それはまさしく、拷問だった。
地獄の獄卒が亡者の罪人に呵責を加えるかのようであった。
切り裂き、押しつぶし、もぎ取り、砕き、炙り、凍らせ。
消滅の寸前まで追い詰め、すると手を止めて再生を待ち、再び暴力を加えるのだ。
無惨を憎む鱗滝たちですら眼を背けたくなるような惨状であった。
……お館さまと珠世という鬼は、すごくいい笑顔をしていたが。
しかし実際に視線を逸らすわけにはいかない。
炎の結界に阻まれ逃げることは叶わず、目の前の鬼神には勝てぬと理解した無惨は、意地でも珠世を確保しようとこちらに攻撃を向けてくるからだ。
ひとまず珠世を取り込み日光を克服できれば目的は達成できるし白い炎の壁は強引に超えられる。
そうすれば今後この鬼神は相手にしなければいいと考えているのだろう。
無惨の攻撃のほとんどは鬼神により阻まれるが全く影響がないとは言えず、時折飛んでくる岩や衝撃波を撃ち落とすために鱗滝たち元柱は護衛という役割を全うしている。
珠世は鬼だからお館さまと奥方だけを守れば良いと伝えていたが、彼らは律儀に珠世を含めた3人に小石一つ、そよ風一つ届かぬよう刀を振るう。
なお、その気になればヒノカミは産屋敷たちに一切の影響が及ばぬようにできるし、無惨など一瞬で殺せる。
しかし敢えてこのように振舞っているのは、無惨の心を折るためだ。
圧倒的な力を持つ超越者として振舞っていた無惨をそれを遥かに上回る能力と暴力で蹂躙し、わずかな勝機にすがるもそれを見下していた人間の、しかも引退した老人たちに阻まれるのはさぞ屈辱であろうと考えて。
そして手間をかけてまで無惨の心を折ろうとしている理由は単純。
トドメは鬼殺隊の者たちに譲ってやりたいし、そのためにも無惨を殺さず捕らえるよう最善を尽くすと約束したからだ。
無惨をおびき寄せることに成功した以上もはや産屋敷と珠世はここから避難させた方が安全で安心なのだが、無惨へ並々ならぬ憎悪を抱いている二人に無惨を嬲る姿を見せつけてやろうと未だにこの場に残している。
『見世物にされている』と無惨を挑発する意味もあったが。
そのためにヒノカミは出来る限り無惨が苦しむように、かつうっかり無惨を殺さぬように細心の注意を払っていた。
……それでも数時間もすれば苦痛に負け、実力差に絶望し、命を諦めて動かなくなると予想していた。
しかし無惨の生への執着心、『生き汚さ』は、神の予想すらも超えていた。
だからヒノカミは再生途中の頭だけで地面にうごめく無惨を見下ろして、吐き捨てるように呟いた。
「しつこい」
「……?」
「何故そこまで醜く生に縋る?
何故そこまで生き恥を晒せる?」
「なん……だと……!?」
「儂は神であり、儂が降すは神罰。すなわち天災に等しい。
豪雨、暴風、噴火、地震。
それらに巻き込まれて命を落とすのはおかしなことではあるまい?
なのになぜ『自分が死ぬのはおかしい』という感情を抱いている?」
「ふざけ、るな……!」
「数多の世界、数多の命を見てきた儂をして、貴様ほど醜悪で下等な生物はいなかったぞ。
生きようとする意志はあらゆる生物が持って然るべきもんじゃが、貴様ほど無様で滑稽な者もいなかった。
見るに堪えぬ。諦め受け入れよ。……これ以上『異常者』の相手をするのは疲れる」
「貴様ぁぁぁぁあああああ!!!」
「やかましい」
鬼神に頭を踏み潰され叫びが止まる。無惨は叫ぶことすら許されない。
ようやく上半身まで再生したのに今度は頭部を失い、胸と両腕だけの肉塊がバタバタと藻掻き続けている。
これでもまだ足掻くかと再び深いため息を吐く。
少し前に産屋敷に届いた柱たちからの連絡は聞こえていた。
5つの部隊全てで上弦の鬼を討ち取ったらしい。
もちろん炭治郎たちと柱は負傷こそしたものの全員生存。
他の隊士にはわずかながら死傷者が出てしまったが、それは手柄を取ろうとしたり殺意を抑えきれず逸った者が主らしい。
炭治郎たちも柱も、勝てる戦で犠牲者を出そうとはしなかったはずだ。
そして守り切れるだけの実力もあった。
であれば残酷なようだが、彼らの自業自得と受け入れてもらおう。
まだ当初の目的である日本中の鬼を討滅を成し遂げたわけではないが、上弦の鬼討伐は大きな区切り。
こちらに無惨が襲撃してきた件も伝えているので、もう数時間もすれば隊士たちはここに帰還するだろう。
それまでに無惨をへし折って大人しくさせるつもりだったのだが、この調子では難しいかもしれない。
ヒノカミにとっては御覧の通りの雑魚でも人間にはやはり厳しい相手であることに変わりはない。
今の炭治郎と柱たちならまともに戦っても勝てるだろうが死傷者は出るだろう。
あらかじめ結界を張った場でなら死者が出ても確実に蘇生できるが、だからと言って彼らを死なせたくはない。
「……簀巻きにするかぁ」
「……!」
とりあえず身動きだけはできないようしてしまうことにした。
そして頭部は再生し終えていないが、無惨にも鬼神の発言は聞こえていたようだ。
普通に縄で縛られた程度なら容易く脱出できるが、この鬼神の力を思えばそんな甘い拘束であるはずがない。
ここに来てようやく、無惨は一つ諦めた。
この場で『珠世を確保すること』を諦めた。
「お?」
突然三味線の音が響いた直後、鬼神が踏みつけていた無惨の下の地面に襖のようなものが現れ開いた。
ヒノカミは霊子を固めて空に立ち止まり、無惨だけが襖の先の広い空間へと落下していく。
そして無惨と入れ替わるように大量の鬼がこちらへと昇ってくるのが見えた。
「なるほど、これが逃げ隠れに長けていた理由か」
おそらく配下の鬼の血鬼術なのだろう。
異空間を生み出し、そこと現実世界を繋げる扉を産み出す能力。
そして異空間の中に拠点に大量の鬼を住まわせていた。
あと数秒もすれば扉を越えて出てくるだろう鬼の軍勢は、ヒノカミの追撃と侵入を防ぐための捨て駒ということか。
「しかし、残念じゃったな」
ヒノカミは狼狽えることなく、宙を足場にしたまま屈んで襖の縁に手を添える。
「何を隠そう、儂は空間制御の達人でな」
そして、襖がピシャリと閉まった。
「……どうなったのです?」
ヒノカミが鬼の鎧を解除しつつ、背伸びをしながら歩いてくるのを見て珠世が声をかける。
「確保成功。もう逃げられんしどこにも行けぬよ、無惨はな」
先ほどの一瞬でヒノカミの術が鬼の術に侵食し、制御権を完全に奪い取った。
今もまだそこに残っている襖は決して開かぬよう錠をかけ、その一つを除いて他の扉を消滅させた。
これで無惨も、中にいた大量の鬼も、ヒノカミが扉を開かぬかぎり異空間から出てくることはない。
「しっかし、あそこまで諦めが悪いのは予想外じゃったぞ……」
「あらあら、ヒノカミさまでも音を上げるほどでしたか?」
「あぁ、あの生への執着心だけは見上げた根性じゃ。
誰かに見習わせたいとは思わんがな。
……時間の猶予はできたし、中にいる大量の鬼も含めて対処法を考えんとなぁ」
「その前に、まずは帰ってくる子供たちを迎えてあげよう」
「じゃな」
白い炎の結界を消すと朝日が彼らを照らした。
いつの間にか夜が明けていたようだ。
産屋敷の、鬼殺隊たちの本当の夜明けも、間もなく訪れる。