僕は一般人です   作:~のほほん~

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かけがえのない想い

ママが居なくなってから、ずっと寂しかった。

 

葬儀のとき、お坊さんは「良い子にしていたらママに会える」と言った。

 

だから良い子にした。

100点を取ると嬉しそうに褒めてくれる。だから勉強をした。

足が速いと、周りの子たちは嬉しそうにしてくれる。だから運動をした。

手伝いをすると「助かったよ」と言ってもらえる。だから事務所に入り浸るようになった。

先生たちが困ってしまうから、近くで起きた子供の喧嘩を止めた。そうすると大人は安心するから。

 

ママに会いたかった。

この六年間、ただその想いだけで生きてきた。いつか僕が死んだとき、ママに会えるように。同じ場所へ行けるように。だからワガママは言わない。これが僕にとって唯一の願いだから、最後に閻魔様が叶えてくれることを信じて。

 

「ヤダ!逝かないで、真珠君!まだ君に………」

 

お姉ちゃんの声が聞こえる。けれど、何を言っているのかはもう掴めない。

さっきまでの痛みが嘘みたいに消えている。

 

焼けるようだった目の痛み。

力が抜けるのと同時に、お腹の奥で響いていた不快。

首筋から脳へ刺さるような冷たさ。

 

どれも、ない。

 

――安心感。

 

目の前にいる家族が無事だった。それだけで十分だった。

あぁ、泣かないで。僕は幸せだった。

 

ミヤコさんと過ごした、あの優しい日々が。

おじちゃんと、たまにやるキャッチボールが。

お姉ちゃんと語らう楽しい時間が。

そして、僕に生きることへの執着をくれた愛久愛海、瑠美衣(君たち)が。

 

「やっと会えるね。ママ」

 

あぁ、最後に望むなら。

どうか、どうか、この家族に幸せを。

この子達(愛久愛海、瑠美衣)が、元気に過ごせますように。

 

もう音は聞こえない。

もう光は見えない。

もう、あの体温を感じることはない。

 

まるで水の中へ沈んでいくように、僕は落ちていく。

どんどん沈んでいく。

 

溶けていく意識の底で、最後に聞こえたのは、カラスの声だった。

 

 

時刻は早朝。

この日は今までの疲労が嘘のように、目覚めが冴えていた。何かを知らせるような胸騒ぎが一瞬だけよぎる。珍しいこともあるものだと考えを切り替え、身支度を整える。

 

リビングに入ると、甘く優しいココアの香りが鼻腔をくすぐった。それだけで、ミヤコは誰が起きているのか察した。

 

「真珠君、おはよう。今日は早いわね」

 

「ミヤコさん、おはよう」

 

「目が覚めちゃってね」とはにかむ少年を見て、胸の奥に安堵と温かさが広がる。真珠は小学五年生になり、身長もずいぶん伸びた。前はミヤコの膝くらいだったのに、いまでは胸のあたりまで来ている。

 

「ブラックにする?」

 

「そうね、いただこうかしら」

 

真珠君には、まだ反抗期はない。それどころか、わがままを聞いたことがない。そばへ寄り、出会ってからの習慣になった抱擁を交わす。まだミヤコの方が背が高い。包み込むようにして、その成長を腕の内側で確かめる。毎日のことだから、互いに気恥ずかしさはなく、安心だけが残る。

 

「ドームまであと一週間だね」

 

「そうね。ここまで長かったわ」

 

「色々あったからね」

 

朗らかに笑う真珠の横顔を見る。こちらとしては、看板アイドルの妊娠――そんな爆弾を抱えていたから、とても笑ってばかりはいられなかった。路頭に迷う未来だって想像した。けれど四年間、情報統制を徹底したおかげか、あるいは運が良かったのか、メディアに漏れることなく、日々は平穏に続いてきた。

 

「ふふ、真珠君は本当に姉さんに似てきたわね」

 

「ママに?」

 

「ええ」

 

そう。どんどん似てきている。

性別は違うが、仕草や言葉遣い、何より人との接し方が似てきた。

 

姉は、私の憧れだった。

天性の才があったとは思わない。けれど、あふれる優しさを持つ、聖母のような女性だった。誰かを甘やかして溺れさせる優しさではなく、一緒に笑顔になれる優しさ。あの強さに、私はきっと惹かれていたのだ。

 

真珠君は、優しくて聡い子だ。

四年前、アイさんから生まれた子供たち――アクアとルビー。幼いのに整った顔立ち、きれいな金色の髪。将来、アイさんに似た美男子、美少女になるだろう。

 

天は二物を与える。

アイさんの子供は、控えめに言って天才。いわゆるギフテッドだ。真珠君は、そんな弟と妹に一時期は葛藤していた。でも乗り越え、ほんとうの兄弟のようになったとき、私は泣きそうになった。

 

そう、真珠君は天才ではない。行動は大人びているけれど、あの二人と比べれば、せいぜい秀才止まりだ。

 

だからこそ、人に寄り添える。人の辛さや悩みに共感できる。

苺プロダクションは、真珠君が来るようになってから業績が上がった。最初は、ほんの些細な変化だった。

 

――〇〇さんの雰囲気が明るくなった。

――スタッフ全体の士気が上がった。

――書類の紛失がなくなった。

 

スタッフは言う。真珠君が一生懸命に動く姿を見て、大人として情けないところは見せられない、と。

 

いつか真珠君は、スタッフや撮影関係の人すべてに手紙を書いた。

その労力は、想像がつかない。

 

「お手紙はね。人を繋ぐものって聞いたから。ママがね、ありがとうって言葉は元気になる言葉って言ってたの」

 

理由は単純だった。幼い心に宿っていたのは、感謝と、舞台を支える人たちへの尊敬だった。

 

そして、いつからかB小町の輝き方が変わった。

以前までは、アイさんひとりの輝きだった。プロダクションの方針もあり、メンバーもそれを良しとしていた。

 

だが、思春期を迎えれば、頭で納得しても気持ちは追いつかない。だから不和が生じる。

 

いらぬ妬み、あらぬ誤解が巣食っていた――けれど、ある日を境に空気は変わった。何があったのかはわからない。ただ、いまの彼女たちからは不和が消えた。

 

圧倒的なのは変わらずアイさん。けれど、それぞれの個性が光るグループへと変化した。新設したソーシャルメディア部門、モデル部門、アーティスト部門でも、彼女たちは新しい輝きを見せた。

 

そんな積み重ねの末、いまの苺プロは、資金も人脈も、中規模へ届くほどに成長した。

 

そう、真珠君が来てから、すべては良い方向へ動きはじめていた――はずだった。真珠君が大人になる姿を、ずっと近くで見ていられると思っていたのに。

 

真珠君は愛されていた。誰かに恨みを買うような子ではない。むしろ、幸せのお裾分けが自然にできる、優しい子だったのに。

 

「ミヤコさん!」

 

その日は、突然訪れる。アイさんの息子で、最近では私にとっても息子同然のアクア君から電話が来た。電話に出た瞬間、これまで聞いたことのない焦りが声に滲んでいると分かった。

 

「兄さんが刺されて、今から〇〇病院に」

 

その言葉を聞いた瞬間、私は走っていた。壱護に端的なメールを送り、車に乗り込み、病院へ向かう。

 

七年前のあの日――ICUの前に立ったことを今でも覚えている。姉がこの世を去った喪失感に麻痺して、姉の息子のことなど歯牙にもかけなかった、あの頃の自分を。

 

「なんで、なんでよ。何でこの子ばっかり」

 

到着して受付で状況を確認し、案内された先は病室ではなく、手術室の前だった。私はそこで膝をつく。胸の内側に広がるのは、あの時には生まれなかったほどの悲しみと不安。赤く灯った「手術中」のランプが、やけにくっきりと目に刺さる。

 

私は願う。

 

願ってしまう。

 

これまであの子と過ごしてきた想い出が、頭を巡る。

抱いてきた愛情が、どんどん溢れてくる。

 

私を母親にしてくれた、あの子の存在を助けてほしいと。

 

姉さん。お願いだから――真珠君を、返して。

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