俺が目を覚ましたのは夜が明けかかる頃だった。固いベッドに寝そべったまま、ゆっくりと顔をめぐらせる。
やけに小作りな部屋は壁一面が鈍い白色で、ホテルというよりモーテルの中にいるような印象を受けた。
天井付近に設けられた採光窓から淡い朝日が差している。
おそるおそる身を起こす。
眩暈や頭痛を覚悟したが、幸い身体に異常はないようだ。右手を目の前に持ってくる。乾いた泥がパラパラと剥がれ落ちた。上掛けの下はさぞ大惨事だろう。
部屋の主らしい男に心の中で詫びながら、そっとベッドから抜け出した。
「おおぅ…………」
案の定、全身が汚れきっていた。
部屋主のそばに跪き、小さく呼びかける。
「あの、あの、すみません」
「…………ふぁ。おや、お目覚めですか」
男は優雅な仕草で目元を擦りながら、薄く微笑んだ。
「体調はどうです?」
「あ、おかげさまで。えと、あなたが助けてくださったんですよね?」
「結果的には。でもそうせよと言ったのはクチートさんですよ」
ヘリオドールのことだ。
彼女がどこに行ったか訊ねてみたが、彼も知らないらしかった。
「とにかく、ありがとうございました。行き倒れるところでした。汚したベッドは責任もって綺麗にします」
「まあまあ。それは追い追いでいいでしょう。
握手──も後に回すとして、まずはお互い自己紹介から始めませんか?」
そう言えばまだ名乗ってもいなかった。
もう一度頭を下げ、名を名乗る。
「アシタバです。ジョウトのヒワダ出身です」
「アクロマです。生まれは…………内緒ということで♡」
人差し指を唇に当て、意味ありげに片目をつぶる。
特徴的なひと房の青い髪が、小さく揺れた。
アクロマさんは色々俺に聞きたいことがあるようだったが、ひとまず身綺麗にしたいと申し出ると、「それもそうですね」と同意してくれた。
「近くに小川があります。誰が通るわけでもなし、泳いでくるといいですよ」
「ありがとうございます」
ベッドからシーツと上掛けを引っぺがし、リュックを背負って川へと向かう。
「川へ洗濯にって昔話の婆ちゃんみてえだな」
「りう」
背中に荷物を乗せて歩く
アローラは全域が熱帯気候だが、早朝のこの時間だけは清々しい空気が流れている。ほんの少しなら氷タイプのゴーシェも外で過ごせるだろう。
ずっとボールに入れっぱなしじゃ可哀想だもんな。
「それにしても、
リュックの中身を確認したら、フーゴのボールだけ空っぽだったのだ。
ルガルガンにやられた脚の傷はだいぶ深いらしい。
後でよく診てやらなくちゃ。
「黙って出ていくなんて、今までしなかったのになあ?」
「りうー」
「ま、アイツなら多少のピンチは自分で切り抜けるだろ」
「りう!」
ゴーシェがそうだそうだと頷いた。
パーティのなかで最もバトルに意欲的で向上心の強いこの雪龍は、我が隊2トップのカブルーとフーゴに並々ならぬ敬意を抱いている。
道中の休憩時間はいつも自己鍛錬に当てているから、技のキレも日毎に増しているし、新技の習得にも熱心だ。
(そろそろ進化する頃合かもな……)
アマルスの進化系・アマルルガは世界的に希少なポケモンの1つに数えられており、俺も図鑑でしか見たことがない。噂によると、化石ポケモンのなかでも無上の美しさを誇るそうな。
進化の瞬間はぜひとも動画に収めたい。
ホウエンの
こっちの方がありそうだ。
そんなことを考えているうちに川べりについた。
細くゆったりと流れる水面に、餌を求めてツツケラたちが飛んでくる。
アクロマさんの言う通り、人の気配は絶えていた。
俺はさっさと服を脱ぎ捨て、全裸で川に飛び込んだ。
鮮烈な冷たさに皮膚が粟立つ。
が、それ以上に心地よかった。
「よおし、お前らも来いっ」
フレンドボールを2つと、ミストボールを1つ放る。
カブルーはしゃんとしていたが、寝てるところを起こされたレヴィ(モクローの姿)とメルティはでろんでろんに脱力していた。
「んげるぇ」
「ぬめぇあ」
「お前ら骨はどうした」
ぐんにゃぐんにゃにだらけている2匹を抱えて川に沈める。さすがに起きるだろうと思いきや、なんの抵抗もなくぷかぷか流されていくから慌てて追いかけた。
「うぉおおおおい起きろっ! 泳げっ!
危機感ないのかお前ら!」
「げるー」
「めうー」
「ないでーすじゃねえよ!」
必死こいて川から引き上げる。
すると、近くの茂みからクチートが現れた。
『やかましくなったと思ったらやはり貴様……か…………』
クチート──ヘリオドールの顔が硬直し、次いでみるみる赤くなる。数秒置いて理由がわかった。
ヘリオドールには、全裸でびしょびしょの男がポケモンを股間に押し当てているように見えていたのだ。
変態である。
掛け値なしのド変態である。
なんとか誤解を解こうと片手を上げたら俺のアシタバさんがこんにちはしてしまった。
救いようのないド変態爆誕である。
Q.わざとじゃない、は言い訳になりますか?
A.ならない。
「あの、まず話を」
『この$@#☆¥&☆!』
痛烈な悪罵と思しき絶叫とともにデカめの岩がぶん投げられ。
俺はあと一歩で、この世とおさらばするところでした。
不死身なのにね。
全力土下座をかまし、なんとか落ち着いてもらったあと。代わりの服を着た俺は、カブルーの足を治療しながら、アーカラ島に来た経緯をざっと語った。
毒に苦しんでいるライチュウのくだりを話すと、ヘリオドールの顔に険しい色が過ぎった。
並より小柄なクチートが低く呟く。
『よもや、ウラウラ島にも被害者が居たとはな』
「ウラウラにも、ってどういうことだ?」
『どうやら、この島のキャプテンとキングも原因不明の毒で倒れているらしい。ゆえに、キャプテンの愛弟子が代理を務めているそうだ』
「────!」
昨日の女性だ。俺は直感した。
たしか彼女自身も、キャプテン代理と名乗っていやしなかったか。
『同じ毒かは分からんが……なにやら匂うと思わんか』
「まさか、誰かが故意に毒を……!?」
『何者が、どんな理由でかは知らんがな』
ヘリオドールが俺を横目で見上げる。
『仮に我らの推測が当たっているならば、そやつは解毒しようとする貴様を放ってはおかんだろう。
今この瞬間も、監視されてるやもしれんな』
俺は慌てて辺りを見回した。
小川のせせらぎが流れる景色は平和そのもので、川遊びに夢中なレヴィたち以外には動くものとてない。
『冗談だ。少なくとも今は怪しい者は居らん。
居れば私もそやつも気づく』
「ぎしゅ」
カブルーが頷く。
俺はほっとして、もう一度座り直した。
しばしの沈黙の後、恐る恐る尋ねてみる。
「あの、さ。ヘリオドール。
ディアンシー様のことなんだけど…………」
『…………』
ヘリオドールは黙って前を見つめていた。
彼女の視線の先には、女王が生涯愛を捧げたアマルルガの子孫が楽しそうにはしゃいでいる。
ややあって、彼女は言った。
『あの方は、安らかに旅立たれた』
静かな声だった。
『だから私は住処を出ることにした。あの方が見送ったアマルルガ達の群れがどこに行き着いたのか、この目で確かめてみたくなってな』
「────そう、か」
俺は二の句が継げず、それだけ言って口を噤んだ。
あのひとの歌声が脳裏に蘇る。
優しくて、甘やかで、透き通っていて、ゴーシェを愛おしげに撫でる眼差しには、無償の愛がこめられていた。
「素晴らしいひとだったな」
『────ああ』
クチートが瞼を閉じる。
『本当に、素晴らしいお方だった』
そのとき、川遊びをしていたゴーシェが岸辺にあがり、俺たちに近づいてきた。
クチートが立ち上がって、しゃなりとお辞儀をする。
『お久しぶりにございます、ゴーシェナイト様。
お健やかであらせられましたか?』
「り?」
ゴーシェが首を傾げる。
化石から甦って間もない頃に出逢ったヘリオドールのことを、良くは覚えていないらしい。
ヘリオドールはほんの少し、寂しげに微笑みながら首を振った。
『いえ、よいのです。貴方様がお元気でいらっしゃるだけで、私めは僥倖にございますれば』
「りうー」
ゴーシェはにっこりして、ヘリオドールの頬に己の頬を擦り寄せた。
それは、かつてディアンシー女王に甘えていた時と同じ仕草だった。
『…………!』
ヘリオドールの華奢な肩が震える。
俺は目顔でカブルーを促し、その場を離れた。
『ゴーシェナイト様…………!』
「りう、りう」
ゴーシェが歌うように鳴き声をあげる。
ヘリオドールは面を伏せ、しっかりと、長い首筋を抱き竦めた。
というわけで15話。
ここから話がゴンゴン動くので、そのまえの小休止、箸休め回です。
クチートの再登場は1部の執筆時から考えていました。
我ながらかなり好きなキャラクターなので、退場させっぱなしは惜しかったんですよね。やっと書いてあげることが出来て嬉しいです。
ヘリオドールが人語を喋れるのは、女王から賜った宝玉を首から下げているからです。他の子達もその玉を下げれば人語が話せるようになりますが、いまのところその予定は無いかな。ぎしゅぎしゅめるめる書く方が可愛いし。
いつも感想高評価ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします!