真珠という男
時刻は逢魔が時
湾岸近くにある倉庫内に多く人が集まっていた。
身なりからサラリーマンなどではないことがわかる。時計、カバン、靴、スーツに至るまで上等なものをまとっている。
そんな上流階級の人間たちが一箇所を除いて円形になるように集まり談笑している。それはまるでリングのように中心に視線を集めている。
男性の声が会場に響く。
そのリングの中心に、まだ中学生くらいの少年が立っている。彼の体は小柄で、リングの大きさや観客の視線が圧倒的に映える。しかし、彼のまるで真珠のような瞳は、一切の揺るぎがない。
対する相手は、身の丈2メートルを超える巨漢、背中には龍のタトゥーが刻まれている。その男の体は少年と違い無数の傷が刻まれており、強者ということが一目でわかってしまう。
観客たちも息を呑んで少年と巨漢の対峙を見守る。
巨漢は嗤うように少年を見下ろし、
「小僧、死なないように軽くやってやるよ」と豪快に笑った。
真珠は微動だにせず、その真珠のような瞳で巨漢の動きをじっと見つめている。そしてその小さな口が開く。
「初試合なんでお手柔らかに」
と微笑んだ。
レフェリーから開始の声が上がる。
巨漢が放つパンチは、普通の人間ならば避けることさえ困難なほどの速度であった。しかし、真珠はそれを見越して、僅かな動きで躱す。
真珠の動きは、風のように軽やか。巨漢の大きな体はその度に空振りを繰り返す。そして、真珠は巨漢の無防備な部分を狙って、繰り出される一撃一撃が正確無比に命中する。
しかし、体格差のためか巨漢には全く効いている様子はない。
「なぁ、もうやめにしないか?」
巨漢は何気ないように言葉を続ける。
「お前は確かに強い。だがまだ筋肉も体重もついてないその程度の拳じゃあいくらやられても効かないんだよ」
まるで子供に言い聞かせるように男が語り掛ける。
その言葉の声音から男が優しい人物であることがわかる。観客も今の一連の流れを見て同じ感想を抱いていた。
「だからな「なるほど」なに?」
「いや、実力わかっていただくために
「あ?」
「しょうがないですね」
少年が脱力したように構える。「ケガしても知らねぇぞ」巨漢は諦めたように近づいて手を伸ばす。次の瞬間激痛が走り、膝をついた。
「グ、な、なにが」
「経穴をついただけですよ」
少年は何でもないように巨漢に語り掛ける。
「体格とか体重とかって僕には関係ないんですよね。おじさんは強いと思いますけど、少しお酒を飲みすぎですね。肝臓とか悪くなっていますよ」
巨漢はその時、初めて目の前の少年を保護対象から敵と認識する。そして気が付いた。少年の風貌は声音同様優しそうであるが、怪しく光る瞳は双眸ではなく、隻眼。残ったその片目から発する純白にも似た瞳はまるでこの世のすべてを見透かすかのように男を見据える。
「小僧。怪我しても泣くんじゃねぇぞ」
「あれ?すごいな。まさかもろに食らって立たれるなんて」
「これでも小僧より長く生きてるからな。ワンパンで終わるなんて無様は晒せねぇんだ」
巨漢が初めて構える。お話は終わりだとその表情が物語る。
暗い会場の中、一筋のスポットライトがリング上に集中し、観客の息遣いすらも聞こえてこない静寂と化す。
巨漢が動く。その目は血走り、彼の巨体から熱を帯びた風がリング上に吹き荒れる。その手からは、まるで戦車の砲弾のような一撃が放たれることを予感させる。
対する少年は小柄ながら、その存在感は圧倒的だった。たった一撃で巨漢を倒す未知数な少年をこの場にいる誰もが強者であると認めただろう。
避ける 避ける 避ける
巨漢が放つ猛烈なパンチの軌道、筋肉が収縮する音、皮膚が伸びる瞬間。はそれら全てを読み取るかのように少年は紙一重で砲弾のような拳を交わし続ける。
少年の避ける動きは、まるで水面に滑るような滑らかさを持っていた。彼は巨漢の猛攻を繊細にかわし続け、その隙間を縫うように緻密なカウンターを繰り出す。
一、二、三
巨漢の体に小さな拳が当たる。それは少年の正確な一撃が彼の皮膚や筋肉に与えるダメージだった。巨漢の呼吸は乱れ、汗と共に焦燥感が顔に滲み出てきた。
そして「クソ」と呟き、巨漢鉢に伏せる。
重たい音と共にリングの地面に倒れ込んだ。静寂が再び会場を包み込む。
少年の背中は、スポットライトの下で聖者のように輝いていた。
観客席からは驚愕の声が上がる。中学生くらいの少年が、2メートルを超える巨漢を倒したのだ。まるで特撮ヒーローの番組のように
真珠は静かにリングの中央に立ち、勝者としての堂々とした風格を放っていた。
レフェリーが勝利した少年の名前を呼ぶ。
それはまるで高らかに凱旋する勇者呼ぶが如く。
「勝者!!!〈超越者〉真珠!!!!」
「いや、仰々しすぎでしょ。僕はただの一般人なのに」
少年が小さく呟き、帰路に着く。
愛する家族の下へと
少年の名は
彼が参戦した裏格闘技団体の名は拳願会。
これは新たな伝説が始まるお話。
「いや、始まらないから。細々とやってくから」
始まらないらしい
〖あなたのことをいつまでも愛しているわ〗
拳願試合を終えるといつも思い出してしまう。
なぜあの日にこの力を奮えなかったのだろうと
なぜあの日少しでも体を動かせなかったのだろうと
夜風が心地よく火照った体を冷やしてくれる。
夜空に浮かぶ月はまるで今日の勝利を祝うかのように光り輝く。
時刻は21時を回っており、15歳の自分がこんな夜道を歩くのは些か不用心であろう。
10年前のあの日
僕は始めて絶望を知ったのだろう。
記憶の中にしかない実母の姿を
微笑みかけてくれるあの姿を
僕は生涯忘れないだろう。
だからこそあの場に僕は立ち続けよう。
この目がまだ光を見せてくれている間に。