ナウシカが目覚めたのは、彼女がこの船に運び込まれてからおよそ半日後。
深く傷ついていた彼女の心は、しかしセルムの導きと彼女を慕うチククやミトたちの呼びかけによってもう一度立ち上がることを選んだ。
「だがしばらくは時間をくれとさ。互いに話すことがいくらでもあるでしょう。
ナウシカは、故郷にいた親父さんも亡くしちまったらしいんで」
「そう、か」
クロトワを通じての連絡を受け、ヒノカミはしばらく対話を待つことを了承した。
同席を望んでいるクシャナとチヤルカにも同じように伝える。
彼らはそれぞれトルメキア、土鬼の避難民たちへの声かけに当たっている。
チヤルカの方はナムリスのクーデターに関する情報も集めようとしていた。
ナウシカを追って高台の上に置き去りにしてきた船と避難民たちも気にかかるが、今下手に動けば争いに巻き込まれると慎重になっている。
「それから……外の連中はどうすんです?」
「蟲、使い、か……」
詳しくは知らないが、どうやら蟲使いたちはナウシカを神聖視するようになったらしい。
それぞれの部族が選りすぐった優秀な戦士たちが十数人、己の脚でナウシカを追いかけこの山の上にまでやってきていた。
その忠誠心もかなりのものらしく、オーマが睨みを利かせても尻込みするが逃げ出しはしない。
飛び去った飛行機を追って、何の手がかりもないというのにここまでたどり着く超感覚もまた侮りがたい。
「……入れて、やれ」
「はぁ?」
「争いが、目当てで、ないなら、よかろう。
ナウシカの、味方は、多い、方が、よい……」
「……へいへい。空いてる区画一つもらいますよ。アイツラといたら鼻が曲がっちまう。
他の連中と一緒にしてその不満で爆発なんぞされたらたまんねぇですからな」
「く、け、け。あまりに、ひどい、なら、消毒、液、ぶっかけ、て、やれ」
「んな勿体ねぇ真似できませんよ」
「腐る、ほど、作って、やった、じゃろ?」
「消毒液なら腐んねぇでしょうが。
アンタがまた動けるのがいつになるかわかんねぇんだし、大事に使いましょうや」
ピクリとも動かず声を出すのも辛そうな今のヒノカミは、以前までの鬼鎧の姿との落差もあり痛ましさばかりが際立つ。
だから積極的に会話を試みる者はいないのだが、クロトワだけは例外だった。
どこか同類の臭いをかぎ取っているのかもしれない。
ヒノカミは斜に構えた皮肉屋でもあり、こういうくだらない会話こそをむしろ好むのだと察していた。
気遣って距離を取る方が彼女にとっては退屈でストレスに繋がるだろう。
とはいえ、長い会話をするにはやはり今の状態は不便であるので。
『すまんな、チクク』
「大丈夫」
強力な念の使い手である少年チククが、この場に集まった皆にヒノカミの言葉を念話で伝える中継役をかって出た。
そちらに専念している間は会話には参加できないが、話を聞くだけなら問題ないそうだ。
他に艦橋に集まったのは、ヒノカミからより詳しい話を聞きたいと望むナウシカとセルム。
土鬼の僧として、世界の秘密とやらを知らねばならぬとチヤルカも同席している。
既に一通り話を聞いているが、ヒノカミに呼ばれてユパ、ミト、クシャナ、クロトワ、アスベル、ケチャも並んで座っている。
『まずはナウシカたちに、クシャナたちにも伝えたことを語っておくか』
「お願いします」
ヒノカミの正体と、旧文明の人類の愚行。
巨神兵が生まれた理由と火の七日間の背景。
腐海と蟲が作り出されたものであるという推測とその根拠。
ナウシカとセルムは静かに聞いていた。
土鬼の高僧であり聖都シュワで暮らしていたチヤルカもまた、皇帝の傍で仕え続けた三でありながら知らなかったことばかりで言葉を失っている。
「……貴女の考察は我々一族の考えを根底から覆します。
森と蟲は一つの神聖なる生命体だと、私たちは信じていました」
『その考えは否定せぬよ。儂が幼い頃に過ごしていた地では、ありとあらゆるものに神が宿るとされていた』
「えぇ。どのように生み出されたかなど関係ないのです。
全ての命は等しく命である。どんなに小さなものでも、王蟲やオーマのように大きなものでも」
『さて、ここまでがクシャナたちも知っていることじゃ。
今日はさらに踏み込んだ話をする……セルムよ』
「なんでしょう?」
『お主ら森の人は、『既に浄化が終わった地』を見つけているのではないか?』
「っ!」
「「「「「!?!?!?」」」」」
『腐海の進行速度と浄化の速度から計算した。
既に相応の面積が広がっているはず。
森の深部にて生きる其方らならば辿り着いてもおかしくない……違うか?』
「…………」
沈黙は肯定だった。
ナウシカも意識を失っている時に、精神世界でセルムに案内されて浄化の終わった地を目の当たりにしている。
「本当、なのですか?」
「もう存在しているのか!浄化が終わった、清浄な大地が!?」
「どこにあるんだ!?どんな場所なんだ!?」
「……聖地に関して口外することは、一族の掟で固く禁じられております」
『どこにあるかは言わずとも良い。ただいくつか教えてほしい。
その答え次第で、儂の推測に確証を持つことができる』
「……お答えできるか、保証しかねますが」
『それでもいい……残酷なことを聞くぞ』
一呼吸を置いて、周囲が静まったところでヒノカミがセルムに尋ねる。
『聖地に行った人間はどうなった?』
「っ…………」
『……口にせずとも良い。その反応で十分じゃ』
「……え?どういうことだい、師匠?」
「瘴気のない世界なのでしょう?『どうなる』、とは……?」
『全員死んだんじゃよ。呼吸した瞬間に。
猛毒の瘴気を吸い込んだ時と同じくらい盛大に血を吐いてな』
「「「「「なっ……!?」」」」」
「……本当に何もかもご存知なのですね……」
『お主らはまだ腐海に侵されていない場所を『清浄な地』と呼んでいるがそれは違う。
旧文明以前にそう呼ばれていた空間と比べると、とんでもなく毒性の強い大地なんじゃよ。
それこそ旧人類ならばマスクを着けていたとしても耐え切れぬほどにな』
ヒノカミは今の時代の人間を長く観察し、何度も治療している。
だから彼らの肉体構造が、旧文明時代の人類と著しく異なっていることに気付いていた。
瘴気への耐性が、とんでもなく高いのだ。
むしろだからこそ今の大気中の毒性が高い世界でも生きていけるのだろうが、同時に欠陥も存在していた。
今の人類は、毒に対して『依存性』を持っている。
完全に毒がない世界には適応できないのだ。
『人間だけではない。おそらく草も、蟲も、他の動物も同様じゃ。
聖地とやらに広がっているのは今の世界とは似て非なる生態系であるはず。
それを調べることもできておらんじゃろうがの』
「……はい。たどり着けるのは心のみ。
生身で向かった同胞は、誰一人帰ってきませんでした」
「おい待てよ……じゃあオレたち人間は、いつか腐海が滅びる時が来たら一緒に滅びちまうってのか!?」
『そうとも言えるし、そうでないとも言える。
これを確かめるためにも、もう一つだけ質問したい』
「なんでしょうか……?」
『浄化された地に人間はいたか?』
「「「「「…………は?」」」」」
「いえ、いませんでしたが……いるはずがないでしょう?」
「其方がたった今、人間が生きていけぬ地だと語ったばかりではないか」
『その様子では痕跡も無しか……全てわかった。感謝する』
「おいおい、一人で納得されても困るぜ!」
『わかっておる。今更隠し事はなしじゃ。全て語ってやる。心して聞け。
旧人類……シュワの研究者たちが描いた、恐ろしい計画の全容をな』