僕は一般人です   作:~のほほん~

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成り立つ幸福

 

「あなたなんて大っ嫌い!!」

 

頬を叩いた手のひらが、じんじんと痛む。乾いた音が空気を裂き、すぐに周囲の気配は吸い込まれたみたいに静まり返った。

 

美しい長髪に、星の瞳を宿した美少女の顔は、怒りでこわばっている。

 

「もう私の……私たちの前に現れないで」

 

美人が怒ると怖い。

 

その少女――星野アイ――を見ていると、言葉の重みが否応なく胸に落ちた。最後に発した静かな声にこそ、圧倒するほどの迫力が宿っているのを感じた。

 

「はい!カッーート!!」

 

 

張りつめた空気の糸がぷつりと切れる。ライトの熱がすっと遠のき、ヘッドセット越しの合図や、ケーブルが床を擦る音、キャスターの転がる音が一気に戻ってくる。スタッフが散開し、マイクの確認、台本の差し替え、レンズ交換の声が飛ぶ。

 

 

「いや~、アイちゃん。演技上手くなったねぇ」

 

「ありがとうございまーす」

 

現場監督の声に、アイの明るい返事が弾む。さっきまでの張り詰めた顔から一転、同じ人かと疑うほどの笑顔がぱっと咲く。相手役の俳優も近づいてくる。

 

「ほんとにね。これなら女優でもやっていけるんじゃない?」

 

「ホントですか⁉うれし~。それより結構強く叩いちゃいましたよね。大丈夫です?」

 

「めちゃくちゃ痛いよ。まぁ、だからこそあのシーンは良い出来になったと思うけど。どうです監督?」

 

「文句なしだよ。アイちゃんに主演を任せて良かったよ」

 

「だとさ。それよりああいう経験ってあるの?かなり熱が入っていたように見えたけど」

 

「え〜、内緒です♪」

 

 

 

ドームライブから三年。

B小町は今もアイドルグループとして活動を続けている。伝説になったあの日以降、個々へのオファーが雪崩のように届き、ライブ回数こそ減ったものの、テレビやラジオ、声優、ファッション誌――彼女たちを見ない日はないほど、日々は忙しく満ちていた。

 

撮影が一段落し、アイは用意された椅子に腰を下ろす。ふう、と短く息を吐く。

 

 

撮影が一段落し、現場に用意された椅子へと腰を掛ける。

ふぅ。と短く息を吐く。

 

(……経験、か)

 

俳優に言われたひと言が、小骨みたいに喉に引っかかって抜けない。あの場面のために練習は重ねた。なのに、繰り返すたび、あの男の顔がふっと脳裏をよぎって、怒りが込み上げてくる。

 

(あんなやつでも、役に立つこともあるんだなぁ〜)

 

二度と関わりたくない元カレを思い出し、胸の奥にじわりと嫌な熱が滲む。沈み込む形の椅子にもたれて気分を変えようと、スマホを取り出した。

 

「何を見てるんですか?」

 

メイクさんが近くに来ていたらしく後ろから声をかけられる。

 

「凄く嬉しそうな顔してましたよ?」

 

最近のアイの密かな楽しみは、自分で撮った写真を見返すこと。とても他人に見せられる内容ではない。けれど、誰かに自慢したくなる可愛さがそこにある。嫌な気持ちがほどけて嬉しさになり、“でも見せられない”もやもやが積もる――揺れる感情を、得意の笑顔で包み隠す。

 

「何でもないですよ〜」

 

「え〜、本当ですかぁ?そういえば今日隣のスタジオで真珠君見ましたよ?」

 

「え⁉」

 

(この人、ほんと真珠君の名前に弱いなぁ)

 

作り笑いがほどけ、少女らしい素直な驚きが顔に出る。三年前のドーム以降、星野アイは売れた――それはもう、売れに売れた。同時に、壱護は胃痛を抱える“ハッピーセット”状態で売れた。

 

星野アイはブラコンである。ここ三年で完全に定着したそれは、かつてミステリアスだった彼女の素顔として好意的に受け取られ、人気の一因にもなった。

 

もちろん、真珠の顔が世間に広まっているわけではない。現場の大人たちも暗黙の了解で配慮している。ただ、幼い頃から出入りしている彼を、裏方経験の長いスタッフほど“親戚の子”みたいに可愛がってくれる。

 

「隣でモデルの撮影があるんですけど、ちょっと気難しい子みたいで真珠君に来てもらったみたいですよ?」

 

真珠はまだ中学生であるため正式な雇用契約はすることができない。それに現場に来れるのも学校が終わってからということもあり、長くいることもできない。

 

 

 

 

 

B小町の才能を開花させた子供

 

 

今の真珠君は、業界でも人気者だ。社長と丸山さんが流した噂が、彼の“ブランド”になっている。

 

――「アイドルグループの不和を解消したらしい」

――「個性に合った能力を引き上げることができる」

――「現場のスケジュールが滞りなく終わる」

――「スタッフの業務効率が十倍になった」

などなど

 

まぁ、あながち嘘ではないのだが、かなり尾ヒレがついた噂が歩き回り、現場ではメンターとして呼ばれるくらいにはなっていた。本人は

 

「いや、僕一般人だし。裏方志望なんだけど」

 

と愚痴っていたが、現場に来れる機会は中学生にとって貴重であり、天秤にかけるまでもなく、噂は今日も一人歩きしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

***********

 

 

 

場所は撮影スタジオ。ドラマや雑誌の撮影の際に使われるここには、テレビで見覚えのある小道具が整然と並んでいる。

 

ペットボトルの蓋をひねって水を含む。乾いた喉にひた、と冷たさが広がり、漏れた吐息がそのまま言葉の形になる。

 

目の前の撮影は、どうやら滞りなく進んでいるらしい。今日呼ばれたのは、子供服の宣伝だ。

 

子役たちの撮影現場は、スケジュールが圧迫されやすい。子どもは気分で演技がぶれやすく、うまく撮れないことが多い。結果、撮影時間は伸び、人件費はかさむ――それが現状だ。

 

だから、子どもをあやしたり持ち上げたりするのが得意な人物が重宝される。

まあ、僕のことなんだけど……。

 

ルビーほど手のかかる子どもは、そうそういない。今でこそお兄ちゃんっ子になってくれたが、一時期の嫌われようは相当だった。あの修羅場をくぐった僕からすれば、他の子どもたちは非常にわかりやすい。甘やかすのなんて造作もない。そんなことを思い出して遠い目をしていると――

 

「ねぇ、真珠」

 

不意に名前を呼ばれる。振り向くとそこには赤毛の少女がこちらを伺うように立っている。まだ小学低学年くらいの子供は生意気にも呼び捨てで呼んでくるが、僕と彼女にとってこれは普通だった。

 

「どうだった?」

 

「めっちゃ可愛かった」

 

「ほんと?」

 

「本当に本当だよ。やっぱり天才は違うね」

 

そう言うとパァァァと表情が輝き、キラキラした大きな瞳が僕を見つめる。

 

「そうでしょ!わたしはすごいのよ!!」

 

小さな身体で胸を張る姿はどこか憎たらしくも映るが、その緩んでいる顔を見るとどうでも良くなってしまう。

 

「有馬ちゃんはやっぱり凄いね」

 

「ムフー」

 

軽く頭を撫でると更に嬉しそうな顔になる。

彼女と初めて会ったのはもう数年も前だ。弟のアクアが映画に出演すると聞いて母さんに頼んで連れて行ってもらった。

そこで出会ったのが彼女だ。

 

めっちゃ泣いていた。

もう号泣だった。僕からしてみれば有馬ちゃんの演技もアクアの演技も甲乙つけがたい凄さがあったのだが、彼女はそれを良しとしなかった。

 

悔しくて、諦められなくて泣いている彼女を尊敬した。

僕よりも遥かに小さい女の子は演技で負けたことに悔しくて泣いていた。その情熱に、輝きに、敬意を持った。

 

 

何を話したかは忘れてしまったが、撮影が止まった現場で彼女と話したのが友だちになったきっかけだろう。彼女の母親が迎えに来るまでそれは続いた。

 

天才子役の有馬かなはたまに裏方として参加させてもらえる僕でもよく会う存在だ。

 

「そういえばこの前はありがと」

 

「ん?」

 

有馬ちゃんは僕の隣にちょこんと座る。小さな体の奥で、複雑な色がゆっくり混ざっていくのがわかる。

 

「お母さんのこと止めてくれたでしょ?」

 

数日前の光景がよみがえる。監督に何かをまくしたてる彼女の母親。困り顔の監督。泣きそうな顔の有馬ちゃん。

 

仕事が減っていることに、母親は焦っていた。彼女は意外と繊細で、周りをよく見ている。必要とされたいと願うその姿は、どこか昔の自分と重なった。だから、あの時――生意気にも――僕はあんなことを言ってしまったのだ。

 

「あの時はごめんね。怒られなかった?」

 

「ううん。真珠のおかげでお母さんとちゃんとお話できたよ」

 

「そっか」

 

有馬ちゃんを見てやってもらえませんか? あなたは母親でしょう?

 

――思い出すと、やっぱり生意気だったなと思う。けれど、後悔はしていない。強いて言えば、この件が母さんにバレなくて、本当に助かった。

 

「ほんとにありがとね」

 

「?有馬ちゃんにしては素直だね」

 

「わたしはいつも素直よ」

 

「それもそっか」

 

隣り合って座っている僕たちは同時にお互いの顔を見て笑い合う。境遇は違えど、みんながそれぞれ何かを抱えて生きている。それを少しでも軽くしたいと願う少年は今日も笑う。

 

 

 

そんな二人を物陰から撮影している人気アイドルの姿があったとかなかったとか……

 

 

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