ソーマファミリアの団長『酒守』ザニスのレベルは2。
ファミリアの所属構成員は全員レベル1。
対して突然飛び込んできた見慣れぬ小娘は、その身体能力から暫定レベル4以上。
それがファミリアの敷地内に堂々と居座り立ち去る様子がないとあれば無視するわけにはいかなかった。
念のために武装した配下を大勢引き連れてやってきたザニスに対し、まったくの無防備で装備も何も身に着けていないヒノカミと名乗る娘は気負う様子もなく言い放つ。
「改めて申し上げる。リリルカ・アーデをスカウトしたい。
ソーマファミリアの団長と主神よりその許可を頂きたい」
「……我がファミリアは脱退に代償無しとはいかぬ。賠償金を……」
「一千万ヴァリス。確認していただこう」
ヒノカミは懐から取り出した札束をザニスに投げ渡す。
見ていたリリルカもファミリアの眷属たちも受け取ったザニスもみな硬直していたが、やがて再起動したザニスは手元の金を数え始める。
……一千万、間違いなく。
まさかこんな役立たずの小人族を手に入れるために大金を支払う非常識な輩が現れるとは。
「……確かに一千万ヴァリスだ。
だが今はソーマ様はお忙しい。また日取りを改めて……」
金をしまい込んだザニスは、それでもリリルカの脱退をうやむやにしようとした。
リリルカは役にも立たない小人族の雑魚だが、彼女の持つ魔法には利用価値がある。
一千万ヴァリスは彼女の心を折るための無理難題であり、最初からいくら用意されても彼女を手放すつもりなどない。
一先ずこの場でリリルカを回収して脅迫なり神酒を飲ませるなりして脱退の意向を撤回させ、この金は適当な理由をつけて自分の懐に入れてしまえばいい。
彼はそんな甘い考えを抱いていた。
ドサリ
「「「!?」」」
ヒノカミが彼の目の前の地面に先ほどと同じ量の札束を放り投げた。これで二千万。
「い、いくら積まれてもソーマ様はご多忙で……」
「違うさ。これは修繕費と治療費じゃ」
「は?」
ドゴォン!
ヒノカミに殴り飛ばされたザニスはソーマファミリアの拠点に激突し大穴を開けた。
「儂は嘘が嫌いでな。
……魂胆見え見えじゃよ大根役者が」
絶句している連中を無視して、再びリリルカを抱えたヒノカミは大穴から建物の中へと一足で飛び込む。
瓦礫の中で気絶しているザニスを無視して奥へと進むと、この騒動の中でも反応を示さず乱入者に背を向けたまま酒樽を見つめ続ける男がいた。
彼こそがソーマファミリアの主神、酒造の神ソーマだ。
「……何の用だ」
「リリルカ・アーデの退団許可を頂きたい」
「……ファミリアの運営は全てザニスに任せている」
「奴から要求された額の金はすでに支払った」
「……これを飲んだら話を聞いてやる」
背中を向けたままのソーマが面倒臭そうに液体が入った器を突き出すと、隣にいるリリルカが小さく悲鳴を上げる。
『神酒ソーマ』。
ソーマ自身の名を冠する至高の美酒。
巷に出回っている失敗作ではなく、完成品と呼ばれているもの。
あまりの旨さに人間が一度口にしてしまえば、一時的にとはいえ思考の全てを塗りつぶされてしまうという危険な酒。
ヒノカミは躊躇うことなく器を受け取り一気に飲み干す。
「……まっず」
「「!?」」
ようやくソーマが振り向いた。隣を見上げるリリルカと同じく驚愕の表情で。
「ほれ、罰ゲームは済ませたぞ。こちらの要求にも応じてもらおう」
「まずい……?罰、ゲーム……?
俺の、酒が?神すら唸る俺の酒が……!?」
「ど、どうして正気を保って……神酒の誘惑は……!?」
上級冒険者や神となれば魅了を弾くこともある。
だがそれでも、誰もが神酒を至高の美酒と認めていた。
『不味い』と断言したのは目の前の小娘が初めてだ。
「あー……これは神が『旨い酒になれ』って執念と怨念込めた、いわば呪物じゃろ?
儂は体質として呪いの類が効かん。なんでこれの悪い部分しか感じられんのじゃ。
こびりついた呪いの残滓がドロドロネバネバしてて喉越し最悪じゃよ。
場末の酒場のぬるいエールの方がまだマシじゃの」
「「な……!?」」
実際に神酒を口にし魅了されてしまった経験があるリリルカが唖然とする。
己の造る酒に絶対の自信を持っていたソーマも同様に。
人も神も関係なく、あらゆる者が美味と認める究極の酒を造ること。それがソーマの目標だった。
だがそれを『不味い』と断言する者が現れた。
発言に嘘はない。ならばソーマのやり方では絶対にこの女を認めさせることができない。
まさに頭を金槌で殴られたような衝撃にソーマはしばし硬直したが、その反動でやがて彼の頭が急速に冷えてきた。
目の前の小娘はこちらの要求と突き出した酒を飲んだ。ならば今度はこちらが応じる番だ。
「……要件を、聞こう」
「聞いとらんかったんかい……リリルカ・アーデの退団許可を。
彼女をヘスティアファミリアへと迎え入れたい」
「わかった。すぐに恩恵を書き換える」
「!?」
「感謝する。そんでできるなら、他の連中に彼女に対して余計な手出しをせぬよう伝えてはくれぬか?」
「厳命しよう。従わぬ者も出てくるだろうが、そいつらはどうとでもしてくれて構わない。
……では、こちらに来なさい。リリルカ・アーデ」
「はっ、はいっ!」
この場にいるヒノカミは女で、ザニスは瀕死で意識がない。
他の眷属たちは団長が暴行を受け主神の座に殴り込まれるほどの事態になっても、未だに昇ってくる気配がない。
ソーマは上着を脱ぎ背中を見せたリリルカから手早く恩恵を取り除いた。
「これでお前は自由だ。……体に、気をつけなさい」
「あ、ありがとう、ございます……?」
突然別人のように優しく穏やかになったソーマにリリルカは困惑している。
だが思い出した。まだ彼女が神酒に魅了されてしまう前の話。
酒に溺れて金を稼ぐために無謀な冒険に繰り出した彼女の両親が早々に死んだ後、幼い自分を育ててくれていたのは目の前の神だった。
「……ヒノカミ、と言ったか。一つ教えてほしい。
お前はどんな酒が旨いと思う?」
「聞いてどうする?」
「無論、お前にも『旨い』と言わせる酒を造るためだ。
答えろ。お前の考える、酒に最も必要だと思うものはなんだ?」
「酒の肴と、飲み友かの。
それさえあればどんな酒でも極上の美酒よ。
それこそこのクソ不味い神酒でもな」
「……チッ、嘘でないだけ余計にたちが悪い」
「げらげらげら。しかし真理であろう?
酒に限らず何かを楽しむならシチュエーションは大事じゃ。
お主も酒を造るだけでなく酒を飲むことも学んでおけ。
引き籠ってばかりおらずにな」
「……ふん」
ヒノカミはリリルカを掴んで元来た穴から先ほどの広場へと飛び降りる。
ソーマの眷属たちはザニスが殴り飛ばされた際に飛び散った二千万ヴァリスを奪い合っていたが、二人に気付いてようやく武器を持ち取り囲む。
「主命だ。今後その二人に余計な手出しをするな」
だが大穴から顔を覗かせたソーマが声を上げたことで眷属たちの動きが止まった。
ヒノカミは恩恵が無くなったリリルカから背中の鞄を預かり、彼女を手放して歩き出すと人垣が割れていく。
離れていくヒノカミの背中をリリルカが慌てて追いかける。
酒造り以外に何も関心を寄せない我らの神が、一体なぜこの二人のために動いたのか。
それが分からぬ内は、彼らの神が彼らに関心を寄せることはないだろう。