キキョウアカデミーは学び舎があまりに広く、擁する生徒の数も膨大なために、入学から卒業まで一度も顔を合わせることなく行き過ぎる人間がザラにいる。
そういう意味では、ワタシとアシタバが知り合えたのは奇跡だな。
最初に奴と出逢ったのはゼミで本を読んでいた時だよ。
突然教授が引っ張りこんできたのだ。
「なかなか愉快な生徒を見つけましたよ」と宣いながら。
当時15歳のアシタバはひどく迷惑そうな顔をしていた。俺はこんなところに1秒たりとも居たくない、という気持ちを全く隠そうとしないから、おもわず笑ってしまったくらいだ。
頬は痩け、足元もフラフラと頼りなく、驚くほど顔色が悪かった。
何日も、ろくに飯も食わず、眠っていなかったのだろうよ。まるで幽鬼のようだと感じたのを覚えている。
後から知ったのだが、この頃はご両親に不幸があり、ジムリーダー試験も不合格をくらって、ずいぶん気落ちしていた時期らしい。
……ああそうだ。いまの様子とそっくりだよ。
いや……今の方がもっと悪いか。
うん? なんのゼミかって?
古代神話の研究室さ。
いわゆる創造主──アルセウスに関する文献を
我らが教授殿はアルセウスにいたくご執心でね。
優秀かつ熱心な生徒しかゼミに入れようとしないのだ。
おかげで万年人手不足さ。
アシタバは教授のしつこい勧誘に折れて、毎日大量の書物を整理したり、翻訳する雑務に追われた。
1年、2年とそんな生活を送るうちに、段々悲しみが薄らいでいったんだろう。
少しずつ生気が甦り、笑うようになった。
ああ、こいつはもう大丈夫だと、思っていたんだがな…………
飲み干した缶ジュースをゴミ箱に放り、レホールが振り向いた。
「いったい、貴様に何があったんだ?」
ポケモンセンターから戻ってきたアシタバは、レホールの問いかけにむっつりと黙ったまま、地面を見下ろした。
私たち2人で、一心に見つめ続ける。
何秒経っただろう。
とうとう視線に耐えきれなくなって、彼はそっぽを向いたまま吐き捨てた。
「……なんでもないです。これは、俺の問題ですから」
「なんでもないことないでしょう!」
「っ!」
私は咄嗟に彼の手を握った。
氷のように冷えきっている。
ここ数日、彼がまともな食事をとるのを見たことがない。せいぜいコーヒーかココアぐらいのもので、固形物を食べていないのは明らかだった。
「レホールさんから聞いたわ。
あなたは前にもこんな具合になったことがあるって。
ううん、その時よりずっとずっと酷いって。
お願い、わけを話して。
人間はね、あんまり辛いことをたった独りで耐えられるようには出来てないのよ」
「ワタシも同感だ。話せ、アシタバ」
レホールが、もう片方の手を握る。
アシタバの瞳が潤んだ。
聞き分けのない子供のように身をよじる。
「……離してくださいよ……話したって……どうにかなることじゃないんスよ……っ」
「だとしてもだ」
対するレホールの声は、凛として揺るぎなかった。
「どうしようもない事なら尚更、それを抱えて生きていくための強さを身につけねばならん。
その強さは、孤独のままでは得られんぞ」
「………………っ」
──しばらくして、アシタバの両手から力が抜けた。
ゆっくりとベンチに誘導し、腰かけさせる。
脇を挟むように、私とレホールも座った。
ポケモンセンター脇の小さな公園は夜の帳に沈み、私たち以外に誰もいない。秘密の話をするには、うってつけのシチュエーションだ。
ボールからメラルバを呼び出し、アシタバに抱かせる。
暖かくてふわふわのものに触っていれば、より話しやすくなるだろう。
毛並みを撫でながら、彼はようやく重い口を開いた。
「パルデアに……行ったんです」
そうして語られた話は、凄絶を極めていた。
〇〇〇
アシタバが話し終わったあと。
私もレホールも、二の句が告げなかった。
この人は、なんて酷な経験をしたんだろう。
8歳の幼子を遺して逝った博士から、死んだことを伝えてくれと頼まれるなんて。
なにより残酷なのは、彼もまた両親を失っていることだ。つまり、状況こそ違えどペパーと同じ悲しみをまざまざと味わった人物なのである。
そんな人間に遺言を託すとは、オーリム博士が知らなかったとしてもあんまり惨い。惨すぎる。
さしものレホールも呆然としていた。
「……これで分かったでしょ、2人とも」
突然、アシタバは前髪を引きちぎらんばかりに握りしめ、泣き叫ぶように言った。
「俺はね、卑怯な人間なんですよ。
自分が傷つきたくないばっかりにあんな子供にウソついて、それで逃げてきたんだ!
そんな奴が、ぬくぬく平穏に生きていいわけないでしょうが!」
膝に乗っていたメラルバが、豹変したアシタバに驚き、体温を上昇させた。彼の掌が火傷していく。
慌ててボールに戻すと、彼は「戻さなくてよかったのに」と笑った。
「俺は……罰を受けるべきなんだ……」
「…………! そんなことないよ……!」
私はアシタバを力いっぱい抱きしめた。
いまの一言でやっと、彼の行動が腑に落ちた。
快適なホテルに泊まらないのも、ご飯を食べようとしないのも、全部自分を罰しているからだ。
幸せになろうとすることを、幸せに感じる瞬間を自ら遠ざけ、苦痛だけの茨道を歩もうとしている。
それは────修羅の道だ。
大粒の涙を零しながら、私は言い募った。
「あなたは卑怯者なんかじゃない!
ペパーくんの心を守るために戦ったのよ!」
「ちがうっ! 俺は、俺が傷つきたくなかっただけだ!」
「────それの何が悪い」
レホールの静かな声に、私もアシタバも虚をつかれた。
眼鏡の奥から、落ち着いた眼差しが見つめてくる。
「己の心身を守ろうとするのは生き物として当然の本能であり防衛機能。なんら恥ずべきことではない」
「だ、だけど、俺はペパーにウソをついたんです。
真実を知ったらあいつがどれだけ傷つくか……!」
「それはペパー本人が乗り越えるべき問題だ」
あっさりと打ち返され、アシタバはぽかんと口を開けた。
そして、レホールはいきなり別の話をしはじめた。
「……考古学を学んでいると、素人たちの歴史的遺物に対するぞんざいな扱いに腰を抜かすことがよくあるだろう。畑を耕していたら何か出てきたがガラクタだと思って壊しただの、苔まみれの祠が邪魔だったので埋めただの、およそ正気とは思えん事例をよく耳にする」
「え、えぇ、まあ……」
「なぜそんなことになるか。
それはなアシタバ、彼らに、
「…………!」
レホールは立ち上がり、アシタバの正面に跪くと、火傷した手の甲を優しく叩いた。
「齢8つの子供に死を伝えたところで受け止めきれまい。
悲しみの底に沈み、終わりなき泥濘を這う日々を送っていただろう。
どうせいつかはバレるなら、別に今すぐバラす必要もないじゃないか。
ペパーが親御さんの死を受けいれられる歳になるまで待てばいい」
「…………」
「見誤るなよアシタバ。
貴様はな、己もペパーも、2人まとめて護ったのだ。
恥ずべきことは、何もない」
「……………………っ」
アシタバの膝に、雫の跡がいくつもできていく。
私はそっと頭を撫でた。
「頑張ったね、アシタバくん。偉かったね……」
食いしばった歯の間から嗚咽が漏れる。
私たちは、ただ黙って、彼に寄り添い続けた────。
というわけで56話。
別名アシタバよしよし回。
受けた心の傷の深さを考えたらこれぐらいのご褒美はあってええやろう。
次回からはまたアシタバの一人称視点に戻ります。
ようやく書きたかったエピソードに着手出来るぜ。
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