蟲たちが領域を破壊することを諦め、まとめて飛び去ってから数時間。
領域の内側に逃げ込み生き延びたトルメキア兵たちは、クロトワの号令の下で行動を開始した。
「見た目ほどひどい状態じゃありません。
コルベットの残骸を流用すれば数時間で応急処置ができそうです。
またすぐに飛べるようになります」
「よし、最優先かつ全力で取りかかれ。
……狙ってやったんですかい?」
『あぁ。あの状況で確保できそうな船はこれしかなかったのでな』
重コルベットを見上げていたクロトワは、掌を組んだまま石の上に腰掛けているヒノカミへと声をかける。
先ほどまで兄皇子たちと相対していた彼女は激昂している振りをして……いや実際に怒ってはいたのだろうが、同時に冷静に考えを巡らせていた。
クシャナのコルベットは破壊され二番艦も完全に故障していたので、兄皇子が乗っていた重コルベットを強奪するしかないと判断し意図的に破壊を抑えていたのだ。
領域は未だに維持しているが、設定は出入り自由に変更した。
その外側は蟲の死骸と蟲がまき散らした胞子ばかりなので、兵士たちはマスクをつけて外に出ている。
彼等には生存者の捜索とまだ使えそうな物資をかき集めるよう命じた。
だがどうやら前者は期待できそうもない。地下壕に逃げ込んだ者たちですら全滅しているほどなので。
また、動いているのはクシャナと共にやってきた第三軍の兵士たちだけではない。
基地にいた第二軍の兵士やその従者、本隊と共に脱出するつもりで集まっていたトルメキア一般市民も命令に従いせっせと働いている。
下級兵士や市民は元よりクシャナへ強い敵意を抱いているわけではなくむしろ好意的な者が多い。
少なくとも自分たちを見捨てて逃げようとした身も心も醜い兄皇子よりは遥かにマシだ。
そうではない士官も、我が身可愛さに兄皇子を見捨ててしまったのだ。
ここで素直に本国に戻ったところで処刑されるか激戦区に送られ使い潰されるか。
となれば勝ち馬に乗るしかない。彼らはまたも我が身可愛さに主君を見捨ててクシャナへと鞍替えした。
「こんな状況でなけりゃあ、戦力が増えたことを喜べるんですがねぇ……」
重コルベットの積載量はコルベットよりもはるかに上だ。クシャナ旗艦と二番艦の乗員全員を詰め込んでもまだ余裕がある。
だがここで拾い上げた連中全員を詰め込めるほどの余裕はない。
それにサパタの拠点にはまだ二千人近い兵が、クシャナが船を手に入れて戻るのを待っているのだ。
しかしこの重コルベット以外の船は全て蟲により破壊されてしまった。
死骸の底に沈んだ船はどれも大破しており、かろうじて使い回せそうな部品がいくつか見つかったくらい。
どうやってもこの場で船の再建は不可能だ。
「とにかく、修理が済み次第サパタと往復させるしかないですかね」
『じゃが全員の輸送が済むまで儂はここを動けぬぞ。
マスクの数すら足りぬ今、領域を解除するわけにもいかぬ。
しかし先ほどのように蟲の大群と遭遇する可能性を思えばお主らだけを行かせるのも不安が残る』
「つったってここでボーっとしてるわけにもいかねぇでしょう。
それにサパタの方も蟲に襲われるかもしれねぇ。
いや、もうやられてる可能性すらある」
『そうじゃな……他に妙案はない、か』
人数がこれほど多くなければ、公にできなかった奥の手を使う選択肢もあったのだが。
今使っている領域『刻思夢想』には物質具現化能力がある。ヒノカミが船を具現化してしまえばいい。
だが彼女の今の力では船の完全実体化までは不可能。
ヒノカミが力を送り続けなければ維持できず、よって一隻しか用意できない。
そして最大の積載量を誇るバカガラスを作り出してもここにいる全員は無理だ。
そもそも数千人を乗せて飛べるような船を用意できるなら、ここカボの基地を強襲する必要すらなかった。
「まぁ、どちらにしろこの船が直らにゃ何もできません。
それまでこっちでも色々考えてみますんで」
『頼む。儂は……あ奴を何とかしてみよう』
「……頼んます」
クロトワに背を向けたヒノカミは掌を組んだまま歩き出す。
そもそもなぜ、参謀に過ぎない彼が思考を巡らせ全軍の指揮を取っているのかと言えば。
「…………」
『まだ、そうしているのか』
軍団長であるクシャナが、蟲がいなくなってからもずっと領域の縁でぼんやりと佇んだままだからだ。
兄皇子だった血だまりは既に蟲の死骸と胞子に覆われて見えなくなっているが、彼女の視線はずっとその場に留められている。
「……母の心を奪った仇の一人だったのだ。
醜く生き汚く、何をしても死なぬような奴だと思っていた。
だから何としても、この手で八つ裂きにしてやると……」
『そうか。……悔しいか?』
「……いや、この感情は……そう、『空虚』だな。
私が命を賭けて、多くの部下の犠牲を出してまで成し遂げようとして復讐が、こんなにあっけなく。
くくく……『復讐など虚しいだけだ』とほざく連中は何も知らぬ愚か者だと思っていたが、もしかすると経験者の金言だったのかもしれんな」
『ふむ……では、儂の金言も聞いてみるか?』
「……其方の?」
『『虚しい』と感じるのは当たり前じゃよ。
ずっと己の胸の内を占めていた物が突然すっぽりと抜け落ちたんじゃから。
『復讐が虚しい』のではない。『虚しくなる』ところまで含めて『復讐』なのよ』
「復讐は、虚しくなるのが、当たり前……?」
『うむ。故に『悔しい』と感じていたら失敗じゃ。
恨みを晴らす機会を永遠に失ったことになるからの。
よくやった。お主は見事、復讐を成し遂げたんじゃ』
「こんなものが……こんなものが復讐なのか?
まだ仇は残っているというのに、その連中への怒りすら薄れてしまうようなものが?」
『復讐とは旅の終着点ではない。次の旅を始めるための出発点よ。
怒りや憎しみという余計な積み荷を降ろし、心に空いた隙間に載せる新しい荷を探しに行くんじゃ。
なんで、荷を全て降ろしきるまで次に進めぬというわけでもない。
重さで押しつぶされぬ程度に荷が減れば十分とも言えよう。
……お主が望むならば足を止めてもよいぞ?儂との契約も切ってよい』
「……駄目だ。私はまだ止まれぬ。
ヴ王が生きている限り、私の平穏は訪れない。
ここまでついてきてくれた部下たちにも、報いねばならぬ」
『そうか。ではお主がもう一度歩き出すために、早速その胸の内に新たな荷を載せてやるとしよう。
……確証はないので口にしたくはなかったんじゃがなぁ』
「……なんだ?」
『母君の心の病は心因性ではなく毒物によるものなんじゃろ?
ならば儂の癒しの炎で幾分は改善するやもしれぬ』
「!?」
『じゃが今は試すわけにはいかぬ。
もし成功してお主の母が正気を取り戻したとなれば、ヴ王と皇子共は再び排除しようとするじゃろうからな。
今度は母君の命そのものを奪いに来る可能性が高かろう』
「…………く、クククク……!
やってくれたな……あれだけあった胸の穴が、一瞬で埋めつくされてしまったようだ」
『げらげらげら。何せ儂は『火の神』、火付けは得意中の得意でな』
「……クロトワ!進捗はどうか!?」
「殿下っ!?あ、はい、船の方はあと2時間もあれば!
人員と物資はこちらにまとめております」
「見せろ。……財宝など重いだけだ、置いていけ。
人員と食料を増やし……いや、船のエンジンがあるならそれが最優先だ。
ガワだけが無事な船ならばどこぞで見つかるやもしれぬ」
「コルベットの船体はコイツに壊されちまいましたが、エンジンは生きてます。
他のは軒並み故障してますが、直る可能性があるものがいくつか」
「よし、それら全てと工兵を優先して人員を選抜せよ。
重コルベットの修理が完了次第、近隣の駐屯地跡を巡り使えそうな船を探す。
第二軍の連中から情報を集め候補を絞れ。
……おっとそうだ。重コルベットからはあの悪趣味な紋章を削るように命じておけ」
「ハッ!クシャナ殿下の紋章へと置き換えさせています!」
「よろしい」
クシャナは瞳に再び力強い光を宿して戻ってきた。
クロトワは急な変貌に圧倒されながらも不敵に笑い、部下たちの表情も引き締まっていく。
まだ生きている。まだ希望はある。
人間たちが決意を新たにして、顔を上げる。
「……なんだ、アレは?」
そして誰かが、何かに気付いた。
深い瘴気に覆われて霞んだ空の向こうに、何かが浮かんでいる。
「まさか、皇子の捜索に来た船か?いくらなんでも早すぎるぞ!?」
「いや待て、影の形がおかしくないか!?」
「人間……っ!?デカイぞ!!」
その何かの影が少しずつ大きくなっていく。ゆっくりと降下してくる。
良く見れば付近には小さな影があり、エンジン音から小型の飛行機らしい。
だとすればそれに並ぶ人影はとんでもない大きさだ。
「……あれは」
「まさかっ!?」
「伝承の……!」
『来たか……』
クシャナと対話するために領域の縁に来ていたヒノカミは、領域の外側に視線を向ける。
そして彼女の正面に、その巨大な何かが着地する。
『……おはよう。我が子よ』
『会いたかったよ、母さん』
二隻のガンシップを伴い、背中に光輪を背負った巨神兵が、ついにここ土鬼の地に辿り着いた。