真珠君が斎藤夫妻の息子になって、半年が過ぎた。
彼がどういう経緯でこの家に来たのか、詳しいことは聞いていない。
けれど――その瞳を見れば、何があったかを詮索する必要はなかった。
あの深く沈んだ色。光を飲み込んだみたいな昏さ。
そこに刻まれた何かは、私には見覚えがありすぎた。
最初は「似ているから、少しは気にかけてあげようかな」なんて軽く考えていた。
だけど現実は――
「お姉ちゃん、朝だよ」
「あと10分〜」
「おじちゃんが待ってるよ?」
「ん〜、待たせても平気〜」
「起きてよ〜」
……逆に、面倒をかけていた。
いや、言い訳させてもらうとね? 最初はちゃんと起こしてあげようと思ってたんだよ?
でも真珠くんは、びっくりするくらい大人しくて面倒見のいい子だった。
五歳児だよ? なんで私が五歳児に起こされてんの?ってくらい。
「……急に知らない家に来ると、不安になっちゃうよね」
私がふと口にすると、真珠くんはきょとんとした顔をして首を振った。
「ふあん? ううん。ミヤコさんは優しいし、壱護さんも怖い顔だけどいい人だよ」
そして、まっすぐ私の瞳を見つめて――
「それに、お姉ちゃんもいるから。不安じゃないよ」
その瞬間、息が詰まった。
私は、相手の瞳を見れば嘘か本当かが何となくわかる。
自分が嘘をつくことに慣れすぎて、嘘をつく時の目の揺れや光の変化が嫌でも分かるようになったから。
でも、この子の瞳には、嘘がひと欠片もなかった。
ごまかしも、取り繕いもない。
その真っ直ぐさが、逆に私を落ち着かなくさせる。
「……お姉ちゃん起きてよ〜」
「ふふっ、しょうがないなぁ〜」
ベッドから起き上がると、彼のあどけない顔が視界に入る。
その瞳の昏さは消えないのに、不思議と温度を持っているように感じた。
抱きしめたい衝動が、喉元までせり上がる。
でも、そんな自分の感情に名前をつけられない。
「今日も真珠くんは可愛いな〜って思ってね」
「は、恥ずかしいよ」
頭を撫でると、くすぐったそうにしながらも拒まない。
……こうしてると、少しだけ私の方が救われる気がする。
「おい、いつまでかかってんだ」
扉越しに斉藤社長――いや、壱護さんの声。
あ、そういえば待たせてたんだった。
「ごめんね〜、今行く〜」
「また撫でてくれる?」
「もちろん」
ほんと、ワンコみたいだな、この子。
日々は流れた。
私はアイドルとして少しずつ人気が出てきて、忙しさも増していった。
だけど同時に、グループの空気は微妙に変わった。
表面上は笑っていても、瞳が笑っていない。
……嘘だらけだ。
それが分かってしまう自分が、少し嫌になる。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
仕事帰り、ソファに座る私の前に、真珠くんがココアを差し出してきた。
マグカップから立ち上る甘い匂いが、疲れた体に染み込んでいく。
「大丈夫だよ〜、ちょっと疲れちゃっただけ」
本当は、大丈夫じゃない。
でも、その嘘を彼に見抜かれたくない。
なぜか――彼の瞳に、自分の弱さを見られるのが怖かった。
「……そっか」
短く返すその声は、柔らかいのに、どこか胸に引っかかる。
ある日のレッスン後。
メンバーはもう帰って、スタジオに残っていたのは私と真珠くんだけだった。
「まだやってんのか、お前」
「あと少しで終わるから〜」
「坊主、こいつ見張っとけ。休ませろ」
そう言い残して壱護さんが去っていく。
「お姉ちゃん、帰ろ?」
「う〜ん……じゃあストレッチだけしてから」
そう言って体を伸ばしていると、真珠くんが近づいてきた。
「多分ね、こうした方がいいよ」
小さな手が、私の背中にそっと触れる。
押されるままに伸びると、痛気持ちよさが広がった。
「すごいじゃん、どこで覚えたの?」
「本で読んだの。お姉ちゃんやみんなが疲れてそうだったから、何かしてあげたくて」
……この子、なんなの。
私、アイドルのファンからもこんな純度100%の好意、もらったことないよ?
「ありがと、真珠くん」
笑いながらタオルを取ろうとして――気づいた。
ポーチがない。
一瞬、グループの子の顔が浮かぶ。
疑う自分が嫌で、頭を振る。
「……っ」
その時、頭を撫でられた。
振り返ると、ベンチの上で背伸びしている真珠くん。
「どうしたの?」
「なんとなく。こうしてあげたくなったから」
「……そう。ありがと」
「お姉ちゃん、嘘はだめだよ?」
胸の奥が、ぎゅっと掴まれた気がした。
私が今ついた嘘――「平気」ってやつ。
見抜かれた。
「ママがね、女の子が辛そうな時は優しくしてあげなきゃだめって言ってたんだ。だから、僕がされて嬉しかったことをしてみたの」
……この子は、もう“愛される”を知ってるんだ。
私が手に入れられなかった、母親からの愛情を。
嫉妬。
でも、同時に温かさもある。
彼の純粋さが、私の歪んだ心に沁みこんでくる。
私はアイドルだ。
ファンの前では、どんな笑顔も嘘も完璧に演じる。
でもこの瞬間だけは、姉としての私でいられる気がした。
そして、ふと思ってしまった。
母親になれば、この感情――愛情ってやつが分かるんじゃないかって。
……だから私は、あの決断をしてしまったのだ。