「こっ!殺せぇっ!その者を速やかに始末せよぉっ!!」
兄皇子が唾を飛ばしながら命じる前に、彼の従える近衛兵たちは動き出していた。
たった今同僚数名が無惨に殺されたのだ。それに船のコクピットを爆破したのもおそらくこの乱入者。
明確に自分たちの命を脅かす敵を排除するため、彼らは陣を組み剣を構え一斉に斬りかかる。
だが無駄だ。ヒノカミの存在強度は王蟲をも超える。
人間と同じ大きさに収まっているが人間如きでは戦い自体が成立しない。
その絶望的なまでの力の差を見せつけるため、ヒノカミは敢えて炎を抑えて無防備にたたずむ。
バキィィィン
「「「「「…………!?!?!?」」」」」
叩きつけた兵士たちの剣の方が砕け散ってしまった。もちろん鎧には傷一つついていない。
それどころか攻撃を仕掛けた兵士たちの腕の方が反動で深刻なダメージを受けていた。
相手が王蟲の甲皮以上の強度であることを思えば妥当な結末である。
ヒノカミはゆっくりと右腕を引き、丁度目の前にいた兵の顔面に向けて突き出す。
バァァンッ!
拳を受けた兵は文字通りに弾け飛んだ。
まるでコルベットにでも轢き殺されたかのように体がバラバラになり、その周囲にいた装甲兵たちまで風圧に巻き込まれて吹き飛ぶ。
蟲の返り血で青く染まっていた上から人の返り血を浴びて、真っ青だった鎧に赤が増えた。
しかし構うことなくヒノカミはゴミを掃うかのように腕を振り回す。
すると超重量の装備を身に着けている兵士たちが、枯れ葉のように風に巻き上げられていく。
まるで嵐だ。常人ならば目を疑うような光景である。
我に返り、援護しようとした兵もいた。重コルベットの銃座に座る者たちだ。
地上にいる装甲兵たちが全滅すれば今度は自分たちに矛先が向くかもしれない。
そう考えた彼らは爆心地の中心に砲口を向け、まだ味方もいるというのに躊躇いなく引き金を引いた。
ボォォン!
当然その程度の動きはヒノカミに把握されており、彼女の熱制御能力により砲弾を暴発させられた。
結果として銃座に座っていた彼らは装甲兵たちよりも先に息絶えることになった。
コクピットは潰され、砲撃も行えなくなった。そして兵士たちは次々と無惨な肉塊に変えられている。
まだ重コルベットの中に残っていた兄皇子部下の兵士たちは船を飛び出し我先にと戦場から離れていく。
やがてその流れに呑まれて、ヒノカミを囲んでいた装甲兵たちも後ずさり、そして背を向け逃げ出した。
「これがトルメキア王族近衛隊の有様か……っ、そうだ!兄は!?」
『あっち』
クシャナはヒノカミが雑に指さした先を見ると、遥か遠くをドタドタと跳ねていく二足歩行の豚の後ろ姿が見えた。
あの足の遅さで、もうあんなところにまで。
おそらく部下たちに命じた直後には走り出していたのだろう。
たった今逃げ出した兵たちの不忠を責める気すら起きぬ判断と諦めの速さだ。アレが主君では部下に逃げ癖がつくのも無理はない。
「おのれ逃がすかぁっ!!」
『残念ながら、時間切れじゃよ』
「何……っ!?」
ヒノカミが兄皇子の方に向けていた指をゆっくりと上に動かす。
空に妙な黒雲が広がっていく。ヒノカミが足止めしていた蟲の大群だ。
兄皇子や同じ方角に逃げ出した兵たちも訝しんで足を遅らせ始めた。間もなく連中もその正体に気付くだろう。
「ぐっ……でん、か。他の、船へ……!」
『間に合わぬ。今から飛んでもすぐに追いつかれて餌食になるだけじゃ』
ヒノカミがこの基地に転移した瞬間が、離陸が間に合うギリギリのタイミングだったのだ。
なのにあの豚がクシャナの船を破壊し重コルベットで滑走路を塞いでいたため、状況を把握したヒノカミは即に船での脱出を諦めていた。
『総員、作戦中止!クシャナ皇女の旗の下に集結せよ!』
ヒノカミは周囲一帯、第三軍以外の兵にも聞こえるほどの声量で叫び、直後勢いよく柏手を打つ。
するとヒノカミと、その傍にいるクシャナを中心とした巨大な半球状の膜が現れた。
内側は白い炎で薄く満たされており、クロトワはみるみる傷が消えていく己の肉体に驚愕し何度も触って確かめている。
「殿下ぁーーーっ!」
「集合だ!走れ走れーーーっ!!」
それぞれの船のコクピットを占拠していたクシャナの部下たちが、船から飛び出して駆け寄ってくる。
彼らも本当は、兄皇子の私兵に取り囲まれたクシャナを何とかして助けたいと願っていた。
だがあの場で飛び出してもすぐに兄皇子の兵に殺されて終わりなので、クシャナたちがあの場を乗り切ると信じて脱出の準備に専念していたのだ。
だがクシャナの信頼する友人が作り出した巨大な膜を見て、ペジテからここまで同行していた兵たちはその意図を察し即座に動き出した。
サパタで合流した第三軍の兵たちは初めて見るので事情が理解できぬが、同僚を信じて続く。
ヒノカミは領域を、人間は自由に入ることができるように設定していた。
クシャナの部下たちは半透明の膜をするりと抜けて次々に中に入る。
すると第三軍とは無関係なこの基地の兵や従者たちも、蟲の大群を前に迎撃も避難も不可能と悟って藁にもすがる思いで彼らに続き領域の内側に飛び込んでくる。
そして恥知らずにも、基地の中心に向かって走っていた兄皇子や彼の部下たちまで引き返してきた。
連中が助かる道があるとしたらこれしかなかったのだ。
彼等は先ほどのクシャナの動きで周囲の船は彼女の配下に占拠されたことを察していたため、飛び込んでも捕らえられてしまうと推測し意図的に船から遠ざかっていた。
だが船がなければ蟲から逃げ出すことができないし、このまま基地の方へ走り抜けて他の戦力と合流したとしても人間の力では蟲の大群に太刀打ちできない。
そして地下壕は遠すぎる。贅肉や装甲で鈍重な彼等の脚では絶対に間に合わない。
となれば、引き返してクシャナやヒノカミにみっともなく命乞いをするしか選択肢はないと判断した。
(ーー!ーーーー!)
しかし逃げの判断が早過ぎたため、兄皇子は領域からも遠すぎた。
彼が領域に辿り着くか蟲が彼のところに辿り着くかは五分五分と言ったところか。
周囲の兵に向けてなにがしかを叫んでいるようだが領域は音を遮断する設定にしているため何を言っているかは内側に届かず、まだ領域の外にいる兵は自分の身を守ることに頭がいっぱいで、主君を置き去りにして次々と領域の中に入ってしまう。
(ーー!?)
そして、兄皇子は足をもつれさせすっ転んだ。
「兄がっ……ここから出せ!ヒノカミ!」
「おやめください殿下!」
不慮の事故で内側から外に押し出される可能性を危惧して、領域は入ることはできても出ることはできないように設定してあった。
兄を捕らえるために領域の縁まで来ていたクシャナは領域の壁を叩きながら友の名を叫ぶ。
「奴は……奴は母の仇の一人だ!この手で復讐を果たすために、私は……っ!」
『そのために己と部下を危険に晒すか?』
「っ……」
今外に出ればクシャナも蟲に襲われる。
彼女に付き従う兵たちも当然追いかけ外に出て、彼女を守ろうとして命を散らしてしまうだろう。
もう少し奴自身が体を鍛えていれば。
兵たちが己を危険に晒しても助けようと思う程度に信頼されていれば。
逃げの判断を遅らせていれば。
クシャナとの和解を考え耳を傾けていれば。
全ては『もしも』の話だ。だがそのどれも選ばなかった兄皇子の死は自業自得以外の何物でもない。
あれは、『救いようのない人でなし』だ。
『あの豚は煮ても焼いても食えぬようじゃ。
となれば、餌にでもするしかなかろうよ』
ほんの百メルテほど先の地面に、起き上がれぬままこちらに手を伸ばす兄の姿があった。
だがその手を掴む者は傍にいない。全員領域の内側だ。
彼の表情は恐怖に彩られ、目が合ったクシャナを縋るように見つめている。
(ーーーーーー!!!!)
口を開いていた。何かを叫んでいた。
そして真上から降りて来た巨大なウシアブに踏みつぶされた。
「ぁ…………」
地面に赤い血だまりを作った蟲は牙をむいて真っすぐクシャナへと飛翔してきたが、その前にある半透明の壁に弾かれ進むことができなかった。
後続の蟲も次々と領域に群がり攻撃するが僅かにも揺るがず、音も全て遮断されているため奇声も届かない。
状況を理解した避難兵たちはわずかに安堵しながらも怯えを隠せず、このまま事態が過ぎていくことを祈り続けている。
クシャナはただ一人、仇を奪った蟲を前にして手にした剣を落とし呆然と立ち尽くしていた。