僕は一般人です   作:~のほほん~

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手紙

朝の光が窓いっぱいに満ち、磨かれた床で白く跳ねた。校舎を突き抜けるような明るいチャイムの音が空へほどけ、その合図とともに子どもたちは一斉に椅子を引き、さっきまでのざわめきが吸い込まれるように静寂へ変わる。

 

宮崎から戻った僕は、休んでいた小学校へ通いはじめていた。本当は姉のそばにいたかった。けれど、出産はすぐに終わるものではない。だから僕は、いつもの日常へと歩を戻したのだ。

 

「はい。それでは今日はお手紙を書きましょう」

 

いつものように授業が始まる。担任の明るい声が教室に響き、それに呼応して、紙のこすれる音や椅子のきしみが細く立ちのぼる。

 

「せんせー。お手紙って何を書くの?」

 

「そうね。内容は何でもいいけど、相手が喜ぶようなお手紙を書いてほしいな。もちろんご家族やお友達の家に届くようにここに切手もあるから、書き終わった子は取りに来てね」

 

「「「はーい」」」

 

(お手紙か)

 

鉛筆の走る音。消しゴムの粉。楽しそうに相談する声。交換を約束する女の子たちの笑い。

 

僕は、手が動かないことに少し焦りながら、何を書くか、誰に書くのかをぐるぐる考えていた。喜んでほしい相手と聞かれて、すぐに浮かぶのはミヤコさんやおじちゃん、そしてお姉ちゃん。もちろん、事務所の人たちにも送りたい。けれど、目の前にあるのは手紙用の紙が一枚、切手も一枚だけだ。

 

「どうしよう」

 

「斉藤くん、大丈夫?」

 

頭を悩ませていると、隣の女の子が身を寄せてきた。心配そうに揺れる瞳が、まっすぐ僕をのぞき込む。

 

「高橋さん。えっと、誰に書こうか悩んでて。高橋さんはもう誰に書くか決めたの?」

 

「うん!私はね、ママに書くよ〜」

 

「そうなんだ。何て書くの?」

 

「んー、大好きってこととか、いつもご飯ありがとうとかかな。斎藤くんはお母さんに書かないの?」

 

僕は口を開きかけて――「こら、二人とも。私語はだめよ」

 

後ろから飛んだ声に、僕たちは思わず肩をすくめた。どこかで聞いた叱り声だ。恐る恐る振り返ると、いつの間にか担任がすぐ後ろに立っている。

 

「先生、違うんです。僕が高橋さんに相談しちゃって」

 

「相談?」

 

「あの、書きたい人がたくさんいるときってどうしたら良いですか?」

 

「たくさん?ご家族全員ってこと?」

 

「えっと、知り合いの人にも送りたくて」

 

「そうね。二枚とかなら何とかなりそうだけど、それ以上となると渡せる分はないわね」

 

「そうですよね」

 

「でも、素敵ね」

 

「え?」

 

先生は嬉しそうににっこり笑い、そっと僕の頭を撫でた。

 

「手紙はね。人と人とを繋げるの」

 

「繋げる?」

 

「そうよ」と先生はやわらかく微笑む。

 

「今は携帯電話とかで遠く離れた人ともお話できるけど、昔はそういうのがなかったから。会えない人に気持ちを。記憶を。文字として伝える。それが手紙なの」

 

言葉が胸の内側で反芻される。どこか救われるような、胸の奥に沈んでいた黒いなにかが少し軽くなる感覚が広がった。先生はまだ何か話している。けれど音が遠い。まるで壊れたビデオを眺めているみたいに、映像だけが頭の中で滑っていく。

 

チャイムが鳴って、はっと我に返る。合図に呼応するみたいに、教室はたちまち子どもたちの笑い声と歓声で満ちた。ボールを抱えて外へ駆け出していく子たち。机を寄せ合って小さな輪をつくる子たち。

 

「こらー!まだ終わりの挨拶してないでしょ!まったく。」

 

先生の声は、廊下を走る足音や他クラスのどよめきに飲み込まれ、薄く霧散していった。

 

肩をすくめてため息をついた先生が、こちらを振り向く。

 

「ごめんね、授業終わっちゃったわね。でも大変なことだけどそれをいっぱい書きたいって想えるのはとても素敵なことよ?本当は直接伝えられるならそのほうが良いんだけど、大人になると中々できないからね」

 

少し困った表情のまま、先生は「あなたはそのままでいてほしいな」と言って教壇へ戻っていった。僕は手元の紙――一枚のはがきを見つめる。

 

「あっ、誰に書くか決まらなかった」

 

この日、僕は初めて居残りをした。朝とは違う傾いた陽が教室に差し込み、さっきまでの活気が人の減りとともに静けさへと反転していく。薄く積もったチョークの粉、乾いた黒板、窓ガラス越しの蝉の声。

 

「どうしよう」

 

結局、誰に書くのか決められない。書き終わったら切手を取りに来るように言われているから、職員室へ行くのはそのあとだ。けれど、僕の机の上には真っ白なはがきが一枚あるだけ。

 

「あれ?斉藤くん。まだ帰ってなかったの?」

 

「高橋さん、まだ書けてなくて」

 

「そうなんだ。私は忘れ物しちゃって」

 

「そっか」

 

高橋さんは僕の隣まで来ると、机の中から何かを取り出して鞄にしまった。

 

「ど、どうしたの?」

 

「いや、手伝おうかなって」

 

帰るのかと思いきや、残ってくれるらしい。

 

「いや、書く内容よりも誰に送るか悩んでて」

 

「ふーん」

 

「高橋さんは母親に贈るんだよね?父親には送らないの?」

 

「あー、えっと。これ言うとママに怒られちゃうから内緒にしてね。うちはね、ママしかいないの」

 

「そうなの?」

 

「母子家庭っていうんだけどね。だからあんまり悩まなかったな〜。弟もいるけどまだちっちゃいから手紙送ってもわからないだろうし」

 

「弟さんちっちゃいの?」

 

「うん!すっごく可愛いんだよ」

 

「じゃあ、高橋さんはお姉ちゃんなんだ」

 

「そうなの。私お姉ちゃんなんです」

 

むふー、と胸を張る高橋さん。その姿が、どこかの「お姉ちゃん」と重なって見えた。

 

「あ、そうか。遠くにいる人に想いを伝えるってそういうことなんだ」

 

「会えない人に送るのが手紙なんだ……」

 

後日。宮崎の病院で、若い男性医師が鼻血を垂らして倒れているのが発見された。

 

同じころ、廊下を鼻歌まじりで上機嫌に歩く少女がいた。その顔には隠しようのない嬉しさが浮かび、握られた手には一枚のはがきがあったとか。

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