最初に感じたのは、全身が鉛の繭に包まれているような、ひどい倦怠感だった。
「…………ぅ……」
瞼を開ける、たったそれだけの動作がどうしても上手くいかない。
喚きたくなるようなもどかしさを堪えて何度も挑戦し、やっと視界が開けたとき、緑色の何かがわっと飛びこんできた。
「先輩っ! オモダカ先輩! 起きたか?
うちのこと、わかるか!?」
「…………ち、り…………?」
縺れる舌を懸命に動かしてその名を呼ぶと、彼女──チリは滂沱の涙を流して抱きついてきた。
「うぁああぁあ! もうダメか思たぁ!
よかった、ほんまによかった……!」
赤子のように泣きじゃくりながら、凄い強さで抱きしめてくる。
こんなに取り乱したチリを見るのは、長い付き合いのなかで初めてだった。
バタバタと慌ただしい足音が駆けてきて、いきなり大勢の人達の顔が現れる。皆一様に白い服を着ていた。
それから脈だの血圧だのを測られて、目が回るような忙しさのうちにまた気を失ってしまった。
〇〇〇
────後に、アオキから聞いたところによると。
ゼロの大空洞で遭遇した謎のポケモンXによって瀕死の重症を負った私は、なんと丸3日もの間、こんこんと眠り続けていたらしい。
チリは私が入院したと知るや病室に寝袋を持ち込み、来る日も来る日も泊まりこんで目を覚ますのを待っていたそうな。
病院に担ぎ込まれてから今日で4週間、諸々の検査も終わり、ようやく退院の目処が立った。
「明日の午前に怪我の処置を終えたら、もう帰っていいそうですよ」
「やーよかったわぁ。今やから言いますけど、傷が酷すぎるから最悪の事態も覚悟しておいてくださいなんてドクターが脅すんやもん。肝が冷えたで〜ホンマ」
「なるほど、あの
アオキが剥いてくれたリンゴを頬張りながら頷く。
彼女に先輩呼びをされたのはアカデミー以来だった。
特に自分がパルデアチャンピオンに就任してからはトップとしか呼んでくれなかったので、夢現だったくせになんだか懐かしさすら覚えた気がする。
「まあ、自分も生きた心地がしませんでしたよ」
バナナを1本もぎりながらアオキが話を継いだ。
「アシタバさんが預けてくださったガチグマの背の上で、あなたの身体がどんどん冷たくなっていきましたから。
ああ、これはまずいな、と」
「それそんなテンションで言うことちゃいますよ旦那」
チリが引きつった顔でツッコミを入れる。
……実際、あの斬撃は致命傷だった。
咄嗟にキラフロルが庇ってくれなかったら、心臓と肺を破かれて即死していたろう。
お互い、果物を咀嚼し終えたところで本題を切り出す。
「────それで、
曖昧な問いかけだったが、アオキは全てを察してくれた。鞄から黒いボールを取り出し、私に差し出してくる。通常のモンスターボールよりもひと回り大きかった。
「こちらが例のものです。2日前に完成したそうで、彼はテラスタルオーブと名付けていました」
「テラスタルオーブ……」
眼前で、光に透かしてみる。
オーブの中央に納められたテラスタル結晶が、複雑な輝きを放った。
「うちとアオキさん、それから
そう言いつつも、チリはいまひとつ浮かない顔をしていた。
「……ほんまは、本人から話してもらいたかってんけどな……」
「…………ええ」
窓の向こうに視線を投げかける。
寝ている間に秋は過ぎ去って、外はもう冬が支配していた。骨身に沁みるような冷たい風が、枯れた枝を揺すっている。きっと今夜は雪が降るだろう。
「今頃、どちらにいらっしゃるのでしょうね……アシタバさんは」
この場の誰もその答えを持ち得ないことは分かっていたが、それでも言わずにはいられなかった。
〇〇〇
チリが帰ったあと、アオキと2人で
かの赤龍──便宜上ツバサノオウと呼ぶ──と接敵したアオキは、アシタバの勧めにより戦線を離脱後、私をチャンプルタウンの病院に預け、関係各所への報告と連絡に奔走した。
すぐにでも現場に取って返したかったが、なにせ手持ち全員タケルライコとの戦いで消耗しきっており、戦力が整わなかったという。
スカーレットブックの作者ヘザー曰く、大昔はライコやオウレベルのポケモンが
「結局、なんとかアシタバさんと交信できたのは地上に戻って1日ほど経ってからだったんですが……その時にはもう、人が変わったようになっていましたね」
「変わっていた……どんな風に?」
「顔にも声にも、まったく生気がなくなっていました。
話していても心ここに在らずといった感じで……むっつり黙り込んだかと思うと早口で捲し立てたり……一言で言うなら、非常に情緒不安定に見受けられたんです」
「情緒不安定…………」
意外……と思う一方で、やはり、とも思った。
コガネ空港で、私にぶつかったことを詫びてきた時。
最初から好感を抱いた。
他人の痛みや苦しみに寄り添おうとする愚直なまでの優しさが、顔つきや立ち振る舞いに滲み出ていたからだ。
彼はきっと、このご時世に珍しいくらい、底抜けにお人好しな人物なのだと感じた。
しかし、そういう人はえてして、
あまりに深い哀しみに触れてしまったとき、必要以上に受け止め、落ち込んでしまう場合があるのだ。
「アシタバさんはその通信で、ツバサノオウを捕獲したがまだ他にも危険なポケモンがいるかもしれないから、大穴には誰も来ないようにとくどいほど忠告してきました。自分は第4研究所に避難しているから心配いらない、とも」
「オーリム博士たちは?」
「
「そう……ですか」
ならば、何が彼をそこまで悲嘆させたのだろう?
そして何故、アオキにテラスタルオーブを渡すや慌ただしく出立してしまったのだろうか。
彼の性格上、そんな不義理を犯すような真似は考えにくいのだが…………
────分からない。
溜息をついて、ベッドに身を預けた。
彼のおかげで自分は一命を取りとめ、パルデアに新たな技術が生まれた。
ポケモンのテラスタル化をいつでも出来るようになれば、この地方のトレーナー達はさらに一段上を目指せる。
このうえない大恩人だ。
何度感謝してもし足りないぐらいだというのに。
「せめて、きちんとお礼を伝えたかったですね……」
アオキは、静かに頷いた。
〇〇〇
オモダカの病室を出たあと、ふと思いついたことがあり、ハッコウシティへと足を向けた。
この街には確か、オーリム博士たちの息子がいたはずだ。名を、ペパーといったか。
屋敷はすぐに見つかり、チャイムを鳴らした。
「兄ちゃん!?」
猛烈な勢いで少年がドアを開ける。笑みを湛えていた顔はしかし、自分を認めた途端曇ってしまった。
「兄ちゃんじゃなかった……おじさん、誰?」
「突然訪問してすみません。自分はアオキといいます。アシタバさんのことでお話を聞きたくて来てしまいました」
「! アシタバ兄ちゃんのこと知ってるの?」
「ええ。あなたもご存知のようですね」
どうやらこの少年は、ハッコウ平原で自分と喋ったことはすっかり忘れているらしい。
無理もないことだ。
あの日からひと月以上経っているのだから。
ペパー少年は客間に通してくれ、手ずから紅茶を振舞ってくれた。
芳醇な香りと豊かな甘みに心身がほぐれていく。
心からの賛辞を送ると、彼は嬉しそうにはにかんだ。
「兄ちゃんも好きな茶葉なんだ、それ」
「そうでしたか」
食の好みが合う人間は貴重だ。
自分の馴染みの店にも連れて行ってみたかった。
カップをソーサーに置き、ずばり切り出す。
「突然ですが……彼と最後に会ったのは、いつですか?」
「一昨日の夕方だよ」
「夕方?」
思いがけない答えに、アオキは目を見開いた。
自分がオーブを受け取ったのは一昨日の昼頃だ。
てっきり、渡してすぐにパルデアを去っていたのかと思っていたが、その後ここに来ていたのか。
「……どんな様子でした?」
「どんなって……うーん、なんか元気なかったかなあ。
目の下のクマも酷かったし……笑ってるんだけど、泣きそうって感じ。……わかる?」
「……ええ。分かりますよ」
いわゆる空元気というやつだろう。
社会人なら誰しも経験がある。
「兄ちゃん、ここんとこ定期的にテレビ電話してくれてさ。母様や父様と一緒に映って、喋ってくれたよ。
だから寂しくなかった。……けど」
しゅん、と俯いてしまう。
「母様たちは研究が忙しくて、なかなかこっちには戻れないんだって。その代わり、連絡は欠かさないようにするからって言ってた。兄ちゃんが、ごめんな、ごめんなって何度も謝ってきたよ。兄ちゃんは何も悪くないのに」
「…………」
「あ、それでね、これくれたんだ。
大きくなったら使ってみなって」
ペパーが取り出したのは、紛れもなくテラスタルオーブだった。
「これには母様と父様と兄ちゃんの頑張りが詰まってるんだって。だから大事にしてくれって言われたよ」
「……そうですか。では、大事にしないといけませんね」
「うん! おれ、毎日磨いてるんだ!」
屈託のない笑顔を浮かべるペパーに、アオキはぎこちない微笑で応えた。
〇〇〇
「────オーリムさんたちの死は、隠し通す」
アシタバの宣言に、私と、起動したばかりのフトゥーAIは顔を見合せた。
「どういうことだ?」
「……オーリムさんは、自分の死体を壊してくれと言っただけだ。死んだことを伝えてくれとは言ってない。
だから、ペパーや他の人には伝えない」
「詭弁だ」
フトゥーが断ずると、アシタバは暗い顔で笑った。
「そうだよ。人間はな、嘘とごまかしで出来てんだ」
────変わった、と感じる。
ここにきた頃の彼の映像メモリと比べると一目瞭然だ。
髪は乱れ、頬が痩けた。上手く眠れないのだろう、青い隈が日毎に濃くなっている。
なにより、こんなに荒んだ笑い方をする人物ではなかった。
しかし、オーリムAIは何も言わなかった。
オリジナルの知識を総ざらいしても、適切な語彙が検出できなかったからだ。
テラスタルオーブの試作品が散乱する机に肘をつき、アシタバは物憂げに語った。
「幸いアンタ達
飯や水がなくたって生きられる。定期連絡さえ絶やさなきゃ、誰も死んでるなんて思わない」
「だから、秘密にするんだ。いずれ大きくなったペパーがここに来て真実を知る、その時まで」
「承知した」
オーリムが応諾すると、フトゥーも頷いた。
アシタバが懐からモンスターボールを取り出す。
「ツバサノオウはここに捕らえてある。
ヒトの味を知っちまったポケモンを野放しにはできなかったからな。
ロボットのあんたたちじゃ育てられないだろうから、滅多に解放するなよ」
「わかった」
「……どれもこれも、エゴの賜物だな」
皮肉げに呟き、肩を揺らす。
頬を涙で濡らしながら、アシタバは笑い続けた。
というわけで53話。
アシタバは、「伝えない」ことを選択しました。
ゲーム本編ではどちらか一体のみ博士のAIが出現しますが、本作では2体とも登場します。片方しか通信に現れなかったら怪しまれてしまうからというややメタ的な理由ですが、そもそもなぜ、博士たちは自分に似せたロボットを作ったのでしょうか。
私は、研究に没頭するため、ロボットたちを地上に送ってペパーと暮らさせるつもりだったからではないかと考察しています。
これもまた随分非人道的なやり方ですが、マッドサイエンティストならやりかねないのが恐ろしいところ。
傷つきすぎたアシタバは次にカロスへと向かいます。
そこでもまた試練があるかもしれません。
どうか応援してあげてください。
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