クシャナ軍は出立の準備、戦死者の埋葬、仲間との別れに一晩を費やすこととなった。
大半の者が激動を潜り抜けた反動から深い眠りにつくも、幾人かが寝る間も惜しんであわただしく動いている。
そんな中、クシャナは鎧を伴って湖岸に並び立っていた。
行軍を続けるためにコルベットに乗せる者の選抜、これには鎧も一枚かんでいた。
鎧は嘘を見抜くだけでなく、強い感情も感じ取る。
鎧が選んだ者は心からクシャナを敬愛する忠義あふれる兵士たちのみ。彼女に敵意を抱くような不届者はいない。
「クロトワを除いて、か」
『やはり気づいておったか』
「あれだけしっぽの見える芝居を見せられ続けてはな」
宿営地に降りた時点ですでに土鬼は潜んでいた。
王蟲の軍勢を引き連れる作戦も一朝一夕で実行できるものではない。
となれば、クシャナの軍勢が酸の湖を訪れることを土鬼側に漏らした者がいる。
まぁそれは本国の連中に違いないのだが。
宰相か、兄皇子たちか、実父であるヴ王の可能性もある。
クシャナに命令を出した者なのだから計画を知っていて当然だ。
ヴ王と兄皇子たちにとって、唯一先王の血を引くクシャナは目障りで仕方ない存在である。彼らの陣営に属している貴族や兵たちもまた然り。
そして土鬼側にとってもクシャナは『トルメキアの白い魔女』と呼ぶほどに恐れ憎む敵。知将にして猛将。何としても排除したい相手だ。
そんな双方の利害が一致した結果が、今回のクシャナ軍殲滅作戦。
更に作戦の成功率を上げるため、作戦参謀としてクロトワが本国より派遣された。こんなところか。
『まぁクロトワ自身は今回の作戦を知らされておらなんだのは間違いないようじゃな。
国に命を捧ぐほどの忠誠心もない。生き延びるのに必死であったよ』
「捨て駒か……哀れだな」
『トルメキアの貴族連中は平民上がりにその程度の価値しか見出せぬようじゃな』
そしてクロトワは仮にも作戦参謀。
本国の後ろ盾により特別な地位が与えられており、生き残っている以上はコルベットから降ろすわけにもいかない。仮に獅子身中の虫だとしても。
となれば適当な理由をつけて排除することになるが……。
『しかしあの能力と生き汚なさはおしいぞ?』
「私の魂胆も見抜いているやもな……推し量るとするか。
こちらになびくようなら拾ってやるとしよう」
『もしクロトワが応じるならばもう話が漏れる心配もない。
他の兵たちにもお主の計画を伝えておけ。
お主の言うことならば盲目的に従うやもしれぬが、やはり突然『自国軍と戦う』と言われては動きが鈍るじゃろう』
クシャナの真の敵は父王と兄皇子だけだが、彼らが従える兵士たちとの戦いは避けられない。
可能な限り人死には避ける約束だが限界はある。そして戦場ではわずかな迷いが死に繋がる。
敵を守って仲間が命を落とすなど本末転倒だ。
「そうだな。其方との契約を確実に履行するためにも話と筋は通しておくべきか。
……だがそのためにも、尋ねておきたいことがある」
そこでクシャナは向き直り、鎧の顔を正面から見上げる。
「其方の名を教えてほしい」
『…………』
「気付いていたのであろう?契約を持ちかけた時の私は、場合によっては其方を切り捨てる腹づもりでいたことを」
そもそも当初のクシャナは、然程鎧に期待していなかったのだ。
物珍しさと興味本位。何かの役に立つなら儲け物、契約のデメリットに見合わぬ程度の力しか持たぬなら途中で放り出すつもりでいた。
だが鎧はクシャナが考えている以上に優秀で、そして誠実だった。
王蟲の大群を凌ぐ超常を見せつけ、己の誓いを貫き彼女の部下の命を見事に守り抜いた。
身一つで空が飛べるのならば見捨てて逃げ出した方が早かっただろうに。
全滅すれば死人に口なし。そのままペジテに帰ってしまうこともできたはずだ。
「私はもはや其方を疑わぬ。其方は我が契約者であり、戦友だ。
なればこそ私は其方の名を知らねばならぬ。我が魂に刻み込むためにも」
クシャナの瞳にはわずかな揺らぎもない。
これは梃子でも動かぬと察した鎧は、観念して呟く。
『……『ヒノカミ』じゃ』
「『ヒノカミ』……」
『お主にも伝わるように言うならば、『火の神』となる』
「!?ハハハハ!なるほど、神か!
あれほどの力を見せられては大言壮語と否定はできぬな」
『そう名乗る資格が、今の儂にはない。
名が重過ぎるんじゃ……故に口にすることが憚られた』
「フッ、良かろう。其方の名は我が胸の内に留めておく。
なればこれよりは、『友』とでも呼ばせてもらおうか」
『……好きにせい』
そして夜が明け、ナウシカとクシャナたちは北に向けて飛び立つ船団を見送った後に南の空へと飛び出した。
――――……
ペジテ地下、大空洞前。
クシャナの命により厳重な扉が取り付けられ、常に二人の装甲兵が警備に当たるこの場に新たな人影が現れる。
「何者か!」
兵士たちが剣を構えるが、相手は動じることなく答える。
「ペジテのアスベルだ」
「アスベル……確か、ペジテから出兵していた王族の?」
「まだ出立して三日も経っていないぞ?何故ここにいる?」
「我々辺境国家の従軍は中断されたんだ。トルメキアの兵士も大勢戻ってきている。
地上で確認してもらえばわかるはずだ」
向き合った二人の兵士の片方が頷き、アスベルの後ろのエレベーターへと向かう。
もう一人は剣を構えたまま油断なくアスベルを見る。
「それで、お前はここに何の用だ?
殿下の命により、たとえ何者であってもこの先に進むことは許さんぞ」
「そのクシャナ殿下より許可をもらっている。書状を確認してほしい」
アスベルは巻かれた羊皮紙を足元に置き数歩後退する。
前に進んだ兵士が拾い上げ、開いて中を確認する。
「……確かに殿下のサインだ。『これを持つ者を特例として中に通せ』とある」
「あぁ、僕は引き続き殿下と行動している師匠……鎧の門番からも承認を受けている」
「よかろう。通るがいい」
兵士が扉を開き、道を譲った。
「出るときは中から合図をしろ」
「わかった、ありがとう」
アスベルが中に入ったところで兵士は再び扉を閉じ、鍵をかけた。
「…………よし」
アスベルは少し逡巡した後、以前まで師が腰かけていた黒い石へと歩み寄る。
何の突起も窪みもない平坦な側面を、言われた通りに触れると。
「本当に開いた……それで、これか」
アスベルは箱の内側にある窪みを見つめながら、師から預かった奇妙な石を取り出す。
帰還前夜に師より呼び出されたアスベルはこの石を託され手順を教えられた。
師が『地獄の門』と呼んでいた、巨大な門の開き方を。
土鬼が腐海と蟲を戦争に利用した事実を把握した鎧は今後も土鬼が同じ……いや、もっと苛烈な手段を講じてくる未来を確信していた。
伴ってより多くの大地が腐海に呑まれ、夥しい数の血が流れ命が失われるとも。
そして圧倒的な超常の力を持つ鎧であっても、人間相手ならともかく腐海そのものには対応しきれない。
だから鎧は『激化するであろう戦争を力づくで止めるための力』が眠る、この『地獄の門』を開く時が来たと考えた。
しかし契約に従い引き続きクシャナと進軍を続ける鎧はペジテに戻るわけにはいかず、代行をアスベルに託したのだ。
『最終的な判断はアスベルに任せる』と付け加えて。
「もし師匠の言う通り、この中に『力づくでこの大戦争を止める力』があるっていうなら……」
それは一体どれほどの力なのだろうか。想像がつかない。
だがもしもトルメキアと土鬼をまとめて倒してしまえるような強大な力が制御に失敗、あるいはその使い方を間違ってしまった時。
それこそこの世界は本当の地獄と化すだろう。まさに『地獄の門』という訳だ。
「…………」
責任は委ねないと言った。しかし決定権はアスベルに委ねられている。
彼はしばらく悩んだ末に。
「えぇいっ!」
石を窪みにはめ込んだ。
黒い石から伸びる無数の管を通じて、門の向こうへと何かが注がれていく。
これで一週間ほど待てば門が開くはずだ。
「さぁて、鬼が出るか蛇が出るか……ってそれはもう両方いるじゃないか」
鬼鎧の師匠と、毒蛇の姫君。
師匠から聞いたことわざとやらに続いて彼等自身の姿も思い浮かべてしまい、つい吹き出したアスベルはその場に腰掛ける。
扉が開くまでずっとこの大空洞で待つつもりはない。
だが扉が開く瞬間に居合わせるために可能な限りこの場に留まるつもりだ。
「それが門を開くと決めた、僕の責任だ。
……このくらいは背負わせてくれよ、師匠?」