ここは、そういう場所だ。
僕にとって、絶対に敗けられない理由の象徴であり、初めて恐怖というものを知った記憶の断片であり――そして、消えることのない罪の象徴でもある。
ガソリン特有の油臭い匂いと、血液の鉄臭さが入り混じり、不快感を越えた嫌悪感を伴う臭気が鼻を突く。
冷たい空気が肌を刺すように感じられ、全身を覆う異常な倦怠感と容赦ない睡魔が襲ってくる。それでも、腹部から広がる火傷のような激痛に耐えながら、一歩ずつ足を前に進めた。
歩を止めるわけにはいかない。どれほど苦しくても、この場所で立ち止まることだけは許されない。
『ぜぇぜぇぜぇ…………絶対…………助けるから』
傍目から見ても、その青年は明らかに重症だった。血を流し、荒い息を吐きながら、それでも二人の女性を腕と背で支え、薄暗くなった山道を必死に下っていく。
『大丈夫………大丈夫………大丈夫………大丈夫』
その言葉は、まるで自分への願い、祈り、そして助けを求めるかのようだった。かすれた声は静かに森の中に溶け込んでいき、まるで誰にも届かない悲痛な響きだけが残る。
『ま…しろくん』
『ゆ、優香!』
背中に抱えた女性ーーー優香からか細い声が聞こえてくる。
青年の足が一瞬止まり、焦りと安堵が混じった声が漏れる。背中越しに感じる優香の声は弱々しく、まるで今にも消えてしまいそうだった。
『大丈夫だよ!もう少しで病院だから!!安心して、絶対二人は助けるから!』
『た……のし……かったなぁ』
まるで僕の声が聞こえていないかのように彼女は言葉を続けた。
『うれし……かった…………なぁ』
まるで本のページを捲るかのように
色褪せない思い出を語ってくれた
【……ご…めん…ね】
そしてーーーーーーーーー
『なんで!!なんで、あんたがいて優香が死んでるのよ!!!!』
なぜ、忘れていたのだろう?
僕自身が弱いということを
理由は簡単だ。
慢心していたのだ。
アクアを助けることができて
友達を救うことができて
僕の《武》が少しは通用すると
この世界に通用すると思ってしまった。
なんて傲慢なんだろうか?
なんと滑稽なことだろうか?
『うぁ………うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』
そうだ。
この痛みは忘れちゃいけない。
胸を締め付けるような、当てもなく叫びたくなるような、この気持ちだけは忘れちゃいけない。
劣っている僕が必ず勝つために
死んでも勝つために
勝たなくちゃいけないんだ
ーーーーーーーーーーーーー
拳願島
そこは血で血を洗う禍々しい死闘の舞台。
山下一夫はこれから起きるであろう激戦に備えていた。闘うのは王馬さんだが、ここに来るまでの苦労………それはもう言葉では形容しがたいほどの驚きの連続で、未だに夢ではないかと思ってしまう。
(……本当に、借金は夢であって欲しかったなぁ)
切実に一億もの借金をなかったことにして欲しいが、ここまで来てしまったからに腹を括るしかない。
そう意気込んでいた。
「真珠くん!みてみて!すごく海が綺麗だよ!!!」
「姉さん、日焼け止め塗らないとだめだよ。ほら、ルビーも塗っておいで」
そう、意気込み
「えー!真珠お兄ちゃんが塗ってよぉ!」
「そうだそうだー!!」
「ルビーはともかく、姉さんは母さんに頼んでよ」
「……うぅ、そうやって差別するんだ」
「…いや、差別じゃないから、さすがに恥ずかしいって「真珠くんは変わっちゃったなぁ。前はあんなに触ってくれたの」誤解を招く言い方はやめて!!ほら、周りも見てるから!」
意気、コンデ
「……なにこれ?」
山下一夫は目の前で繰り広げられる闘い?に思考を停止してしまっていた。
遡ること数時間前
船が島へたどり着くと、そこには見事なリゾート地が広がっていた。遠くから見たときには禍々しさを感じさせたその島が、実際には南国そのものだった。
日本なら沖縄、海外ならハワイ。そんな光景を目の前にして、これが同じ島なのかと目を疑うほどだ。
緊張で張り詰めていた糸がぷつりと切れる。全身から力が抜けて、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「今日は一日バカンスじゃ」
片原滅堂から下された休息日。
山下一夫は、またしても成り行きに流されるように海へとやって来ていた。
戸惑いは強かった。しかし、周囲の人々は驚くほど順応が早く、無人だったビーチはあっという間に観光地さながらの賑わいへと変わっていった。
王馬さんが水着を知らず、何の躊躇もなく裸で泳ごうとしたときには、さすがに驚かされたが――。
すぐさま真珠君に捕まり、叱られながら水着を着せられていた。その場面は、もはや笑うしかなかった。
どんなときでも温厚でニコニコしている真珠君。しかし、その彼が「王馬さん、正座」と冷たく言い放った瞬間は、周囲の空気が凍りついた。
王馬さんはというと、船で秋山さんに叱られてるときも思ったが、こういうときは素直に言うことを聞いている。
渋々ながら素直に叱られている様子を見て、本当にこの人は素直なんだと妙に感心してしまう。
「はぁ。……山下さん、すみません。ご挨拶が遅れちゃって」
「……あぁ、いやいや、それよりもまた会えて嬉しいよ」
「こちらこそですよ。船内では会えなかったので心配してましたよ」
一瞬、
あの優しく、朗らかな笑みがこの状況でも安心感を与えてくれる。
「あ、そういえば紹介しますね、僕の家族です」
「初めまして、斎藤ミヤコです。うちの息子がお世話になったようで」
「そんなそんな、お世話になったのはこちらというか………って母親!?……てっきり、お姉さんかと」
「あら、お上手ですね」
「はい!はいはーい!真珠くんの姉は私でーす」
「…ほ、本物のアイがいる」
「本物でーす♪」
「…………?????……いま、姉って言いました?」
「そういえば山下さんにはまだ言ってなかったですね。僕の姉なんですよ。それでこっちが」
「斎藤ルビーでっす!」
「……アクアです」
「うちの可愛い弟と妹です」
ま……眩しい。
紹介された真珠君の家族は、まさに美男美女そのものだった。
母親だと名乗る女性は、どう見ても三十代くらいにしか見えない。優雅な立ち居振る舞いと、整った容姿からは、年齢を感じさせない雰囲気が漂っている。
そして、姉だと名乗る女性――アイ。彼女の名前を知らないわけがない。かつて殺傷事件に巻き込まれたニュースでその名を知り、その後は爆発的に人気となった有名人だ。日本で彼女を知らない人を探す方が難しいだろう。
弟と妹もまた、美形揃いだった。弟さんはどこか知的な印象を与えながらも、少し陰を感じさせる雰囲気があり、クラスの女子から絶大な人気を得そうだと直感する。そして、妹さんはその真逆だ。天真爛漫という言葉がぴったりの笑顔を浮かべていて、まるでそこに花が咲いたような錯覚すら覚える。その笑顔で挨拶されたとき、思わず自分もつられて笑顔になってしまった。
そして、一番驚いたのは真珠君の目だった。
家族を紹介する彼の目は、「僕の自慢だ」と何よりも雄弁に語っていた。その視線は誇りに満ちていて、家族をどれほど大切に思っているのかが伝わってくる。
そして、それは一方通行ではなかった。家族から真珠君に向けられる信頼の目。互いを支え合うような絆を目の当たりにしたとき、胸の奥が熱くなるのを感じた。
まるで太陽を見ているかのような直視できない何かがそこにはあると感じてしまった。
ーーーーー
「はぁ」
飲み物を買おうと、ビーチから少し離れた売店へ向かう途中、僕は深いため息をついてしまった。
結局、あの後、姉さんとルビーの熱量に押されて、最終的に僕が折れる形になったのだから。
姉さんの肌に触れること自体は、正直なところ慣れている。B小町の頃から、彼女にマッサージを頼まれることがよくあったし、暮石さんに整体のやり方を教わり始めてからは、友人たちにまでその腕を頼られるようになった。そう考えれば、触れること自体には別に抵抗はない。
けれど、日焼け止めを塗るというのは、また別の話だ。
何だろう、この微妙に気まずい感覚は。妙に意識してしまう自分がいる。家族なのに、いや、家族だからこそなのかもしれない。距離が近い分だけ、その曖昧な境界線に触れている気がして、どうにも居心地が悪い。
そんな思いを振り払うように、売店に向かう足を速めた。
「母さんまで悪乗りするし」
大変だったのは、姉さんに日焼け止めを塗り終わった後のことだ。
母さんは今でもモテる。それも、ただのモテるじゃない。人妻だという事実なんて全く意に介さない輩が次々とアプローチしてくるほどだ。
そんな母さんが、ビーチで水着姿になるとどうなるか。答えは簡単だ。周囲の視線が一斉に集中し、まるで舞台の主役を見守る観客のように、誰もが目を離せなくなるのだ。
そこに追い打ちをかけるのが「日焼け止め」というワードの持つ絶大な魔力だ。母さんが「背中に塗って」と言った瞬間、近くにいた男性陣の空気がざわりと変わった。目線が鋭くなり、明らかに何かを期待している様子がありありと伝わってくる。
視線が突き刺さる中で母さんの背中に日焼け止めを塗るというミッションは、まさに修行だった。全身汗だくだったのは、暑さのせいだけではないだろう。
え?アクア?
姉さんに捕まってますけど?
「シャアアアァアアッッッ!!!ましろぉぉぉ、会いたかったぜぇぇぇぇぇぇぇ」
「…サーパイン久しぶり」
「おう!また会えて嬉しいぜぇぇぇぇぇぇ」
「…こ、声が大きいって」
「シャアアアァアアッッッ!!!」
面倒なのに捕まってしまった。
鎧塚サーパイン。
夜明けの村の闘技者であり、かつて彼の兄――ネウィンパインと闘ったことがある。
無謀ともいえるほどハイペースで試合が組まれていたこともあり、僕と戦うときには満身創痍の言葉が脳裏に浮かんだのを覚えている。しかしそれとは対象的にその闘気は獣のように荒れ狂っていた。
『施しなど!!受けてたまるか!』
それは彼が僕に向けて放った言葉だった。後に知ったことだが、彼の村の存亡が掛かっていたらしい。
だからこそ、彼は必死に戦い続けたのだろう。それこそ、死ぬ気で――そう思わせるほどの覚悟で。
「燃えるぜぇぇぇぇぇぇ!」
その叫びを残し、闘い抜いた彼の兄、ネウィンパインは今も健在だ。
村を守り抜くことこそできなかったが、英雄として、兄として家族のもとに帰ることができたそうだ。そしてそんな兄の姿を目にして育ったサーバインは、兄の意志を受け継ぐかのように闘技者となった。
そして、なぜか――やたらと僕と闘いたがる。
「すまねぇぇぇぇぇぇ」
出会った頃から、ずっとこんな感じだった。悪い人ではない。むしろ、どこか憎めない。
ただ――距離感がおかしい。話しているうちに、ふと気づく。
え、というか、後ろにいる人って……ボクサーのガオランさんじゃない?
「………お前はどこに行ってもそうなのだな」
「オウッ!!!俺はどこでも変わらないぜぇぇぇ」
「褒めてはいないのだが……」
「あのぉ、ガオラン選手ですよね?ヘビー級ボクサーの」
「貴殿は斎藤真珠だな。サーパインから話は聞いている」
え、えぇ
あのガオランさんに名前を覚えられていることには感動するけど、サーパインからの説明って……
嫌な予感しかしない。
ガオラン・ウォンサワット。
タイが誇るヘヴィー級の四大団体を制覇した、世界最強と名高いボクサーだ。
TVの向こう側にいる人物であり、目の前に立つと、その闘気が肌をピリピリとさせるのを感じる。
「貴殿にとって、闘いとは何だ?」
「はい?」
急に何の話なのだろうか。脈絡のない質問に呆気にとられたが、ガオランの目は真剣そのものだった。横にいるサーパインの表情を伺うと、その顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
「護るためですね」
だからこそ、僕は答える。嘘偽りのない言葉で。目の前にいるこの漢を前にしては、些細でチープな言葉かもしれないが、それでも心の底から湧き上がる思いを伝えなければならない。
それこそが闘う理由だから。
「……そうか。ここにも戦士がいたか」
「戦士?」
「いや、なんでもない。非礼を詫びよう。貴殿とは一度拳を交わしたいものだ」
仏頂面という言葉は失礼かもしれないが、終始表情が変わらなかったガオランさんの顔に笑みが浮かぶ。
ピリッ
まるで獲物を見つけた獅子の如く。
威圧感が膨れ、大気が揺れるような感触が肌に伝わる。
「シャァァァァァァ、二人が仲良くなったみたいで嬉しいぜぇぇぇぇ」
その雰囲気を吹き飛ばすようにサーパインが大声を上げる。
この人は本当に、空気を読まない。
ガオランさんとも目が合う。
あぁ、この人もか。
「…お疲れ様です」
「貴殿……いや、マシロ・サイトウもな」
「???」
「真珠くん、遅いけど何かあったの?」
「あー、新しい友達?ができたかな」
「……まさか、また女の人?」
「またって何さ。いや、男の人だよ?」
ーーーーーー
「カルラちゃん、ルビーちゃん、あっちにも行ってみよっ」
「うん!」
「何か食べ物あるかなぁ?」
「ルビー、お腹すいたのか?」
「うん、朝寝坊して食べてないんだよね〜」
「じゃあ飲食店探そっか」
その綺麗なリゾート地が似合う美少女達。
若さゆえか、数分前に出会ったばかりなのに打ち解けている。
「ほほほ、すっかり仲良しじゃのう」
「子どもは打ち解けるのが早いですからね」
「まさか僕以外にも妹を連れてくる闘技者がいるとは」
「母国に一人で残すほうが心配だっただけですよ」
「確かに、エレナちゃんは可愛いですからね」
そんな美少女3人を見守るように、少し離れた場所で不審者3人組が楽しそうに語らっていた。
「ルビー以外にも同い年くらいの子がいて安心ですよ」
「ええ、エレナも喜んでいます」
「そうじゃ、女子は女子同士で遊べば良いんじゃ」
「??恵利央さん、いつもより機嫌悪くないですか?」
「船内に迦楼羅を誘惑する糞虫がおってのぉ。うぅ、まだ迦楼羅には結婚は早すぎじゃ」
「うわぁ、それは大変でしたね。でも迦楼羅ちゃん強いから大丈夫では?」
「うっううぅぅうぅ」
泣いてしまった。
隣にいる老人ーーー呉恵利央へとハンカチを渡す。
弱々しく見えるが、この人は割と偉い人だったりする。
暗殺一家 呉一族。
漫画とかでしかでてこないであろう単語だが、現在の日本にもその一族が存在する。
その一族の長こそが隣にいる老人なのだが
「カルラぁ、まだ白無垢は早すぎじゃぁ」
曾孫である迦楼羅ちゃんを溺愛している。
それはもう一族から曾孫馬鹿と言われる始末である。
そんな愛されている迦楼羅ちゃんはというと東京に住んでおり、ルビーの先輩である。
僕も迦楼羅ちゃんとは以前から面識があった。最初の印象は「すごく強い子がいるなぁ」というものだった。彼女の存在を知ったときは、単純に「アクアとルビーの学校は安全そうだなぁ」なんてのんきに考えていたものだ。
しかし、そんな平和な感想を抱いていたのも束の間、いろいろあって事態は急展開した。ルビーが攫われたと勘違いし、呉の里へと奪還しに行くことになったのだ。そのとき、僕は迦楼羅ちゃんとだけでなく、恵利央さんとも関わりを持つことになった。
結果として、恵利央さんとはそれがきっかけでメル友になった。意外と話の通じる人で、あの状況を振り返って話せる相手がいるのは悪くないと思う。今では何気ない雑談のやり取りも増え、むしろいい関係が築けたのかもしれない。
「じゃがのぅ。迦楼羅を悲しませるわけにもいかんし、皆には止められるしのぉ」
少し前に出会ったエレナ・ロビンソンの兄、茂吉・ロビンソンがエリオさんを慰めていた。その様子を見ながら、僕はふと鞄から用意していたものを取り出した。
「あ、そういえばこれどうぞ」
そう言いながら、アルバムを差し出す。恵利央さんは、それを手に取ると一瞬目を丸くし、次の瞬間には嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「こ、これは例のやつか!?」
「えぇ、厳選に厳選を重ねて持ってきましたよ」
「なんと!!」
その一言に、恵利央さんの感情が全て詰まっている。アルバムの中身はというと、以前ルビーと迦楼羅ちゃんがデスティニーランドに遊びに行ったときに撮った写真だ。
たまたま予定がオフだったこともあり、運転手として一緒に遊びに行ったのだ。
「迦楼羅はどこにいてもかわええのぉ」
僕としても、こうして喜んでもらえるのは悪い気分じゃない。
恵利央さんは立場的にも自由に動けるというわけではない。そもそも東京ではなく地方にある呉の里で暮らしているため、迦楼羅ちゃんのためだけに来るわけには行かないのだ。
まぁ、この人なら来ちゃうかもしれないが……
茂吉さんも興味津々な様子で、横から覗き込む。二人のリアクションが微妙にシンクロしていて、少し可笑しかったが、それだけこれが特別なものだという証拠だろう。
「爺様にも新しい友だちができたみたいだな。真珠とも会えたみたいだしよかった、よかった」
「ホリスさん、前半のアレ突っ込まなくていいんですか?」
「……キリがないからな」
「……なるほど」
少し離れたところで暴走?しないように待機していた
ーーーーーー
「ダハハハハハ、おら、真珠も飲め飲め!!今日は祭りなんだからよ!!」
関林さんに捕まり、アルハラされそうになり
「おや、君とこんなところで再会できるなんて嬉しいね。あ、あぁ思い出したら興奮してきたよ。どうかね?解剖されてみる気はないかい?」
相変わらず頭のおかしい英先生と再会したり
「真珠少年」
阿古谷さんと再会して気まずい空気になったり
楽しい時間?はあっという間に過ぎていく。
宴会のように盛り上がる場所
部屋でゆっくりと過ごす者
暗躍する者
そしてーーー
「はぁ〜、めっちゃ楽しかった!もうここに住んじゃいたいよ」
「受験前の息抜きにはちょうどいいかもな」
「なーにー、お兄ちゃん。それ嫌味?勉強なんてしてないじゃん」
「授業をちゃんと受けていれば出来るだろ」
「うっわ!それは勉強ができる人だけが言えるんですぅ!!そんな事言うから友達が少ないんだよ!!」
家族で用意されたコテージへと移動していた。
島の中央には立派なホテルもあり、最初ルビーはそちらの方がいいと言っていた。けれど、姉さんや家族と一緒に過ごせると知ると、すぐにコテージを選択した。
一方でアクアはホテル派だった。しかし、悲しいかな、兄というものは妹のお願いには逆らえない生き物なのだ。
こうしてアクアは渋々ながらもコテージ暮らしを受け入れていた。
「おやすみなさーい」
「おやすみ」
「アクア、ルビーおやすみ。」
「えぇ、おやすみなさい」
「今日はママも一緒に寝ちゃっおっかなぁ」
「ほんと!」
「そしたら俺はあっちで兄さんと「はーい、アクアも一緒に寝よーねー」ちょっ、母さん!?」
小学生高学年になると、アクアは「母さんと寝るのが恥ずかしい」と言い始めた。
まぁ、年頃ということもあるし、仕方のないことだ。それでも姉さんは悲しそうな演技を繰り返し、それにアクアも数年ほど騙され続けていた。だが、流石に耐性がついたのか、今では一人部屋で寝ることがほとんどだ。
とはいえ、それで簡単に諦める姉さんではない。悲しみが通じなければ次は勢いに任せ、アクアを強引に連れ去る手段に出るようになった。まるで誘拐犯のように、手を引いて一緒に布団へと連れ込むのだ。
一方で、ルビーは誘えば、今でも嬉しそうに姉さんと一緒に寝ている。
むしろルビーにとっては、それが日常の一部な感じでもある
「姉さんもおやすみ」
「真珠くんも明日は試合があるんでしょ?早く寝るんだよ〜?」
「そうするよ」
姉さんはまるでウキウキとした子どものような足取りで、コテージの一室へと入っていった。
その後ろには、手を引かれたアクアがいる。彼は振り返りながら、何とも言えない助けを求める視線をこちらに送ってきた。
……すまぬ、アクア。
「…ふぅ」
「母さん、お疲れだね?」
「えぇ、あなたのおかげでね。まさかビーチでのんびりしてたら、またあんなお偉方が集まってくるとは思わなかったわ」
「いや、大半は知らない人だよ?母さん美人だから」
「義伊國屋書店とか若桜生命さんから仕事を紹介されたけど?」
「あそこは知り合いだね」
「やっぱりあなたのせいじゃない」
母さんは疲れたように天井を見つめる。申し訳なく感じてしまうが、こればっかりはしょうがない。
それに大半知らないのは本当だし。
半分以上は母さんと姉さん狙いだからね。
「…ねぇ、真珠」
ソファに深く腰を掛けた母さんが珍しく真剣に、どこか寂しそうに名前を呼んでくる。
「ん?どうしたの?」
「私はね、あなたには幸せでいて欲しいのよ」
「知ってるよ?」
そんな母さんの様子に気がつかないフリをしながら、心配をかけないように軽い返事をした。
「……もし私が、トーナメントを辞退して欲しいって言ったら、辞めてくれるのかしら?」
母さんからの拒絶とも取れる言葉。
その言葉には、僕のことを深く想っているのが伝わってきた。こういうとき、母さんはいつも僕のことを最優先に考えてくれている。
だからこそ――
「母さんの頼みなら聞くよ」
そう答えるしかなかった。
母さんが僕の幸せを願うように、僕も母さんの幸せを心から望んでいる。
きっと、もっと上手いやり方があったのだろう。賢さがあれば、財力があれば、別の方法を選べたかもしれない。
だけど僕にあるのは『力』だけだから。
誰にも敗けない
敗けられない
それでしか護れないものがあると知ってるから。
森はすっかり暗くなり、満月の光が木々の間から静かに差し込む。
コテージにもその柔らかな光が窓ガラスを通して入り込んでいた。
母さんは何も言わず、静かに僕を抱きしめてくれた。
その体温は不思議なくらい穏やかで、心の奥底までじんわりと染み込んでいく。
母さんの香りに包まれて、少しだけ安心できた気がする。
でも、僕の左肩だけは湿っていた。
それが何かを理解するのに、時間は必要なかった。