地上へと戻ってきたオッタルを始めとするフレイヤファミリアの眷属たち。
それを出迎えたのは主神でもなく彼らを称える民衆でもなく、殺気を隠そうともしない一人の少女。
広場は静まり返り、誰もが怯えて彼女から距離を取っていた。
異変を聞きつけて物見遊山で足を運んだ神々ですらも後悔するほどの圧が場を支配している。
言葉は必要なかった。そして蹂躙が始まった。
オッタル以外のフレイヤの眷属も15年前の話は聞いていただろう。だが力の差を理解していなかった。
都市最速を誇るレベル6『
共にレベル6のエルフ『
連携に優れた小人族の四つ子『
「ぬぅぉおあぁぁぁぁぁーーーーーー!!」
都市最強のレベル7『
パァン
デコピン一発で弾き飛ばされた。
「「「「「………………」」」」」
速過ぎる。強すぎる。遠すぎる。
都市最強の看板を掲げたフレイヤファミリアの第一級冒険者たちが成す術もなく崩れ去っていく姿に、オラリオの住人達が言葉を失っている。
「止めてくれぇ……誰かアレを止めてくれぇぇぇーーーーーっ!!」
ギルド長のロイマンが恥も外聞も捨てて泣き叫び、駆け付けた警邏のガネーシャファミリアの眷属たちに縋りつく。
だが彼らは広場の外周部に辿り着いたが一歩もその先に進めない。
都市の平和を守るためなら命を懸ける覚悟をしていたはずの彼等でさえ、根源的な死の恐怖を目の当たりにして足がすくんでしまった。
「……お、おい!アイツ確か、15年前に……!」
「あっ!ゼウスのとこの客人だった奴か!」
ヒノカミの姿を見て彼女のことを思い出した神々が声を上げ始めていた。
だが傲慢不遜で空気を読めない神々ですら、ヒノカミに声をかける勇気が出なかった。
血だまりに沈む満身創痍の冒険者たち。
常人なら死んでいる。だがレベル相応の生命力でかろうじて全員まだ命をつないでいる。
ヒノカミは当然それを理解しているが、それ以上の手出しを控えてぼんやりと待っていた。
誰よりも人を殺し、命と向き合ってきた彼女だ。どこまでやれば人が死ぬのか、誰よりも理解している。
「『やめなさい』」
間もなく、神意を発するフレイヤがその場に現れた。
下界のルールに抵触するギリギリの量の神の力を発しており、人も神もみな怯えて距離を取る。
しかしヒノカミは焦がれていた待ち人の出現に満面の笑みで返す。
「おぉ、遅かったのぉ!
最後の別れを言う機会くらいはと言う儂の気遣いが無駄になるかと思ったわ」
「『やめなさい』」
「なんじゃ?長年貴様に仕えた眷属たちなんじゃろ?
消えゆくこ奴らにかけてやる言葉も無いんか?」
「『やめなさいと、言っているのよ』」
フレイヤは更に神意を強める。
ここはダンジョンの入り口に近い。神への激しい怒りを抱くダンジョンが反応し鳴動が始まっている。
このまま続ければスタンピードが発生しダンジョンの中にいる者だけでなく、その上にまで溢れ出したモンスターによりオラリオが壊滅する危険すらある。
止めるべきオラリオの人と神はフレイヤの怒りと圧に飲まれて彼女に近付くことすらできず慌てふためいている。
「……はぁ〜〜……」
ヒノカミは大きくため息を吐いて。
「誰に向かって舐めた口を利いている。小娘」
本気の『殺意』をぶつけた。
「「「「「!?!?!?」」」」」
世界から、音が消えた。
気の弱い人間は泡を吹いて気絶していく。
フレイヤの神意は霧散し、ダンジョンすらも怯えて息を潜めた。
「頭が高いな……『平伏せ』」
「がっ……!」
不可視の力を受けて、フレイヤの体が地面に押さえ付けられる。
彼女が何とか体を起こそうと掌で地面を押せば、まさに土下座をしているような姿勢となった。
ガスッ
「っ!?」
「誰が面を上げて良いと言った」
人間が女神の頭を土足で踏み付けた。
そのまま更に力を加え、女神の尊顔を地面へと押し付ける。
「普段ならこのまま踏み抜いてやるところじゃが……約束があるからなぁ」
もしベルの拉致を成功させていたら躊躇いはしなかっただろう。
だが結果的に失敗した。フレイヤはヒノカミの定めた一線を越えなかった。
一線を越えない限り、神の送還はしない。それがゼウスとの約束だった。だから。
「
むせび泣いて感謝するところであろうが」
「……っ、……!」
神意を封じられた上に、口を開くこともできない。
美の女神は地面を這いずる芋虫のように惨めな姿をさらしていた。
「……さて、貴様らは最後に言い残すことはあるか?」
フレイヤの頭を踏みつけたままヒノカミが振り向く。
彼女の眷属たちは、もはや命をつなぐのが精いっぱい。
まだかろうじて余力があるオッタルが口を開く。
「我らが女神よ……一足先に、天にてお待ちしております……」
オッタルは敬愛するフレイヤとの、あの世での再会を願った。
「なんじゃ貴様ら。天に昇れるとでも思っていたのか?」
少女はそのささやかな願いを、容赦なく踏みにじる。
「来い。スピリット・オブ・ファイア」
『…………』
「「「「「!?!?!?」」」」」
ヒノカミの呼びかけに応じて現れた、オラリオを覆い隠すほど巨大な炎の化身。
かがんで主のいる広場へと顔を近づけ、口を開いた。
「ヒッ……」
人々はその大きな口の奥に、苦悶の表情を浮かべ嘆きと悲鳴を上げ続ける無数の魂を見てしまった。
「貴様らがこれより送られる先は地獄の劫火。
肉体はもちろん、魂すら欠片も残さず焼却されこの大精霊の糧となる。
……儂は『最後の別れ』と伝えたはずじゃが?」
「「「「「…………!」」」」」
フレイヤの為なら死をも恐れぬ狂信者たちは、初めて恐怖した。
こいつの前では、『死』すら生温い。
「もういいか?では消えろ」
誰一人として動けない世界で、ただ淡々と少女は終わりを宣告する。
忠実な炎の巨神が口を更に大きく開いて哀れな贄へとゆっくり迫る。
「『やめるんだ』」
だが無音の空間に新たな声が響いた。
炎を背負い神意を発する『炉の女神』が人垣を分けて歩み出る。
「ヘスティア殿……」
「『そこまでだ、ヒノカミくん。フレイヤが何をしたかは知らないがその拳を下ろすんだ』」
「馬鹿は死んでも治らぬ。ならば消すしかありますまい」
「『駄目だ。キミはその先に進んじゃいけない』」
「進むも何も……散々通ってきた道です。今更躊躇う理由なぞない」
「『だろうね。キミはきっとそうやって沢山の命を奪ってきた』」
ベルたちが遠征に出かけて、必然的にヘスティアが頻繁に話す相手はアルフィアとザルドになった。
彼女らはヘスティアが知る以上にヒノカミの事を知っており、口止めされていたわけではない。
二人から多くのことを聞いた。ヒノカミの素性も、行いも、おおよそは把握していた。
「『でも、何も感じないわけじゃないんだろう?』」
「 」
「『キミはとっても乱暴で、自分勝手で、でも不器用で優しい子だ。
誰かのために拳を握って、誰かのためにその手を汚して、誰かのために傷つき苦しんできた人間だ。
ここで止めなければボクはこれからずっと、キミを傷つけたことを後悔するだろう。
だから頼む。ボクらのために傷つくのは、ボクらのためにやめてくれ』」
「…………敵いませんなぁ」
炎の巨神はその身を白い炎へと変え、周囲にまき散らしながら霧散した。
血だまりに沈んでいたフレイヤの眷属も、偶然居合わせた住民も、不可死犠の炎を浴びてあらゆる傷と病が癒える。
崩れた顔面も抉れた体も失われていた四肢も、何もかもが元通りだ。
「さ、ホームに戻るよ!キミにはお説教が必要みたいだからね!」
「やれやれ……いや、今はバイト中ではありませんでしたか?」
「…………そうだったぁーーーー!飛び出してきちゃったんだよぉーーー!!」
「くけけけ……では説教の前に、一緒に店主に謝るとしましょうか」
ヒノカミはフレイヤの頭の上に乗せていた足を下ろし一歩離れて立ち止まる。
「……これで二度目じゃ。三度目があると思うなよ、醜女が」
「…………っ」
最後に呟き、ヘスティアを追って歩き出す。
恐怖と驚愕で後退る人々の間にできた道を悠々と通り抜けて、二人は広場から姿を消した。
二人が姿を消すまで、誰も動き出すことができなかった。