(美味し)
紅茶を飲みながら、そんな感想が浮かんだ。味についての専門的なことは全くといって分からないが、カフェなどで飲むものよりも良い茶葉が使われているのだけは何となく分かる。
場所は乃木グループ本社の応接室
大きめのソファに腰を掛けながら、渡された書類に目を通す。
そこには500万という数字と禁則事項などの小難しい字が羅列されている。
いつものように軽く目を通しながら、近くに座る男に目を向ける。
「……なんか多くないですか?」
ニコニコと無害そうな笑みを作りながらも、その目は全く笑っていない。
何回か闘技者として、この人の下で闘ったことがある。そのときに仕事現場を見せてもらったが、一企業をまとめ上げるその手腕は何度勉強させてもらったことか。
だからこそというわけではないが、闘技者として雇われた時の相場を知っている分、ただの護衛にこの金額は法外すぎるのではないか?と疑ってしまう。
「そんなことないさ。そこに書いてある通りだよ。契約も私と私の
「んー?まぁ、それは良いんですけど。バラバラに動かれたら流石に難しいですよ?」
「それは問題ありません。基本的には会長の護衛として動いていただきますので」
「まぁ、私の指示があれば別だがね」
それらも書面に書いてある通りである。
だがなぜだろうか?僕の経験上、どこか騙されてしまっている気がしてしまう。
ほら、乃木さんの顔も怪しいからなぁ
「どうしたのかね?」
(いえ、少し悩んでいて)
「いや、乃木さんの顔が胡散臭いなと」
「…考えていることと言ってることが逆になってますよ?」
秋山さんが呆れたように伝えてくる。乃木さんはどこか楽しそうに笑っているので、特に問題ないだろう。
それにこの人は油断してると、本気で危ないので油断できないというのもある。
「約2ヶ月間。それも指定した日のみの護衛。護衛の時間はまだ決まっていませんが、24時間ということはないのでご安心を」
「まぁ、乃木さんの依頼は受けますけど。……そろそろ具体的な内容を教えてもらってもいいですか?」
「そうか。それは僥倖だ。君がいてくれるなら他に護衛は雇わなくていいからね」
「そもそも初見さんに護衛はいらないでしょ?」
「?どういうことですか、会長?」
「ふふふ。秋山君はまだ知らないほうが良いさ。それに初見なら『調整』に出ているから不在でね」
秋山さんはまだトーナメントのことを知らないらしい。
それもそうか。乃木さん自身もまだ開催を要求できただけで、決定したわけではない。だからこそ知らないのだろう。
どんな理由が重なろうとも、あのおじいちゃんはトーナメントを開催することを……
まぁ、僕から言うことでもないから黙っとこう
それにこれは企業としての闘いだしね。
会長の話だと、乃木グループはその企業としての命運をかけて挑むらしい。
簡単に言えば、負ければ倒産。
何百万という人の命運が握られたこのトーナメント。苺プロが関係してないことに安心を覚えたのは新しい。
だが、乃木さんはあと三勝ほどしなくてはトーナメント開催に必要な拳願会員の同意が集まらないとも聞いた。
初見さんがいないというこの状況で、残り三勝は中々難しいのではないだろうか?
「君が考えていることも分かるが、問題ない。そろそろ新しい闘技者とそのお世話係が来るはずだからね」
「そうですか?じゃあ僕はこれで「君にもここにいてもらうよ?」え?僕いりますか?」
「もちろんさ。何せ、君の護衛というのは彼らも含むのだからね」
「それは構いませんけど、でも僕、私服ですよ?」
「真珠くんは私服でも問題ありません。それにその服装で文句を言う人もあまりいないでしょう?」
「そうですかね?まぁ、問題ないなら大学の課題でもやって待ちますけど」
「のんびりしていてくれて構わないよ。軽い挨拶でいいと思うからね」
許可も出たので、早速持ってきておいたトートバッグからパソコンを取り出す。
起動ボタンを押すと、秋山さんが紅茶のおかわりとクッキーを持ってきてくれる。
秋山さんは姉はいるが、下にはいないらしく。出会った当初から弟のように扱ってくれる。
そんな面倒見の良い秋山さんにお礼を言いつつ、僕はパソコンに集中することにした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
乃木グループのトップである会長に呼び出され、大昔から『争い』を収めるための手段として行われていたとされる拳願仕合。
そして昨夜出会った
いや、なぜこうなった
頭を抱えたいが、更に混乱する内容が会長から伝えられる。
「それと彼には君たちと一緒に行動してもらうよ。現役の闘技者だか、護衛も出来るし、内情にも詳しいからね。気になることがあれば聞くと良い」
この執務室に入ってからずっと質の良さそうなソファで、パソコンで何かを打っている青年へと視線を移す。
息子と同じくらいの年齢に見える。その顔立ちは、特別に際立つわけでもなく、一見してごく普通の印象を受ける。しかし、彼の目元には、一際特徴的なものがあった。
右目は、まるで光を全て奪われたかのような昏さを湛えており、見る者の心を引き込むような深淵な色合いをしている。一方で、左目は光を一切反射しないかのような、純白の色彩を帯びていた。
さらに、その左目には、彼の柔和な顔立ちとは対照的に、何か鋭利な刃物によって付けられたかのような、大きな傷跡が残っている。
「はじめまして。山下さんと十鬼蛇さん。斎藤真珠です。よろしくお願いします」
青年はパソコンを横に置き、ソファから立ち上がる。
黒いワイシャツとグレーのスラックス。着ている服はシンプルだが、ワイシャツから出る腕から鍛えられていることが伝わってくる。そして、綺麗にこちらにお辞儀をしてくるその姿からも、スタイルの良さが服の上からでも分かってしまう。
現役の闘技者と聞いて、少し腰が引けてしまったが、その声音はどこか安心するような優しさに満ちている。
「おう。サイトウ」
「真珠でいいですよ。十鬼蛇さん」
「マシロだな。ヨロシク」
「山下さんも下の名前で呼んでくださいね」
なんて良い子なのだろう。
少しでも危ない子なんじゃないかと思った自分が恥ずかしくなってくる。
闘技者というのは王馬さんや昨日の巨漢の男達のような危ない男たちの巣窟かと思ったが、こんな良い子が
「彼は闘技者の中でもかなり大人しいから基準にしては駄目ですよ?」
あまり参考にはならないらしい。
苦笑いを浮かべる彼を見ていると、秋山と名乗った秘書の女性の言葉が嘘ではないことが分かってしまう。
「話は以上だ。ーーーあぁ、それと山下くんは今日はもう退社しても構わんよ。十鬼蛇君と今後の打ち合わせをしておくと良い」
トントン拍子に話は進んでいき、拒否権の有無を問われる暇もなく、気がついたら本社ビルから出てしまっていた。
「じゃあ、親睦も兼ねてご飯でも行きますか」
「いいね。行こうぜ。…どうせケーヒで落ちるんだろ?」
「いや……⁉経費は……どうなんでしょう?」
「あ、大丈夫ですよ。しっかりと乃木さんに僕から請求しておくので。せっかくだから美味しいお店にいきましょう!十鬼蛇さんと山下さんは食べれないものはありますか?」
事情はわかったが、しがないサラリーマンに理解など到底できるはずもない、ここはちゃんと断らないと
「ここらへんだと美味しいお肉と旨い酒の店があるんですよ。まだお昼ですけど、山下さんも直帰でいいみたいですし、飲んじゃいません?」
「……いいですね。行きましょう」
まぁ、断るのは少し考えてからでもいいか。
何も聞かずに断るのも失礼だしな。お酒を飲んだあとでも断れるし、決して昼からタダ酒が飲めるわけではない。
「おい。マシロ。肉は大きいのが良いぞ」
「お、十鬼蛇さんお肉好きですか。ステーキも骨付き肉もある店なんで大丈夫じゃないですかね。それにどうせ経費ですし、おかわりし放題ですよ」
不思議な子だ。
一見して普通の青年にしか見えないのに、王馬さんに物怖じもしなければ、遠慮もない。
今の若者はもっと、こう、接し辛い印象があった分、意外な感じがしてしまう。
それにーーーーーーーー
何でこの子は私のことを優しそうに見つめてくるのだろう?
「え⁉真珠さん21なの⁉」
「そんな老けて見えますか?」
「いや、若いだろうと思ってたけど。物腰が柔らかいし、手慣れてもいたから社会人かと思ったよ」
「いやいや、まだ大学生ですし。実家の家業を手伝ったりしてるくらいで、社会人経験もないんですよ」
昼から開いている居酒屋に入った私は、最初こそ緊張していたが、今はアルコールの力もあってか、すごく話しやすい。
王馬さんは真珠君のおすすめと言われた肉や魚を食べており、無言である。
ていうか、この人食べる量もすごいな。
積み重なった皿を綺麗に整理する真珠君はどこか楽しそうにみえる。
「そういえば、聞き忘れてたけど真珠君は何であそこにいたの?」
「……知っての通り、僕は現役の闘技者なんですけど、企業に所属していないフリーランスなんですよ」
「…そんなことできるの?」
「僕に出来てるのでできないことはないです。ただメリットがないんですよ。企業からすれば無名の闘技者を雇って負けたり、下手な闘いで社の信用を落としたりもしますから。基本は専属の闘技者を何名も抱えているはずですね」
「なるほど」
「今回、僕は護衛と二人のサポートがメインなんです」
「……俺に護衛はいらねぇよ」
「分かってますよ。なので、サポートがメインだと思うので、美味しいお店を知りたかったら聞いてください。そこそこ知ってると思いますよ?」
「じゃあ、その時はまた聞くわ」
「ぜひぜひ。…………すみません。少しお手洗いに行ってきます」
真珠君はそう言い残し、部屋を出てしまった。
沈黙が部屋を支配する。
そういえば真珠君がずっと話題を振ってくれていたので、気がつかなったが、王馬さんとしっかり話せていない。
「いや〜、それにしてもあんな子でも闘技者になれるんですね」
「ヤマシタカズオ、何言ってんだ?」
「え?いや、だから真珠さんみたいな「あいつは強え」はい?」
場を和ませようと発した言葉に予想打にしない返答が返ってくる。
王馬さんは肉を食べながら続ける。
「あいつ。全然隙がねぇ。………なのに、いつも感じる雰囲気もねぇ。こんなの初めてだ」
「……雰囲気ですか?」
「ああ、強いやつは大体雰囲気あるけど、あいつにはそれがねぇ。なのに後ろから見てても隙がねぇんだよ」
王馬さんは肉を食べ終えると、一息吐いてから私の方へと視線を向ける。
「底が知れねぇと思ったのは、あいつが初めてだよ」
その言葉はやけに私の心に響いた。
私は考えもしなかった。
彼がどんな人生を歩んできたのかを。
何で闘技者になったのかを。
彼がその拳に願うモノの正体を。