第54話 カメラガール。
茂みの奥に腰を下ろし、そっとカメラを取り出す。
なるべく音を立てないよう細心の注意を払いつつファインダーを覗きこんだ。
ターゲットが一心不乱にシクラメンの蜜を吸っている。
透き通るような白い翅と赤い花弁の
すかさずシャッターを切った。
「氷雪模様のビビヨン……この時期にしか渡ってこないレア個体……! いいんじゃない、いいんじゃないの!」
興奮の赴くまま、ひたすら撮り続けた。
〇〇〇
幼い頃から虫ポケモンが好きだった。
手のひらに乗るほど小さな生き物が、ほんの少しの栄養で驚くべき進化を遂げる、その不思議に魅了された。
3年前、12歳の誕生日。
姉からお古のカメラをプレゼントされた。
以来、どこに行くにも手放さなくなった。
カメラは素敵だ。
虫たちが織り成すほんの一瞬のきらめきをも切り取って残してくれる。
気が済むまで撮影したあと、茂みから立ちあがった。
「今日はこれでおしまいかなぁ……」
ハクダンの森は常緑樹が多いから、真冬でも草花が絶えることはないけれど、悲しいかな大抵の虫は冷気に弱い。
先のビビヨンも朝から数時間粘ってようやく見つけた被写体なのだ。
「う〜もっと撮りたい!」
撮影欲を滾らせつつ、ハクダンシティに向かって歩きかけたその時。
木陰から、見慣れないポケモンが飛び出してきた。
「よふ?」
「えっ……か、可愛い!」
慌ててカメラを構える。
タイプは……草、だろうか。
薄緑を基調とした体色に、竹のような両腕を持ち、微笑みながらこちらを見あげている。
体長はわずか80センチほどで、お人形のように可愛らしい。
興奮に任せて連写すると、シャッター音に驚いて逃げ出してしまった。
「あっ、ちょ、ちょっと待って!」
初めて見るポケモンだった。
願わくば全身撮らせてほしい!
息を切らせながら追いかけると、東の外れにある洞窟前まで来てしまった。
「ここって……」
大人たちが
恐ろしいのは名前だけで、別に何があるわけでもない。
一直線の短い
余りに
例のポケモンは見当たらない。
奥に入っていってしまったのだろう。
少し迷ってから、アブリボンを呼び出した。
「アブちゃん。甘ぁい香り、お願いね」
「きゅわっ」
すぐに、蜂蜜とバターを混ぜ合わせたような、蕩ける芳香が漂いはじめる。
捕まえようなんて思ってない。
ただ少し、撮らせてほしいだけだ。
この匂いを嗅げば、少しは警戒心も和らぐだろう。
ゆっくりと洞窟を進んでいく。
奥の方で音がした。
匂いにつられてこちらに来たか。
「はぁい。怖くないわよぉ。出ておいで〜」
優しい声で囁くと、
鋭い牙に、裂けた瞳孔。
身の丈3メートルを超える巨体。
口の端から涎が滴り落ちている。
超大型の肉食獣────!
「ひっ!?」
「きゅ!?」
あまりに恐ろしい相貌に、アブリボンと抱きあった。
これまた見たことのないポケモンだったが、ひどく腹を空かせているのは間違いない。
(た、た、食べられちゃう……っ!)
頭から丸かじりされる己が鮮やかに浮かんだ。
半ば死を覚悟し、目を瞑る。
────しかし。
「落ち着けミナモ。お前の分はこっちにあっから」
奥の方からかけられたその一言で、ミナモと呼ばれたポケモンはあっさり踵を返した。
「…………へ?」
ぽかんとしていると、同じ声が呼びかけてきた。
「驚かせてすまん。悪気はなかったんだ」
アブリボンと顔を見合わせる。
どうやら野生ではないらしい。
しかもトレーナーがこの奥にいる。
(ということは、危険はないってことよね。
それなら……頼めば撮らせてくれるかも!)
身の危険がないと察するやいなや、好奇心がむくむくと頭をもたげた。
「い、いえ、大丈夫よ。
……その、よかったらそちらに行っても?」
「……あぁ、どうぞ」
お言葉に甘えて広間に足を踏み入れる。
彼は、岩壁にもたれるようにして座っていた。
ミナモに手ずから肉を喰わせながら、こちらをじっと窺っている。
歳の頃は自分より2つ3つ上だろうか。
レンジャー用の丈夫なズボンに大きめのパーカーを着ている。ブーツの汚れ具合から、相当長い間旅しているのがわかった。
彼の傍に跪き、片手を差し出す。
「はじめまして。わたしはビオラ。
この近くのハクダンシティに住んでる者よ」
「ジョウトのアシタバだ」
アシタバは、言葉少なに握手を返した。
〇〇〇
驚いたことに、あのお人形ポケモンも彼の手持ちであるという。
テッカグヤという珍しい種族だそうだ。
竹子という見た目そのまんまなネーミングに吹き出してしまった。
「ねねね。もしよかったら、竹子ちゃんとミナモくん、撮らせて貰ってもいい!?」
「……俺は写さないでくれよ」
「OK!」
すぐに撮影に取りかかる。
ミナモも竹子も、最初はおっかなびっくりしていたけれど、何度も褒めていくうちに緊張が解けて、次第にリラックスした顔つきになっていった。
60枚ほど撮り終えたところで、ようやく満足した。
「っあー、楽しかった!
ふたりともありがとう、お疲れ様!」
「よふ」
「るぉん」
2体が朗らかに鳴く。
ミナモは慣れてみれば人懐っこくて、物凄く大きな犬といった感じだった。
アシタバ曰く、お腹さえ満たしてやれば大人しいものだという。
そんな彼は、いつの間にかヤヤコマの火の粉で焚き火を起こしていた。
「終わったか?」
「ええ、バッチリ!
今日これからすぐに現像するから、明日には渡せるわ。
ホテルはどこに取ったの?」
「取ってない。ここで寝る」
「え……」
こんな寂しいところで?
言いかけて、口を噤んだ。
炎を見つめる彼の瞳が、問いかけることを許さない、冷たくて頑なな光を宿していたから。
「……わかった!
そしたら明日の朝、ここに届けに来るわね。
どっか行っちゃわないでよ?」
「……あぁ。楽しみにしてるよ」
クマの酷い貌で、それでも彼は薄く微笑んでくれた。
〇〇〇
翌朝。
約束どおり、アシタバはちゃんと待っていた。
居てくれたことに安堵しつつ写真を手渡す。
彼は、厳選に厳選を重ねた1枚をじっと眺めたあと、大事そうにしまった。
「いい写真だ。……ありがとう」
「どういたしまして!
ところで……アシタバはこのあとどこか行くの?」
「……特には決まってない」
「なら、一緒にヒャッコクの日時計を見に行かない?」
「日時計?」
「北東の街、ヒャッコクシティにある名物よ。
すご〜く珍しい鉱石で出来ててね?
一説には幻のポケモン・ディアンシーの石かもって言われてるわ! あれは一見の価値ありよ!」
「ディアンシー……それ、ほんとか!?」
アシタバの頬が上気する。
思いがけない食いつきのよさに戸惑いつつも、力強く親指を立ててみせた。
「あ、あくまで都市伝説だけどね。
でも、ほんとに綺麗な時計だから、いい思い出になるわよ〜! わたしが保証するわ!」
「じゃあ行く。案内頼むよ」
「まっかせて! それじゃ、しゅっぱーつ!」
拳を振り上げ、意気揚々と虚の間を後にした。
〇〇〇
ヒャッコクシティまでは2つの街を通り過ぎる。
まる1日歩き通したとしても、5日はかかる道のりだ。
アシタバが、カロスを旅するのは初めてだと言うので、あえて陸路を選んだ。
正直、間が持つか不安だったけれど、彼との会話はとても楽しかった。
自分の身の上や、いままでどこにいたかという話には口が重くなってしまう反面、好きなポケモンのタイプや育成のコツなどはいくらでも語ってくれたし、彼の持論は豊かな知識や経験に裏打ちされていて凄く興味深かった。
なにより気安かったのは、撮影欲に目覚めてカメラを構えだしても、黙って待っていてくれたことだ。
急かしたり茶化したりせず、かといって興味津々な態度もとらず、風景と同化するように静かにしてくれたのが、心底嬉しかった。
つい最近知り合ったばかりなのに、どんどん惹かれていく自分がいた。
だからだろうか。
旅を始めて3日目の夜。
夕食後のコーヒーを喫しながら、ぽろりと打ち明けてしまった。
「……わたしさ。プロのカメラマンになりたいんだよね」
いままでは姉のパンジーにも内緒にしていた将来の夢。
話し出したら止まらなかった。
「ポケモンと人が一緒にいると、老若男女関係なしに、みんなイキイキするじゃない?
わたしその光景が大好きなの。それに、バトルも好き。
だから、世界初のカメラマンジムリーダーになりたいなって思ってて」
「カメラマンジムリーダー、か」
ミルクはなし、砂糖たっぷりのコーヒーが入ったマグカップで掌を温めながら、アシタバが目を細めた。
「いいな、それ」
「なれると思う?」
「わからん」
身も蓋もない答えにずっこける。
「そこはさあ、嘘でも『君ならなれるよ』とか言うとこでしょー」
笑い含みにツッコむと、アシタバは自嘲気味に笑った。
「……もう、ウソはつきたくないんだ」
「……そっか」
それきり、黙りこんでしまった。
閉店時間になったので、お互いカフェの前で別れた。
彼は夜になると、どこかに姿を消してしまう。
同じホテルに泊まることは決してない。
どうも、人の多い場所にいるのが耐えられないようだ。
シャワーを浴び、濡れた髪を拭きながら、ベッドサイドに置いたボールに触れた。
中のアブリボンが眠そうに欠伸している。
「アブちゃん。わたしに出来ることって何かあるかなあ」
────詳しいことは、何も分からないけれど。
きっと彼は、すごく傷つくことがあったのだ。
その痛みが癒えないまま、旅を続けている。
ほんの少しでもいいから、力になってあげたかった。
「せめて、カロスにいる間は彼に素敵なことがたくさん起きますように」
ボールが、相槌を打つようにかたりと揺れた。
というわけで54話。
カロス編の始まりです。
個人的に好きなジムリーダービオラちゃんに登場いただきました。
この時はまだ一介のトレーナーにすぎず、手持ちも少なめです。
落ち込みまくってる主人公を明るく引っ張ってくれるキャラとしてコルニちゃんにもご協力いただきたかったのですが、本編から10年前なのでまだ幼女なんですね〜。
なので登場はしばらく先です。
どこかでアシタバくんには元気を出していただきたい。
感想高評価よろしくお願いします!