僕は一般人です   作:~のほほん~

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誘拐

 

 

その部屋は簡素とは程遠く。一歩足を踏み入れるだけでその豪華さと洗練されたデザインが感じられる空間だった。床は光沢のある高級マホガニー材で、歩くたびにその質の高さが伝わってくる。壁には上品なアート作品が飾られ、部屋全体に洗練された雰囲気を漂わせていた。

 

大きな窓からは都市の壮大な景色が一望でき、天井にはクリスタルのシャンデリアが輝きを放っていた。社長のデスクは、重厚感のあるカスタムメイドのオーク材で、その上には最新式のコンピューターと高級文房具が整然と並んでいる。

 

部屋の隅には、高価な革で張られたソファとマッチングするコーヒーテーブルが置かれ、そこには高級ブランドのコーヒーカップが優雅に載せられていた。この部屋全体からは、細部にまでこだわり、惜しみなく投じられた資金と品位が感じられる。

 

「使えん!!!金はいくらでも積む!!」

 

某芸能プロダクションの社長室。

その部屋に似つかない小太りの男は携帯に向かって怒鳴り声を上げる。

 

「今すぐ!今すぐだ!あの忌々しい苺プロダクションを潰せ!!」

 

「……ですが、根拠もないこんな動画だけじゃ揺するのも限度ってものが。そもそも本当なんですか?」

 

「本人から聞いたからな!その情報に間違いはない」

 

怨嗟が籠もったように怒鳴る男とは対象的に電話口の男は冷静に受け答えをする。

 

「はぁ。ウチのもんが6人もやられてるんです。しかも中学生相手にね。こちらの面子としても引きませんが、少しばかり強引にならざる得ない」

 

「何が言いたい?」

 

「マスコミ関連や警察に介入されると厄介なんですよ。そっちの方「問題ない」はい?」

 

「もう手を打ってある」

 

醜く歪んだその顔には笑みが浮かぶ。

 

「信じますよ?その言葉」

 

「あの方がいれば、何も問題ない」

 

 

 

 

 

人の悪意が動き出す。

 

 

目障り。その一言に尽きる。

ただそれだけで人を害することに躊躇いのない人種たちが動き出す。

 

 

 

 

 

**********

 

 

 

「っと、これでよし」

 

「すいません。手当までしてもらって」

 

「先行投資ってことでよろしく」

 

「……何のですか」

 

いいからいいからと飄々とした態度を崩さない暮石さんみて何度目かわからない溜息を吐く。

あの後、帰ろうとした僕に「うちの道場近くだからさ。シャワー浴びてきなよ」と遊びに誘うような感覚で声をかけられた。

警戒もしたが、仮に襲う気ならとっくにやってるはずと納得し道場へと寄らせてもらっていた。

 

決して、母さんに会うのが怖かったからではない……

 

「暮石さんって格闘家なんですか?」

 

「そうそう。Cage Fightっていう総合格闘団体にいるよ」

 

「何でプロの人が整骨院とかやってるんです?」

 

「ん?ああ、趣味ってのもあるけど、格闘家って食っていけないんだよ」

 

うわぁ、なんか夢がないな

暮石さん曰く、表の格闘団体では試合数が少ないというのもあるが、勝てなければギャラがないに等しいらしい。

 

「あ、そういえば。僕は斎藤真珠っていいます」

 

「さいとうましろ?アレ?なんかどっかで聞いたことがあるような?」

 

「僕、有名人とかじゃないですよ?」

 

「いや、そういうんじゃなくて。なんか最近聞いた気がするんだよなぁ」

 

「へー。奇遇なこともあるんですね」

 

「まぁ、いいや。それでこれからどうするの?」

 

「とりあえず帰ります。早く父さんにこのことを相談しないといけないし」

 

「そっか。警察に連絡は?」

 

アクアとルビーの件はなるべく父さんを挟んでから動かないとまずいのになるのは知っていた。だから

 

「少し複雑なので」

 

こんな返答、怪しさしかないのに

 

「また何かあったら電話してくれてもいいから」

 

「……暮石さんはなんでそんなに気をかけてくれるんですか?」

 

暮石さんは「だから言ったでしょ?先行投資だって」と不敵に笑う。

 

 

 

その瞬間、携帯が鳴る。着信画面には母さんの文字。まだ言い訳考えてないのにと思いながらも電話に出た。

 

「真珠!」

 

「はい!ごめんなさい!」

 

条件反射とでも言おうか。電話に出た瞬間、母さんの声が僕の鼓膜を刺激した。

 

「ごめんなさい?それよりも無事?」

 

僕の謝罪に疑問を持ちながら、身の心配をしている声に嫌な予感がした。

 

 

予感は確信へ。

 

 

何故、僕はあの時……

 

「アクアとルビーが攫われたの」

 

自分だけが危ない目にあったと勘違いしてしまったのだろう。

 

 

 

*******

 

 

 

遡ること数時間前

 

有名な私立の小学校にアクアとルビーは通っている。

あのライブ以降、苺プロは防犯強化が行われた。

というのもやはり情報漏れを防ぐのは当たり前として何かあった際にもすぐ対応が取れるよう配慮してのものだ。

 

まぁ、今やトップアイドルとして芸能界でも一人で活躍できるアイにとって、愛する我が子がランドセルを背負う姿と可愛い制服を見ることができるだけで、入園の許可が下りるのは自然なことだった。

 

「お兄ちゃん、ちょっとまってよ」

 

「ルビー、早くしろ」

 

バイバーイとルビーは友だち達に手を振り返す。私立小学校の門には子供たちが溢れかえっている。

子供たちの賑やかな声が徐々に遠のいていく中、アクアとルビーはいつものように帰路についていた。

 

「もぉ~、お兄ちゃんいつも帰るの早いんだよ」

 

「今日は監督のところに寄らなきゃいけないから」

 

隣を歩きながらブーブーと文句をいう妹に理由を説明するも納得はしていない様子。隣を並んで歩いていることから本気で怒っていないことがわかる。

 

「え?」

 

それは一瞬の出来事だった。

黒いボックスカーがゆっくりと近くに停まった。車から降りたのは、見慣れない男性。ルビーに近づき、優しい声で話しかけた。「アクアくんとルビーちゃんだよね、お母さんが急な用事で来られなくなったんだ。僕が送るように言われているんだよ。」

 

アクアとルビーはすぐに嘘だと理解し、目配せをする。だが、いつの間にか後ろには漢が複数人立っており、口元を抑えられ、車に乗せられる。

 

車は静かに動き出し、学校から離れていった。周囲には、この小さな変化に気づく者はいなかった。夏を感じさせる暑い風が木々を揺らし、日常の平穏が、ひそかにその裂け目を見せていた。

 

 

 

******

 

 

走る

 

あの電話を受けたあと、僕は事務所へと向かっていた。

 

【暮石さんすいません。ちょっと急がなくちゃいけない用事ができました】

 

【いいさ。早く行きなよ】

 

全てが分かっていそうな言葉に違和感を覚えつつも道場を後にした。

電車に乗り、最寄り駅まで急ぐ。電車に乗っている時は長いように感じられた。

メッセージアプリで母さんに事情だけでも先に聞こうと思ったが、既読にならないことに焦りを感じてしまう。

 

「あ!真珠君!」

 

苺プロのスタッフさんが事務所の外で待っていてくれたらしく、大きく手を振っている。

促されるままに階段を上がり、母さんたちがいる部屋へと入った。

 

「真珠!」

 

部屋に入った途端、母さんが僕を包み込むように抱きしめる。そこにいるかを確認するようにしっかりと、しかし怯えたように腕が震えている。

 

「母さん」

 

「良かった。本当に……。あなたにまた何かあったんじゃないかって私」

 

「坊主、無事だったか。ってお前その腕どうした?」

 

安堵した声とともに奥から父さんが出てきた。母さんは僕の腕に巻かれた包帯に気が付かなかったのか、バッと離れ、腕に触れてくる。

 

「その話もするけど、攫われたってどういうこと?」

 

「……アクアとルビーが帰ってないらしい。五反田監督がアクアと待ち合わせをしてたらしいんだが、全然来ないからうちに連絡を入れてくれてな。学校にも連絡したが、もう帰ったとしか」

 

父さんは言葉を慎重に選びながらも口籠る。他のスタッフに目配せをし、退室を促すと固定電話を弄り始めた。

 

「警察に連絡しようと思ったんだが、さっき事務所に電話が来てな」

 

機械音が何回か鳴り、留守番電話が再生される。

 

『お宅の斎藤真珠、アクア、ルビーを預かった。無事に返してほしければ警察に連絡はせず。次の電話を待て』

 

変声機を使われたのか、再生された音声からは重たい声と短い内容を伝えられる。

 

「それでお前のその怪我って」

 

「……うん。帰り道に知らない人から襲われた」

 

僕は正直に今日あったことを話した。父さんと母さんの顔が歪む。僕を抱きしめていた母さんの腕にさらに力が入る。

 

「六人って。よく無事だったな」

 

「運が良かっただけだよ。子供だから油断してくれてたおかげかも。あれ?そういえば姉さんは?」

 

「アイのやつなら奥の部屋にいるよ。さっきまで取り乱してたが、今は落ち着いているよ」

 

「そっか」

 

事務所に静寂が広がる。何かをしたいけど、何も出来ない無力感が胸を苛む。

 

 

 

アクア、ルビー。どうか無事でいてくれ。

 

 

 

*******

 

 

またなのかな

 

そんな独り言が胸の中に広がっていく。

静寂を占めるこの部屋には私しかいない。

だからなのか、その言葉が木霊するように胸の中で反響している。

 

私が幸せになろうとしたのがいけなかったのかな

 

 

この問答も何度したかわからない。

あの子達は私のもとに来てくれた。

母親にしてくれた。

だから、愛が何なのかを知ることができた。

 

 

 

ここ数年、幸せだった。

アイドルとして成功して、アクアとルビーの成長もみられて、真珠くんが隣りにいてくれて……

 

ルビーは私みたいなアイドルになるんだって言ってくれた。その言葉が嬉しくて、一緒に踊るのが楽しくて、愛おしさが込み上げてきた。まぁ、歌は御愛嬌だけど……

 

アクアは真珠くんに憧れがあるみたい。

「母さん。僕、俳優になりたい」

初めてのわがままだった。その顔が少し大人になったの感じて凄く嬉しかった。

 

 

今の私はきっとアイドルとして人前にでることはできない顔をしているだろう。嘘の仮面がうまく引き出せない。あれだけ仮面を外すことが難しかったのに、今は取り繕うことすらできやしない。

 

 

アクアとルビーが帰っていないと知って、怖かった。

あの子達の笑顔が二度と見れないんじゃないかって

 

ルビーは怖がっていないだろうか。泣いていないだろうか。あの子の天真爛漫な笑顔に何度救われたか。

 

アクアはきっと誘拐されてもルビーを守ってくれてるだろう。でも、あの子は表に出さないだけで感情豊かな子だから。きっと怖い思いを押し殺しているに決まってる。

 

心配が絶えない。嫌な想像が頭を駆け巡る。

 

涙が出てしまう度に自分に大丈夫と言い聞かせた。

 

 

 

私が、私なんかが愛を知らなきゃーー

 

 

 

フワリ

 

 

 

嗅ぎ慣れた匂いが鼻腔をくすぐる。優しく、甘く、落ち着くようなココアの香りが部屋を満たす。

 

「真珠くん」

 

真珠くんはそっとマグカップを私の前に置き、隣に腰掛けた。彼は何も言葉を発さず、ただ自分のココアを一口飲んで、ほっと一息ついている。

 

涙を流し続けたからだろうか。それとも時間が経ったからか。喉がカラカラなことに気がついた。

同じように一口含むと、その甘さが乾いた口内に広がる。そして、緊張の糸が切れた。

 

「私がいけなかったのかな」

 

枯れたはずの涙が溢れてくる。

どこか儚い印象だった少年はいつの間にか私と身長も変わらない程成長した。その安心する彼の姿がどんどんかっこよく見えて、姉として誇らしかった。

 

だからだろうか。

こんなことを彼に話してしまったのは……

 

「ごめんね、真珠くん。全部私が悪いんだ」

 

彼は黙っている。

でも、マグカップを置き、こちらを伺うように見つめてくる。

 

「私が幸せになる度に誰かが不幸になる。真珠くんが刺されたのだって、アクアとルビーが攫われたのだって。きっと、」

 

私だって人間だから幸せを求めてしまう。でも、それで私の大切な人たちがこれ以上傷つくのは見たくない。

 

「姉さんは優しいよね」

 

「……」

 

「僕は姉さんがいたから生きたいと思ったよ。姉さんが抱きしめてくれたから、前を向けたんだ」

 

私は顔を上げ、真珠くんを見る。

どこか懐かしむように、それでいてその昏い瞳には慈愛が満ちている。

 

「姉さん」

 

そっと私を包み込むように、抱きしめてくれた。

 

「ううん、お姉ちゃん。僕は」

 

【これからどんな事があっても僕はお姉ちゃんが大好きだよ】

 

久しぶりに呼んでもらえた昔の呼び名。そして……

それは昔、妊娠した私にかけてくれた言葉。

不安で怖くて、見えない未来に進みたくなくて。

 

君はいつだってそうだね。私のそばで支えてくれるんだね。

 

昔よりも大きくなった身体を抱きしめ返す。線は細いけど鍛えられてることがわかる。あれから毎日、身体を鍛えていた事を知っているだけにその努力には感動を覚える。

改めて、男の子なんだなと認識させられる。

 

安心する体温を今は感じる。熱を帯びた頬と胸の鼓動が早くなるのを感じる。

 

「言ったでしょ?【いつかお姉ちゃんを支えてあげたい】って。【周りの人がみんなに幸せになって欲しい】って。」

 

その声は子供をあやすかのように、その手は昔よりも大きくて、優しくて、温かかった。

 

「だから今は休んで。二人は必ず連れて帰るから(・・・・・・・・・・・・)

 

その顔はいつの日が見た悲しそうな顔。

 

「真珠くん、ありがとう」

 

あれ?なんか眠くなってきて……

温かさに包まれて私は瞼を下ろす。異常な眠気が私を支配する。

 

あ、まだココア全部飲めてないや

 

湯気が上がるココアを目の端で捉えながら意識を手放した。

 

 

 

最後にふと思い出した。

【真珠くんはお母さんを殺した犯人を恨んでないの?】

 

真珠くんが初めてお母さんのお墓参りをした日に私は聞いてしまった。真珠くんはお母さんを愛してたはず、なのに何でこんなに優しいのか。聞いちゃいけないことだって知ってたのに、私は聞いてしまった。

 

【ごめん。わからないんだ】

 

その顔は今まで見たことないほど泣いてるような顔だったのをよく覚えてる。

この子は人を恨まない。憎まない。そしてーーーー

 

 

**********

 

 

幸せを願った。

 

みんなが幸せになる未来を…

 

僕を一人にしないでくれたみんなには笑っていてほしかったから…

 

【真珠くんはお母さんを殺した犯人を恨んでないの?】

 

ドームライブが終わって、お墓参りに行った日の帰りに姉さんから聞かれたことがある。

何かを確かめるように、答えを求めるように…

 

【ごめん。わからないんだ】

 

その言葉は本心だった。ママが死んで、あの男に殺されかけて、今向き合ってみても、その答えはわからない。

 

姉さんは悲しそうな顔で僕を抱きしめてくれた。その体温が無性に温かったのを覚えてる。

 

姉さん、何で泣いてるの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の望みは叶わないのかもしれない。

この世界は愛を奪おうとしてくるから…

 

 

命が消える、僕が甘すぎたせいで、良い子でいるために優しくあろうと、かっこいい男になるために、自分を好きになろうと思っていた。

 

 

理性も裁きも、弱さだ。それが僕の罪。

 

あの時、男たちから得られる情報があったかもしれない。知っていればもっと出来ることがあったかもしれない。

 

 

僕は凡人だ。

 

護れるものは一つしかないから。

 

弱さは罪だ。

 

進まなければ、

この終わりがない悲しみの先を……

 

それが例え、正しくなかったとしても(・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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