トランシーバーを握る掌に、じっとりとした汗が滲む。
俺たちの前に現れたのは、恐ろしく巨大なポケモンだった。背丈が4メートルほどもあり、2本の長い尾をひらめかせている。逞しい後脚に較べて貧弱な前肢が、岩顎龍のガチゴラスを連想させた。
凶悪な歯の間から、粘つく涎が滴り落ちる。
「腹ペコ……って感じだな」
独りごちながら、じりじりと後退した。
本当はもっと速く逃げたい。
安全圏までダッシュしたい。
だけど焦って背中を向けたらその瞬間取って喰われてしまう。大型の肉食獣に遭遇したときは、狩猟本能を刺激しないようゆっくり動くのが肝要だ。
だから逸る心を必死こいて抑えつつ、あくまで緩慢に距離を取った。
オモダカさん曰く、こいつはウネルミナモというらしい。スカーレットブックとかいう本に載ってるそうだ。
あいにく読んだことは無いが、その著者──ヘザーの名には聞き覚えがあった。
「たしか、数百年前に
まさかその時のウネルミナモと同一個体ということはないだろうが、ポケモンの中には気の遠くなるような長寿を保つ種族もいる。
見るからにデカくて強そうだし、百年単位で生きていてもおかしくない。
充分に離れてから、改めて彼我を観察した。
ミナモの体躯、体高は剛力を誇るガチグマを軽く凌駕している。まともに組み合わせては貰えまいし、上から押えつけられたら手も足も出ないだろう。
しかも向こうは強力な
出会い頭に、とんでもない水量の熱湯攻撃をぶちかましてきたのだ。その勢いたるやハイドロポンプに匹敵するレベルだった。
幸い直撃は避けられたが、あんなモンを連発されたら、肉弾戦を主体とするガチグマではあまりに分が悪い。
悩んだ末に、腰のホルスターからオレンジ色のボールを放った。
現れたポケモンを見て、2体とも目を細める。
ただしその意味するところは真逆だった。
ミナモは新手に警戒心を抱き、ガチグマは頼もしい助っ人に安堵したのだ。
(他の奴らじゃ連携が難しいかもしれんが、こいつとなら上手くやれるだろ?)
俺は小声で檄を飛ばした。
「頼むぜ」
「ぽにおん!」
棍棒を振り回し、オーガポンは高らかに笑った。
〇〇〇
雷電が空気を切り裂く。
懸命に羽ばたくムクホークだったが、回避も虚しく、撃墜された。
「……戻ってください、ムクホーク」
ボールに戻し、敵を見やる。
遥かな高みから睥睨する面構えには、どことなく血腥い愉悦が混じっているように思えた。
タケルライコ。
ヘザーは著書の中で、ライコウの祖先ではないかと考察していた。
なるほど確かに、凄まじい電撃の遣い手だ。
既にムクホークとカラミンゴを倒された。
残る手持ちは3体。うち1体のノコッチはまだ育成中で、とても戦わせられない。
ということは、あと2体で、この強敵を乗り越えねばならないわけだ。
「……あの方の業務はいつも困難を伴いますね」
短くも重たい吐息をつきつき、胸ポケットから一対の手袋を取り出した。
黒地に銀糸の刺繍が施された意匠。
四天王とチャンピオンのみに許されし栄光の証。
それを嵌めるということは取りも直さず、アオキが本気を出すことを意味する。
「……残業は御免です。さっさと終わらせましょう」
言葉少なにウォーグルを繰り出す。
勇猛果敢な猛禽が、天高く飛翔した。
〇〇〇
先に動いたのはミナモの方だった。
大きく開けた
狙いはオーガポンだ。
横に躱すか、それとも受けるか。
オーガポンはそのどちらも選ばなかった。
あえて前方に飛び出して射線の下を潜り抜けるという荒業をやってのけたのだ。
「がおぼうっ!」
そのまま勢いに乗じて棍棒を振りかぶる。
狙うは頭──ではなく、左脚の脛だった。
強烈な打撃が軸足を襲う!
ミナモは苦痛に顔を歪ませながら尻尾を振り上げた。
「まずいっ! ドラゴンテールだ!」
攻撃直後でオーガポンの姿勢は崩れている。
とても回避は間に合わない!
しかし後ろに回りこんでいたガチグマが、尾の先をがっちり咥えて見事に止めた。
すかさずオーガポンが追い討ちをかける。
まったく同じところを2回も痛打され、巨龍は堪らず転倒した。
抜群の連携。やっぱこの2体に任せて正解だった。
ガチグマが頭を押さえこもうとのしかかる。
勝ちを確信した瞬間、激昂したミナモの咆哮に、俺たち全員が吹き飛ばされてしまった。
「かは……っ」
ひどい耳鳴りに奥歯を食いしばる。
なんてデタラメな声量だ。
離れたところにいる俺ですら尻もちをついたほどの、凄まじい爆音だった。
ぐわんぐわん揺れる頭を抱えながら、こみ上げてくるすっぱいものを吐き出した。口の中がひどく不味い。
三半規管をやられたようで、座っていてなお地面が波うっている。
「ただの“吼える“が……なんて威力だよ……!」
あいつ、やっぱり只者じゃない……!
「ぽ、ぽに……」
オーガポンが、棍棒を杖がわりによろよろ立ち上がった。至近で食らったダメージは大きく、とても戦えそうにない。ガチグマのほうはもっと深刻で、両耳から血を垂れ流したままぴくりともしなかった。
起き上がったウネルミナモが、血走った目でオーガポンを睨めつける。
毛量の多い鬣がざわざわと膨らみはじめた。
────大技がくる……っ
「…………っ!」
咄嗟に腰のボールを投げた直後。
ミナモの技が、炸裂した。
最初にあったのは、光だった。
禍々しい閃光が辺りを満たす。
手加減なしの破壊光線。
もうもうたる砂塵が舞い上がり、土と草の焼ける匂いが鼻腔を刺激した。
衝撃波に当てられて、俺はまた地面に突っ伏した。
(ま、間に合ったか……?
オーガポンは、ガチグマは無事なのか……!?)
焦りと不安に胸が締めつけられそうな刹那。
小さな影が、土煙の中に揺らめいて。
『────ふん』
次の瞬間、ウネルミナモの絶叫が轟いた。
『もっとさっさと呼べ、愚か者が』
視界がクリアになった、その先で。
〇〇〇
ヘリオドールはこの場の誰よりも小柄だ。
だというのに、一体どんな魔法を使ったのか、ウネルミナモをいともあっさり引き倒していた。
ミナモが身を起こそうとしても絶対に許さず、頭や目といった急所を自慢の大顎で痛烈に殴りつける。
そのたびに、悲痛な悲鳴が木霊した。
やがて観念したのか、ミナモはぐったりしたまま動かなくなった。
ヘリオドールの小さな指がくいくいと曲がる。
近くに来いの合図だ。
俺は間髪入れず駆けつけた。
『おい』
「はいっ」
『捕獲器はあるのだろう? 捕らえておけ』
「え、あ、あぁ」
捕獲器──つまりボールのことだろうか。
それなら大量に持っている。
リュックを掻き回し、いつかドラゴンタイプに使おうと思っていた試作品を取り出した。
鬱金色の下地に竜の牙をあしらったデザインである。
ウネルミナモが竜族かどうかは神のみぞ知るところだが、きっと似合うだろう。
『この地の攻略にも
散々わからせてやったから、素直に捕まるだろうよ。
抵抗するようならもう少し
その言葉に、虫の息だったミナモの肩がびくりと震え、哀願するような眼差しで俺を見上げてきた。
ぼく悪いポケモンじゃないよ。
大人しくするから乱暴にしないで。
このひとから僕を護って。
そんな想いがひしひしと伝わってきて、
「……なんか……すまん」
おもわず謝ってしまった。
優しくボールを当てる。
ヘリオドールの読み通り、一切抵抗なく入ってくれた。
〇〇〇
オーガポンたちの容態を見てみると、幸いなことに、遠目で見たときの印象ほど酷くはなさそうだった。
ガチグマの血は既に止まっていたし、オーガポンも多少足がふらつくくらいで意識ははっきりしている。
傷の手当をし、体力回復効果のある木の実を食べさせたら、だいぶ血色がよくなった。
とはいえ、ムリは禁物だ。
「どっかに
『あそこにあるんじゃないのか』
ヘリオドールが指さしたのは、ここから100メートルほど離れたところにある小さな建物だった。
マップと照らし合わせ、ひとり頷く。
「……あれが第2研究所だ」
オモダカさんから託された、俺たちのゴール。
中に入ってみたが、棚中のファイルが投げ出されている以外は変哲のない部屋だった。
ここも第1研究所同様に埃が積もっていて、長年使われていないのは一目瞭然である。
勿論、オーリム博士もフトゥー博士も見当たらない。
「ハズレか。……おっ」
部屋の奥に、旧型の治療機が備えてあった。
電気は通っていたので、遠慮なく使わせていただくことにする。
「途中で捕まえたチヲハウハネとミナモと、オーガポンたちのボールを置いて……っと」
スタートボタンを押すと、鈍い作動音を響かせながら回復が始まった。
「終わるまで、小休憩にすっか」
一旦建物の外に出てみんなを呼びだし、昼食をとった。
メニューはペパー特製サンドイッチである。
水を飲み、ひとくち咀嚼してみると、自分が大層腹を減らしていたことに気づき、貪るように食べた。
人ごこちついたところで、隣のヘリオドールに話を振ってみる。
「さっきのさ、どうやったんだ?」
『どうとは何だ』
「ウネルミナモを倒した方法だよ。
あんなにデカいのをあっさりひっくり返しただろ?」
チーム1の怪力を誇るガチグマですらなし得なかったことを、この小さき女帝はいかにしてやりおおせたのか。
食事中も考えてみたのだが、さっぱり分からなかった。
『そんなことか。簡単な話だ』
指先についたマスタードを舐めながら、ヘリオドールはこともなげに言った。
『奴の左脚は踏ん張りが甘かった。
恐らくは小娘の打撃で骨にヒビでも入っていたのだろうよ。だからそこに思いきり噛みついて、完全に骨を砕いてやったのさ。そうなれば、赤子を転ばすより容易い』
「……あの破壊光線を避けながら、それを?」
『避けてなどおらん』
「え」
『喰らった。この顎でな』
頭から生えている大顎をぐぱっと開ける姿に、俺はおもわず目眩がした。
まじか。
じゃあ、ボールから出るやいなやミナモの前に飛び出して、極太破壊光線を無傷で受け止めた挙句、敵を再起不能にしたってのか。
あの一瞬でとんでもなくえげつないことしてるぅ。
称賛しようと口を開きかけたところへ、ヘリオドールが不満げに呟いた。
『惜しむらくは身内の方よ。
小娘も熊も、筋は悪くないが攻め方が大雑把すぎる。
なまじ強いぶん、いままでは力任せの戦い方でも勝ってこれたのだろうが……』
赤い瞳が、じろりと俺を睨め据えた。
『貴様がきっちり指導しておればあんな負傷をさせずに済んだのだ。猛省しろ』
「…………はい」
彼女の言うとおりだ。
俺は言葉もなく項垂れた。
ポケモン同士がただ戦うだけならトレーナーは要らない。戦況を観察し、攻めるべき点や守るべきラインを見極め、的確な指示を出してこそ人間の──俺の価値がある。
さっきの俺は、全く無能の極みだった。
「────今後の課題、だな」
胸の前で、ぐっと拳を握りしめた。
〇〇〇
無事に回復も済んだところで、トランシーバーの電源を入れる。
オモダカさんたちに向かって呼びかけたが、返事がかえってこなかった。
「……まだ交戦中なのか?」
最後に連絡をとったとき、あの人たちの前にもミナモのようなポケモンが現れたと言っていた。
たしかウガツホムラとタケルライコ……だったか。
第2研究所にオーリムさんたちは居なかったし、このままここで待っていても仕方がない。
「助太刀に行くか。
近いのはアオキさんの方だよな……ガチグマ!」
治療したてのガチグマを繰り出す。
「どっか痛いとこないか? 吐き気は?」
ガチグマが静かに首を振るう。
さすが、もう体調は完璧らしい。
オーガポンも呼び出し、同じように確認してみると、しおらしげに抱きついてきた。
「どした?」
「ぽに〜……」
「抱っこしてほしいのか?」
「ぽにおん」
こくりと頷く。
甘えんぼうが発動している。
一生懸命頑張ってくれたもんな。
「いいよ、おいで。
アオキさんのとこに着くまで抱っこしたる」
「ぽにおん!」
オーガポンは破顔して、俺の胸に飛び込んできた。
一緒にガチグマの背に乗る。
たぶん
我慢してくれメルティ。
あとで甘やかしてやっから。
……あー、ボールの外側がじわじわ湿ってきた。
毒液出すな。出すなって。
──結局根負けした俺は、メルティとオーガポンを両脇に抱っこしたまま、アオキさんたちの居る下層へと踏み込んでいった。
というわけで49話。
ウネルミナモ、ゲットだぜ。
また手持ち増やすんかオメーと言われそうですが。
だって書きたかったんだもん。欲しかったんだもん。
そして美味しいとこどりのヘリオドール嬢。
彼女の強さの秘訣とか戦い方もそのうちちゃんと書きたいですね。
それはさておき、アオキさんとオモダカさんは無事でしょうか。
はやく続きを書きたいから涼しくしてくれ令和ちゃん。
35℃は死んでしまう。
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