
そもそも盗人がこんな近くに砦を構えているというのも可笑しな話である。 目標を達成したのならさっさと逃げるはずで、こんな馬で数時間で行ける距離に潜伏するなど考えられない。 もしそれで今まで逃げ切れたというなら、トリステインの貴族たちは無能という事になってしまう。
「罠かもしれない」
タバサは本を閉じると三人と見合った。 いつもと変わらぬ表情だが、こんな状況だからか緊張しているようにも見える。 何処か浮足立ったルイズとキュルケを見て、そうならざるを得ないのかもしれなかった。 この中で唯一、彼女だけが実戦を知っているのだから。
//
鬱蒼とした森へ入って数時間。 ぬかるんだ地面より馬車で進むのは不可能と判断して下りた五人は奥へと進んでいった。 昼間だと言うのに薄暗く、どこか気味の悪い場所だ。 獣の音か、それとも風か。 人の動きを感知して鳴き声を上げながら翼を羽ばたかせる鳥類が葉を散らし、彼らの頭上へ降らせる。
「なんだか怖いわ…」
「ちょっと! 人の使い魔にべたべたくっつかないで頂戴!」
勝負に勝ったキュルケは自分の買い与えた剣をアンリに背負わせ、そして腕を抱くようにして歩いていた。 癪に障ったルイズがそれを非難するが、キュルケはただ勝ち誇った顔をするだけで言い返すこともしない。 因みにデルフリンガーはどうしたのかというと、「何か役立つかもしれない」とタバサが言うので、アンリは仕方なしにキュルケのとは別に背にしている。
「咄嗟に剣が抜けませんから、少し離れてもらわないと」
彼女を押しのけ、案内人のミス・ロングビルの横を歩く。 これだけ見晴らしの悪い場所では、やはりタバサの言ったように罠の可能性が高い。 ミス・ロングビルは「考えすぎですわ。 きっとフーケも追手が来るとは思っていない筈です」と楽観的な意見を述べていたが、どうにも不安は払えない。 それ故にアンリの表情は曇ったままで、自分の使い魔がそんな顔のままなのでルイズは気に食わないと苛立ちを見せている。
「見えてきましたわ。 あれが恐らく、フーケが入っていたと思われる…」
獣道を進み数十分。 一行は開けた場所へと出た。 川沿いの炭焼き小屋か何かであろう。 随分古ぼけた薪と炉を有した廃屋がぽつりとそこにある。 こんなに人気が無い場所ならば、確かに誰かが隠れていてもそう簡単にはばれない。
五人は大きな針葉樹の側の木陰に隠れると、姿勢を低くして相談を始めた。 場慣れしているのか、タバサは折れた枝で作戦を説明するための文字と絵を描き始める。
「一番動けるあなたが偵察をする。 何か動きがあれば知らせて。 潜んだ私たちが四方から魔法を浴びせる」
危険な先槍と殿はやはり、使い魔らしく自分が勤めるべきである。 武器を手にすればぐんと早くなるのだから、余計にそうなのだ。
ミス・ロングビルも同意したのを見て、アンリは纏ったローブのフードで目元を隠し、背より剣を抜いた。 キュルケより贈られた、ゲルマニアのさる錬金術師シュペー卿が鍛えたとする立派な剣だが、どうにも不必要な装飾がされていて重心が偏っている。 芸術品ではあるのかもしれないが、武器としては二流もいい所だと、ルーンは己に語りかけていた。
タバサが直前に『探知魔法』を行使して周囲の痕跡を確認するが、何も反応は無い。 タバサが頷いたのを見て廃屋の壁へと滑り込み、割れた窓より中を確認する。 見えるのは丸テーブルと壊れたベッド。 そしてクローゼットに中程度の大きさの木箱である。
人影は見えない事を知らせると、アンリは正面の扉を蹴破り中へと飛び込んだ。 しかし。 中には先ほど見えた物があるばかりで誰かが潜んでいる様子もない。 呼吸音も聞こえぬし、ただ衝撃でテーブルより落ちて割れた酒瓶が転がるだけである。
「誰もいません」
聞いた彼女たちは恐る恐る近づいて、そして促されるままに中へと入った。 ミス・ロングビルだけが周囲を確認すると言って森へと消えたが、他の三人は中を検める事に夢中の様であった。
「あった! これが『竜紋章の盾』よ!」
キュルケが木箱の中より、盗まれたとされる内の一つ、盾を見つけた。 片手で持つにふさわしい大きさのブルーシールド。 表面には竜の紋章が施されており、厳重に保管されてきたのか傷は見当たらない。 魔法で照らされたそれは美しい光沢を放っており、宝とされるのも分かる程の一品であった。
「ねぇ、あのクローゼットの中は確かめた?」
ルイズはアンリの袖を引くと、ベッド脇に設置された衣服棚を指さした。 家屋の天井に迫る程の高さであり、男一人くらいならば隠れられる代物である。 アンリは彼女たちを下がらせて棚を解放した。 無論、右手には室内で振れる直剣を握ったままである。
「…凄いな」
中に隠されていたのは、アンリの身長など優に超える長さと重厚さを持った特大剣である。 後ろで視認したルイズは「授業で見た剣だわ」と、キュルケとタバサの両名に確認した。
宝物庫より奪われた『竜紋章の盾』と『竜狩りの大剣』の二つが揃ったと言うのに、それでもアンリの懸念は晴れそうにない。 彼女らは口々に「重くておいていったのかも」とか「偶然席を外していた」と言うが、そんな事があるのだろうか。 タバサも警戒を怠っていない様だった。
その時。
「きゃぁああああ!」
森にて確認をしていた筈のミス・ロングビルの悲鳴が周囲に響き渡ったかと思うと、小屋の屋根に何かが降り注いで大きな穴を空けた。 その穴から見えるのは、昨晩命を奪われかけた巨大なゴーレムである。 右手にはミス・ロングビルを握っており、今にも潰されてしまうのではないかという、緊迫した状況であった。
「ゴーレムよ!」
キュルケが叫んで、最初に反応したのはタバサであった。 身長を超える大きさの杖を振るい風の魔法を唱えると、巨大な竜巻が生じてゴーレムへと迫っていく。
しかし、あまりにも大きすぎるそれはびくともしない。 続いてキュルケが放った火炎もゴーレムの下半身を包んだが、ゴーレムは意にも介していない様だった。
攻撃を受けたゴーレムは森へとミス・ロングビルを放ると、標的をこちらへ変えて迫ってくる。
「効いてないわ!」
「一度退却」
不利と悟ったキュルケとタバサは小屋より飛び出て一目散に逃げていく。 アンリもまた宝を回収して逃げようとしたが、剣はどうにも大きすぎて持てる気がしなかったので盾だけ回収して、外へと飛び出したときであった。 ルイズの姿が見えず、駆けながら周囲を見渡した。
爆発音と衝撃が小屋を襲って、非常に脆いそれを瓦解させる。 何度も起こるそれは間違いなく、ルイズの唱える失敗魔法であった。 ゴーレムへと何度も放たれたそれは時折後ろへと流れて小屋にぶち当たったのである。 煩わしいルイズに気付いてゴーレムが彼女の方へと振り返る。 盾を手にしたアンリは怒鳴った。
「なにしてるんです! さっさと離れて!」
しかし。 彼女はその意向に従うことなく、あろうことか動くわけでもなくその場に立ち尽くした。
「嫌よ! 私は決してこいつから逃げないわ! これを倒せば、皆私を認めてくれるでしょう!」
少女の肩は震え、膝は笑っている。 それでも彼女の目は真剣であり、気が狂った訳でも呆けているわけでもなかった。
二手に分かれて逃げたキュルケとタバサを追うか、それとも足元のうるさい蝿を潰してしまうか。 ゴーレムは迷うように右往左往していた。 間違いなく逃げるのなら今である。
「認めるも何も、死んだら元も子もないでしょう!」
「あなたも私を馬鹿にしてるんでしょう!」
「状況をよく見て! そんな事言ってる場合ですか!」
「私は貴族よ! 魔法を使える者を貴族と呼ぶんじゃないわ! 決して敵に背を見せない者を貴族と呼ぶのよ!」
軽くなった体で走り、立ちつくすばかりの彼女の手を取ると引きずるようにしてアンリは走った。 ゴーレムと距離取り、状況を窺おうとするが、その手をルイズは突き放す。
「私の事は放って置いて! 逃げるなら一人で逃げなさい!」
そして再び魔法を唱えるルイズだったが、やはり表面を少し削るばかりで損傷を受けているようには見えない。 振るわれた拳を前に目を閉じたルイズを抱えて転がり、そして小屋の中の剣も放って走り出した。 図体通りの足の速さなので、ゴーレムはアンリに追いつけない。
「私だって貴族なのよ…魔法は失敗ばかりだけど矜持ってものがあるの…」
抱えられたルイズは嗚咽を漏らしながら呟く。 彼女は泣いていた。 普段の気丈な彼女の姿は何処にもなく、ただ幼い少女が腕の中で泣きじゃくり、服を汚すばかりなのである。 それまでの行動に憤りを感じていたアンリもそれには困ってしまって、掛ける言葉が見つからない。 ヒステリックに声を上ずらせる彼女の声を聞けば、己の気の回らなさを実感するのみである。 ギーシュのように慰める言葉を掛けることも、彼女を肯定してやることも出来ない。
そうするには時間も足りないし、何より記憶を失った今、何もない自分がそうする資格などないのだ。 ただの使い魔で、隷従するのみである己に、一体何が出来ようか。 出来る事があるとするならば、降りかかる火の粉を払うことくらいなのである。
「しつこい奴!」
地響きを鳴らしながらどこまでも追いかけてくる様を見れば、諦めるつもりはないのだろう。 舌打ち交じりに怒鳴りながら、ただひたすらに走る事しか出来なかった。 剣は鞘にしまっているために身体強化の恩恵は受けられない。 体力にも限りがあるし、このままでは二人纏めて潰されてしまう。 かといって剣を抜けば彼女を抱えて逃げる事は困難である。
そこでようやく、どこからか竜に乗ったキュルケとタバサが逃げる二人の前にやってきた。 馬車の中で聞いた耳障りな音とは、この竜の飛ぶ音だったのかもしれない。 「乗って」とタバサは短く叫ぶ。 アンリは未だ泣き止まぬルイズを預けて、ゴーレムの元へ駆け出した。
「あなたも早く!」
「引きはがさないと、どこまでもついてくるでしょう!」
迫るゴーレムを見てやむを得ないと判断したタバサは、竜を再び羽ばたかせる。 重い武器を背負った自分まで乗っては飛べるかも分からぬし、負傷した可能性のあるミス・ロングビルの事もある。 逃げる事が最善とは分かっているが、さりとてみすみす背を見せて逃げる事は、したくなかったのである。
『魔法を使える者を貴族と呼ぶんじゃないわ!』
『戦いの強さだけが全てではないわ』
ルイズの咆哮と、ありもしない誰かの声が重なってアンリの中で反響していた。 気を取られたアンリは木の破片を顔に受け、頬より一筋の血を伝らせる。 同時に襲った頭痛も含め、溜飲が溜まったアンリは喚いた。
「何なんだよ! 一体!」
訳の分からぬ怒りが裡より込み上げて、癇癪を起した子供の様に叫ぶ。 その取り乱しように、竜に乗った少女たちも異変を感じ取っていた。
何もかもが許せない。 記憶を失って名前すら思い出せぬ自分が。 魔法の使えぬ少女を『ゼロ』と貶し、笑いものにする貴族たちが。 自らの責務を放棄し、子供に荒事を押し付けた教師たちが。 何もかも。 何もかもである。
一度湧いて出た怒りは行き場を無くし、ぐるぐると裡で混ざり合い、そして増長していく。 剣を握る力が自然と強くなり、切り込んだゴーレムの足は傷を増していく。 感情があるのか、傷をつけられたことを憤慨するようにゴーレムの攻撃も荒々しくなり、周囲の地面は陥没し、荒れ狂う。 『土』だけあって意のままに地形を変えられるらしい。 隆起した大地がアンリを後方へと追いやり、巨大な岩を礫のように投げつけた。
一閃。 下より構えた大剣で切り上げると、岩は抵抗を無くしたようにするりと二つに分かれる。 続く二手三手も切り捨て距離を再び詰めようとした時である。
「坊主! 剣が持たねぇぞ!」
背に掛けた
苦し紛れに足に一撃を入れれば今度こそ大剣は刃の中程からぽっきりと折れ、残ったのは柄とほんの少しの金属だけであった。
――何が業物だ! 見た目だけじゃないか!
内心で愚痴を漏らしながら武器とも呼べなくなったそれを投げつける。 ルーンが評したように、やはり宝石など埋め込み余計な装飾を施したそれは武器と呼べる代物ではなかったのだ。 そもそもがこんな化け物を切るために仕上げた物ではないのだから当然と言えば当然なのだが、最初に高値で売りつけようとしたあの店主に憤りを覚えずにはいられない。
「お、やっと抜いてくれたかい。 坊主」
「素手で戦うよりかはマシだ」
「言ってくれるね。 俺っちはこれでも相当長く…来るぞ!」
圧倒的な膂力と破壊力を有した剛腕が振るわれれば、体重の軽いアンリなど簡単に飛ばされてしまう。 浮かされぬようにデルフリンガーを地に突き立て体勢を保つと、今度は振るわれた腕目掛けて直剣を突き刺した。 アンリはそのまま体にしがみつこうとしたのである。
「何考えてる!」
「このまま暴れられちゃ、宝物とやらも粉々になっちまう! それじゃ任務は失敗だ!」
人には扱えぬであろう特大剣は、未だ崩れた小屋の側に転がったままである。 このゴーレムがどこまで誘導に乗ってくれるか分からない。 諦めて特大剣だけ回収してまたどこかに消えてしまうかもしれないし、術者の場所も分からないのだ。
剣を突き立て、ゴーレムの腕が回らぬであろう背中へと回る。 高さは十メイルを超え落とされればタダではすまぬ高さだが、その甲斐もありゴーレムは右往左往する限りであった。 好機と見た竜に乗る三人らは木偶の坊に魔法を浴びせていく。 キュルケの放った火を纏う烈風は、背にしがみつくアンリ共々覆っていた。
「ばか! アンリを殺す気!?」
「あんたの爆発で流れたんでしょうが! ルイズは引っ込んでなさい!」
しかし。 巻き込まれたアンリと言えば苦しんでいる様子はない。 それどころか魔法を放った本人さえ、手応えが無いと怪訝に表情を顰めた。
「なんだが私の魔法、ダーリンの所にだけ行ってないみたい」
「あんたの魔法も失敗したんでしょ」
「違うわ。 ダーリンの背中にだけ弾かれたみたいにどこか流れていったのよ」
「あの盾」
冷氷を振らせたタバサも異変に気付いて、杖でアンリの背を指した。
「『竜紋章の盾』には魔力が込められている。 だから炎を受け付けなかった」
古来より竜とは炎を吐くものとされている。 それ故か、あの盾はキュルケの魔法をものともしなかったのだろう。 アンリは手に持たず背の金具に掛けていた為、偶然巻き込まれることは無かったのだ。
しかし。 ゴーレムは土と岩で構成される故、今回この性質を活かす方法は無いであろう。 タバサもこの事態をどう打開するか手をこまねいている。
――降りて魔法を使うのは危険。 彼が囮になっている今出来る事…
背より飛び降り、再び近接戦をやってのける彼のような機動力は三人にはない。 であれば空から援護するしかないのだが、打開策となり得る『水』を操るには遠すぎるのだ。 彼はメイジであればあの機動力を活かしたままに何か策を施せるのかもしれないが… メイジ?
タバサはシルフィードの発言を思い出していた。
『同じ風の匂いがする』
彼がメイジであると断定はできないが、その可能性は高い。 そして今自分の懐にはとある武器がある。 先日ある条件により契約を結んだ傭兵が、収まっているのだ。 思い出してみれば地下水と呼ばれた傭兵は、魔法を扱えぬはずの平民の侍女の体を乗っ取った上で魔法を行使して見せた。 であるならば。
「これをっ!」
珍しく声を張り上げたタバサは、走り回るアンリへとそのインテリジェンス・ナイフを放り投げた。 「冗談だろ」というナイフの哀愁漂う声は無視してである。
そして耳の良いアンリはその声を聴いて空を見上げると、降ってきたそれを跳んで右手に掴んだ。 ただのナイフであったが、左手のルーンが輝くと多くの情報を頭へと送り込む。
「ナイフ? こいつ、お前と同じ意思を持ってるのか?」
「くそ! こんなガキも操れないなんてどうなってる! あの陰気やろうといい…小僧! 使い手かどうだが知らんが、お前と心中する気は毛頭ない!」
「好き勝手言ってくれる!」
振るわれた拳を横跳びで回避し、その表面にいくつか切り傷を入れる。 どういう意図か分からず、アンリは再び空を見上げた。
「水を!」
水とはいったい何のことであろうか。 そうこう考えているうちに、姿勢を落したゴーレムが迫る。
「仕方がねぇ! 一旦奴を下がらせるぞ! 小僧! 今から言う言葉を間違えるなよ! いいか! 俺を構えろ!」
押し黙ったデルフリンガーと裏腹に、そのナイフはアンリの頭へと言葉を流し込んでいく。 何故か聞き覚えのあるその文字列は、そう。
「ラナ・デル・ウィンデ!」
ナイフが言い終わるよりも先に口が勝手に詠唱を終えると、ナイフを剣のようにゴーレムへと向けた。 視界の先が歪み、空気は風を纏いて前のめりのゴーレムの顔面へと叩きこまれた。 風の大槌が、ナイフより放たれていたことをアンリは直感で理解していた。
それは正しく『エア・ハンマー』であった。 風のスペルでありそう難しいものではないが、平民が使えるはずのないものである。 杖を持っていないと言うなら猶更、アンリには出来ぬ芸当であった。 故に、タバサを除く竜の背に乗った二人は驚きで口を開けた。
「ど、どういう事!」
「ダーリンてば、魔法使えたの?」
詰め寄るルイズの手を払い、タバサは説明した。
「あれはマジックアイテム。 魔法の触媒で、平民でもドットかライン程度の魔法を使える」
説明を聞いてもう一度視線を下に下せば、何やら手にしたナイフと言い合いをしながらも魔法を放つアンリの姿があった。 どれも風の系統魔法であるが、見たと所キュルケ同様に大して効いていない様子である。
「魔力があるからもしかしたらと思ったが、風以外はてんでだめじゃねぇか!」
「言ってる場合かよ! くそ!」
左手に持ち替えた小うるさいナイフに怒鳴りながらも、右手のデルフリンガーを振るう事を忘れない。 アンリはそうして時折拳や腕を受け流すために思いついた魔法を使うのだが、大して役には立たない。 それどころか魔法を使う度に疲労が増していく。
「使い手かなんだか知らねぇがそのせいで体を操れねぇんだ! 魔力の上乗せも出来んから小僧の元々の魔力しかないんだよ! 蒼い嬢ちゃんの方が何倍もいい!」
「だとよ、坊主。 このままじゃ疲れてお陀仏だね」
大剣は大剣で呑気な物であった。 しかし考える事を放棄しては勝てる戦も勝てない。 アンリは再び思考を開始して、そして思い出していた。
「待てよ。 水とか言ってたよな、たしか」
タバサはそう叫んでいた。 しかし彼女の言う水の魔法では恐らく、固定化を施された土人形を倒すには至らない。 ではなぜそういったのだろうか。
アンリは周囲を見渡した。 崩れた小屋になぎ倒された木々。 そして今朝の小雨でぬかるんだ地面に、小屋のすぐそばを流れる川…川?
「川だ! お前、水の魔法は?」
「さっき言ったろ! 小僧の力しか…」
「身体を受け渡すって言ったら、どうだ?」
アンリが言うとナイフは数秒黙った。 デルフリンガーは「正気かい?」とため息を漏らしていたが、地下水はどこか上機嫌に言って見せる。
「俺を誰だと思ってる? 水の使い手地下水様だぜ?」
「ならば!」
多少距離の離れたゴーレムを正面に捉え、アンリはデルフリンガーを地に刺すと全身の力を抜き、そして意識をナイフに預けた。 ルーンの光が失われると、途端に体中が痛み倦怠感に包まれたが、それと同時に自分の意識とは別の物が体を侵していく。 地下水が体を乗っ取っているのだ。
「堪えろよ!」
勝手に言葉を紡ぐ口と、ナイフを構える腕を不愉快に思いながらも、抵抗することを辞めナイフの動向に任せる。 ゴーレムがゆっくりと足を進め、次第に恐怖と焦りがアンリに生まれる。 しかし。 体は動かせない。 遂に口を出そうと思った時であった。
「土人形は大人しくしておけ!」
自分の声だが、自分ではない。 不思議な声色で叫んだアンリーーもとい地下水は、ナイフを掲げると魔法を放った。 川の水が意思を持つように堆積していき、そして壊崩して波のようにゴーレムを襲った。 アンリの体の脇をするりと抜けゴーレムの巨大な足を絡めとると、遂には巨大な体を地に倒す。 巨大故に力の水をもろに受けたゴーレムは崩壊することは無かったが、それでも大幹を崩されたのだ。 アンリはその衝撃を、刺したデルフリンガーにしがみつくことで耐えた。
「今のうちに嬢ちゃんに回収してもらうとするか」
「いや、今こそ攻め時だ」
「剣は通じないって分かってるだろうが。 小僧、欲張らん方がいいぜ。 これは傭兵の俺からの助言だ」
「固定化したって土は土だろうが! なら水を含んだ土はどうなる!」
体の自由が効く事を確かめるとアンリは駆けだした。 行先は倒れたゴーレムではなく、波によりさらわれた特大剣である。 自分には持てぬと言う先入観で捨て置いた剣だったが、体の芯より力を入れて一気に持ち上げてみれば、竜狩りと銘されたそれは驚くほど簡単に持ち上がる。 が、流石に見た目に伴った重さであり、肩に預けるように持ち上げるに留まる。
「そいつを持てるたぁ驚きだがどうするつもりだい!」
「凍らせる!」
既にナイフを杖のように扱えると踏んだアンリは、水と風の系統魔法を唱えた。 地面にしみ込んだ水分が一瞬にして氷結し、大きな音を立てて霜柱が地より生まれると、未だ体勢を崩したままのゴーレムを包んでいく。 これがただの水であれば、決して効果を発することは無かったのだろう。 鋼鉄のごとき体表に弾かれたのかもしれないが、体内にしみ込んだ水とあれば、いかに固定化と言えど防げるものではなかった。
節々の内より析出した霜柱。 ゴーレムはその特性を失って脆くなっていた。 表面を切り裂けばはじけ飛び、水気の多い土は体を修復するには時間がかかるらしく、欠損させたままである。
アンリは特大剣を担いだまま地を駆けた。 この剣は伝承通り、竜を殺しうる力を有している。 竜が弱点とする雷の力を纏っているらしく、時折空気を焼いている。 アンリは腕をついている顔面に向き合った。
「借りは返すぞ!」
常人には扱えぬ特大剣を顔面へ叩き込む。 片手で振るわれたそれは顔面に食い込むが、一度では崩れない。 ではどうするか。 アンリは刃を引き抜くと、もう一度振りかぶり同じ箇所へと叩きこんだ。 ルーンの力があっても尚、腕がちぎれそうな感覚に襲われる。 常人ではあり得ぬ膂力が顔面へと叩きこまれたゴーレムは、崩れた姿勢のまま後ろに倒れこむ。 周囲に響き渡る爆音と衝撃が地を鳴らし、顔面を含む胸部は砕け散る。
内より脆くなった土塊は砕け散り、核を失ったゴーレムは遂に腕を伸ばしながら巨大な土くれへと姿を変えた。 その様は、昨晩見た物と同じであった。
「おったまげたな。 坊主、意外とやるでねーか。 使い手ってのは間違いなさそうだぜ」
「だから…使い手ってのは何なんだよ…」
「六千年生きてるもんだから思い出せないけどよ。 とにかく守り手さ」
「意味が分からない…」
肩で息をするアンリは剣を横にして座り込む。 ズボンは酷く汚れているが、気にする余裕がない程に彼はボロボロだった。 怪我が酷い。 というよりもあんまり無茶な動きをしたので体の内が酷く痛むのである。 特にあれだけの剣を片手で振るったために、右腕が燃えるではないかという程の熱に侵されていた。
竜の背に乗っていた三人はゴーレムが沈んだことを確認して地表へと降りてきた。 駆け寄ったタバサがまず最初に『治癒』の魔法を掛けていく。 思ったより怪我は酷くないが、やはり無傷ではない。
「感謝します。 ミス・タバサ。 口うるさいナイフは何かと思いましたが、こいつが無ければ命を落としていたかもしれない」
「いい。 あなたが殿を勤めなければ私たちも危なかった」
タバサは特に表情を変える事をしなかった。 ただ、アンリの治療を続けるのみである。
「それで、フーケは?」
ルイズは尋ねた。 キュルケと共に周りを探して回ったがそれらしき人物も見当たらなかったようである。
「分かりません。 新しくゴーレムを作らない辺り、逃げたか息を潜めているかどちらかとは思いますが」
「いくらフーケがトライアングルクラスでも、あれだけのゴーレムを何度も作るのは無理でしょうね」
同じトライアングルであるキュルケはそう判断を下した。 タバサもこくりと頷いて同意を示す。 この短時間で二体のゴーレムを動かせるとなれば、それはもうスクウェアクラスに達している筈である。 故に、フーケは宝を放棄して逃げたのだ。
「み、皆さんご無事ですか」
「ミス・ロングビルこそ! お体の方は!?」
「偶然木を背にしたものですから命は助かりました…」
森とも言えぬ跡地より姿を現したミス・ロングビルだったが、一言二言告げると遂には意識を失いその場に倒れこんだ。 慌てて身体を受け止めたルイズ。 ほっと息を漏らし、これからどうするのかを話す為、こちらに視線を向けた。
「…とにかく。 当初の目的である宝物の奪還は済んだんです。 帰りましょう。 学院に」
//
『アルヴィーズの食堂』の上に位置する大きなホールでは、『フリッグの舞踏会』が行われている。 年に一度行われるトリステインの伝統的催し。 貴族として礼節を学ぶ場でもある学院でも、それは同様であった。 フーケが出没して間もないと言うのに不謹慎である。 という意見もあるだろう。 しかしその意見はオスマン自らが一蹴して、こうして予定通り行われているという訳である。 アンリは使用人という立場で料理の配膳や貴族の世話を終わらせて休憩をもらうと、一人陰となるバルコニーの柵に背を預けた。
「なんでぇ、随分辛気臭そうにするじゃないか。 『相棒』よ」
「見ればわかるだろ。 少し疲れてるんだ」
「そういう時は酒でも飲んで忘れちまいな」
「そうだぜ。 俺も酒でも味わいたいところだが、肝心の舌と体が無いからな。 体を貸してくれるってんなら別だが」
そのバルコニーには随分俗っぽい剣とナイフがあった。 デルフリンガーと地下水である。 ルイズより与えられた剣とタバサに借りたナイフだが、返す暇もなく、そして部屋に置いておこうと思えば随分とうるさいものだから、仕方なくこうして端の方に隠しておいたのである。 昼間のフーケの騒動で疲れたアンリとは違って、彼ら武器は元気そのものであった。
「今日の立役者は相棒だろ? もちっと浮かれた顔しなよ。 ガンダールヴ」
『ガンダールヴ』――かつてこのトリスタニアに魔法と知恵を施したとされる始祖ブリミルの『左手』、そして『盾』と言われたという。 強大な魔法を使うブリミルの無防備を狙う不届き者たちを打ち払うための刃でもあり、盾でもある。 自身がそんな存在だと知らされたのは報告により学院長室に戻った時の事であった。
報告を済ませ、舞踏会の準備のためにルイズら三人が退出した後の事であった。
「その印の事で聞きたいことがあるそうじゃな」
アンリは何をいう訳でもなかったが、目は口ほどに物を言う。 彼の瞳より漏れ出た願望を、オスマンは読み取った様だった。
「それは神の僕、『ガンダールヴ』のルーンである。 ありとあらゆる武器を使いこなし、数多の凶賊を打ち払ったという、伝説の使い魔の物じゃ」
「私がそうであると?」
「何分伝承やおとぎ話の類の話でな。 我々にも断言は出来ぬのだが、君はあの大剣を片手で振るったのであろう? それは人並みでない力だと思うのだが」
確かに。 この数週間武器を握ったことは数える程であったが、その何れかもルーンが光ると同時に、身体能力が高められていたという認識はあった。
「何故私が?」
「分からん。 何もかもがさっぱりなのじゃ」
オスマンは視線を下げた。 どこか、罪悪感を覚えてのことだろうか。 アンリには分からなかった。
「それともう一つ、我々から謝らねばならぬことがある。 コルベール君」
「はい。 アンリ君、これを…」
呼ばれたコルベールはローブの内より布に包まれた何かを取り出した。 するりと内より現れたのは杖である。 メイジの象徴であり、そして最大の武器がアンリに手渡された。
「実はだね。 君が召喚されて意識を失った時に見つけた物なのだ。 君の物であるか判断がつかぬために、今まで預かっていた。 申し訳ない」
なるほど。 朝より感じていた違和感の正体がようやくアンリは分かったような気がした。 彼の研究室で会話したとき。 オスマンと見合った時。 彼らは何処かしら目線を伏せていたし、良心の呵責と言ったモノを滲ませていた。 理由はこれであったのか。
「最初からご存じだったのですか」
「…君の怒りはごもっともだ。 私はオールド・オスマンの指示を仰ぐ前にミス・ヴァリエールに契約を急がせた」
アンリの言葉には少なからず棘があった。 それが態度に出ることは無かったのだが、少なくとも感情はささくれ立っていた。 メイジであることが周囲に知れ渡れば面倒ごとになる。 コルベールの思慮は間違っていなかった。 正しい判断であり、少年からすればいい迷惑であったが、教師としては良い人なのだろう。
客観的に見れば、コルベールは故も知らぬ貴族崩れと由緒正しき公爵家令嬢。 前者より生徒の後者の都合を優先させただけのことだ。 ルーンを先に刻んでしまえば後は勝手に忠誠を誓ってしまうのだから、ほとんどの問題は解決する。
「もしメイジだと先に教えてくれたのなら、今日の戦いももう少し楽に事を運べたかもしれません」
「事情を聞いてそのままにしておくよう命じたのは儂じゃ。 責はこのオスマンにある。 申し訳ない」
この場で最も高位にあるメイジが、従僕たる少年に頭を下げた。 それは本来あってはならない事であった。 それだけで溜飲が下がる訳でもなかったが、彼らを責めたところで事態がどうこうなる訳でもない。 アンリは不満を飲み込むほかなかった。
「儂個人より君に爵位を与える事は出来ぬ。 だが、他に欲しい物があるならば言ってみなさい」
アンリはしばし考え込んだ。 しかし。 欲しい物を問われても大したものは思いつかない。 金も名誉も女も、どれも自分の欲するものではなかった。 しいて言うのなら…
「私が望むものは、己の過去です。 何の失態で貴族の名を失う事になったのか、私は知らねばなりません」
「…そうか。 やはり君は、あの場で誰よりも貴族であったな」
「最も貴い者であったのはミス・ヴァリエールです。 大人が大勢いる中で、彼女一人が杖を掲げた。 主があの方であるだけ、私は幸運だったのかもしれません」
アンリは一礼すると慌てるそぶりも見せずに退出した。 そうして誰かの視線と耳が無い場所まで歩いた後でようやく、行儀悪く舌打ちをした。
そして仕事を終え、このバルコニーへやってきたのである。 アンリは行儀悪く腰掛けたまま胸の内より杖を出し、遊ばせていた。
「没落貴族ね…何をやったていうんだろうか」
「大方税を滞らせたか反乱でも起こしたか、もしくは両方かね」
「それだったら一族郎党処刑されてるよ」
「生き延びたのかもしれないだろう」
「学院長で、あれだけの年齢ともあれば少なからず
だが彼は知っている様子はなかった。 もしそれだけの大罪を犯していたのなら大事になって、上級の貴族であるオスマンが知らぬはずはない。 実はオスマンはそういった面倒事を嫌って学院長の座に着いているのだが、アンリが知る由もない。 さっぱりというものだった。
「まぁなんだ。 ただの小僧かとも思ったが、中々やるな。 あの嬢ちゃん程じゃないけど動けるじゃねーか」
「そういえばお前、地下水とか言っていたよな。 タバサと何の関係が?」
「そいつは詳しく話せねぇが…まぁ、死線をくぐり抜けた間柄さ」
そんな話をしていると、アンリの視線に少女が入ってくる。 黒いドレスに身を包んだ少女は皿にサラダと肉を乗せ、一心不乱に詰め込む。 それはタバサであった。
彼女のグラスが開いていることを知ったアンリは剣たちを捨て置くと、使用人の仕事らしくワインを開け、グラスに注いだ。 「ありがとう」と貴族の身でありながら感謝する辺り、彼女はやはり変わっている。
「あなたは風?」
彼女が突拍子もなくそんな事を聞くものだから、アンリは返す言葉に困ってしまった。 そういえばあのナイフは、そんな事を言っていたのである。
「あのナイフが言うには、風以外はダメらしいと。 自分がメイジであったことすら覚えていませんでしたから」
他の人間に見えぬように、アンリは胸の内より杖を見せた。 彼女は納得がいったように頷いて見せる。
「ごめんなさい」
彼女は少し迷ってから、頭を下げた。 しかし謝られた本人は何故か分からない。 どうにも、アンリには分からない事ばかりだった。
「聞くべきでない事を聞いた」
「気にしていません。 それに名を失ったという事は、それなりの事をしたはずなのですから、責められはしても謝られることなど」
彼女の表情に陰が入ったような気がして、アンリは擁護した。 そんなこんなしているうちに、衛士の一人がルイズの入場を告げた。 白のパーティードレスに身を包み、肘程まであるオペラグローブは高貴さを表していた。 普段は目もくれぬ男子生徒たちはその美しさに目を奪われたのか、こぞってダンスの申し込みをするために殺到する。
画楽隊が演奏を始め、教師と生徒、つまりは貴族達がダンスを始める。 優雅な音楽に舞い、酒や食事を楽しむ。 つい昨晩襲われたとは思えない優雅さは、そこにはあった。
「なんだ、あの娘っ子と踊らないのかい?」
「従僕と踊る貴族がどこにいるって言うんだ。 冗談にもならない」
「元貴族なら、構いやしないだろう」
タバサとの会話を終え戻ってきたアンリを、デルフリンガーが茶化した。 しかしアンリにとってそんな事よりも、さっきのタバサの表情の方が気になっていた。
没落貴族と知ったときの彼女。 普段と見せる表情が変わっていて、それからははっきりと感情を読み取ることが出来た。
彼女は誰かと重ねているのだ。 しかし。 それがいったい誰であるのかは、アンリには分からなかった。
//
しくじった。 はっきりとそう断言したのは今回の仕事が初めてなのかもしれないと、ミス・ロングビルは一人呟いた。 しかも負けた相手は王家の親衛隊などではなくただの学生とその使い魔というのだから、腸が煮えくり返る程だった。
失敗の原因は分かっている。 欲張りすぎたのだ。 元々奪うのは盾だけの理由だったのだが、すぐそばに保管された剣もついでに奪ったのが敗因になり得た。 馬鹿みたいな重量の剣を土に乗せて運ばせたはいいが、肝心の掛けられた魔法が分からないという事で、彼女は確かめるために敢えてあのぼろ小屋に宝を置いた。
ドラ息子との決闘騒ぎと、オスマンとコルベールの会話より平民の使い魔が武器に精通している事は割れていた。 だから騒ぎに乗じて明かし、高値を付けて売り飛ばそうとしたのだが、子供たちは予想に反して随分と活躍してしまった。 不敵のゴーレムは内からの力に弱いと言う弱点を見抜かれて倒されてしまい、残された魔力もそう多くはない。 不意打ちを仕掛けようとも思ったが、あの使い魔は妙に耳が良く奇襲もバレる恐れがあった。
故に、宝を明け渡し有耶無耶にするしかなかった。 盾だけを奪っていればそちらは奪えたと言うのに、勿体ない事をしてしまった。 そうロングビルは反省し、廊下を歩いた。 今は舞踏会が行われている時間帯。 この階に残った人間はほとんどいない。
「おや、君は舞踏会に出ないのかね? ミス・ロングビル」
学院長室もない階層。 彼は舞踏会の挨拶をするためにホールに向かっていた筈で、声がするはずないのだ。 それなのに、よく見聞きした彼の声が、背後より聞こえている。
ロングビルは振り返った。 数日前に注意したはずのパイプを吹かした老人がそこにいる。 大きな杖を携え、髭を遊ばせながら立っている。 ロングビルは息を飲んだ。
「が、学院長」
「死人でも見たような顔をするでない。 儂はまだ生きておるぞ」
「…失礼しました。 舞踏会ですが、私は貴族の名を失くした身です。 出るべきではないと判断して自室で休もうと…」
「"サウスゴータ"。 失った名前とは、このことかね?」
その一言を聞いて、ロングビルは視線を細めた。 同時にローブの袖に潜めた杖をいつでも取り出せるように待機させる。
その名は彼女がとうの昔に失った名であった。 祖国より逃げ延びたあの日、捨てた名であった。 彼が知っているはずのないものだ。 知っているのはアルビオンの一部の民と、王家のみ。
心臓を乱雑に握られた。 そんな悪寒が彼女の体に奔っていた。
「無駄に歳を重ねた訳ではないのでな。 知りたくない事も耳に入ってくるのだ。 それとも、"フーケ"と呼んだ方が良いかね?」
「…」
「沈黙は肯定と取らせてもらおうかの。 君には二つ選択肢がある。 今ここで魔法を撃ち合うか、それとも秘書に専念するか」
ロングビルが杖を抜くと同時にオスマンが杖を振るった。 いつの間に詠唱を完成させていたのか、風により吹き飛ばされたロングビルは杖をはるか後方に飛ばされ、続いて手足を拘束される。 見れば縄が巻き付いていた。 いつそんな魔法を放ったのか感知する間もなく、"フーケ"はなすすべもなく倒れた。
ただのスケベ爺ではない。 重ねられた歳を裏付ける実力と才能が彼にはあった。 トリステインという血が全てを分ける国の学院の長を勤めるだけの力が、彼にはあったのだ。 だから敗れた。 それだけであった。
「はっ! 色ボケた爺さんかと思えば、大したもんじゃないか。 負けたよ、負け負け」
その実力差には呆れるしかない。 逃げるのも無理だと判断して抵抗を諦めると、目の前の老人は蜃気楼のように姿を消した。
「は…?」
「風には便利な魔法があってな。 爺にもなるとこういうことが出来たりもするのだ」
消えた老人は後ろより現れた。 「今度は本物じゃぞ」と言って微笑を浮かべるオスマン。
風の『
「君は人を殺めてはいない。 まだ引き返すことは出来ると思うがね」
「何が、望みだってんだい」
無償の奉仕か、体でも差し出せと言うのか。 この老人の考えていることが、彼女には分からなかった。 彼は貴族側の人間だ。 王宮に引き渡さない理由もない。 そして本当の名を知っている。 では、何を望んでいるのか。
「君にはやってもらいたい仕事があるのだ。 ミス・"ロングビル"」
ダクソ1と3に出てきた竜紋章の盾、お洒落で好き。
そしてロスリック騎士の大剣、もっと好き。