仲良しグループ
夏が近づくにつれ、公園の緑は一段と濃く、木々の葉は陽を受けて輝いている。
花壇では夏の花がほころび始め、色とりどりの彩りが訪れる人を迎える。
穏やかな風が枝をやさしく揺らす。ここは、都会の喧騒から離れた人気の散歩道だ。
その遊歩道を、中学生くらいの少年が走っていく。
この公園の“名物”でもあるその少年は、どこか少し、特徴的だ。
薄く色の抜けた一本の“縫い目”のようなそれが、表情にわずかな痛々しさを添えている。
「……はぁ、はぁ、はぁ。」
立ち止まると、歩幅を小さくして呼吸を整える。脈が落ち着き始めたころ、彼は型のようにも見える緩やかな動きを始める。重心は静かに移り、腕は空気を撫でるように流れ、足取りは無駄がない。通りかかった人は最初こそ訝しげに視線を向けるが、やがて歩くのを忘れて見入ってしまう。
華がある。
その動きをしているときの真珠には、確かに華があった。一朝一夕で身につくはずのない精度と、積み重ねの匂いが、形の端々に宿っている。
東の空が白み、冷えた空気に太陽の温みが混じりはじめる頃、彼は汗を拭ってコースを後にする。
三年が過ぎた。
朝の匂いは同じだ。変わったのは背丈と歩幅だけ。
襟を正し、彼はその変化を確かめるように、自宅へ続く道を踏みしめる。
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「ただいま〜」
「あら、おかえりなさい」
「母さん、帰ってたんだ」
玄関の鍵が錠前を抜ける音と同時に、廊下の灯りがついた。靴の先がタイルに当たって乾いた音を立て、少し遅れて、洗剤と柔軟剤が混ざったような匂いが鼻をかすめる。ドアを閉める前に見上げると、トートバッグを肩にかけ、キャリーケースの取っ手を握った母さんが立っていた。
玄関を開けた瞬間、ばったり鉢合わせた。
あれから苺プロはずっと大忙し。姉さんに会えない日が増えた。父さんにも、母さんにも、顔を合わせない日が増えた。
「中規模にして、もう少し人も増やすか」——リビングを通り過ぎたとき、父さんとの会話を思い出す。休みが取れるようになるのも、たぶん時間の問題だ。頭ではそうわかっているけれど、正直寂しいというのと体のほうを心配してしまう。
「ごめんなさい。荷物を取りに来ただけだから」
「言ってくれれば届けたのに」
言いながら、僕はキャリーの持ち手に手を添える。重心の乗り方で、中身が服や資料だとわかる。母さんは小さく首を振って笑った。
「いいのよ。あなたに会いたいとも思ってたから」
そう言って、トートを一度床に置き、僕の肩を腕で包む。胸のあたりに当たる体温が、少し汗で冷えかけていた肌にじんわり広がっていく。中学生になってから、こういうのは少し照れくさい——けれど、抱きしめられると、背中に回された手の強さで、胸の奥に引っかかっていた何かがほどけていくのがわかる。
「…汗臭いでしょ」
「そうね。でも、頑張った証でしょ?」
その一言で今日も頑張れてしまうのだから、単純でいいと思う。
あれからも僕は、苺プロダクションで見習いとして働いている。現場に行かせてもらえる機会も増えた。ケータリングの配膳、ケーブルの巻き取り、台本の差し替え、時間が押したときの連絡回し——名前を覚えてくれる人も増えた。カメラの横で「今、静かにね」と囁く声、スタジオの床を走る足音、照明の熱で乾く空気。あの場所で、みんなと同じ方向を向いて仕事をしている時間が、単純に楽しい。姉さんの姿を見ることは減ったけれど、同じ現場の空気の中にいると、不思議と近さを感じられる瞬間がある。
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朝を片づけるみたいに、シャワー、朝食、身支度。手順はもう身体が覚えている。通学路に出ると、空はよく晴れていた。
「よっ! シロくん」
空を仰いだ瞬間、肩に“こん”と指の感触。続いて、ここ一年で一番聞いたかもしれない声。
振り向くと、彼女。いたずらを成功させたみたいな顔だ。肩までの髪が風に揺れて、少し大人っぽく見える。でも目じりには、まだ子どものあどけなさが残っていた。
「おはよう、片寄」
片寄ゆら。それが彼女の名前だった。
僕と高橋は、家の近くにある中学校に進学した。不思議なことに、小学校の時からずっと、僕たちは同じクラスになっている。これで通算六年間も一緒だ。彼女とは何か奇妙な縁を感じずにはいられない。
今年も同じだろうとお互い高を括っていたのだが、なんと中学一年生は別クラスになった。
寂しさを感じながらも中学のクラスに入る僕を待っていたのは、一斉に集まるまなざしだった。驚き、好奇、警戒――いくつかの温度が混ざった視線が、細い針の束になって皮膚の表面をそっと刺す。
十中八九目の傷のせいなのだが。
中学校という場所は、思った以上に早く“グループ”ができる。席替えの前から、同じ小学校の子たちが自然と集まって、笑い声の輪が固定されていく。誰と並んで昼を食べるか——その小さな選択が、これからの青春の流れを決めてしまうのかもしれない。だから、悪い意味で目立つ子とわざわざ関わろうとする人は、あまりいない。
(まぁ、同じ学校の子もいるし、なんとかなるか)
周辺の小学校が一箇所に集まるため人数は多くはないが、見知った顔はいる。平穏に過ごすことを考えて席につく。視線はまっすぐ前へ——のつもりでも、左の視界の隅にいる何人かが、こっそり僕の方を見ては囁いているのがわかる。まぁ、もう慣れたけどね。
平穏第一。そう思って、筆箱を開け、ノートの端に名前を書き始めたときだ。
「わ、めっちゃかっこいいね」
すぐ後ろから、驚くほどまっすぐな声。
「……は?」
振り向くと、彼女がいた。肩に触れるくらいのライトブルーの髪が、窓の光を拾ってさらりと外にはねている。薄い前髪は右へ流れ、片側の小さな星型のピンが、一瞬だけ光った。白い開襟シャツにネイビーのプリーツ。制服の布が、まだ身体に少し大きくて、動くたびに遅れて揺れる。首元の細いチェーンには丸い眼鏡が下がっていて、彼女が首を傾けるたびに、ちりと金属音がした。
それが片寄との出会いだった。
その傷で周りから浮いてしまっていた僕に気にした様子もなく語りかけてくれる彼女はどこか姉さんに似た雰囲気を感じたのを覚えている。
「その傷、どうしたの?」
好奇でも同情でもない、ただ“知りたい”と告げる声音。真正面からこちらを覗き込む瞳は、青みがかった灰色で、光が当たる角度で星みたいににじむ。僕は反射的に頬へ手をやり、言葉を探しあぐねる。これが片寄ゆらとの初めての邂逅であった。
「どしたん?」
歩道の縁石を並んで踏みながら、彼女が覗き込む。薄い前髪が右へ流れて、星のピンがちいさく光った。
「いや、もう一年経つんだなと思ってね」
言ってから、自分でもちょっと照れる。四月の朝は空気が軽くて、去年のあの緊張のざわめきが嘘みたいだ。校門へ続く通学路には同じ制服の背中が増えはじめて、スニーカーの音と笑い声が重なっていく。
「おっさんかよ〜」
二人で並んで歩いていると、同じ制服の背中がぽつぽつ増えてきた。校門へ向かう人の流れが、細い川から本流になるみたいに太くなる。そろそろ合流かな——そう思ったところで、背後から聞き慣れた女の子の声が跳ねてきた。
「高橋、おはよう」
「たかちゃん、おは〜」
振り向くと、高橋が小走りで並んだ。手が自然に上がって、パンッと三人分のハイタッチが重なる。掌が少し痺れる。高橋は前髪を指で払って、結び目の低いポニーテールがぴょんと弾んだ。
今年から高橋も同じクラスになった。今でこそ朝から笑って手のひらをぶつけ合っているけれど、初めて会ったときの高橋と片寄はなかなか怖かった。
いつの間にかすごく仲良くなっていて安心したものだ。
「たかちゃんたかちゃん。またシロくん、おじいちゃんムーブして頷いてるよ」
「やだね〜。同い年なのに、達観してる顔しちゃって」
「あの、僕はわかってます感。ウケるね」
……うん。ちょっとウザい。
二人は肩を寄せ合って、わざとらしく口元だけ隠しながら、目はしっかりこっちを見ている。
ていうか、その**“コソコソ声”**、わざと俺に聞こえる音量でやってるよね? コソコソの定義どこいった。
「ハァ、二人が仲良くて僕は嬉しいよ」
「「でしょー」」
「………」
……仲良きことは美しきかな、ってやつで無理やり自分を納得させる。
ざわ、ざわ——。
校門へ向かう列のざわめきが、僕たちの周りだけ少し濃くなる。すれ違う同級生が目と目で合図して、肘で友だちをつつく。ひそひそ声は“内緒”の温度なのに、ちゃんと耳に届く音量だ。
「ね、見て」「あの三人、いつも一緒じゃない?」
「ゆらちゃん、今日も可愛い」「高橋、今日ポニテじゃない?」「めっちゃ似合う~」
空気がわずかに波立つ。背中にいくつも視線が刺さって、小さな呼び声があちこちで弾ける。そりゃそうだ。僕と並ぶ片寄は言うまでもなく目を引くし、反対側の高橋だって十分に整っている。
高橋は、肩に届くか届かないかの結び目がぴょんと揺れる長さ。丸い目元に、片寄より少しあどけない表情が残っていて、笑うと目尻に浅いえくぼが出る。片寄は、薄い前髪を右に流し、胸元のチェーンをちりと鳴らしながら歩くたび、星のピンがきらっと短く光る。二人並ぶと、幼さと大人っぽさがきれいに同居して、通学路の白線まで少しだけ明るく見える。
物珍しそう——いや、正直に言えば羨ましそうな視線も混じる。二人は社交的で、何より明るい。輪の中心がどこにあっても、気づけばそこに立っているタイプだ。
思春期ど真ん中の男子中学生からしたら、たぶん夢のような女の子だろう。だからかな僕に刺さる視線が少し冷たい気がする。特に先輩、後輩からの圧が今日も強いなぁ
「ふふふ、噛み締め給えよ少年」
片寄はそう言って、わざと肘で僕の腕をこつと小突き、袖口を指先でつまんで引いた。肩と肩が触れる距離。星のピンがきらと瞬き、胸元のチェーンがちりと鳴る。——視線の正体を、彼女はちゃんと分かってやっている。
「はいストップ。ほんとにやめて。……見て、あの先輩、めっちゃ睨んでるから」
片寄は一拍だけ目を細めて、僕の耳元で小さく笑った。
「——効果、てきめん」
そう言って、彼女は半歩だけ離れる。離れるふりをして、指先はまだ僕の袖の端に触れている。この野郎、今日も楽しそうでいいですね。
「うっさい。ほら、早く行かないと遅刻するよ」
僕たち三人は校門をくぐり、教室へ向かった。
夢にひたむきな友達と、いたずら好きで少し困った友達と。
これは、僕の青春の一ページだ。
——僕にとって、二人はかけがえのない友達なのだから。