僕は一般人です   作:~のほほん~

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星野アイ

私の名前は星野アイ。

私は――「アイシテル」という言葉の意味を知りたかった。

 

母親から愛された記憶はない。

抱きしめられた温もりも、額に落ちる手のひらの重さも、笑い声に包まれる安心感も、知らない。

だから私は、愛というものを知らなかった。

 

それがどんな感情なのか、どうしても感じてみたかった。

胸の奥でそれを掴めたら、きっと私の空っぽな部分が埋まるんじゃないかと思った。

 

二年前、私はアイドルになった。

「アイシテル」と言える対象が欲しかったし、私を「アイシテ」くれる人が欲しかった。

そして何より、私自身が“それ”を知りたかった。

 

だから今日も、ステージの上で笑顔を貼り付け、マイクを通して「アイシテル」と言う。

それが嘘だと知っていても、ファンは笑顔で返してくれる。

この仮面を外せる日を、心のどこかで願いながら――明日も、明後日も、嘘をつき続ける。

 

それが私、星野アイの生き方なのだから。

 

そんな私に、今日から弟ができるらしい。

 

一週間ほど前、ミヤコさんと社長が、仕事終わりに私の前に現れた。

二人並んで頭を下げるなんて、初めて見る光景だったから、思わず笑いそうになった。

 

「実は……姉が亡くなったんです」

 

ミヤコさんは、言葉をゆっくりと選びながら続けた。

 

お姉さんが亡くなった?

そういえば最近、ミヤコさんの表情がどこか硬かった。理由を尋ねなかった自分を、少しだけ後悔した。

 

「それで……姉には息子がいまして。私が引き取ることにしたんです。アイさんになにかしてほしいってわけじゃないんですが……少し事情が特殊な子でして」

 

事情が特殊――。

そう言ったとき、ミヤコさんの瞳が一瞬だけ揺れた。

でも、その意味を深く考えようとはしなかった。

 

ミヤコさんのことは嫌いじゃない。

むしろ、この二年間で最も信頼できる大人だと思っている。夫婦で私に親のように接してくれ、今の生活も支えてくれている。

 

けれど私は、人との距離感が苦手だ。

小さい頃、名前を覚えられずにクラスで仲間外れにされたことが何度もあった。

長く付き合えば覚えられるが、それでも忘れてしまうことの方が多い。

自分でも酷い人間だと思うけれど、直せなかった。

 

「来週から引き取ります。アイさんの仕事には影響しないようにしますので」

 

「気にしないでいいよ。それより……私、一人っ子だったから、弟ってどんな感じなんだろう?」

 

「真珠君はいい子ですよ。ただ、親を亡くしたばかりなので落ち込むことも多いです。お医者さんからも、気にかけてほしいと言われています」

 

「そっか~。じゃあ、私がお姉ちゃんになってあげよう!」

 

「おい、あまり構いすぎて嫌われるなよ?」

 

「大丈夫だよ、佐藤社長。こう見えても、そういうのはうまいんだから」

 

「俺は斉藤だ。このクソアイドル」

 

……私の嘘は、ずいぶん上手くなった。

何が本当で何が嘘なのか、自分でも分からなくなるほどに。

でも、考えずに口から出る嘘は、みんなを笑顔にできる。

ほら、今だって二人は安心したように微笑んでいる。

 

そして、ふと思った。

私と年齢の近い弟なら――もしかしたら、「アイシテル」が何なのか、分かるかもしれない。

そんな淡い期待が、胸の奥で小さな灯りとなった。

 

会う日が来た。

 

部屋のドアを開けた瞬間――言葉を失った。

目の前にいたのは、私の弟になる少年。

黒髪で、少し背筋をこわばらせて立っている。

目線を合わせ、「今日からお姉ちゃんだよ」と言うはずだった。

なのに、声が詰まった。

 

最初は、既視感。

すぐに悟った。

 

この子は、あの日の私だ。

 

母が施設に迎えに来なかった日。

泣いて、泣いて、泣き続け、涙が枯れた頃に鏡で見た――光を失った瞳。

その色と同じ、深く昏い光を、この子は宿していた。

 

「えっと……真珠です」

 

私が沈黙してしまったせいか、困ったように名乗る。

か細く、今にも消えそうな声だった。蝋燭の火が風に揺れるような、儚い響き。

 

「ご、ごめんね~。あまりにも可愛くて、言葉が出なかったよ~」

 

……誤魔化すために笑顔を作った。

けれど、いつものように嘘はすらすらと出てこない。

見た目は私とは違うのに、その瞳だけが、今の私を責めているように感じられた。

 

「私は星野アイ。今日から姉弟だね、真珠君」

 

――私は、この子を愛せるのだろうか。

 

 

 

僕の前に、星があった。

 

ミヤコさんから「姉がいる」と聞いてはいた。

ミヤコさんと壱護くんは、とても優しい人だ。

こんな僕にも分け隔てなく接してくれ、優しい色で包んでくれる。

だから、この家で暮らすことになることにも、不思議と不安はなかった。

 

二人とも仕事をしているけれど、しばらくはミヤコさんが一緒にいてくれるらしい。

申し訳なさと嬉しさが入り混じった気持ちで、感謝を胸に抱く。

 

案内された部屋のドアを開けた瞬間、僕は息を呑んだ。

そこにいたのは、きれいなお星さまみたいな人だった。

 

僕より年上で、同じ黒髪。

けれど、その瞳は、今まで見た誰よりも輝いていた。

 

お姉さんが近づいてくる。

初めて会う相手に緊張していたけれど、お姉さんは僕と同じ目線までしゃがんでくれた。

 

そして――目が合った瞬間、その人から“色”が視えた。

 

それは今まで見たことのない色。

とても悲しくて、寂しい色。

 

お姉さんはじっと僕を見つめる。

理由が分からず、ミヤコさんに助けを求めるように視線を送るが、首を傾げられるだけ。

勇気を振り絞って自己紹介すると、ようやく口を開いた。

 

「ご、ごめんね~。あまりにも可愛くて、言葉が出なかったよ~」

 

「私は星野アイ。今日から姉弟だね、真珠君」

 

握手を交わす。

その手は暖かいのに、寂しい色が少しずつ濃くなっていくのを感じた。

 

「アイさん?」

 

「ノンノン、姉弟なんだから“お姉ちゃん”でいいんだよ」

 

「……お姉ちゃん?」

 

「よくできました~」

 

頭を撫でられる。

壱護くんの手のような怖さはない。

でも、ママの手とも違う――けれど嫌じゃない。

 

これが、僕と星野アイの出会いだった。

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