トルメキアの船の調整に時間を割いたため、出発は予定よりも数日遅れとなった。
しかし航海はその遅れを取り戻す速さで順調に進んだ。
幸いにも土鬼との遭遇や戦闘、蟲との不意の接触もなく、宿営地としていた酸の湖にあっさりと辿り着いた。
ここは腐海のど真ん中にある広大な湖群。
液体は水ではなく、その呼び名の通り酸で満たされている。
人も金属も跡形なく溶かしてしまう強力な酸だ。
陸地のほとんどは砂や土ではなく、溶けずに残った蟲の甲殻である。
しかし腐海の植物どころかカビも生えないからこそ瘴気がなく、マスク無しで過ごすことができる。
通常のマスクでは水を飲むことすらできず、瘴気の届かぬ上空を飛び続けるわけにもいかない。
臭いがキツイのは困りものだが、船団が休息を取るにはうってつけの場所であった。
各々がテントを広げ、日も高いうちから野営の準備を始める。
『…………?』
「どうした?」
コルベットは旗艦でありクシャナが搭乗している。
故にバカガラスから降りた兵たちが周囲の安全を確保した後でクシャナは外に出たのだが、隣に立つ鎧はすぐに周囲を見渡す。
『あの廃墟の方、誰か向かわせたか?』
「クロトワ?」
「え?えぇ、蟲使いが『船が降りた形跡がある』と言うので調査を」
『人数は?』
「20人ほどだが……」
『少なくともその5倍は気配があるな』
「「!?」」
『……感知範囲を5リーグほどまで広げたが、反応多数じゃ。囲まれておるぞ』
「皆の者、襲撃に備えよ!土鬼が潜んでいる可能性がある!!」
「ちょっ、信じるんですか殿下!?せめて兵を向かわせて確認を……」
ヴォーーーーッ!
間もなく、鎧が指さしていた方から音が響く。緊急時に飛ばす鏑弾だ。
「…………マジかよ」
『気配が減っている。蟲使いたちは殺されたようじゃな』
「奴らの狙いはおそらく船だ!陣形を組み近づけさせるな!
ガンシップを飛ばして空から援護させろ!!」
コルベットは助走が必要で、船体が大きい。
遮蔽物のない酸の湖の空では飛び上がったところを対空砲で撃ち落される恐れがある。大型船のバカガラスは言うまでもない。
対して辺境国家の操るガンシップなら短い距離ですぐに飛翔できる。素早く船体も小さい。
「任せてくれ!僕の船なら小回りが利く!」
「よし、行けっ!」
師である鎧と話をしようとしていたので偶然彼らの近くにいたアスベルが名乗りを上げ、クシャナの追認を受けて愛機へと走っていく。
パイロットであり優れた技師でもあるアスベル自身が改良したペジテのガンシップの性能は、他のガンシップと比べても頭一つ抜けている。
「…………」
「姫様?」
「何故かしら、胸が苦しい……!
これは……怒り?風の谷も出ます!」
謎の焦燥感に駆られたナウシカも、クシャナの言葉を待たず船へと走り出す。
従者である城オジのミトが慌てて追いかけていき、彼が後部の席に飛び込んだ瞬間にガンシップが乱暴に飛び出した。
「あの小娘、どうしたというのだ?」
『わからぬ。じゃがナウシカは妙に感受性が高い。
場合によっては儂以上に知覚に優れておるやもな』
「ほぅ……風の谷のナウシカ、覚えておこう」
間もなくロケット弾が降り注ぎ開戦となる。
やはり狙いは船、同時に土鬼の兵士たちが死をも恐れず武器を構えて突撃してくる。
トルメキアの装甲兵や騎馬兵が突撃し、辺境国家の戦士たちは銃で援護。
ペジテのガンシップも戦場の上空を飛翔しながら土鬼側に銃撃を浴びせかける。だが風の谷のガンシップは姿が見えない。
風の谷の従者とバージもこの場に残しているので、敵前逃亡ということはないだろうが。
鎧はクシャナの隣で腕を組んで見ているだけ。『人間同士の殺し合いに参加しない』ことも鎧がクシャナに手を貸す条件の一つだ。
『さて、あ奴は一体何を感じ取ったのか……どうした?』
「おかしい……何故土鬼は得意とする夜襲を選ばぬ?」
兵の数はさほど多くなく、重火器もそこまで強力ではない。
どこから作戦が漏れたかは気にかかるが、待ち伏せし包囲していたことから不意の遭遇戦という説も無かろう。
そしてトルメキアと辺境国家連合は、野営の準備をしていたのだ。ここで一夜を明かす準備をしていた。
つくづく、まだ日の高いこの時間帯に無駄死に同然の特攻を仕掛けてくる意味がわからない。
「気にかかる。ひともみしてこよう」
『待て……何じゃこの振動は……?』
やがて鎧の優れた感覚が、戦闘ではない地面の揺れを感じ取る。
『段々と大きく……近づいてくる?儂が見てこよう』
ゴゥッ
鎧の脚部装甲が一部展開し、炎を噴き出す。
そのまま人の形をした金属の塊が垂直に空へと飛び上がっていった。
「なっ、アイツ飛べんのかよ!?」
「フフフ、本当に愉快な奴だ。
未だにまるで底が見えぬとは、まったくもって退屈せんな」
低空飛行で援護を行うペジテのガンシップを通り越して、鎧は上へ上へと昇っていく。
やがて地平線が丸みを帯びるほどにまで至ったところで地上を見下ろす。
土煙を巻き上げて何かが近づいている。
真っ赤な発行体を持つ巨大な生物の大群だ。
鎧が直接目にするのはこれが初めてだが、聞き及んだ特徴と照らし合わせれば。
『蟲……あれが王蟲という奴かっ!?』
数え切れない数の蟲が四方から大津波となって押し寄せてきている。
向かう先はどうやら、先ほど風の谷のガンシップが飛び立った方向だ。
『土鬼とやらが、蟲を利用した!?利用できるものなのか!?いや今は!』
鎧は炎の噴出を止め、重力に任せて地上へ落下を始めながら印を組み詠唱する。
『黒白の羅 二十二の橋梁 六十六の冠帯 足跡・遠雷・尖峰・回地・夜伏・雲海・蒼い隊列 太円に満ちて天を挺れ……縛道の七十七!『天挺空羅』!』
術により地上のトルメキア兵と辺境国家の戦士たちを捕捉し、念話を送る。
『全員聞けぇっ!王蟲の大群がここを目指して驀進しておる!これは土鬼の罠じゃ!』
地上の人間たちは突然頭の中に響いた声とその内容に動揺しているだろうが、構わず続ける。
『ガンシップとコルベットは直ちに離脱の準備!
トルメキアの装甲兵はその援護!土鬼の襲撃者から船を守り抜け!
バカガラスは動かすな!どのみち離陸が間に合わぬ!』
人数を絞ったとはいえ4隻のバカガラスに乗っていた人員はかなりの数だ。
鎧の指示に従えば彼らは一人残らず死ぬことになる。
すぐにわずかな生存権をかけて暴動が始まるだろう。
『地上に残る者はバカガラスの一番艦周辺に集結しろ!……儂が何とかしてやる!』
だから、その足りない部分を鎧が補う。
人間同士の争いならば手を貸すつもりはないが、蟲を利用して敵を処理しようなどと言う作戦は戦争ではない。鎧はそう判断した。
鎧は大気中の熱を吸収しながらまっすぐに落ちていき、同時に王蟲の大群が宿営地に迫り互いの相対距離がみるみる縮まっていく。
とっくに地上でも王蟲の姿は視認できているだろう。
そして土鬼の襲撃者たちは撤退し、至る所に点在しているトーチカの中へと入っていく。どうやらあれで王蟲を乗り切る算段らしい。
ガンシップとバージが次々と飛び立ち、コルベットも続いた。
地上の生存者たちは指示通り、一番艦の周囲に集まっている。
好都合ではあるがやけに素直に指示に従うものだと訝しんでいると。
『……クシャナ!?』
バカガラスの船体の上に着地した鎧が群衆を見下ろすと、その中に姫殿下の姿があった。
鎧の言葉だけでは地上に残された者たちが恐慌状態に陥ると理解していた彼女は、自身が地上に残り部下たちを鼓舞しまとめ上げていたのだ。
『阿呆が!何故離脱しておらん!?』
「貴様が何とかしてみせるのだろう?さぁ、やってみせろ!」
『っ、えぇい!言われるまでも!!』
船の巨大な翼の下でトルメキアの兵士たちが怯えながら抱き合っている。
一部の装甲兵はこの窮地にあっても敬愛する殿下を守るべく肉壁になろうとしている。
そしてクシャナは眉一つ動かさず、船の上に立つ鎧を見上げ不敵な笑みを浮かべる。
間もなくこの場に王蟲が辿り着く。その直前に。
『喝ぁっ!!!!』
パァァン!!!
鎧が勢いよく柏手を打った。
音と同時に半球状の膜が広がり、巨大な船体をすっぽりと覆い尽くす。
そして膜よりもはるかに巨大な王蟲は。
グシャァァッ
膜の内側に入ることができず、勢いよく弾かれた。
次々と後続が押し寄せるも膜はわずかにも揺るがなかった。
王蟲は外側に取り残された3隻の船を押しつぶしながら、この膜の脇あるいは上を走って後ろに通り抜けていく。
やがて全ての王蟲が宿営地跡地から姿を消し、その場に静寂だけが残った。
「「「「「………………」」」」」
『……どうじゃ、何とかしてやったぞ?』
「っ、アハハハハ!……見事だ!!」
ウォォォォーーーーーーーッ!!!!
鎧が両手を離し膜が消えると同時に、王蟲が響かせていた轟音に劣らぬ大喝采が大地を揺らした。