正気を取り戻した
上体が床に着くより早く、ヘリオドールが身を支える。
フーゴが淡く微笑し、ウインクを飛ばした。
『ワオ、君の優しさに惚れちゃいそウ♡』
『抜かせ道化め』
ヘリオドールは歯牙にもかけず、踊り場に目を走らせた。俺も同じほうを見やる。
6本腕の異形と化した相棒────
普段とは、違う。何もかも。
それをまざまざと突きつけてくる。
低く唸り続けるカブルーへ、1歩、踏み出した。
「カブルー」
返事はない。
睨めつける相手が、フーゴから俺に変わっただけだ。
もう1歩進む。更に1歩。
カブルーが身体ごと向き直り、臨戦態勢に入った。
俺の足がぴたりと止まる。
(いまのカブルーはまともじゃない。
分かっちゃいるけど…………)
相棒に敵と認識されるのが、こんなにも辛いなんて。
俺は掌をキツく握りしめ、2つ深呼吸した。
もう一度、声に力を込めて呼びかける。
「カブルー。もう、いいんだ」
震えそうになる手足を叱りながら、階段に足をかけた。
「ぎしゅあっ!」
カブルーが右上腕を振るう。見えない刃が飛んできて、俺の頬を裂いた。じくじくした痛みに眉を顰める。
恐怖をこらえて顔を向けると、カブルーの視線とかち合った。瞳の奥に隠れる感情を目の当たりにした瞬間、俺は自分の間違いに気がついた。
カブルーは、この場の誰よりも怯えていた。
そもそも、カブルーがその気ならば、俺の首を断ち切るくらい訳もない。
そうしなかったのは、俺が味方だとわかっているからだ。でも強すぎる力と変わり果てた姿に混乱し、せめてこれ以上誰も傷つけないようにと、自分じゃ止まれないから近寄るなと、全身で訴えていたんだ。
(…………どんなになっても、おまえは優しいな)
そうと分かれば、もうなにも怖くない。
俺は微笑みを浮かべながら、ゆっくり階段を上がった。
反対に、カブルーが後退する。
両腕を広げ、おののく相棒を抱きしめた。
「大丈夫だ、カブルー。
お前は誰も、傷つけちゃいないよ」
俺も、仲間たちもみんな無事だ。
囁きながら、細くなった背中をぽんぽんと撫ぜる。
強ばっていた体から徐々に力が抜けていき、最後には、6本の腕をだらりと垂れ下げた。
「がんばってくれて、ありがとうな」
「…………ぎしゅ……」
カブルーの肉体が再び光の繭に包まれる。
繭が弾けると、元のカブルーに戻っていた。
クイーンのスピアーに貫かれた腹はどういう理屈でか塞がっていたけれど、フーゴ以上に衰弱していて立つのもやっとの有り様である。
その場に身を横たえさせると、階下で行く末を見守っていたヘリオドールとハンサムさんが駆けつけてきた。
「2人とも、まずは傷の手当をしよう。とくにアシタバくんは背中が穴だらけのはずだ、無理に動くんじゃないぞ」
「────ああ」
言われて思い出した。たしかに何度かスピアーにざくざく刺されてた気がする。
傷口はもう塞がってるし、それどころじゃなくて忘れてたけど、さてなんと誤魔化そうか。
しかし、下手な嘘はつかずに済んだ。
辺りを険しい顔で見渡していたヘリオドールが、重大な事実を口にしたからだ。
『ところで、あの女はどこに行った?』
「…………! あ!」
言われて気づいたが、クイーンがカブルーに斬られて倒れた箇所には血溜まりがあるきりで、本人は影も形もない。どさくさに紛れて逃げたらしかった。
血痕は上階に続いている。
あの怪我だ、そう遠くまでは行ってないはず。
ハンサムさんはというと、荷物の中から医療道具一式を取り出し、さっそくカブルーの応急処置にかかってくれていた。
この人になら、任せても大丈夫だ。
「カブルー。ちっと行ってくる。すぐ戻るからな」
「ぎしゅ」
「お、おい?」
「ハンサムさん、俺、あいつを追いかけてきます! カブルーを頼みます!」
「なんだと!? いま動くなと言ったばかり……」
「治りました!」
「そんなわけないだろう! あ、ちょっと……!」
なにごとか言いかけるハンサムさんを置いて、俺とヘリオドールは2階に突入した。
クイーン・グロリアは虫の息だった。
2階の最奥、いちばん広くて豪奢な一室のソファに、身を投げ出すように突っ伏して、荒い息を吐いている。
背中の出血は既に止まっていたが、相当な量が流れたようで、辺りに鉄錆の臭いが漂っていた。
部屋には天井まで届く呆れた大きさの窓があって、気取った意匠のバルコニーがせり出している。
なぜそれがわかったかといえば、天井の一部が崩落し、カーテンごと破壊されていたからだ。ひび割れた壁の間から、夜明け間近の藍色の空がよく見える。
察するに、
俺たちが入っていくと、グロリアはヴェールの奥から凄まじい眼光で射抜いてきた。
「あんた達……よくも……!」
最初に会ったときの妖艶な声とは比べるべくもない、ガサガサと嗄れた音色だ。追い詰められた恐怖と屈辱が、彼女から威厳を剥ぎ取っていた。
恨み言には耳も貸さず、
「嫌ぁああ! 冷たい! 何するのよ!」
「また逃げられちゃ叶わんからな」
ゴーシェも不快げに鼻を鳴らす。
ボールの中からクイーンの所業を見ていたらしい。
尊敬しているカブルーとフーゴを良いようにされて、かなりトサカにきているのが分かった。
動かない相手をタコ殴りにするのは気が引けるが、まあこの女がやってきたことを思えばヌルいくらいだろう。
「ついでに、お前らも参加するか」
ポシェットから花をあしらったオレンジ色のブルームボールと、漆黒のギガトンボールを解放すると、オーガポンとガチグマが現れた。
だがここで、予想だにしないことが起きた。
オーガポンもガチグマも、クイーンを認めた途端、石のように動かなくなったのだ。
反対に、クイーンの顔が輝きだした。
「お前たちは…………! 久しぶりね! わたくしを覚えているでしょう? 早く助けなさい! ねえ!」
「…………? どういうことだ」
『知り合いか?』
ヘリオドールがガチグマに訊ねると、世界一苦い木の実を飲み下したような表情で何事か吐き捨てた。
ヘリオドールの眉間に皺が寄る。
「なんだって?」
『…………あいつは、オレらを捨てたトレーナーだ、と言っている』
「────捨てた?」
クイーンを振り返ると、なんとか氷から逃れようと足掻きながら、必死にオーガポンたちに助けを求めていた。
「懐かしいわ、何年ぶりかしら。捕まえたはいいけどあんまり可愛くなかったから森に放してあげたのよね。
育ててあげた恩を忘れちゃいないでしょう?
さあ、わたくしのために後ろの男をぶちのめして!」
オーガポンは微動だにしない。
棍棒を握る手だけが、小刻みに震えている。
ガチグマの鼻息も荒くなってきた。
「な、なによその怖い顔…………わ、わたくしを傷つける気……!?」
「…………ゴーシェ、下がろうか」
「りう」
『…………』
俺たちと一緒にヘリオドールも3歩下がる。
オーガポンが棍棒を振り上げ、吠えた。
今宵最大の悲鳴が、屋敷を揺るがした。
「スッキリしたか?」
と呼びかけると、オーガポンは笑み崩れながら額の汗を拭い、
「ぽにっ☆」
朗らかに返事をした。
隣のガチグマもやりきった顔をしている。
その背後で、文字通りボコボコにされたクイーンが呻き声を漏らしているが、命に別状がないのは確認済みだ。
「にしても、お前さんたち、怒ると色が変わるんだなあ」
俺はまじまじとふたりを見下ろした。
憤怒の形相で拳(と棍棒)を振るっていたとき、オーガポンは半纏のような部分が、ガチグマは額の満月のような模様が、いずれも真紅に染まっていたのだ。
勘違いでなければ、タイプまでも変化していたんじゃないだろうか。
「まあ、そこはおいおい知っていけばいいか。
────お」
割れた壁の間から差してくる白い光に目を細めた。
夜が明けたのだ。
長いようで、振り返ってみればあっというまに終わった晩だった。
階下がにわかに騒がしくなり、誰かがどやどやと昇ってくるのが聞こえた。
ハンサムさんがひょこりと顔を覗かせる。
「アシタバくん!」
「ハンサムさん」
「決着は……ついたみたいだな。少々やり過ぎなきらいもあるが、まあいいだろう」
正当防衛が通るといいが…………などと呟きつつ、クイーンを後ろ手に回して手錠をかける。この人のことだ、キャプテンのウキビも同じように捕らえてあるに違いない。
「ところで、クチナシさんってどこ行ったんすかね」
「む……。おそらく、屋敷のどこかにいるとは思うんだが。アシタバくん、探してきてくれるかい?」
「ういっす」
ガチグマたちをボールに戻し、ヘリオドールと一緒に1階に戻る。
カブルーは踊り場の壁にもたれて微睡んでいた。
「待たせたな、カブルー」
「…………ぎしゅ」
眠たげに瞬きながら、薄く微笑んでいる。
よかった。もうすっかり元のカブルーだ。
「ゆっくり休んでくれ」
心から労いつつボールにしまう。
エントランスホールでは精根尽き果てたウツロイドがぺっそりと横たわり、すぐ傍で赤マッチョがポージングしていた。
身体を縮めた竹子が嬉しそうに近づいてくる。
こっちも、頭を撫でてやりながら礼を言った。
クチナシさんは屋敷の裏手にいて、毛布を頭から被った人物に話を聞いているところだった。
(正気を取り戻した町民か?)
近づき、あっと息を飲んだ。
それは数日前、クチナシさんに初めて声をかけられたときに別れたきり行方が知れなかったグズマだった。
一体何があったのか、たった2日3日会っていないうちに、すっかり人相が変わっていた。頬はげっそりと痩せこけ、目の下に酷い隈が刻まれている。常夏のアローラで毛布に包まれてなお、寒さに震えていた。
「ぐ、グズマ? グズマだよな。どうしたんだよ!」
しかし、何度呼びかけても反応がない。
虚ろな眼差しであらぬ方を見つめながら、意味のない呟きを繰り返すばかりだ。
クチナシさんに目顔で問うと、辣腕の刑事は静かに首を振った。
「今は何も聞こえてねえし、喋れねえだろう。
こればっかりは時間が癒してくれるのを待つしかねえ」
「な、何があったんですか」
「…………」
クチナシさんはむっつりと口を閉ざし、煙草を咥えた。
その横顔は、『今は何も聞いてくれるな』と雄弁に物語っていた。
やがてクイーンを引きずるようにしてハンサムさんも出てき、俺たちはひとまず解散することになった。
正直ありがたい。
俺の手持ちは殆どが重傷を負っている。
グズマのことは気になるが、1秒でも早くポケセンに連れてってやりたかった。
「それじゃ、また」
「おう」
「気をつけるんだぞ!」
別れの言葉を告げ、竹子の竹筒に跨る。
天空に舞えば、暁闇が少しずつ晴れていくところだった。のびやかな朝日が濃紺を駆逐していく。
今日も暑い1日になりそうだ。
「…………それで、何があったんだ?
ただ事ではないんだろう?」
同僚の質問に、クチナシは紫煙をくゆらせた。
「お前がそうやって煙草を吸うのは、きまって心を落ち着けたいときだ」
「…………まあ、な」
どこまでもクチナシの口は重い。
ハンサムが辛抱強く待っていると、2本目も吸い尽くしたあたりで、ようやく語り始めた。
「町民たちが一斉に襲ってきた時によ、違和感を覚えなかったかい」
「違和感?」
「女もいて男もいて老人もいて子供もいた。だが、ある年齢層はいなかったろうが」
「…………」
ハンサムは己の記憶を辿った。
言われてみればたしかに、10代から20代前半頃の若者の姿が見えなかった気がする。
「そいつらは全員、クイーンの餌食になってたのさ」
「え、餌食、だと?」
クチナシは胡乱な目を納屋に向けた。
納屋というにはかなり大きく、広い構えで、分厚い鉄扉に閉ざされている。
低い、低い声で呻くように言った。
「あン中にゃあ、地獄が広がってたよ」
────これは、後日取り調べで判明したことだが。
40そこそこと目されていたクイーンはなんと、今年で80歳を迎える老婆であった。
病的なまでに己の美に執着する彼女は、衰えを遠ざけたくて引きこもる一方、真剣に不老不死の法を模索していたらしい。
ある日、若者の生き血が美容にいいという情報を手に入れたことで、ポータウンは地獄と化した。
早速キャプテン・ウキビに命じ、毎日若者を連れてこさせたそうだ。
納屋には古今東西ありとあらゆる刃物、拘束具、拷問器具が並べられ、血を一滴も無駄にすることなく搾り取る設備が整えられていた。
そして、全身の生皮を剥がされた青年や、生きたまま内臓を抉られた若妻、四肢を捥がれた少女など、筆舌に尽くし難い暴虐の果てに息絶えた遺体が所狭しと積まれていたのである。
住民たちは誰も逆らえなかった。
なぜなら、グロリアの調合した毒によって、正常な判断力を奪われていたからだ。
グロリアは毎晩
まさに酸鼻を極める地獄絵図、グズマはそんな場所に丸2日も閉じ込められていた。あと半日踏みこむのが遅れていれば、次の贄は彼だったろう。
そんな状況で、正気が保てるはずもなく。
グズマは、完全な廃人になってしまっていた。
クチナシはハンサムと協議の末、エスパーポケモンの力を借りて、グズマの脳からここ数日の記憶を抹消することで合意を得た。
「アシタバのあんちゃんとのことも忘れちまうだろうが…………そりゃ仕方ねえ」
「うむ…………」
「治療後は、メレメレ島のキング・ハラさんが身柄を引き取ってくれるとよ。親御さんには俺から説明しといた。詳しいところは伏せたせいで、途中で島巡りを止めた根性無しって思っちまってるみたいだが、な。
真実を知られるよりはよっぽどマシだろう」
「グズマくんは、立ち直れるだろうか」
クチナシは肩を竦めた。
「そりゃあ、神のみぞ知るってやつさ」
というわけで31話。
やっとクイーン戦決着です。
このあとはカプ神たちに対アルセウス戦のための助力を乞うターンとなりますが、そもそもなんでカプ・ブルルはこんなやべー女をクイーンに据えたのでしょうか。
一応ちゃんと理由考えてるのでご安心ください。
最後、わりとグロい話書いちゃいましたけどみなさん着いてこれてますか。
詳しい描写はしてないのでつけてないんですが、必要であればタグ足します。
この事件以降、グズマくんは曖昧な記憶のまま「島巡りを離脱した半端者」という烙印に苦しみ、どんどん道をはずれていきます。
アシタバとの出逢いその物がなかったことになってしまったので、彼が立派なトレーナーになる道は遠ざかってしまいました。
こういう尖ったエピソード書くといつも受け入れてもらえるか不安です。
よければ感想高評価おなしゃす!