アシタバがミュウツーと邂逅していた頃。
サカキは、かつての教え子が落ちていった穴を見るともなしに見遣りながら、沈思黙考していた。
考えていたのはもっぱら、
(このまま屋敷ごと破壊してしまうか、否か……)
ということである。
今回の事故は渡りに船だった。
まさか策を弄するまでもなく、自ら地下に落ちてくれるとは。落ちた拍子に死んでくれれば更に言うことは無かったのだが、生憎、さきほどこちらを呼ばわる元気な声が聞こえた。
やはり、最終的には己が手を下すことになりそうだ。
それはいい。
目撃者もいないし、ほんのすこし手持ちを暴れさせてやるだけで、簡単に生き埋めにできる。
(だが……)
周囲を睨め回す。
ここは元々、ロケット団の所有する建物だった。
最強のポケモンを造りたいというフジ博士のために、多額の出資をして専用の研究施設に作り替えたのだ。
以来、《M計画》に関する資料や報告書は適時提出させていたが、ある日突然夜逃げされ、肝心の完成品──ミュウツーの所在も行方不明になってしまった。
すぐにでも邸内を捜索したかったが、博士に鍵を持ち去られたゆえ、今まで手出しできなかったのである。
ようやく中に入れたことだし、ただ潰すのは勿体ない。
もう少し探ってみることにしよう。
(感謝するよアシタバ。
これに免じて、楽に死なせてやるからな)
生徒の前では決して見せない残忍な笑みを浮かべながら、サカキは踵を返した。
〇〇〇
晴れてミュウツーが仲間入りし、俺は浮かれた気分で床に転がしていた懐中電灯を取り上げた。
まず何を食べさせよう?
こんなところに20年もいたんだ、下手なものは食べさせたくない。
そういえば、今朝のコーンスープは絶品だった。
サカキ先生にレシピを教われば俺にも作れるだろうか。
あれやこれや考えつつ、1階に行くための階段を探してみたが、不思議なことに何処にも見当たらなかった。
「あれ、どうやって上に行くんだ?」
ミュウツーがそっと念波を飛ばす。
『ないぞ。ワタシが壊したからな』
「げっ、まじか」
どおりで部屋の隅に粉々の木材やらコンクリート片があるわけだよ。あれは階段の成れの果てだったのか。
「他に出入り口ってあるか?」
ミュウツーは静かに首を振った。
『外に出たいなら、瞬間移動で飛ばしてやる』
おお、ありがたい。
そういや、イツキと擂鉢山から脱出するとき、ユンゲラーに飛ばしてもらったっけ。
カルネさんのサーナイトにもやってもらったし、うーんテレポートって便利ぃ!
そこまで考えて、切ない気持ちに胸が締めつけられた。
俺を表に飛ばせるなら、当然ミュウツー自身も外に出ていけた筈だ。
そうしなかったのは、それだけ人間に辟易し、恐怖と嫌悪を感じていたことを意味しないか。
だから、こんな暗い部屋にたった独りで残り続けた。
それは、想像するだに寂しい光景だった。
「…………」
いきなり、ぱちん! と自分の頬をぶっ叩く。
ミュウツーが目を瞠った。
(…………ここで落ちこんだってしゃーない。
人間も悪くないなって笑えるぐらい、楽しい思い出まみれにしちゃろう)
「それじゃ飛ばしてくれるか、ミュウツー。
ただし外じゃなくて、1階に頼む」
『……? それでいいのか?』
「うん。サカキ先生とも合流したいしな」
『わかった』
ミュウツーの手が俺の肩に置かれる。
次の瞬間、景色が切り替わり、1階の玄関ホールに立っていた。
真っ暗闇に居たせいで、窓から射し込む陽の光がひどく眩しい。ましてや何年も地下にいたミュウツーには堪らない刺激だったらしく、その場に蹲ってしまった。
「悪い! 眩しいよな、このボールに入ってくれるか」
『……狭いところは……嫌いだ……』
「落ち着いたらすぐ出してやるよ。
いまは明るい方が辛いだろ?」
『…………』
ミュウツーは渋々指を伸ばし、俺の手にあるボールの開閉スイッチを押した。
美しい星月夜を模したムーンボールだ。
暗すぎず明るすぎない仄明かりに照らされる空間なら、きっと落ち着けるだろう。
しっかりボールに入ったのを確認したあと、もう一度サカキ先生に呼びかけた。
「先生ぇーっ!」
……やっぱり反応がない。
もしや先生もどこかに落ちて、気を失っていたりしないだろうか。
いてもたってもいられず、ボールホルスターから深紫のゴーストボールを取り出した。
「
『はいはい本日二度目まして〜!
みんなのアイドル☆モっさんですぞ』
ミュウツーのシャドーボールで吹っ飛んでいたとは思えない溌剌さに安堵する。よかった、元気そうで。
「サカキ先生がどこにいるか見てくれないか?」
『あのオールバックダンディですな?
ん〜……どうやら2階におるようですぞ』
「2階?」
ってことは俺をほっといて探索してたってことか。
そんなことある?
目の前で落ちたのに?
ちょっと薄情じゃない先生。
いいけどさあ。
「……んじゃ俺たちも上がろう。
抜けそうな床がないかチェックしながら歩いてくれ」
「了解ですぞ☆」
サマヨールは、両手でピースを作りながらぽてぽて歩きだした。
〇〇〇
「……ふむ」
棚に差してあった埃まみれの日記を捲りながら、サカキは低く唸った。
日記の筆者──フジ博士は、ミュウの発見に至るまで散々苦労した話や、己の所業に懊悩する様を、余すことなく告白していた。
かの人物は、最強のポケモンを追い求めた癖に、いまひとつ小心な部分を捨てきれなかったらしい。
実験がとんとん拍子に進んで喜んでいたかと思えば、次の日には倫理に悖る振る舞いだと悔やんでいたりする。
絵に描いたような凡夫だ。
ひとたび「やる」と決めたなら突き進むしかない。
こんなつもりじゃなかったなどと嘯く後悔に、なんの価値があるものか。
読み物としては駄作なそれを、サカキが放り出さなかったのは、報告書に書かれていなかったある事柄が克明に記されていたからである。
つまり、ミュウツーがどれほど強いのかという点だ。
ミュウツーの戦闘能力に関する報告は聞いていない。
培養液に満たされた
いつケースから出せるのか、その返答を待っている間にフジ博士は失踪したのである。
実際は、とうに安定し、戦闘訓練も始めていたと知って怒りに震えたが…………
(シャドーボール1発で部屋を半壊せしめた、か……。
いい、実にいいな……)
生まれたばかりでこの威力ならば、このサカキが鍛えた暁にはどれほど強くなることか。
ほくそ笑んだその時、背後に気配を感じ、すぐさま振り向いた。
「先生〜……って、いた。もー探しましたよ」
サマヨールを侍らせたアシタバが、ひょこひょこ階段を上がってくるところだった。
眼帯のせいで距離感が掴めないのだろう、サカキの部屋に来るまでに、しょっちゅう家具や柱にぶつかっていた。
(チ……間の悪い)
日記をさっと懐にしまい、微笑みかける。
「地下から上がれたのか」
「なんとか。というか先生ひどくないすか?
俺のこと放ったらかして2階に行くことないでしょ!」
「はは、すまんな。
穴抜けの紐でもないかと探していたんだよ。
お前を引き上げるのに素手じゃ無理だろう?」
「あ、なるほど」
適当な嘘をアシタバはあっさり鵜呑みにした。
こういう御しやすいところは面白い……もとい、好ましいのだが。
(まるっきり情が無いと言えば嘘になるが……。
貴様のせいで我がロケット団の任務はいくつも滞り、失敗している。その罪は、命で償って貰わねば、な)
サカキが後ろ手にボールを握った次の瞬間、アシタバはとんでもないことを口にした。
「すみません、地下でポケモンゲットしたんすけど、結構弱ってるみたいなんでポケモンセンターに連れてってやりたいんです。今日のところは引き上げませんか?」
「……地下で……ポケモン?」
サカキは瞠目した。
地下といえば、ミュウの細胞を培養し、ミュウツーを造っていた部屋ではないか。
そこで捕まえた、だと?
(まさか……いやしかし……)
逸る心を抑え、訊ねた。
「なにを捕まえたのか見せてくれないか」
アシタバはほんの一瞬ためらう様子を見せたが、すぐにボールを差し出した。
既製品ではない、月の刻印が施された洒落たボールの中に、報告書の写真で見たポケモンが収まっている。
間違いない。ミュウツーだ。
ミュウツーは両目をしっかり閉じ、脚を抱えていた。
(…………!)
胸が激しく高鳴る。
なんという幸運、なんという偶然。
こいつはもしや、天の使いじゃあるまいか。
探し求めていたミュウツーを見つけただけでなく、捕らえてきてくれるとは。
思わず手を伸ばし、ボールに触れかけた刹那。
強い思念に脳髄を揺さぶられ、サカキはぐるりと白眼を剥いた。
「はぐ!」
「先生っ!」
アシタバが咄嗟に支えていなければ、埃だらけの汚い床に倒れていたことだろう。
激しい眩暈に上下左右すら覚束無い。
教え子に縋る手がぶるぶる震えているのが、我ながら情けなかった。
「す、すまない……助かったよ、アシタバ……」
「いえ、俺の方こそすみません。
ミュウツ……こいつは少し、人に慣れてないみたいで」
だろうな。
言いさした言葉をすんでのところで飲み込んだ。
日記を読む限り、フジ博士とミュウツーが良好な関係を築けていたとは考えにくい。
それなら着の身着のまま夜逃げする必要などなかった筈。むしろ博士のせいで、根っからの人間嫌いに育ったと考えるのが妥当であろう。
それをアシタバは手懐け、捕獲してみせた。
(どんなポケモンにも寄り添える情の深さ……。
ミュウツーをも捕らえるボールの製作能力……)
目を回しながらも、サカキはアシタバに対する評価を改めないわけにはいかなかった。
なるほどここで始末すれば、いままでしょっちゅう我が組織の邪魔をしてきたことに対する溜飲は下がろう。
だが……それだけだ。
生かしておけば、ミュウツーを育ててくれ、高性能なボールを次から次へと作ってくれる。
まさに金の卵を産む存在。
すぐ殺すなんて勿体なさすぎる。
息の根を止めるのはもっと後。
骨の髄までしゃぶり尽くしてからだ。
(その為には私に心酔させねばな。
命もポケモンも、何もかも差し出すレベルまで)
…………あぁ、楽しみだ。
どんな風に
「──帰ろう、アシタバ」
「はい、先生」
何も知らない哀れな子供は、頬を緩ませ頷いた。
というわけで90話。
サカキ様アシタバを殺すのは(一旦)止めるの巻。
いやーよかった!
ひとまずアシタバくんが裏切られるターンは回避ですね!
え? クソデカ爆弾先送りしただけじゃないかって?
そんなことないよぉ( ᵒ̴̶̷̥́ ᵕ ᵒ̴̶̷̣̥̀ )
よければ感想高評価おなしゃす!