「……推測ならまだいくらでもあるが、今の儂が確証を持って語れる歴史はこれくらいじゃ。
儂らの素性についてと、儂らのこれからについても同様。
さてユパ殿。知りたいことは知れたかな?」
「…………」
ユパのみならずその場の誰もが沈黙している。
抱えている感情は驚愕か恐怖か憤りか。
目の前の鬼仮面の女は今の混迷とした世界を作り上げた元凶であり、破壊の火を呼び戻し再び世を滅ぼさんとする悪鬼なのだ。
「儂が憎いか?ならば存分にぶつけてくるがいい。
儂は一切抵抗せぬ。全て受け止めてやろう」
『母さん』
「案ずるな。今の儂なら人間相手では斬られようが撃たれようが傷一つつかぬよ。
おまけに儂もまた、『煮ても焼いても食えない奴』と評判じゃからな」
ヒノカミは嫌味ったらしい声で挑発するが、乗ってくる者はいなかった。
……やはり無理があったかと顔を沈ませる。何しろ当人もうまく笑えている自信がなかったから。
誰も動かず、ここまで散々語ってきた彼女も続ける言葉を失ってしまい、沈黙だけが残る。
「……ククク……ハハハハハ!アハハハハハハ!!」
だがクシャナの高笑いが場を支配していた重い空気を吹き飛ばした。
「で、殿下?一体どうなさったんで……?」
「ッフフ、クロトワ、これが笑わずにいられるか?
『火の七日間』を成し遂げた巨神兵とその母……それが『同志』となれば頼もしいことこの上あるまい」
「はっ?えっ?」
『同志……?』
「そうだ、戦士オーマよ。私は其方の母と契約を交わした。
其方の母の力を借り受ける代わりに、『トルメキアのヴ王を討ち、この戦争を止め土鬼と和平を結ぶ』と。
私は今に至るまでその契りに背いたことは一度たりとてない。そしてこれからもだ」
『そうなの?』
「ん、まぁ、な」
「クシャナ姫様。姫様は何とも思わんのですか?
この方の言うことが全て真実であるならば……!」
「旧世界を滅ぼしたことか?感謝しかないな」
「「「なっ!?」」」
「世界中に毒を撒き散らし、その責から目を背け逃げ出そうとした連中なのだろう?
今の世に負債を押し付けたのも奴らではないか。
放っておいても滅んでいただろうが、友が手を下していなければ溜飲を下げることもできずにいたやもな」
旧文明の連中は欲望のままに振舞い世界中を汚染した。だが奴らが残した技術は今も世界を支えている。
研究者の連中が生み出した腐海と蟲は人類を苦しめ続けている。だが腐海がなければ世界にはそれ以上の毒が蔓延していた。
ヒノカミは巨神兵を率いて世界を焼き尽くした。だが彼女が動かなければ旧人類の横暴と破壊は更に悪化していた。
善悪の話ではない。今の時代の人々が善か悪かを決めつけること自体が傲慢だ。
だからクシャナは責めるでも称賛するでもなく、ただヒノカミに共感し彼女の決定に同調した。
「……クシャナ、本当に理解しておるのか?
儂はかつて数百億の人間を焼き、今再びその炎を持ち出した大悪党じゃぞ?」
「そちらこそ偽悪的な振る舞いを止めることだ。其方ほど人命を尊ぶ者を私は知らぬ。
ここに至るまで幾度もの戦場を越えておきながら、先程の兄の私兵を除けば其方が奪った命は私が知る限り一人だけ。
対して其方が救った命はいくつあった?まさか忘れたとは言うまいな?」
「あ…………」
クシャナが言及したことでクロトワも思い出す。
千年前の話が鮮烈過ぎて忘れてしまっていたが、鎧姿で従軍していたこの女はひたすらに死者を減らそうとしていたではないか。
兄皇子の命令でヒノカミを殺そうしてきた兵士たちは返り討ちにあって当然。
クシャナが挙げた一人は『土鬼の捕虜やトルメキアの兵たちが飢えるほど追いつめられた状況で貴重な食料を貪りブクブクと肥え太って、勇敢な兵に無意味で無価値な特攻を命じ、奪い取った財宝を全て詰め込んで自分だけ逃げ出そうとしていた将軍』というどうしようもないクズだった。しかもどうやらヒノカミが直接手を下したわけでもない。
対してヒノカミに救われた者を挙げるならば、まずは酸の湖で王蟲から守り抜いた兵士たち。
サパタで治療された重傷者と、解放させた土鬼の捕虜。
そしてここカボの基地での蟲の大群からの防衛。クロトワ自身も含めると……。
「……殺したのは57人。救ったのは4989人じゃ。
お主の部下たちは、複数回でも一人と数えている」
「…………はぁ!?」
「ハハハハハ!其方にとっては数千すらも『数えるほど』か!
聞いたかお前たち。我が友以上に真摯に命と向き合う者が他にいるか?
その友に虐殺を選ばせるほどに旧世界の人類とやらが腐っていたというだけの話であろうよ」
自己弁護するわけではないが、ヒノカミもそこは否定できなかった。
どいつもこいつも腐海以上の瘴気を漂わせていたのは間違いない。
何せ瘴気の元となった毒を作り出し振りまいていた連中だ。
「色眼鏡をはずして良く見てみろ、この母子を。怯える必要がどこにある。
命を尊び、対話に応じ、理性と節度を兼ね備えている。
どこまでも傲慢で強欲なヴ王や、民草を犠牲にする土鬼皇帝ミラルパの方がよほど人類の脅威ではないか」
「「「…………」」」
クシャナに正論を並べられて辺境からの来訪者たちは揃って口を噤む。
ペジテでも、巨神兵は侵略者を殺さず争いを止めようとしていた。
アスベルたちはこの場で初めて聞いた形になるが、ヒノカミが従軍していたのはトルメキアと土鬼の戦争を止めるためだった。
持っている力はとんでもなく巨大で、動き出せば誰も止めることはできまい。
だが彼女たちは力を使うことは躊躇わずとも、力の使い方を間違えぬよう常に自制し続けている。
少なくとも話の通じぬ化け物では、決してない。
「其方の子と辺境の民の前で、改めて宣言しよう。
私はこの争いを止める。全身全霊をもって。
契約に従い、其方にも力を尽くしてもらいたい」
「……停戦への希望が残っている内は、今まで通り手を貸そう」
「それでは足りぬな」
「まさか『オーマの力まで寄越せ』と言うつもりではあるまいな?
契約したのは儂個人じゃ。この子は儂の所有物ではない」
『僕は僕の意志にのみ従う。たとえ母さんが協力しているからと言って、無条件に従うつもりはない』
「違うさ。私は『其方も全力を尽くせ』と言っているのだ」
人間たちはクシャナの言葉の意味が分からず首を傾げているが、ヒノカミの視線は鋭くなった。
先ほど彼女が話していたではないか。『かつての己は弱かった』と。
しかし今の彼女は蟲の大軍勢とすら渡り合う力を持っている。そしてただの暴力だけではなく数々の奇跡を引き起こすことができる。
クシャナは敢えて見逃したが、サパタにて解放した捕虜たちに持たせた食料。あれもおそらく奇跡の力の一つだ。それにあらゆる傷と病を癒す白い炎。
おそらくヒノカミにはまだまだ引き出しがある。
その力を十全に振るえばもっともっと多くの命を簡単に救うことができるはずなのだ。
ではなぜヒノカミはそうしないのか。
彼女は手間や労苦を惜しむ性格ではない。働きに見合う報酬を求めているわけでもない。
と言うことは何らかの『できない理由』があるはずなのだ。
だが飢えも老いもないという彼女に物理的な制約はおそらくなく、であれば精神的な何かが。
そしてクシャナは答えに辿り着いた。
「私はヴ王を討つ。土鬼との戦は必ず止める。
しかし国土と民の多くを失った土鬼は相当に荒れるだろう。
決定を下した皇帝ミラルパの威光も大きく陰ることになる。
よってこの世界の頂点に最も近い位置に座ることになるのは私だ。
其方が傍にあり私に力を貸す間は、な」
そう、傍にいる『間』は。
ヒノカミは永遠にこの世界の人類と社会を支えるつもりはない、あるいはできないのだろう。
よってあまりに力をひけらかし人民が彼女の恩恵という甘い毒を知ってしまえば、彼女が立ち去った後の反動が施政者に……クシャナにのしかかる。
僅かな失政で民の不安と不満が容易く暴発し、矛先は物理的にも王へと向けられるだろう。
あらゆる病を癒す力も、どこからか食料を作り出す力も、ヒノカミしか持っていないのだから。
「その私が言うのだ。存分に暴れろ、ヒノカミ」
「………………げげげ」
俯いていたヒノカミが両手を離した。
間もなく領域が解除され、清浄な空間は瘴気により汚染される。
「げげげげげげげげげげげげげ!」
だがその前に白と赤の炎が領域の内側を飲み込み、壁が消えると更に外側へと燃え広がる。
白い癒しの炎で人々を包み込んで補強しながら、赤い灼熱の炎で蟲の死骸と人の遺体と胞子を焼き尽くしているのだ。
そして薪を取り込み大きく燃え盛った赤い炎は、ヒノカミが顔に重ねた鬼の仮面の口へと吸い込まれていく。
「新しい……新しいぞクシャナ。
まさかこの儂に『暴れろ』などと宣うとはなぁ……!」
「フン、王に二言はない。心のままに振舞うがいい」
「言質は取ったぞ……後悔するなよぉ!?」
巨神兵を背後に従えた女は大きく両手を広げ。
パァン!
その力の限りを込めて、掌を目の前で叩きつけた。