長い──といっても4時間程度の船旅を終えて桟橋に降りると、ぐらつかない地面に身体の方が驚いて、足元が僅かによろめいた。
「うおっとっと」
船長が笑う。
「なんだ坊主、これしきで船酔いかあ?」
「だはは、中々乗る機会が無いもんで」
「まあのんびり散歩でもするこった。
火山しかねえ小せぇ島だけどよお。いいとこだぞぉ」
折りよく山から吹き降ろしてきた風があまりに爽やかで、俺はゆっくりと振り仰いだ。
黄昏に坐すグレン山は美しく雄大であり、活火山とは思えないほど穏やかな顔をしている。
俺が詩人であったなら、ひとつ詠まずにはいられないような趣のある景観だった。
船着場の看板に目を転じる。
潮風ですっかり錆びているものの、歓迎の文字は読み取れた。
《ようこそ 情熱の赤 グレンタウンへ》
「船、ありがとうございました!」
「いいってことよ! 達者でなあ!」
船長に手を振り、町へと向かう。
セキチク、ヤマブキの派手な賑わいとも、シオンタウンの静謐さとも違うゆったりした雰囲気は、故郷のヒワダによく似ていた。
「ほんと、気持ちのいい風だなあ、
「げるるー」
頭の上のルギアが、心地よさそうに鳴いた。
〇〇〇
グレンタウンはマサラに次ぐ小さな町だ。
おかげで、昔フジさんが所長を勤めていた遺伝子研究所も、すぐに見つけることができた。
敷地すべてを囲うように高い塀が巡らされ、研究所というよりは刑務所のような物々しさである。
警備員はひとりも居らず、鉄の門扉が固く閉ざされているきりだった。
カードキーのおかげですぐにでも入れるが、今日はもう遅い。最強のポケモン・ミュウツーと接触する可能性を考えて、今夜一晩しっかり休息をとることにしよう。
「美味い飯屋はどーこかな、と」
できればラーメンかカレーがいいな。
あったかいもん食べたい。
ところが、探せど探せど、飲食店が1軒たりとも見当たらなかった。
ド田舎のマサラタウンにだって食堂も居酒屋もあるというのに、これはどうしたことだろう。
気になって道行くおっちゃんに訊ねてみた。
「あー? 飯が食える店ェ? ンなもんとっくに潰れたよ」
「えっ」
「当たり前だあ。
こんなとこ、ジムに挑戦するやつしか来ねーべ。
それだって月に1人いるかどうかだ。
客としてアテにするにゃあ、ちと少なすぎるわな」
「や、山男とか来ません?」
「おらんおらん」
おっちゃんは半笑いを浮かべながら首を振った。
「なーんでわざわざ活火山に登るんだおっかねえ。
シロガネ山に行けや。
第一そういう連中は自分で食いもん持ってくるべよ」
「…………」
いやまあそうですけどね。
ぐうの音も出ない正論ですけどね。
グレンの人達だって、たまには外食したいとか思うんじゃないのかなー。
「そら、ほっぺた落ちるくれぇ美味いもん食わせてくれるならいいけどよ。
ここにあったのは大抵が、家でも作れるレベルの店ばっかだったんよ。
そんなら自分ン家で食った方が安上がりだべさ」
「…………」
正論、パート2。
まあたしかに、この離れ島で美食を振る舞うのは至難の業だろう。
なにせ他の市街とはかなりの隔たりがある。
食材の調達だけでも莫大な費用がかかるはずだ。
この立地じゃ新規客の獲得も簡単ではないし、収益よりも損失の方が上回って店を維持できなかったんだろうことが、容易に察せられた。
「……ええと、じゃあスーパーとかは……」
「ねえ」
おっちゃんの返答は早かった。
「ここらは週に2度、船便が来る。
そこで食べ物だの雑貨品だのを買うんだわ。
ちなみに次にくるのは3日後な」
万事休すやんけ。
遠い目をする俺の肩をぽんぽん叩き、おっちゃんは去っていった。
〇〇〇
しゃーない、自給自足じゃと釣竿片手に浜辺へ向かうと、夕陽が沈む水平線を眺めやる男がいた。
ポケットに手を突っ込んだ後ろ姿が妙にかっこいい。
絵になる人だなあとぼんやり見ていると、相手が急に振り返り、俺は口をあんぐりさせた。
「えっ、サカキ先生!?」
「……アシタバ? アシタバか!」
男──サカキ先生が破顔する。
なんという偶然だろう。
ヤマブキ学院時代、1番好きだった恩師がそこに居た。
「なんだこんなところで。釣りか?」
「そうなんです。
ここレストランとか無いから魚でも釣ろうかなって」
「なら私の
簡単なもので良ければ作ってやるから」
「ほんとですか!? ありがとうございます!」
先生の別荘はこじんまりとしたウッドハウスだった。
先生はジャケットを脱ぐと腰にエプロンを巻き、熟れた手つきでパスタを拵えてくれた。
ニンニクとバター、塩気の塩梅が絶妙で、俺は貪るように皿を空けた。
「気持ちのいい食いっぷりだな」
ワインを飲みながら先生が笑う。
「で、お前はなんでこんなところに?
グレンジムに挑戦というわけでもなさそうだが」
「あー……」
ちるるっ、と最後の麺を啜り、俺は逡巡した。
ここに来たのは、かつてフジさんが造ったミュウツーなるポケモンを保護するためだが、さてどこまで話していいものか。
あの人にとってこの島での出来事は負の遺産であり、拭いがたい罪の証だ。許しも得ずに俺がベラベラ語るのは、なにか違う気がする。
かといって、適当な作り話で逃れようとしても先生はすぐに見抜くだろう。
懐かしいな、と苦笑する。
生徒の間で「鬼のサカキ」と恐れられた先生は、絶対に怒鳴ったり説教したりしなかった。
悪さをした生徒を小さな部屋に呼び出して、1対1で正面からじーっと見つめるだけだ。
その眼力ときたら物凄くて、逃れようとウソをついたり誤魔化したりする悪ガキは、焦りや罪悪感がどんどん膨らんで最後には泣きながら謝罪するというのがお決まりの流れだった。
反面、努力する生徒には、本人が驚くくらい目をかけてくれる人でもあった。
担任の、他のポケモンを育てろという再三の指導も無視してカブト一体で頑張る俺に、サカキ先生だけは理解を示し、寄り添ってくれた。
硬い甲羅をうまく使った防御法や、相手の死角に潜り込む戦法を教えてくれ、俺が初めて勝った日は一緒に喜んでくれた。
先生との思い出が次から次へと甦る。
どれもこれも、楽しくて嬉しい記憶ばかりだ。
(……うん。やっぱ、嘘はつきたくねぇな)
俺はフォークを置き、なるべくフジさんの個人的な話は避けつつ、話せる範囲で打ち明けることにした。
「実は、最近知り合った人がグレン島のポケモン研究所に大切なものを忘れてしまったそうで、取りに行ってくれないかと頼まれたんです」
「大切なもの……その人自身は取りに行けないのか?」
「遠方に住んでいて、難しいみたいです」
真実では無い……が、嘘でもない。
先生は「ふむ」と唸って顎をさすった。
「あそこは閉鎖されているぞ。
どうやって入るつもりだ?」
「鍵を預かってます」
フジさんから渡されたカードキーを見せる。
一瞬、先生の目が鋭く光った気がした。
「なるほど……」
ワイングラスをくゆらせ、揺蕩う真紅に目を落とす。
何をやっても様になる人だ。
先生は一息に飲み干すと、相好を崩した。
「ここで再会したのも何かの縁だ。
研究所には私も同行しよう。構わんな?」
「えっ、あ、はい」
おもわず頷く。
……まあ、もしもミュウツーが居た時のために、人手はあった方がいい。
サカキ先生の強さはよく知っている。
この人が負ける姿なんて、想像するのも難しい位だ。
「なら、今日はもう寝なさい。
シャワーもベッドも客用のがある。
自由に使え」
「ありがとうございます!」
いそいそと皿を片付けていると、ふいに先生が「ああそうだ」と振り向いた。
「もっと早く言おうと思ってたんだが」
「はい?」
「その眼帯、似合ってないぞ」
「ほっといてくださいっ」
先生は快活に笑い、2本目のワインに手を伸ばした。
〇〇〇
────深夜。
サカキのポケギアに着信が入った。
電話の主はシオンタウンで任務に当らせていたランスである。
通話に出ると、ランスはすぐに報告を始めた。
『──イワヤマトンネルでのガルーラ捕獲作戦は失敗に終わり、実行部隊は全員留置場に拘束されています。
また、
声が硬いのは珍しくしくじったからだろうが、言葉の節々に、悪いのは自分ではなく部下であるという憤懣が滲み出ている。
サカキはわざと笑い含みに答えた。
「つまりは2件とも成果をあげられなかった、と」
身も蓋もない要約に、ランスが一瞬言葉に詰まったのが感じられた。
プライドの低い者にいい仕事は出来ないが、高すぎても邪魔なだけだ。
こういう風に、己の力不足から目を逸らし、他責する思考が生まれやすい。
だからあえて、嘲笑をまじえつつ現実をつきつけた。
仕事が上手くいかなかったのはお前自身の落ち度だと真っ向から言われれば、逃げる余地はどこにもない。
果たして、ランスは恥辱に塗れた声で詫びてきた。
サカキは鷹揚に受け入れてやる。
その上で、聞くべきことを口にした。
「ガルーラ捕獲作戦、失敗の原因は?」
『……トレーナーによる妨害があった模様です。
監視員の報告によると、例の“A”と同一人物である可能性が極めて高いとのことでした』
「……ふ」
サカキの口角が僅かに上がった。
ホウエンで、ガラルで、はたまたイッシュで。
ロケット団の仕事をしょっちゅう潰してくるトレーナー“A”の存在は、幹部全員から報告が上がっていた。
やたら腕が立つようで、先月は、配下で最も強いアポロが抹殺を試み、あえなく撤退している。
Aが現れても任務をやりおおせたのはデボンコーポレーションを強襲したアテネぐらいのものだが、それとて手下が散々にやられたと嘆いていた。
一体どこの誰なのか。
誰もが疑問に思っていたが、ある日ひょんなことから正体が割れた。
教え子のアシタバが、こともあろうに女優のカルネを誘拐したと報道された時だ。
ラムダが指を差しながら「こいつ! こいつが“A”ですよボス!」と捲し立てたのである。
いちおう確認を取ると、Aの顔を見たことのある団員全員が同意した。
サカキは感心せずには居られなかった。
随分腕を上げたものだ。
負けるたびに泣きじゃくって茹でエビのようになっていたというのに。
アポロ曰くメガ進化も会得したというから、ますます下っ端団員では勝てなくなっているだろう。
今後も邪魔してくるようなら己が直接手を下さねばなるまいと考えていたが──神も粋なことをなさるものだ。
こんな僻地の離れ島で引き合わせてくださるなんて。
ポケモン研究所は無期限封鎖された施設、人の目があるはずもない。片付けるにはお誂え向きの場所だ。
「次の朝食は腕を奮ってやるか」
なにしろ、アシタバの最期の食事になるのだから。
無邪気にかきこむ姿を想像し、サカキは低く笑った。
■サカキ
ロケット団の首領兼トキワジム・ジムリーダー兼ヤマブキ学院学園長という3足のわらじを履きこなすしごできオールバック。アシタバ在学中はバトル学を教えており、カブト1体で戦う主人公を半ば呆れながらも応援していた。
というわけで88話。
サカキ様久々の登場です。
サカキ様がヤマブキ学院の教師(いまは学園長)やってる設定覚えてる方どれぐらいいるかな……
作者も読者もサカキ様の裏の顔を知ってますが、我らが主人公アシタバくんだけが知りません。なんなら恩師との再会で舞い上がってます。
これまで色んな方向でアシタバを苦しめてきましたが、そういや信じてた人に裏切られる王道展開はまだ書いてなかったなあ、と。
どんな風に苦しめ──もとい明かそうか。
或いはまだ明かさずにとっておくか。
ワクワクしながら書いてます。
よければ感想高評価よろしくお願いします!