腐海から土鬼領土への蟲の大移動の影響は、大勢のトルメキア兵が待機するサパタにも色濃く表れていた。
連中は周囲一帯に胞子をまき散らしていき、すぐにマスクがなければ息ができないほどに瘴気が濃くなってしまった。
重マスクはあるが数に限りがある。通常のマスクでは水すら飲めない。
城の奥に避難させた食料もいずれ腐敗が進行していく。これでは遠からず全滅してしまうだろう。
だがそれでも第三軍の兵士たちは逃げ出すことなく待ち続ける。
敬愛するクシャナ殿下が、必ずこの地に帰ってくると信じて。
そして彼らの祈りは届く。
瘴気のモヤで掠れた空の向こうに船の影が現れた。
大きなものが二つ。真っすぐにここサパタの都城へと向かって来ている。
「あれは……重コルベット?」
「第二軍のものか!?」
「いやまて、あの軍旗は!!」
城の上空を通り抜け、旋回を始める船が掲げている旗は彼らが待ち望んだクシャナのものだった。兵士たちは喝采を挙げる。
だがそのまま降りずに一度上空を旋回したのは何故か。まるで自身の存在を強調するかのよう。
それに一緒にやってきたはずのもう一隻の船の影は何故未だにぼやけた輪郭のままなのか。
やがて彼らも気づく。重コルベットと変わらぬ大きさだと思っていた船の影が、どんどん大きくなっていく。
距離が違い過ぎたせいで船体の大きさを誤認していたのだと理解するが、だとしても大きすぎる。
バカガラスですら比ではない。本国の超大型貨物船ですらまだ足りない。
トルメキアにも土鬼にもこの世界のどこにも、あんな巨大な船は存在しないはずだ。
そして彼らが見上げるほどの距離に近づいた時には。
セラミック装甲で覆われたサパタの都城に迫る巨体の船が彼等に影を落としていた。
「で、でかい……!」
「……おい、見ろ!上の方!」
「なんだ……光の輪……!?」
「いや違う、人影だ!」
「馬鹿な!?あんな巨大な人間がいるわけ……まさか!」
かつて土鬼が軍勢を展開していた平原に巨大な船がゆっくりと着陸……いや、降ろされる。
そして船の上を掴んで運んでいた光輪を背負う巨人……巨神兵が船体から手を離した。
伝承にある世界を滅ぼした化け物を前に兵士たちが恐慌状態に陥る前に、ほぼ同時に城の傍に着陸していた重コルベットのタラップから身を乗り出したクシャナが叫ぶ。
「諸君!約束通り、船を調達してきた!
直ちに物資の搬入を開始せよ!」
「殿下!?こ、これは一体……!?」
「説明は船内で行う。急げ!これ以上瘴気が濃くなれば其方らの命も危険に晒す!」
「は、はっ!!」
クシャナの命令という絶対の指標を示され、兵士たちは全ての疑問と恐怖を棚上げにして動き出す。
カボの基地から連れ帰った新たな同僚たちも船を降り、城からの荷運びを手伝い始めた。
「殿下から連絡だ。積み込みは2時間で済ませると」
「そう、か」
「確認なんだけど、本当に全部載せてもいいのかい?
広さが十分あるのは見ればわかるけど、その分重くなって師匠の負担になるんじゃ……」
「この船、は、反重力、装置で……わかり、にくいか。
重さを、消し、て、浮く。問題、ない。
それに……荷を、置き去、りにし、ても腐海に、呑ま、れ、無駄に……」
「……わかった、もういい。
大丈夫だと言われても……聞いていて心苦しくなる」
「……くけ、け……」
ヒノカミは巨大船の艦橋にある艦長席に全身を預けている。
仮面の奥から聞こえてくる声は小さく、紡がれる言葉はあまりに弱々しい。
無理もない。彼女は己の機能のほぼ全てを削ぎ落すことでようやくこの船……『旧人類が地球を脱出するために作り出した宇宙船の一つ』の具現化を維持しているのだ。
辺境の工房都市セムのセラミック鉱山とよく似た姿。その大きさはまさに都市一つ分。
既に風の谷とペジテのガンシップを格納しているが、そこに加えて重コルベットを載せることもできる。それほどにスペースに余裕があった。
辺境生まれのユパやミトは、セムという都市の鉱山の正体をはっきりと示され一時愕然としていたほどだ。
そして反重力装置を起動させればさらに力を割くため消耗するため、ヒノカミは己の意識すら表に出せなくなる。
船を浮遊させるには彼女が休眠しなければならないのだ。
そこから推進機構を動かす余力はなく、仮にできたとしても操縦できる人員がいない。
それではプカプカ浮かぶだけ。この巨体では重コルベットでも牽引して飛ぶのは難しい。
だが今は巨神兵オーマがいる。
この宇宙船には及ばぬがバカガラスすら超える巨体と圧倒的な推進力を持つ彼ならば、浮遊した状態であれば運搬が可能となる。
「……クロトワさんから連絡が来た。急がせたので予定より早く終わるそうだ。
オーマ、準備してくれるかい?」
『わかった』
無線機を通じた連絡にアスベルが応え、頭上に向けて声を上げるとオーマが念話で応える。
当初の予定では、クシャナたち第三軍は移動手段を手に入れ次第トルメキア本国へと戻り、ヴ王を討つはずだった。
辺境からやってきた風の谷のガンシップはナウシカの捜索に当たるつもりだった。
だが、カボの基地で味方に引き入れた第二軍からの情報で予定を変更するしかなくなった。
トルメキア全軍の撤退は間違いないが、どうやら彼らが占拠していた土鬼各地の都市にはまだ大勢のトルメキアの民が取り残されているらしい。
彼らの大半は土鬼の地を植民地化するために連れ込まれた、軍人でない一般市民たち。
だが兄皇子たちは王族として守るべき彼等を見捨てて、我先にと逃げ出そうとしていたわけだ。
第三皇子は逃げ遅れ散ったが、第一・第二皇子はとっくに本国だ。これにはクシャナもクロトワもあきれ果て言葉を失ってしまう。
この世界で伝承されている『腐海文書』には、300年のエフタル王国滅亡に関してこう記されている。
『寸土を争って大海嘯そのものよりも多くの命が失われた』と。
クシャナの目的は勝利ではなく和睦だ。
土鬼の領地に大勢のトルメキアの民を置き去りにしては、必ず後に禍根を残す。
奴隷商もいるだろう。彼らに捕えられている土鬼の民も解放してやらねばならない。
となれば無理やりにでも全員連れ帰るしかなく、クシャナは本国への帰還を先延ばしにして巨大船と共に土鬼各地を巡り自国民を回収することにした。
これを聞いたミトたちはしばらくクシャナに同行し、協力することにした。
人命を大切にするナウシカならばきっとクシャナの行いに手を貸しただろう。
行く当てもなくナウシカを探して広大な土鬼の地を彷徨うくらいならば、ナウシカの思想に寄り添うべきと考えた。
クシャナとしても各地の土鬼の地を巡るのだから土鬼側の情報を持っている者は必要だ。
風の谷のガンシップと共にここまで来たマニ族のケチャの協力は是非とも欲しいが彼女はトルメキアを信用しておらず、双方の間に立てるユパやアスベルたちの存在は非常にありがたい。
ケチャ自身は納得しきれていないが、クシャナに手を貸すことは多くの同胞を救うことに繋がると理解はしている。
ヒノカミに尽力を促し、その献身に応えるためにクシャナは宣誓した。
『偉大な王になる』と。
神と巨神兵の前で掲げた誓いを裏切ることもないだろう。
個人的な感傷に振り回されて多くの同胞の命を見捨てることはできないと、ケチャは復讐を留保すると宣言しクシャナはそれを受け入れた。
「全員搭乗完了したそうだ。出航してくれ」
「りょう、かい、じゃ。ではまた、眠る……」
『後はまかせて、母さん』
椅子に座ったヒノカミが意識を手放し、巨大な船がゆっくりと浮遊する。
巨神兵はもう一度その頂点を掴み、先導する重コルベットを追いかけ飛翔を開始した。