「じゃあ、壱護は」
「間違いなく竹中のところだろうな」
車に乗り込んだ後、僕とミヤコさんは丸山さんの携帯に送られてきたメールを読んでいた。
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龍、すまねぇ。
お前が協力してくれたのに、俺は竹中の野郎を許せそうにない。
このデータを使って後はなんとかしてくれ。
あのゴミクズは俺が始末するからよ。
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「僕のせいだ」
そのデータは音声データだった。やり取りからみて、犯人とそれを指示したであろう竹中という人物のやりとり。
僕が持ち帰ったあの携帯を父さんは見てしまったんだろう。
「でも、何で壱護はこの声だけでわかったのかしら?」
「あいつの怒鳴り声はしょっちゅう現場でも聞こえてたからな。仕事を一回や二回一緒にしてたら嫌でも覚えるさ」
「なんで、なんで父さんは」
悲しみじゃない嫌な気持ちが胸の中を満たしていく。父さんが誰かを殺すかもしれない。
それだけで酷く心臓が速くなるのを感じる。
「お前の為だよ、真珠」
「え?」
丸山さんはミラー越しに僕を見つめながら、器用に携帯を操作し、
「こ、これって」
「そうです。あいつは真珠が殺されないように殺しに行った。このデータだけでも殺人教唆だ。後必要なのはこの声が誰なのかっていう証拠だけ。それを示せるとしたら犯人が持つであろうもう一つの携帯だけですから」
母さんは、少し顔を伏せ、僕の頭を愛情深く撫でてくれる。車内から見える景色は次第に変わっていき、窓の外を流れる風景が変わっていく。
穏やかなのに焦りが合って、空には雲がゆったりと流れ、その姿はまるで時間の流れを象徴しているようだった。母の温かな手の感触と、車窓からの穏やかな景色が、心を落ち着かせてくれた。
大丈夫だよ。母さん。
「…丸山さん、父さんがどこにいるのかわかる?」
「すまん。…今どこにいるかはわからん。一応、竹中のオフィスがあるーー〈ピーマン食べたら、スーパーマン〉っと電話だ」
車内に有馬ちゃんの代表曲(本人はめっちゃ嫌がっていたが)であるピーマン体操が流れ出す。
母さんは「え?え?」と何度も僕を見てくるが、僕としては見慣れているので驚きはない。
「……氷室か」
あー、丸山さんマナーモードにし忘れてたんだ。珍しく顔が赤くなっている。
一応、写真撮っておこう。
「あぁ、そうか。いや、今全員に聞こえるようにするから待て」
丸山さんは通話を聞こえるようにスピーカーにしてくれる。そこには若い男性の声が聞こえてくる。
〈おやっさん、他にも人がいるんですか?〉
「関係者だ。とりあえずわかったことを教えろ」
〈
「場所は?」
〈……おやっさん。あんたは絶対に近づかないでくださいよ?〉
「…まさか」
丸山さんはもうその場所が分かっているようにも顔を険しくする。
〈ええ、杉並区近くの廃ビルです〉
「そこって有毒ガスがあるところですよね」
「母さん知ってるの?」
「あなた最近、勉強サボったでしょ?」
「ソンナコトナイヨ?」
「まぁ、その件はまた後で聞くとして、随分昔からあそこは有毒ガスが蔓延してるってことで立入禁止になってるのよ」
「ウン、ソンナコトシッテタヨー」
「……あなたはもう少しアイさんから世渡り
分かっていたことだけど、僕はあんまり嘘が得意ではないらしい。特に嘘を吐く必要もないから別にいいのだが、たしかに社会人になったら、少し困りそうだ。
「それで丸山さんは何で近づいちゃいけないんですか?」
〈…おやっさんは昔、そこの住人と色々とあってな。あんまり近づかないほうが良いのさ。それに「氷室、それ以上はまた今度教えるからいい」了解です〉
「あそこに人が?」
「
車が向きを変え、目的地へと向かっていく。
〈それとおやっさん。どうやら、少し厄介なやつがいるみたいです〉
その言葉を最後に地図の座標とその男の写真が送られてくる。
ヘルメットを被っているけど、僕にはこの人が誰か分かってしまう。その立ち姿は、あの安心できる背中は何度も見たんだから。
「…なんで、阿古谷さんが」
「あこや?知ってるのか?」
「アクアとルビーを助けるときに手伝ってくれた刑事さんです」
「あなた、「阿古谷さんには何も話してないよ」そう」
母さんは一瞬、厳しい顔つきになるが納得してくれる。アクアとルビーのことは絶対に世に出せない苺プロのタブーだ。それくらい僕も理解してる。だから信頼できる大人に頼ったのだ。
「阿古谷さんは何も聞かないで協力してくれたよ。アクアやルビーに万が一があったときに動いてもらえるように。……でも、何とかなったからあいつらを逮捕してもらえるようにお願いしたんだ」
「…おい、真珠。その話はいつの話だ?」
「え?いや、昨日の夜だけど」
丸山さんは何かを考えるようにして、一つ電話をいれる。何かを確認した後に、僕に告げた。
「昨日の件は一切情報がないそうだ」
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「竹中。てめぇだけは許さねぇ」
「な、何でここが!」
転んだのだろうか。高価なスーツは泥だらけになっており、不可解なことに破れた跡も見える。しかし、俺にとっては、そんな外見の乱れは些細なことに過ぎなかった。心は怒りと憎悪で満たされているのがわかる。思考が放棄され、その強烈な感情が、胸の中を完全に支配する。
きっと今の俺の顔は歪んでるだろう。こいつを目の前にした以上、この秘めた怒りを隠すことなど到底出来なかった。
「携帯をよこせ」
「ふ、ふざけるな!誰に命令してると思ってる!そもそもあの子供は養子だろう。代わりなら用意してやる」
代わりだと?
「真珠はぜってぇ殺させねぇ。あいつは俺の息子だ!」
「あのガキのせいで計画が滅茶苦茶だ!そもそもお前らがーーー」
こいつ。こいつは本当に人間なんだろうか。自分のことしかない。人から奪うことに何も感じていない。
こんなやつ早く…
「そ、そうか!わかったぞ!お前の刺客だろう!」
「…何言ってんだ?」
「だが、俺のボディガードはそこらのチンピラとは違う!今頃、潰されてるだろうな」
竹中は得意げに話を続ける。
「お前ら弱小と違って、こっちは何年も芸能界という魔窟で過ごしてきたんだ!裏との繋がりだってあるんだよ!ここにもそのうち応援が…あ、あぁ!な、何でお前が!」
だが、それも長くは続かなかった。急に怯えだし、狼狽え始める。信じらないものを見るように、俺の後ろを見ていた。
「断罪の時だ。竹中渡」
廃ビルの中で、重厚な声が響き渡り、空虚な空間を木霊させた。その声によって、怒りは一瞬にして消え去り、代わりに心を鷲掴みにされるような深い恐怖が心を満たした。
違う。
目の前には、今まで一度も出会ったことのないヘルメットを被った大漢が立っていた。その男の存在感は圧倒的で、ただそこに立っているだけで、周囲の空気さえも変えてしまうように感じる。
「正義を執行する」
その男は、無言で俺の横を通り過ぎ、ゆっくりと竹中の方へと移動していった。竹中は、恐怖に駆られて後ずさりを試みるが、逃げ場はどこにもなかった。
背後にはただの壁があり、それが退路を塞いでいる。男の迫力に圧倒され、竹中は壁に背を押し付けられるようにして、動けなくなっていた。
「お、俺の護衛はどうした」
「全員死んだ。悪を守ろうとする者もまた悪だ」
「い、イカれてやがる。だがな、俺は「お前が以前から悪事を依頼していた〇〇組はもう全員死んでいる」…は?」
竹中の前に何かが投げられる。
それは家紋の入った金属板だった。それを見た竹中の血の気はどんどんと引いていき、顔色が青くなっていく。
「か、金か!金なんだろう!いくらでもくれてやる。こいつよりも高い金で雇ってやる。だ、だから命だけは助けてくぐぁ。」
「悪は滅びなくてはならない。貴様が息をすれば空気が汚れる、歩けば大地が穢れる、存在自体が害悪な貴様に生きる価値などない」
小太りの竹中の首を簡単に掴み、片手で持ち上げる。それだけで男の腕力が尋常じゃないことがわかる。
「か、かは、た「貴様の罪は正義を知らぬことだ」」
廃墟の中で、骨が折れるような音が響き渡り、その音が不気味に木霊した。その音はやけにリアルで、目の前の光景が強烈に脳裏に焼き付く。
現実感がなく、まるで映画の一シーンを見ているかのような非現実感。それでも、俺の体は現実の寒さを感じていた。体温がじわじわと下がり、指先が冷たくなるのをはっきりと感じる。その感覚は、この状況が決して映像ではなく、現実であることを痛烈に思い知らせてくる。
ほ、骨を。首の骨を折りやがった。
脱力し、垂れ下がる腕、ズボンには染みが広がり、糞の匂いが廃墟に広がり始める。
殺すつもりだった。
持ってきていたナイフで竹中を刺し殺そうと思っていた。だが、目の前で殺された竹中はあまりにも呆気なく、その存在が終わった。
「次は貴様だ。斎藤壱護。」
目撃者を殺すためか、それとも別の思惑か。漢は何かを話しながら近づいてくる。
動けなかった。蛇に睨まれた蛙の如く、逃げることも命を乞うこともできない。ましてやこいつを刺し殺せるとも思わなかった。
あまりにも一瞬の出来事に脳はフリーズし、その情報を処理できない。だが、すぐ目の前に死があった。
「道を踏み外した貴様は悪だ。この世に貴様が生きていていい場所はない。先に往け、後から俺も裁かれるだろう」
否定できなかった。
俺は真珠のためと言いながら、結局は自分の意志でここに来た。この心に湧いた怒りを消費するためだけに、ナイフを持ってここまで来てしまった。
息子がこんなことを望まないことは一番分かっていた。
あいつは優しいやつだから。
誰かを想って泣ける
誰かを想って怒れる
誰かのために笑える
誰かのために悲しむ事ができるやつなんだよ。俺の息子は
「すまねぇな」
最後に出たのが、呪いでも、怒りでもなくて謝罪の言葉でよかった。
ミヤコには苦労をかけるかもしれねぇ
アイのやつを最後まで見てやれなかったな
B小町も他のタレントも頑張ってくれたのに、最後に全員で祝うなりすりゃよかった
真珠、お前には胸を張れる父親でいたかったよ。
【だからおじちゃんの夢は僕が叶えるよ】
この時だろうな。
俺が父親でいたいと思ったのは。
漢の手が俺の首に伸びる。
首に触れたその手は力強く、俺の首を徐々に締め付ける。
【おじちゃんの諦めた夢は僕が拾うよ。おじちゃんがみたい夢は僕が叶えてあげる】
最後に思い出すのが、この言葉なんだから、ミヤコの言ってた通り、俺は父親になれていたらしい。
あいつが父さんって呼んでくれて、本当に嬉しかった。
だけどな、今の俺の夢はお前と酒を飲むことだったんだよ。
呼吸が苦しくなり、次の瞬間には終わることが本能で理解できた。
だけど、その時はいつまでも来なくて
「阿古谷さん、僕の父さんから手を離してください」
その声は今まで聞いたことがないほど、怒りが込められている。それでいてどこか悲しそうにも聞こえた。
目を開けると、漢の手を掴んで、睨みつけている息子の姿があった。