「……さん…………カルネさん……」
優しく揺り起こされる感覚に、意識がじんわりと浮上していく。
重たい瞼をなんとか開くと、小さくなった焚き火を背にしてアシタバくんがしゃがんでいた。
「アシタバくん……」
自分でも驚くくらいガサついた声だった。
洞窟に寝転がっていたせいか、喉がカラカラだ。
マメだらけの手が優しく背を撫ぜる。
「無理に喋らないで。まずは飲み物を摂りましょうか」
湯気の立つマグカップが差し出された。
中身はココアだった。
一口飲んでみると、豊かな甘みが信じられないくらい美味しくて、一気に目が覚めた。
「美味しい……!」
「フツーのインスタントココアですけど、バターを溶かしてみたんです。ちったぁ美味くなるかなって。
──ウルスラ、ありがとうな」
後半はガチグマに向けた言葉だった。
隻眼の熊は無愛想な声で鳴くや、彼が与えた肉の塊に喰らいつく。
それを見るともなく見やりながら、アタシは懸命に、意識を失う直前に何があったのか思い出そうとしていた。
(なんとかここに辿り着いたあと、アシタバくんが火を起こしてくれて……そうしたらシンオウ神の一柱であるユクシーが現れて……。
……あら、その後はどうなったんだったかしら……)
どれだけ頭を働かせても、そこだけ靄がかかったようにはっきりしない。
あまりに釈然としないから、とうとう彼に訊ねることにした。
「ねえ、アシタバくん。アタシなんだか記憶が曖昧なの。どうしても、ここに来てから何があったのか思い出せないんだけど、教えてくれないかしら」
「あー……っと。それは……」
やけに歯切れの悪いアシタバくんに尚も詰め寄ろうとしたとき、ふと、入口の方から人の声が聞こえた。
気のせいではない証拠に、アシタバくんの顔も厳しく引き締まっている。
ガチグマも食事をやめて、隻眼を光らせていた。
「カルネさん、ゆっくり下がってください。壁に隠れて。
ウルスラ、前に出ろ」
ガチグマが、アタシを庇うように立ち塞がり、姿見えぬ侵略者たちに睨みを効かせた。
すかさずアシタバくんが砂を払い、火を消す。
辺りに闇が満ちた。
言われた通り、なるべく足音を立てないよう、静かに後退していく。
アシタバくんは来ない。
ガチグマと一緒に闖入者を警戒する気だ。
声が近づいてくる。
岩壁に反響して分かりにくいが、どうやら2人組のようだ。ここまでは枝道とてない一本道、すぐに見つかってしまうだろう。
(こんな洞窟に何しに来たのかしら……)
冷たい壁にぴったり張りつくようにしながら、細く息を吐いた。
物見遊山で来るようなところじゃない。
あの猛吹雪を潜り抜けてなお欲しい物がある連中と見なすのが妥当である。
では、その欲しいものとは何か。
(化石だったらいいんだけど……バレちゃったのかしらね……アタシ達がここにいることが……)
いまやカロス中が、誘拐された哀れな女優と凶悪な犯人の行方を追っている。
コウジンタウンはアタシが消息を絶った(と報道されている)ミアレシティとも程近い。
捜索の手がここまで伸びてくることは充分ありうる話だが……よもやこんなにも早く迫ってくるとは。
粘つく汗が額に滲む。
明かりがちらついた。
あちらは懐中電灯でも持ってきているのだろう。
用意のいいことである。
否が応でも緊張が高まっていく。
いよいよ人影が見え、胸元で両手を握りしめた瞬間。
アシタバくんと、誰かの声が重なった。
「あ、アシタバ!?」
「ビオラ!?」
(…………え?)
ビオラ……とは、相手の名前だろうか。
おそるおそる覗き込むと、ビオラと思しき追っ手とアシタバくんが呆然と見つめあっていた。
その横で、もうひとりの女性がカメラを構えている。
風貌からして、ビオラの姉か妹らしい。
アシタバくんは叫ぶように言った。
「なんでこんなとこに!?」
「ニュースを見て探しに来たのよ!
よかった、他にはまだ誰も来てないみたいね!
ケガはない?」
ビオラが抱きつかんばかりの勢いで捲し立てた。
その様子といい声色といい、こちらに敵意がないのは明らかだ。
これなら、出ていっても大丈夫だろう。
「お、お知り合いかしら……?」
岩陰から身を出しておずおずと問いかけると、ビオラと姉がぴょんと飛び跳ねた。
「ひょわっ、か、カルネさんっ!
ほ、ホントにいた……!」
「び、美人……!!
こんな場所でも完璧な美しさ……! 推せる……!」
彼女たちの目がみるみる潤んでいく。
それが滂沱の涙に変わるのに、さして時間はかからなかった。
〇〇〇
「ご、ご無事でよかったですぅううう。
あの、わたし、ビオラっていいまして、あなたの大ファンなんです!」
「私はパンジーです!
デビュー以来妹と追っかけやらせてもらってます!」
「そうなの。とっても嬉しいわ」
泣きじゃくりながら口々に《推し愛》を語る2人へ、カルネさんは微笑みつつ頷いた。
堂に入った態度で、こういうファンの対応を何千回としてきたことが窺える。
(女優ってすげぇ)
俺は黙ってココアを啜った。
──ビオラと驚きの再会を果たしたあと。
お互いに情報の共有が必要ということで意見が一致し、焚き火の地点まで戻ることにした。
火を起こし直し、またココアを淹れてひと息ついてから、俺たちに何があったかを語った。
といっても、話すことはさして無い。
コウジン水族館で遊び、寝て起きたら誘拐犯扱いされていたから必死にここまで逃げてきた……としか言いようがないからだ。
ディアンシーの姫様やらアマルスの進化やらは、あまり大っぴらにしたい話題でもないので割愛させてもらった。
一方で、ビオラ達の話はとんでもなく
「まず、あなた達の報道は一斉に止んだわ。
指名手配も解除されてます」
「まじで!?」
「どういう事……?
たった1日やそこらであのおぼっちゃまが諦めるとは思えないけれど」
眉を顰めるカルネさんに、ビオラの姉・パンジーさんが手帳を捲りながら補足した。
「まだしっかり裏を取れてなくて恐縮ですけど……そもそも、カルネさんの婚約者とか宣ってたあの
あいつ、カロスでもトップレベルの大企業《ナリキン・ボールカンパニー》の跡取り息子なんですよ」
「……ほぉ」
あっちもボールを生業にする家柄かよ。
ただの偶然だが虫唾が走るぜ。
「父親のナリキンは一人息子に激甘の超〜〜〜バカ親で、息子の話をまるっと鵜呑みにして大々的に会見を開かせたはいいものの、どうも方々からえらい剣幕のクレームが入ったらしいんです」
「クレーム?」
「んーとね、主なところだと……イッシュ、ガラル、パルデアのチャンピオン。それからホウエンに本社のあるデボンコーポレーションって企業からかなりの
「Oh」
知ってるも何も、めちゃくちゃ交流ありますがな。
ってことは、アデクさんやマスタード師匠やオモダカさん、それにツワブキ社長まで、俺なんかの為に労をとってくれたのか…………。
いや、デボンに関しては修行中のダイゴが気を回してくれたのかも。
なんにせよ、ありがたい話だ。
あの人たちには一生足を向けて寝れんな……。
おもわず両手を合わせて拝んだが、パンジーさんの話はまだ続きがあった。
もう1人、ナリキンカンパニーにとって絶対に怒らせてはならない人物からの猛抗議があったという。
「ジョウトに著名なボール職人のガンテツさんって方がいらっしゃるんですけど、これがもう凄まじい勢いで電話してきたんですって。
アシタバが誘拐犯とはどういうことだ、証拠はあるのか。ないなら二度とお前のところに品を卸さんと言い切ったそうよ。
それで完全にナリキンの腰が引けたみたい。
カンパニーの目玉商品であるドリームボールはガンテツさんが特許を持ってるからね。
販売許可を剥奪されたら誇張抜きに会社が傾くでしょうし、今回ばかりは息子の訴えを斥けたって形ね」
「は…………」
胸の真ん中が、かーっと熱くなるのがわかった。
爺ちゃん、怒ってくれたのか。
俺を、一切疑うことなく。
「はは……じじ馬鹿だなぁ」
口の中で低く呟く。
鼻の奥がツンと痛んだ。
〇〇〇
「どういうことだよパパ!」
ナルキスは顔を真っ赤にして父親に詰め寄った。
「なんでっ!
なんで勝手にアシタバの指名手配を解いちゃうのさ!?
あいつは僕の婚約者を盗んだんだよ!
僕の顔に泥を塗ったんだ!
パパは僕が可愛くないの!?」
「ナルキス…………最早そんな次元の話ではないんだ。
我が社の存亡がかかっているんだよ……」
ナリキンは呻くように言った。
父親の頬は痩け、目の下には黒い隈が浮いている。
常日頃、気に入らない社員を怒鳴りつける男と同一人物とはとても思えない憔悴っぷりだ。
無理もない、とナルキスの部下をやらされているアルファは嘆息する。
今回は、あまりに相手が悪すぎた。
まさかあんな冴えない青年が、このカンパニーの命脈を断ち切りかねない人物だったとは。
秘書課の連中いわく、最初に連絡してきたのはデボンのツワブキ社長だそうだ。
いくらナリキンカンパニーが大手企業といっても、それは所詮カロスの中での話だ。
向こうは世界を股にかける
ツワブキ社長は、アシタバは我が社の恩人であること、大切な友人であることをあくまで静かに語ったのち、取引停止を匂わせてきたという。
ナリキンは泡を食って指名手配の解除を申し出たが、ツワブキ氏は一言「そうですか」とだけ答えて電話を切った。取引停止の撤回は明言されなかったわけだ。
これだけでも胃が痛い話だろうに、休む間もなく次から次へとチャンピオンによる抗議の電話が寄せられた。
地方を代表する王者とのやり取りをまさか秘書に任せる訳にもいかないので、社長自ら全員に応対したという。
その結果。
最年長のマスタードは、長年ナリキンカンパニーのボールを愛用していたが、はっきり「次からは余所のボールを使うよん。いままでありがとね」と断言され。
新米チャンプのオモダカは1時間に渡ってナリキンを質問責めにしたあと、誘拐犯と断ずる根拠がいかに薄弱であるかを2時間かけて指摘した。
アデクは普段の豪放さからは想像もつかないほど低い声で「そちらの地方で随分不快なニュースが流れておるな?」と問い詰めてきたらしい。
極めつけは人間国宝のガンテツだ。
ナリキンは髪の毛を掻き毟りながら、恨めしげな視線を息子に向けた。
甘やかされるばかりだったナルキスにとって、初めて見る態度だろう。
案の定、あからさまに動揺していた。
「ガンテツさんがな…………もう我々に大事なボールは任せられんと大層お怒りの電話を寄越したよ…………。
あの方のドリームボールが扱えなくなれば、私はきっと役員会議や株主総会で吊るし上げられ、社長の座を追われるだろう…………」
「な……っ」
絶句する息子に、父親が退廃的な笑みを向けた。
「わかるかナルキス。
そうなればもう、我が家は一貫の終わりだ。
いままでのような贅沢はさせてやれん。
私は、私が作った会社の人間から蹴落とされるのだ……! ふ、ふふ、ふふふ……っ。
…………くそ……くそ……くそぉっ!!」
逆上した社長が何度も何度も机に拳を打ちつける。
殴り慣れていない手はすぐに皮が破れ、血が滲むが、その痛みがますますナリキンを激昂させた。
「うがぉああぁああぁ!」
「ひ……っ」
完全に怯えた息子が目の前から消えていることすら気づかないまま、ナリキンは獣のように咆哮した。
〇〇〇
社長室から逃げ出したナルキスは、さりとてどこに行く宛もなく、カンパニーの中を無意味にうろついた。
すれ違う社員はみな、どことなくよそよそしい。
中には嘲笑を隠そうとしない輩までいた。
(くそっくそ……っ。
いままで散々ボクに媚びを売ってきたくせに……っ)
爪を噛む。
何もかもが腹立たしい。
あのムカつく社員、どこか僻地へ飛ばしてやろうか。
────いや。
その程度の
生まれた時から、欲しいものはすぐに手に入った。
要らないものは視界から消せた。
それが今日から出来なくなる?
なぜ? どうして!
(悪いのはあのアシタバとかいうクズなのに!)
そもそもアイツがカルネに近づかなければこんなことになっていない。
こっちは被害者なのだ。
なのにどうして泣き寝入りせねばならないのだ!
「許さない……絶対に……っ!」
『──ふぅん。キミはそう考えるわけか』
ナルキスははたと立ち止まった。
いつの間にか会社の中庭に出ており、あたりには人っ子一人見当たらない。
なのに、声が聞こえる。
「なんだっだれだよ!?」
誰何するうち、ふと気づいた。
この声は、頭の中からしていることに。
ヴン、と空気が僅かに震える音がして、目の前にいきなり知らないポケモンが現れた。
黄色い頭に小さな体。やけに長い尻尾。
ナルキスの四肢は金縛りにあったように動かない。
声すら出せなかった。
『キミはもう一度はじめからやり直すといい。
チャンスをあげるよ』
見知らぬポケモンは、糸のように細い目を開くと、真正面からナルキスを見つめた。
たっぷり3秒視線が交錯する。
次にポケモンが瞼を閉じた時、ナルキスは、白目を剥いて気絶した。
『赤ん坊のように無垢で純真な心で、頑張りたまえ』
ポケモン──ユクシーはそう言うや、あっという間に掻き消えた。
後日。
ナリキンカンパニーの御曹司があらゆる記憶を失くし、赤子同然の廃人と化したという噂が流れたが、真偽の程は定かでない。
ユクシー 知識ポケモン
知識の神と 呼ばれている。
目を合わせた者の記憶を消してしまう力を持つという。
というわけで66話。
予定通りボンボンの復讐完了でございます。
次回からはねっちりみっちり修行編を書こうかなと。
どれくらい書くかは未知数。
そろそろ各メンバーの底上げをはかりたい。
良ければ感想高評価おなしゃす!